鬼滅の刃 ― 礎 ―   作:【規制済み】

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第七十三話 ― 水の形

 

数日間の稽古を終え、

宇髄から合格を言い渡された隊士たちは

次の段階へ進んでいた。

 

進んだ先の隊士たちの顔は、

朝からもう終わっていた。

 

「無理だってぇ……」

 

善逸が、

地面へ額をつけたまま呻く。

 

「まだ筋肉が昨日にいるよぉ……」

 

「昨日の俺はもう死んだぜ!!」

 

伊之助は元気そうに叫んでいたが、

立ち上がる動きは普通に鈍い。

 

炭治郎も、

身体のあちこちに

重さを感じていた。

 

脚。

 

腰。

 

肩。

 

全部が、

昨日までの宇髄の稽古を覚えている。

 

だが――

 

今日は別の意味で、

空気が張っていた。

 

水柱の稽古場の中央。

 

そこに立っていたのは、

水柱・冨岡義勇ではない。

 

真壁だった。

 

静かに。

 

変わらない姿勢で。

 

余計な気負いもなく、

ただそこに立っている。

 

だが、

その場の空気だけが

妙に締まって見えた。

 

「本日から、

水柱の基礎稽古を代行します」

 

真壁の声は、

いつも通り静かだった。

 

大きくはない。

 

けれど、

全員に届く。

 

「やることは単純です」

 

一拍。

 

「崩れないでください」

 

それだけだった。

 

善逸が、

小さく絶望した顔をする。

 

「それが一番難しいんだけどぉ……」

 

伊之助は鼻を鳴らす。

 

「わかんねぇけど!

やってやるよ!!」

 

炭治郎は、

黙って真壁を見ていた。

 

昨日までの、

宇髄の稽古で

身体の土台を叩き込まれた。

 

なら今日は、

その土台をどう使うかだ。

 

そんな気がした。

 

 

最初に始まったのは、

想像していた“型の稽古”ではなかった。

 

歩く。

 

ただ、

それだけだった。

 

「……え?」

 

善逸が、

思わず間の抜けた声を出す。

 

真壁は気にしない。

 

「前へ進んでください」

 

「一定の速度で」

 

「止まらず」

 

「足音を乱さず」

 

「視線を切らず」

 

「……以上です」

 

隊士たちが、

困惑した顔で歩き始める。

 

炭治郎も前へ出る。

 

一歩。

 

二歩。

 

三歩。

 

それだけだ。

 

だが、

五歩目で分かった。

 

難しい。

 

何もないからこそ、

誤魔化せない。

 

足運び。

 

重心。

 

肩の揺れ。

 

視線。

 

呼吸。

 

全部がそのまま出る。

 

「遅いです」

 

真壁の声が落ちる。

 

「竈門くん、

足が少し流れています」

 

「はい!」

 

「我妻くん、

視線が落ちています」

 

「うぇっ!?」

 

「嘴平くん、

歩いてください」

 

「なんでだよ!!」

 

「走っているので」

 

「歩く方が難しいんだよ!!」

 

「そうですか」

 

その返しがあまりにも真顔で、

炭治郎は少しだけ口元が緩みそうになる。

 

だが、

すぐに消えた。

 

今は笑っている余裕がない。

 

真壁は、

全部見ている。

 

歩幅のズレ。

 

足音の乱れ。

 

無意識の力み。

 

一つも見逃していない。

 

 

「水は、

無理に形を作りません」

 

真壁が、

隊士たちの前を静かに歩く。

 

「ですが、

崩れる時は一瞬です」

 

その言葉に、

炭治郎の耳が自然と向く。

 

「一歩のズレ」

 

「半拍の遅れ」

 

「視線の切れ」

 

「その小さな崩れが、

次の一手を遅らせます」

 

真壁は、

一人の隊士の前で止まる。

 

「村田くん、

左足が先に逃げました」

 

呼ばれた村田が、

ぎくりと肩を震わせる。

 

言われるまで、

自分でも気づいていなかった顔だ。

 

「鬼はそこを見ます」

 

真壁の声は、

相変わらず静かだった。

 

だが、

その静かさが逆に重い。

 

「崩れた瞬間だけで、

人は死ねます」

 

空気が、

ぴたりと止まる。

 

誰も軽く聞けなくなった。

 

それは脅しじゃない。

 

事実として、

この人は言っている。

 

 

次に始まったのは、

三人一組での位置替えだった。

 

前衛。

 

中衛。

 

後衛。

 

合図一つで、

前後を入れ替える。

 

左右を入れ替える。

 

一人が下がった瞬間、

別の一人が穴を埋める。

 

ただそれだけ。

 

だが――

 

これが、

異様に噛み合わない。

 

「ぶつかったぁ!!」

 

善逸が悲鳴を上げる。

 

「お前が寄りすぎなんだよ!!」

 

伊之助が怒鳴る。

 

炭治郎が踏み込んだ瞬間、

後ろが空く。

 

そこへ真壁の声が落ちた。

 

「今です」

 

全員が止まる。

 

「今、

三人とも前を見ました」

 

一拍。

 

「後ろが空きます」

 

炭治郎の呼吸が、

わずかに止まる。

 

「前の敵だけ見れば、

横が抜けます」

 

「横を見れば、

足元が死にます」

 

「全部を見ようとすれば、

全部遅れます」

 

真壁は、

三人の立ち位置を

ほんの少しだけ手で直す。

 

「だから、

自分の役割を崩さないでください」

 

その言葉が、

静かに落ちる。

 

「見なくていい場所まで、

見ようとしない」

 

「やるべきことを増やさない」

 

「持つ場所を間違えない」

 

それは、

戦いの話であると同時に――

 

真壁自身の在り方そのものみたいだった。

 

 

炭治郎が前へ出る。

 

善逸が後ろへ下がる。

 

伊之助が横へ回る。

 

今度は、

少しだけ噛み合った。

 

まだ完璧じゃない。

 

だが、

さっきより崩れない。

 

「……っ」

 

炭治郎の足が、

少しだけ軽くなる。

 

違う。

 

これはただの連携じゃない。

 

誰がどこを持つか。

 

どこを空けないか。

 

どこを“通す”か。

 

その形を、

今少しずつ身体に入れている。

 

「そうです」

 

真壁の声が落ちる。

 

「今の形です」

 

短い。

 

それだけなのに、

妙に手応えが残った。

 

褒められたからじゃない。

 

通ったからだ。

 

自分たちの動きが、

一瞬だけでも

ちゃんと“形”になったから。

 

 

少し離れた場所で、

別の隊士たちも同じ訓練をしていた。

 

だが、

やはり崩れる。

 

早い者が前へ出すぎる。

 

遅い者が置いていかれる。

 

穴ができる。

 

そこへ――

 

真壁が静かに入る。

 

「一人で取りに行かないでください」

 

「持たせてください」

 

「そこで踏み止まれば、

後ろが間に合います」

 

「前へ出ることだけが、

正解ではありません」

 

その一言一言が、

全部“間に合う言葉”だった。

 

遅すぎず。

 

早すぎず。

 

崩れる前に、

ちょうど必要な場所へ落ちる。

 

炭治郎は、

その光景を見ながら思う。

 

この人は、

戦っている時と同じだと。

 

一番必要な場所に、

必要な分だけいる。

 

それが、

どれだけ難しいことか。

 

今なら少し分かる。

 

 

昼を回る頃には、

隊士たちの動きが

少しずつ変わり始めていた。

 

まだ拙い。

 

まだ遅い。

 

まだ乱れる。

 

だが、

崩れ方が浅くなっている。

 

完全に壊れない。

 

持ち直せる。

 

それだけで、

生き残る確率は変わる。

 

「……なるほど」

 

炭治郎が、

小さく息を吐く。

 

「水って、

こういうことなのか……」

 

ぽつりと漏れたその言葉に、

真壁の視線が一瞬だけ向く。

 

だが、

何も言わない。

 

ただ、

否定もしなかった。

 

 

午後。

 

今度は

“抜かれた時”の訓練に変わった。

 

一人が意図的に崩れる。

 

そこへ、

別の二人がどう埋めるか。

 

前が抜かれた時。

 

横が裂けた時。

 

後ろが下がった時。

 

その穴を、

どう最小限で塞ぐか。

 

「全部守ろうとしないでください」

 

真壁が言う。

 

「守れません」

 

その言葉は、

はっきりしていた。

 

「守る場所を決めてください」

 

「捨てる場所を、

先に決めてください」

 

善逸が、

息を切らしながら顔を上げる。

 

「そんなの……

怖いに決まってるじゃん……」

 

真壁は、

少しだけ善逸を見る。

 

それから、

静かに答えた。

 

「はい」

 

短い。

 

だが、

誤魔化しがない。

 

「怖いです」

 

「だからこそ、

先に決めてください」

 

「迷ったまま崩れる方が、

もっと危ない」

 

その言葉に、

善逸は何も返せなかった。

 

炭治郎の胸にも、

静かに落ちる。

 

全部を守りたい。

 

全部を助けたい。

 

そう思う。

 

でも、

戦いの中では

それが崩れの始まりになることもある。

 

どこを持つか。

 

何を通すか。

 

それを決めることも、

強さなんだ。

 

 

稽古の終わり際。

 

炭治郎たち三人は、

最後にもう一度

三人一組の位置替えをやっていた。

 

踏み込む。

 

下がる。

 

ずれる。

 

埋める。

 

今度は、

ぶつからない。

 

遅れない。

 

崩れない。

 

ほんの一瞬。

 

だが、

確かに通った。

 

その瞬間、

真壁が小さく言った。

 

「はい」

 

それだけだった。

 

けれど――

 

今日一番、

手応えのある一言だった。

 

 

日が傾く頃。

 

隊士たちは、

昨日とはまた別の疲労で

へたり込んでいた。

 

筋肉の悲鳴ではない。

 

神経が擦り減るような疲れ。

 

善逸は地面へ倒れ込みながら呻く。

 

「頭が疲れるぅぅ……」

 

「分かるかも……」

 

炭治郎も、

珍しく同意した。

 

伊之助だけは

「分かんねぇ!」と叫んでいたが、

動きは明らかに鈍い。

 

真壁は、

そんな隊士たちを静かに見回す。

 

そして――

 

「お疲れ様でした」

 

それだけ言って、

一礼した。

 

炭治郎は、

その姿を見ながら思う。

 

派手じゃない。

 

目立たない。

 

でも、

この人の強さは

こういうところにあるんだと。

 

前へ出る人を、

前へ出したままにする。

 

崩れそうなものを、

崩れ切る前に支える。

 

そのための形を、

ずっと身体に入れてきた人なんだと。

 

 

帰り道。

 

炭治郎は、

ゆっくりと息を吐く。

 

宇髄の稽古で、

身体を叩かれた。

 

真壁の稽古で、

形を整えられた。

 

まだ足りない。

 

まだ届かない。

 

けれど――

 

少しずつ、

自分の中で

繋がり始めているものがある。

 

「……次は、

義勇さんのところかな」

 

その名前が、

少しだけ重く感じた。

 

 

第七十三話 終




本日も幕間ございます。よろしければそちらもご覧下さい。

投稿時間はいつものように30分後を予定しております。
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