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岩柱の稽古二日目。
朝の空気は、
昨日よりも重かった。
身体が痛い。
脚も。
肩も。
背中も。
肺の奥まで、
まだ疲労が残っている。
それでも――
炭治郎は、
足を止めなかった。
昨日一日で、
はっきり分かったからだ。
ここが最後だ。
ここを越えなければ、
先へは行けない。
善逸は、
すでに顔色が悪かった。
「……まだやるのぉ……」
「昨日で十分死にかけたよぉ……」
「頑張ろう、善逸。まだ終わったって言われてないから」
伊之助も、
珍しく肩を回しながら息を吐く。
「けどよォ……」
「ここ越えねぇと、
たぶんこの先なんかねぇんだろ」
炭治郎は、
その言葉に小さく頷いた。
まさにその通りだった。
技は積み上げてきた。
削ることも。
崩れないことも。
流すことも。
しなることも。
押し通すことも。
読ませないことも。
ここまで来て、
足りないのはもう明確だった。
――それを最後まで通し切る器。
今日もまた、
それを叩き込まれる。
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悲鳴嶼の稽古場へ着いた時。
そこにはすでに、
滝音が響いていた。
朝の冷気の中で、
白い飛沫が立ち上っている。
悲鳴嶼は、
昨日と変わらず
静かに立っていた。
揺れない。
ぶれない。
そこにいるだけで、
空気が整うような感覚がある。
「始めよう」
短い。
それだけで、
全員が動き出した。
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最初は滝だった。
昨日と同じ。
だが――
昨日よりも、
明らかに長い。
水圧は変わらない。
冷たさも変わらない。
なのに、
今日の方が苦しい。
炭治郎は、
滝の下で歯を食いしばる。
重い。
冷たい。
痛い。
肩が軋む。
膝が沈む。
少しでも気を抜けば、
呼吸が一気に乱れる。
(整えろ……!)
吸う。
吐く。
肩を上げない。
首を固めない。
足だけで耐えない。
全身で受ける。
そう頭では分かっていても、
身体はすぐに悲鳴を上げる。
昨日よりも、
明らかに早く限界が来る。
「苦しい時ほど整えよ」
悲鳴嶼の声が、
滝音の向こうから落ちる。
炭治郎は、
奥歯を噛み締める。
整える。
崩れる前に。
切れる前に。
流される前に。
そのはずなのに――
視界が少しずつ、
狭くなる。
呼吸が熱を帯びる。
胸の奥で、
心臓が強く鳴り始める。
どくん。
どくん。
どくん。
昨日より速い。
明らかに速い。
炭治郎の眉が、
わずかに寄る。
(……熱い?)
水は冷たい。
それなのに、
身体の内側だけが
妙に熱を持ち始めていた。
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次は丸太運びだ。
肩へ担いだ瞬間、
全身に重みがのしかかる。
昨日よりも、
身体が重い。
脚が沈む。
腰が軋む。
呼吸が乱れそうになる。
それでも、
炭治郎は踏み出した。
一歩。
二歩。
三歩。
昨日と同じ距離のはずなのに、
今日はやけに遠い。
(持たせろ……!)
持つ。
支える。
崩さない。
そのはずなのに、
肩の奥が焼けるように熱い。
呼吸が、
どこか浅い。
心臓が速い。
視界の輪郭が、
妙にはっきりしている。
周囲の足音。
呼吸音。
地面を踏む振動。
全部が、
嫌に鮮明だった。
「……っ」
炭治郎の足が、
一瞬だけよろける。
その瞬間。
「切るな」
悲鳴嶼の声が落ちた。
低く、
深い声だった。
「そこで呼吸を切れば、
全てが崩れる」
炭治郎は、
はっとして息を繋ぐ。
吸う。
吐く。
肩を上げない。
首を固めない。
足だけで受けない。
全身で受ける。
その全部が、
ほんの一瞬だけ噛み合った。
姿勢と。
呼吸と。
支えが。
その瞬間――
身体の奥で、
何かが一気に熱を持った。
(……あの時と、似てる)
刀鍛冶の里。
上弦の鬼を前にした時。
命が削れるような極限の中で、
身体の奥から何かが引きずり出された。
あの時の感覚と、
どこか似ている。
だが――
まだ違う。
届ききらない。
開きかけて、
止まる。
その境界で、
身体だけが焼けていく。
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昼を過ぎる頃には、
隊士たちはほとんど言葉を失っていた。
善逸は、
地面へ倒れ込みながら
かすれた声を漏らす。
「……もう嫌だぁ……」
伊之助も、
さすがに肩で息をしている。
だが、
炭治郎はそれどころではなかった。
熱い。
身体の内側が、
妙に熱い。
疲労とは違う。
息が切れているのに、
どこか感覚だけが冴えている。
心臓が速い。
速すぎる。
その鼓動の一つ一つが、
身体の奥を叩いてくる。
どくん。
どくん。
どくん。
(これ……)
炭治郎は、
膝へ手をついたまま
自分の手を見る。
指先が、
わずかに震えている。
だが、
ただの疲れではない。
もっと、
深いところで何かが起きている。
その時だった。
「竈門」
悲鳴嶼の声が落ちる。
炭治郎が、
顔を上げる。
悲鳴嶼は、
静かにこちらを見ていた。
目は閉じたままのはずなのに、
見抜かれている気がした。
「その熱を、
制御できねば死ぬ」
炭治郎の呼吸が、
わずかに止まる。
悲鳴嶼は、
続けた。
「極限は、
力を引き出す」
「だが――」
数珠の音が、
静かに鳴る。
「扱えねば、
身を焼く」
その言葉が、
炭治郎の胸へ深く落ちる。
身を焼く。
まさに今の感覚そのものだった。
引き出されている。
だが、
まだ扱えていない。
だから、
焼ける。
炭治郎は、
小さく息を呑む。
(やっぱり……)
あの時の力は、
偶然じゃなかった。
あれは確かに、
自分の中にある。
だが――
まだ、
届かない。
まだ、
制御できない。
その境界だけが、
今ははっきりと見えていた。
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午後の稽古が始まる。
岩。
滝。
丸太。
同じことの繰り返し。
だが、
炭治郎の中では
もう意味が変わっていた。
ただ耐えるためじゃない。
ただ鍛えるためでもない。
この身体を、
この呼吸を、
この熱を――
“通せる形”にしなければならない。
悲鳴嶼の声が、
静かに落ちる。
「整えよ」
「乱すな」
「崩れるな」
短い言葉ばかりだ。
だが、
その一つ一つが
今の炭治郎には異様に重かった。
足りない。
まだ足りない。
それでも――
近づいている感覚はある。
遠い。
だが、
確かにある。
炭治郎は、
滝の下で
もう一度深く息を吸った。
身体の奥が、
まだ熱い。
心臓が、
まだ速い。
その熱を、
今度こそ崩さず持ち続けるために。
炭治郎は、
静かに前を向いた。
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第八十三話 終