鬼滅の刃 ― 礎 ―   作:【規制済み】

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第七十二話 ― 不動

 

「遅ぇ!!」

 

朝っぱらから、

宇髄天元の声が

訓練場へ叩きつけられた。

 

「そんなノロい足で

鬼と戦えると思ってんのか!!」

 

地面が揺れた気がした。

 

いや、

実際に揺れていたのかもしれない。

 

隊士たちが、

朝からすでに死にそうな顔をしている。

 

走る。

 

運ぶ。

 

跳ぶ。

 

転ぶ。

 

立て直す。

 

そしてまた走る。

 

柱稽古の初日――

 

宇髄の稽古は、

想像していたよりもずっと容赦がなかった。

 

 

「筋力が足りねぇ」

 

「体幹が足りねぇ」

 

「足が流れてる」

 

「踏み込みが浅ぇ」

 

「あと全体的に地味だ!!」

 

最後の一言だけ、

善逸が「そこ関係ある!?」という顔をしたが、

口に出す余裕はなかった。

 

「次!!」

 

宇髄が手を叩く。

 

丸太を担いだ隊士たちが、

悲鳴みたいな声を上げながら走り出す。

 

その後ろを、

伊之助がやたら元気に駆け抜けていった。

 

「ハハハァ!!」

 

「このくらい余裕だぜぇ!!」

 

「うるせぇ!

余裕なら二本持て!!」

 

「おお!!」

 

本当に持った。

 

「馬鹿だあいつ……」

 

善逸が死んだ目で呟く。

 

その横で、

炭治郎も肩で息をしていた。

 

キツい。

 

純粋に、

身体がキツい。

 

傷はだいぶ塞がっている。

 

だが、

万全ではない。

 

それでも――

 

宇髄の言うことは、

全部正しかった。

 

速く動けること。

 

崩れず踏めること。

 

押された時に、

姿勢を持たせられること。

 

どれも、

あの夜に足りなかったものだ。

 

 

「お前ら」

 

宇髄が、

地面へ置かれた丸太の上へ飛び乗る。

 

見下ろす目が、

鋭い。

 

「鬼を斬る前に

まず自分の身体が言うこと聞かなきゃ話にならねぇんだよ」

 

その声は大きい。

 

だが、

軽くはなかった。

 

「呼吸も技も

最後は身体に乗る」

 

「土台がガタついてりゃ、

何やっても崩れる」

 

炭治郎の呼吸が、

わずかに止まる。

 

崩れる。

 

その言葉に、

最近何度もぶつかっている。

 

真壁にも言われた。

 

戦いの中でも、

痛いほど思い知った。

 

「逆に言やぁ」

 

宇髄が口角を上げる。

 

「身体ができてりゃ

ギリギリのとこでも一歩残せる」

 

「その一歩が、

生きるか死ぬかを分ける」

 

その言葉は、

妙に真っ直ぐ胸へ入ってきた。

 

 

午前の稽古が終わる頃には、

ほとんどの隊士が地面に転がっていた。

 

善逸はもう喋れない。

 

伊之助だけが

まだ妙に元気だったが、

顔色は普通に悪い。

 

炭治郎も、

膝に手をついて息を整える。

 

その少し離れた場所で――

 

真壁は、

まったく崩れていなかった。

 

息は上がっている。

 

汗もかいている。

 

だが、

立ち姿が変わらない。

 

踏み込みも。

 

止まりも。

 

重心も。

 

全部が、

最初から最後まで崩れていない。

 

宇髄が、

その背中を見て鼻を鳴らす。

 

「相変わらずだな」

 

真壁が振り返る。

 

「……何がでしょうか」

 

「何がじゃねぇよ」

 

宇髄が肩をすくめる。

 

「お前、

そういうとこだぞ」

 

真壁は少しだけ眉を寄せる。

 

意味が分からない、

という顔だった。

 

そのやり取りを、

近くの隊士たちがこっそり見ている。

 

その中の一人が、

小声で呟いた。

 

「……やっぱすげぇな」

 

「真壁さん」

 

別の隊士が、

頷く。

 

「そりゃ“不動”って言われるよな……」

 

炭治郎の耳が、

その言葉を拾う。

 

「……不動?」

 

思わず、

小さく呟く。

 

その声に気づいた隊士が、

少しだけ慌てた。

 

「あ、いや……」

 

「別に本人の前で言うようなもんじゃないんですけど」

 

宇髄が、

面白そうに笑う。

 

「言っちまえよ。

どうせ本人、

そういうの興味ねぇだろ」

 

真壁は、

案の定なんの反応も示さなかった。

 

「隊の中で、

たまにそう呼ばれてるんですよ」

 

若い隊士が、

少しだけ言いづらそうに続ける。

 

「崩れないから」

 

「どれだけ押されても、

どれだけ数が来ても、

立ち位置が変わらないっていうか……」

 

「前に出すぎないのに、

抜けると困る場所に

絶対いるんです」

 

炭治郎は、

静かに真壁を見る。

 

確かにそうだった。

 

あの夜も。

 

移送の時も。

 

稽古場でも。

 

派手に目立つわけじゃない。

 

でも、

崩れない。

 

そこにいるだけで、

周りが少しだけ崩れにくくなる。

 

「……不動」

 

炭治郎が、

小さく繰り返す。

 

宇髄が笑う。

 

「地味だけど、

悪くねぇよな」

 

「それは褒めているのか分かりません」

 

真壁が、

珍しくすぐ返した。

 

宇髄が吹き出す。

 

「言うようになったじゃねぇか」

 

その軽口に、

場の空気がほんの少しだけ緩む。

 

 

午後。

 

宇髄の稽古は、

さらにキツくなった。

 

今度はもう、

誤魔化しが利かない。

 

純粋な身体だった。

 

丸太担ぎ。

 

坂道ダッシュ。

 

片足での踏ん張り。

 

不安定な足場での反復着地。

 

重りを抱えたままの低姿勢移動。

 

そして――

 

止まってから、

もう一度踏み出す訓練。

 

それが、

異様にキツかった。

 

「足が死んでからが本番だ!!」

 

宇髄の声が飛ぶ。

 

「一回踏んで終わりじゃねぇ!!」

 

「止まった後、

もう一歩出せ!!」

 

「そこが残るかどうかの差だ!!」

 

炭治郎が踏み込む。

 

止まる。

 

その瞬間、

脚が鉛みたいに重い。

 

だが、

そこで終わらせてもらえない。

 

「次ィ!!」

 

宇髄の怒声と同時に、

もう一度前へ出る。

 

「っ――!!」

 

脚が軋む。

 

肺が焼ける。

 

足場が揺れる。

 

善逸は半泣きでよろめきながら走り、

伊之助は意味不明な勢いで突っ込んでいく。

 

だが、

誰も止まれない。

 

「疲れてから

姿勢が死ぬやつが多すぎる!!」

 

宇髄が叫ぶ。

 

「鬼とやる時だけ

元気だと思ってんのか!!」

 

「削られて、

崩されて、

息切れしてからが戦場だ!!」

 

その言葉が、

炭治郎の胸に突き刺さる。

 

確かにそうだった。

 

いつだって戦いは、

万全な状態で始まって

万全なまま終わるわけじゃない。

 

削られる。

 

苦しくなる。

 

足が止まりそうになる。

 

その時、

踏めるかどうか。

 

残れるかどうか。

 

そこが、

最後の差になる。

 

「腰が浮くな!!」

 

宇髄が、

炭治郎の踏み込みを見て吠える。

 

「足で踏むな!!

腹で支えろ!!」

 

「はい!!」

 

炭治郎が、

歯を食いしばる。

 

もう一度踏む。

 

今度は、

少しだけ違った。

 

地面に乗る感覚が、

さっきより深い。

 

「そうだ!!」

 

宇髄が笑う。

 

「派手さはいらねぇ!!

まず残れ!!」

 

その一言が、

妙に胸へ落ちた。

 

 

しばらくして、

今度は二人一組での押し合いが始まる。

 

前へ出るためじゃない。

 

押されても、

軸を失わないための訓練だった。

 

炭治郎が押す。

 

押し返される。

 

踏ん張る。

 

それだけで、

脚が悲鳴を上げる。

 

「腕で耐えるな!!」

 

「腰で受けろ!!」

 

「足裏を逃がすな!!」

 

宇髄の声が、

何度も飛ぶ。

 

真壁は、

その少し離れた場所で

同じ訓練を受ける隊士たちの動きを見ていた。

 

何も言わない。

 

だが、

その立ち姿はやはり崩れない。

 

押されても。

 

踏み直しても。

 

軸が死なない。

 

炭治郎は、

その姿を横目で見ながら思う。

 

あれが、

“残る”ってことなんだろうかと。

 

派手じゃない。

 

だが、

簡単には崩れない。

 

あの立ち方そのものが、

もう強さだった。

 

 

日が傾き始めた頃、

ようやく宇髄が止める。

 

「今日はここまでだ」

 

誰かがその場で崩れ落ちた。

 

たぶん何人か本当に泣いていた。

 

善逸は地面と一体化している。

 

伊之助は空を見ながら笑っている。

 

炭治郎は、

膝に手をついて息を整えながら

ゆっくりと顔を上げた。

 

身体は重い。

 

腕も脚も痛い。

 

息も苦しい。

 

だが――

 

前より少しだけ、

踏める気がした。

 

崩れにくくなった気がした。

 

「……なるほどねぇ」

 

宇髄が、

遠くを見たまま言う。

 

「やっぱ“残るやつ”ってのは

こういうとこで差が出る」

 

炭治郎が顔を上げる。

 

宇髄は、

そのまま続けた。

 

「技の前に、

まず身体」

 

「そんで、

身体の前に立ち方だ」

 

その言葉は、

妙に深く残った。

 

立ち方。

 

どう立つか。

 

どこに立つか。

 

どう崩れないか。

 

それは、

戦いの全部に繋がっている気がした。

 

 

夕暮れの中で、

炭治郎はふと真壁の背中を見る。

 

 

今日一日、

あの人はずっと

“崩れない側”にいた。

 

前へ出るより、

支える側。

 

通す側。

 

それは、

誰にでもできることじゃない。

 

「……真壁さん」

 

炭治郎が呼ぶ。

 

真壁が足を止める。

 

「はい」

 

「俺、

少しだけ分かった気がします」

 

真壁は振り返る。

 

炭治郎は、

まっすぐその人を見ていた。

 

「強いって、

前に出ることだけじゃないんですね」

 

夕暮れの風が、

少しだけ通る。

 

真壁は一瞬だけ黙って――

 

それから、

静かに答えた。

 

「前に出る人を、

前に出したままにできるのも

強さです」

 

その言葉に、

炭治郎の胸が静かに熱を持つ。

 

そうか。

 

そういう強さもあるんだと、

今なら少しだけ分かる。

 

 

宇髄の稽古は、

身体を壊すためのものじゃない。

 

戦場で、

崩れないための稽古だ。

 

その意味を、

炭治郎たちは

ようやく身体で知り始めていた。

 

 

 

その日の夕刻。

 

訓練場の端に、

湯気が立っていた。

 

大鍋。

 

炊き出しの匂い。

 

味噌と、

出汁と、

炊き立ての飯の香ばしさ。

 

「ほら、ちゃんと食べなさい」

 

まきをが、

器を手渡す。

 

「倒れるまで動かしたんだから、

回復もセットよ」

 

須磨が、

慌ただしく走り回る。

 

「こっち足りてないよぉ!!」

 

「はいはい、順番!」

 

雛鶴は、

落ち着いた手つきで

配膳を整えていた。

 

三人とも、

手際がいい。

 

騒がしいのに、

無駄がない。

 

炭治郎は、

受け取った椀を見下ろす。

 

湯気が立っている。

 

温かい。

 

それだけで、

少しだけ力が抜けた。

 

「……いただきます」

 

一口。

 

身体に落ちる。

 

じんわりと、

内側から熱が広がる。

 

「……うまい……」

 

思わず漏れる。

 

善逸はすでに泣いていた。

 

「生きててよかったぁぁ……」

 

伊之助は黙って食べている。

 

だが、

食べる速さがいつもより早い。

 

炭治郎は、

もう一口運ぶ。

 

疲れているはずなのに、

身体が欲しがっているのが分かる。

 

「ちゃんと食えよ」

 

宇髄が、

背後から声をかける。

 

「身体作るのも

稽古のうちだ」

 

その言葉に、

炭治郎の手が止まる。

 

そして――

 

また、

ゆっくりと口へ運ぶ。

 

ただの食事じゃない。

 

これも、

戦うための準備だ。

 

そう思うと、

一口の重みが変わった。

 

少し離れた場所で、

真壁も静かに箸を動かしている。

 

無駄がない。

 

食べる速さも、

姿勢も、

崩れない。

 

その姿を見て、

炭治郎は小さく息を吐く。

 

「……負けてられないな」

 

小さく呟く。

 

誰に聞かせるでもなく。

 

ただ、

自分に落とすように。

 

湯気が、

夜の空気へ溶けていく。

 

 

第七十二話 終

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