第七十一話 ― 柱稽古
⸻
朝の光は、
すでに里の形を変え始めていた。
崩れた屋根。
割れた土壁。
焼け焦げた木材。
昨夜の戦いの跡は、
どこを見ても消えていない。
それでも――
止まってはいなかった。
「急げ!!」
「こっちだ、荷をまとめろ!!」
「担架、もう一つ!!」
里のあちこちで、
人が動いている。
修復ではない。
撤収だった。
「……本当に移すんですね」
「まだ使えそうな家屋たくさん残ってるのに」
隠の一人が、
荷車へ道具を積みながら呟く。
その手は止まらない。
だが、
声だけがわずかに揺れていた。
年かさの隠が、
短く答える。
「位置が知られた可能性がある以上、
ここに留まる理由はない」
「でも……全部?」
「全部ではない」
その言葉に、
若い隠が顔を上げる。
「里は残す」
「だが、
人は残さない」
静かな判断だった。
「刀鍛冶は分散移送」
「別の里、
あるいは臨時拠点へ振り分ける」
「場所を固定しない」
「次に来た時、
“もうここにはいない”状態を作る」
それは、
防衛ではなかった。
回避だった。
鬼殺隊らしい、
徹底した“見つからない戦い方”。
荷車の列の中に、
一人だけ
妙に手際のいい隠がいた。
声を荒げるでもなく、
走り回るでもなく。
だが、
気づけば
一番重い荷を持ち、
一番危ない足場を先に潰している。
「そこ、通れます」
短く告げて、
崩れかけた足場へ板を渡す。
次の瞬間にはもう、
別の列へ回っていた。
「……誰だあれ」
若い隠が、
小さく呟く。
「見ない顔だな」
年かさの隠が、
一瞬だけ視線を向ける。
「……最近入ったやつだ」
「名前は……」
ほんの少しだけ考えて、
「東地、だったか」
その名は、
すぐに会話から落ちた。
特別に語られることもなく。
ただ、
人の流れの中へ紛れていく。
それでも――
気づけばまた、
一番負担のかかる場所にいる。
その動きだけが、
妙に印象へ残った。
⸻
荷車が進む。
担架が運ばれる。
刀鍛冶たちが、
必要最低限の道具だけを抱えて
移動していく。
火床の一部。
砥石。
未完成の刀。
全部は持っていけない。
だが、
繋ぐためのものだけは選んでいた。
その列の脇を、
隊士たちが護衛につく。
真壁もその中にいた。
特別な指示はない。
だが、
一番“抜けられると困る位置”に立っている。
道の分岐。
視界の切れ目。
崩れかけた壁の影。
そういう場所へ、
自然に立っていた。
「……」
目立たない。
だが、
一番必要な場所にいる。
それが、
真壁の立ち方だった。
その頃――
里の外れでは、
すでに別の問題が起きていた。
「また出たぞ!!」
山道を駆ける鬼殺隊士の声。
その先。
木々の間から、
痩せた鬼が飛び出す。
一体。
二体。
――三体。
「っ……多い!!」
一体は弱い。
だが、
複数になるだけで話が変わる。
一体を斬る。
だがその間に、
横からもう一体が入る。
「くそっ……!」
対応が遅れる。
その瞬間――
ギィン!!
横からの斬撃が、
鬼の首を弾いた。
別の隊士が滑り込む。
「立てるか!」
「……はい!」
「強くはない!」
「でも数が面倒だ!」
その通りだった。
強くはない。だが、減らない。
それが、
今の鬼の特徴だった。
山道。
街道。
村外れ。
人の目が届かない場所。
そこへ、
“噛みつく牙”みたいな鬼が増えている。
一体では脅威じゃない。
だが、
重なれば人は死ぬ。
そしてその処理が、
確実に隊の手を削っていた。
⸻
「柱だけでは回らない」
その言葉は、
数日後――
移送が一段落した後、
集められた隊士たちの前で
産屋敷あまねの口から告げられた。
鬼殺隊士たちが並ぶ。
傷はまだ残っている。
だが、
全員立っていた。
あまねの声音は静かだった。
けれど、
その場の誰一人として
聞き逃せない重みがあった。
「鬼の出現頻度が上がっています」
「個体の強さは問題ではありません」
「ですが、
数が多い」
「護衛任務も増えました」
「移送中の刀鍛冶、
各拠点の防衛」
「それらを含めると――」
一拍。
「今の鬼殺隊は、
手数が足りていません」
誰も否定しない。
それが現実だった。
あまねは、
隊士たち一人一人を見渡すように
静かに視線を巡らせる。
そして――
「よって」
その一言だけで、
場の空気が張る。
「柱稽古を開始します」
ざわめきが走る。
だが、
驚きよりも納得の方が強かった。
「一人で勝つためではありません」
その言葉に、
炭治郎の目がわずかに動く。
「持たせるためです」
胸の奥へ、
すとんと落ちる。
あの夜の感覚。
止める人がいて。
支える人がいて。
その上を通して、
ようやく届いた。
あの戦い。
「……」
炭治郎は、
小さく息を吐く。
まだ全部は掴めていない。
だが、
何が必要かだけは分かる。
⸻
「で、順番どうなるんだよ」
伊之助が腕を組む。
善逸はすでに嫌そうな顔だ。
「絶対キツいやつじゃん……」
その声に、
近くの隊士が答える。
「最初は宇髄さんらしい」
「え」
炭治郎が顔を上げる。
「宇髄さん……!」
遊郭で戦った柱。
あの人の稽古。
「派手にやるってよ」
別の隊士が苦笑する。
善逸の顔が引きつる。
「やだぁぁぁ……」
伊之助は逆に笑った。
「いいじゃねぇか!!」
「ぶっ壊してこい!!」
炭治郎は、
少しだけ息を整える。
身体。
まずはそこからだ。
そう直感した。
⸻
「で、その次なんだけど」
隊士が続ける。
「水柱のところは、
一部代行になるらしい」
「代行?」
「冨岡さん、
任務から戻って以降
屋敷から出ていないらしい」
「じゃあ誰が……」
その答えは、
すぐに出た。
「真壁さんだ」
炭治郎の目が、
自然とそちらへ向く。
少し離れた場所。
すでに、
数人の隊士が並んでいる。
その前に、
真壁が立っていた。
変わらない。
静かで。
無理に前へ出ない。
だが――
その場の空気だけが、
妙に締まって見えた。
一人が踏み出す。
二人目が続く。
三人目が、
わずかに遅れる。
「……そこです」
真壁の声が落ちる。
「今の出方では、
後ろが空きます」
怒鳴らない。
だが、
誤魔化しは効かない。
隊士たちの動きが止まる。
「速さはいりません」
「強さも後でいい」
一拍。
そして――
「まず、
崩れないでください」
その言葉が、
場に沈む。
炭治郎の胸へ、
まっすぐ落ちる。
崩れない。
あの夜、
最後まで必要だったもの。
押し潰される中で、
それでも残ったもの。
「……」
炭治郎は、
小さく拳を握る。
善逸も黙っていた。
伊之助も、
珍しく何も言わない。
真壁の立つ場所は、
ただそこにあるだけなのに
動かせない“軸”みたいに見えた。
⸻
柱稽古。
それは、
強くなるためだけの時間じゃない。
次の戦いで、
崩れないための時間だ。
炭治郎は、
静かに息を吸う。
その先で、
宇髄の笑い声が遠くから響いた。
「派手に行くぞォ!!」
空気が、
少しだけ動く。
新しい鍛錬が、
始まろうとしていた。
⸻
第七十一話 終