ダサくて、弱くて、仲間に助けられながら紡ぐ英雄譚   作:すうがくだんご

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研ぎ直す刃

 

 出ない。

 

 アスは空き地の中央で剣を構えたまま、三度目の深呼吸をした。目を閉じる。あの瞬間を思い出す。アテネが掴まれて、引かれていって、間に合わないとわかっていて——足が動いた。身体から何かが溢れた。白銀の光が剣に集まり、触手を断った。

 

 あの感覚を。もう一度。

 

 剣を振った。

 

 橙色の炎が刃を走り、空気を焼いた。いつもの炎だった。悪くない出来だ。制御も安定している。けれどそれは炎であって、ナイトブロウではなかった。

 

「もう一回」

 

 自分に言い聞かせて、構え直す。守りたいと思え。あのときの感情を再現しろ。目の前に仲間が危機に晒されている場面を想像して——

 

 炎。

 

 また炎だった。

 

「……くそ」

 

 剣を下ろした。もう十回以上試して、一度もあの光は現れなかった。

 

 空き地の端で、アリアドネが草の上に寝転がっていた。目を閉じて、寝ているようにも見える。けれどアスの様子は全部見ている。それがわかっていた。

 

「出ません」

 

「うん」

 

「何が足りないんですか」

 

「焦り」

 

「焦りが足りない?」

 

「違う。焦りが邪魔してる」

 

 アリアドネが片目を開けた。寝転がったまま、こちらを見上げている。

 

「スキルは感情と連動してるって言ったろ。制御しようとした瞬間、感情が理性に上書きされる。理性であの光を呼ぼうとしても出てこない。そういうもんだ」

 

「じゃあどうすれば」

 

「制御より先に、理解しろ。あの力が何なのか。なぜ出たのか。どこから来たのか。それがわかれば、そのうち意識と無意識の境目が近くなる」

 

「具体的には——」

 

「自分で考えな」

 

 アリアドネが目を閉じた。会話終了。いつものことだった。核心の手前まで見せて、最後の一歩は自分で踏ませる。親切なのか不親切なのか判断がつかない教え方。

 

 アスは剣を握り直した。理解しろ、と言われた。あの力を。あの光を。

 

 わからない。まだわからない。

 

 でもわからないなりに、今できることはある。

 

 炎の訓練に切り替えた。ナイトブロウが出せないなら、出せるものを磨く。細く長く。アリアドネに最初に教わった基礎を、もう一段階上へ。

 

 隣ではアテネが走っていた。空き地の端から端まで、小走りで往復しながら掌に光を灯し続けている。歩きながらの回復は既にできるようになった。次は走りながら。精度はまだ粗い。走ると光が乱れる。それでも途切れなくなってきた。

 

 ミルは地面に座り、目の前に並べた石と向き合っていた。アリアドネが毎日配置を変えて出す課題。三つの情報から五つ目まで予測する。見えないものを読む訓練。正答率は上がっている。けれどミルは自分に満足した顔を一度も見せなかった。

 

 日が傾くまで続けた。

 

 アスの炎は確実に伸びていた。維持時間は一分を超え、剣を振りながらでも三十秒は保てるようになった。出力の調整もできる。細く長く、あるいは短く強く。場面に応じて使い分ける感覚が、ようやく身体に馴染みつつある。

 

 けれどナイトブロウだけが、一度も出なかった。

 

 その焦りが、日を追うごとに積み重なっていた。炎は伸びている。連携も良くなっている。それなのに、自分だけが持っているはずの力に手が届かない。持っていることは確かなのに、呼び出せない。鍵のかかった扉の前に立っているような感覚が、ずっと続いていた。

 

 訓練を終えて道具を片付けているとき、アリアドネが背後に立っていた。

 

「あの瞬間、なんで出たと思う」

 

 振り返ると、いつもの飄々とした笑みがあった。

 

「守りたかったから、だと——」

 

「そう。守りたいと思った瞬間に出た」

 

 一拍。

 

「で、今は誰も危険じゃない」

 

 笑っていた。軽い声だった。からかっているわけではない。事実を述べているだけ。

 

「訓練中に『守りたい気持ちを再現しよう』って考えてる時点で、それは再現であって本物じゃない。頭で作った感情じゃ、スキルは反応しない」

 

 悔しかった。反論できないから余計に。正論を笑いながら言われると、腹の底がざわつく。

 

「じゃあ、実戦でしか出せないってことですか」

 

「今のところは。でもそれは変わる。自分の中のあの感情を——思い出すんじゃなくて、理解できたとき、たぶん変わる」

 

 それだけ言って、アリアドネは空を見上げた。

 

「準備が整ったら2層へ行け。そろそろいい頃合いだ」

 

「え——2層?」

 

「お前たちはもう1層で学べることを学んだ。次の壁は、次の場所にしかない」

 

 振り返ったときには、もう歩き出していた。背中がいつもの軽さで遠ざかっていく。

 

「あの——」

 

「じゃあね」

 

 手を振った。振り返りもしない。木立の向こうに消えていく。唐突に現れて、唐突に去る。最初からずっとそうだった。

 

        *

 

 翌日、ミルがガルムの素材を持ってギルドの買取窓口に向かった。

 

 アスとアテネはギルドのロビーで待っていた。窓口の奥に消えたミルが、書類を片手に戻ってきたのは三十分後だった。

 

 ミルの表情は普段と変わらなかったが、手に持った紙をアスの前に差し出したとき、目の端がわずかに緩んでいた。

 

 金額を見て、アスは声を失った。

 

「……これ、桁合ってます?」

 

「合ってる。甲殻の大片が特に高かった。核の残骸も加工素材として価値がある。ガルドが担いで持ち帰ってくれたのが大きい」

 

 アテネが紙を覗き込んで、小さく息を呑んだ。三人がこれまで稼いだ総額の何倍もの数字が、そこに書かれていた。

 

「これなら2層用の装備が揃う」

 

 ミルの声は淡々としていたが、その裏にある計算はとっくに終わっているのだろう。何を買うべきか、何に優先して資金を振るべきか。ミルの頭の中では、この金額を見る前から配分が組まれていたに違いない。

 

 三人は武器屋に向かった。

 

 ギルドから少し離れた鍛冶通りの一角。魔界の素材を扱える職人は限られていて、その中でもまともな仕事をする店は数えるほどしかない。ミルが事前に調べていた店の扉を開くと、熱気と金属の匂いが押し寄せてきた。

 

 店主は寡黙な中年の男だった。アスが剣を見せると、刃を一目見て眉を動かした。

 

「いい剣だな。誰のだ」

 

「……もらいものです」

 

「もらいもの、ね。これを打った奴は相当の腕だ」

 

 カウンターに剣を置いて、店主が刃を指でなぞった。アスはその手つきを見ながら、胸の中で何かが揺れるのを感じた。

 

 新調するか、強化するか。来る途中でミルに聞かれた。性能だけで言えば、2層に適した新しい剣を買った方が合理的かもしれない。ガルムの素材で作れば、今の剣より格段に上のものが手に入る可能性がある。

 

 アスは迷わなかった。

 

「この剣を強化してください」

 

 店主がこちらを見た。

 

「新しく打った方が効率はいいぞ」

 

「わかってます。でも、この剣がいいんです」

 

 アイリスからもらった剣。何の説明もなく渡された剣。「ちゃんとした剣持ってないと危ないでしょ」と言われただけの剣。

 

 手放せるわけがなかった。

 

 店主は数秒アスの顔を見て、それから剣に目を戻した。

 

「ガルムの素材があるなら、刃に練り込める。甲殻の粉末を鍛接すれば硬度が上がるし、核の残骸を柄に仕込めば魔力の通りが良くなる。元の刃の質がいいから、素材を受け入れるだけの器がある」

 

「お願いします」

 

「三日くれ」

 

 アテネは回復効率を上げる装備を選んだ。腕に巻く細い銀の腕輪で、魔力の伝達を補助する効果がある。高価だったが、ミルが予算内だと頷いた。アテネが腕輪を手に取ったとき、銀の表面に指が映った。長い指。エルフの指。里で術を学んだ手が、新しい道具を掴んでいる。

 

 ミルは実用品を選んだ。遠距離の音を拾う小型の聴音器と、魔界で使える特殊なインク。聴音器は敵の接近を早期に感知するため。インクは暗所でも読めるメモを書くため。派手さはない。けれどミルにとっては武器と同じだった。

 

 会計をしているとき、店の奥から聞き覚えのある声が響いた。

 

「だから言ってるだろ、もうちょっと軽くしてくれって——」

 

 レイだった。

 

 奥のカウンターで職人と言い合っている。剣を前に出して、重さのバランスについて熱弁している。その後ろにクロ、ガルド、そしてシアが立っていた。

 

 レイが振り返り、アスに気づいた。

 

「お。奇遇だな」

 

「同じこと考えてたみたいだ」

 

「まあ、やることは一緒だよな。ガルムの素材で装備整えて、次に行く」

 

 自然な流れで会話が始まった。ギルドで初めて会ったときの張り詰めた空気はなかった。一緒に死にかけた人間同士の、力の抜けた距離感。

 

 クロがミルの隣に寄って、手に持った聴音器を覗き込んだ。

 

「お、いいの買ったな。俺もそれ欲しかったんだけど予算がさ」

 

「必要なら貸す」

 

「まじで? お前、意外と——」

 

「一回だけね」

 

 クロが笑った。ミルは笑わなかったが、拒まなかった。

 

 ガルドは店の隅で黙って盾を眺めていた。歪んだ盾を修繕に出すのだろう。新しい盾は見ていない。あの盾に愛着があるのかもしれない。アスは自分と似ていると思った。

 

「アス」

 

 名前を呼ばれて振り返ると、シアがいた。

 

 銀髪のエルフは腕を組み、少し気まずそうな顔をしていた。以前のような冷たさはない。けれどどう話しかけていいかわからない、という空気があった。

 

「あんたの剣、強化するの」

 

「はい」

 

「……いい判断だと思う。あの剣、ポテンシャルは高いから」

 

 それだけだった。言い終わると、シアは目を逸らして棚の方に歩いていった。短いやり取りだった。けれど以前なら言葉を交わすこともなかった。格下と見なしていた相手に、シアの方から話しかけてきた。それだけで、何かが変わったのだと思った。

 

 店の出口付近で、ミルとクロが並んで紙を広げていた。

 

「2層の表層は1層の奥と大差ない。でも中層から空気が変わる。魔物の密度が跳ね上がって、危険度3以上が常駐してる」

 

「常駐、か。1層だと3が出たら異常事態だったのに」

 

「それが普通になる世界。情報の質も変わる。1層の記録はそれなりにあるけど、2層の中層以降はデータが激減する」

 

「つまり俺たちの仕事が増える」

 

「そういうこと」

 

 二人の声には緊張があった。けれど後退の気配はなかった。

 

 店を出るとき、レイがアスの隣に並んだ。

 

「2層で会うかもな」

 

 クロが後ろから笑った。

 

「会うっていうか、また一緒に死にかける可能性の方が高くない?」

 

「縁起でもないこと言うな」

 

「事実じゃん」

 

 レイが苦笑した。アスもつられて口元が緩んだ。

 

 二つのパーティーが道で別れた。レイが手を上げ、アスが頷く。クロがミルに何か言って、ミルが無視した。ガルドが無言で会釈し、アテネが丁寧に頭を下げた。シアは——少しだけ振り返って、すぐに前を向いた。

 

 七人が、それぞれの方向に歩いていく。

 

        *

 

 三日後の夜。

 

 武器屋から剣を受け取ったアスは、宿の裏手に出た。いつもの場所。木箱に腰を下ろし、膝の上に剣を置く。

 

 見た目は大きく変わっていなかった。アイリスからもらった剣の、あの刃紋がそのまま残っている。けれど手に持った瞬間にわかった。重さが違う。正確には、重さは増しているのに、振ったときの感覚が軽い。刃と柄と、握る手が一体になっている。ガルムの甲殻が刃に練り込まれ、核の残骸が柄に仕込まれている。同じ剣なのに、一段上の器になっていた。

 

 月明かりの下で刃を見た。青白い光が、以前より鮮明に浮かんでいる。

 

 アイリスの剣だ。

 

 あの日、何でもないことのように渡された剣。ガルムの素材で強くなった。自分の手で稼いだ素材で、自分の判断で強化した。それでもこれはアイリスの剣だ。始まりがそこにある限り、この剣はずっとそうだ。

 

 目を閉じた。

 

 アイリスの背中を思い出す。門の前で「帰ってきたんだね」と言ってくれた声。白い外套の裾。金色の髪。第6層に向かう、まっすぐな足取り。

 

 まだ足りない。

 

 その自覚は変わらなかった。1層のボスを倒した。スキルが目覚めた。装備が整った。それでもアイリスとの距離は、途方もなく遠い。

 

 けれど。

 

 アスは剣を鞘に戻した。鞘と刃が触れ合う小さな音が、夜の静けさに馴染んだ。

 

 前より近い。

 

 一歩だけ。ほんの一歩だけ、あの背中に近づいた。第1層の入口で怯えていた自分。一人で門をくぐった日。仲間と出会い、壁にぶつかり、教わり、戦い、そしてここにいる。その一歩一歩が、嘘ではなかったと——今なら思える。

 

 明日からは第2層だ。

 

 危険度3が当たり前の世界。1層とは別の空気。別の敵。別の壁。そこに何が待っているかはわからない。怖いかと聞かれたら、怖い。それは変わらない。変わらないまま、踏み出す。最初の日と同じだ。恐怖は消えない。消えないまま進む。

 

 夜空を見上げた。星が散らばっている。結界の光がその上に薄く重なって、街を守っている。この光の向こうで、世界は少しずつ蝕まれている。1層の異変も、6層の遠征も、自分にはまだ遠い話だ。

 

 でも、少しだけ近くなった。

 

 アスは立ち上がった。剣を腰に差し、宿の扉に手をかける。

 

 中からアテネの穏やかな声と、ミルの素っ気ない返事が漏れ聞こえてきた。たぶん明日の準備の話をしている。自分もそこに加わらなければ。

 

 扉を開けた。温かい光が漏れた。

 

 次の扉が、もうすぐ開く。

 

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