青い春に馴染めない黝の星 作:うへうへ学生
明確に穏やかな時間というものは、案外貴重なものだ。巻き込まれない、揉め事が無い……治安維持組織のやる事がない状態のようなものは、このキヴォトスにおいて言葉にするとあまりないものだ。
「久しぶりにお前に付き合ってチャリ漕いでるが……疲れるなこれ……」
「運動不足なんだよ」
「いや、単純に……距離が……きつい」
そんな中、久しぶりにシロコとライナは長距離サイクリングに出かけていた。二人だけというのはある意味では珍しく、そしてこの場合においては自然な事である。そもそもシロコの趣味に付き合える素養のある人間が少ない。これに限る。
「前から気になってたんだけど、なんでライナは嫌な顔せず付き合ってくれるの?」
「そりゃあお前、ホシノやノノミを誘っても袖にされてる姿はよく見てたからな。アヤネとセリカはそういう時間あんまりないし、暇してる俺くらいは付き合ってやらんといかんだろうて」
まぁシロコとしては消去法的に手を挙げてくれているのはあまり気に入らないが、しかしそれでも自分の趣味を理解しようと取り組んでくれる相手がいるのは嬉しいことだ。特にそれが、かつていがみ合い本心のまま嫌い合って本心のまま向き合った相手ともなれば。
「それにしても、色々変わったのにあんまり変わってないね」
「そんな劇的に一気に変わるかよ。些細な変化が寄り集まって大きな変化になるんだ。これからゆっくり……まぁ、なんだ、変えてきゃいいだろ」
キコキコと自転車を漕ぎ、あちこちを巡る。変わったところもあれば変わらないところもある。具体的には屋台になってしまった柴関ラーメンと、全く変わらない大将とか。
「けども、どーしたよ。久しぶりとは言え俺に声かけるなんざ。こういうのってたまには一人で行ってからとか、先生を誘ってみたりとかするもんじゃねーのか?」
「ライナとがいいの」
「なんで俺なんだよ」
「わかんない?」
「わかんない」
乙女心とかそういうものをてんで理解していないバカはさておいて、ここ最近シロコは絶妙な違いを実感していた。安心感にも二種類あり、妬心にも二種類ある。まあなんとなくは理解していたが、やはりそういうことなのかとも納得は行っていた。
前にいて欲しい人と横にいて欲しい人は違う。好きも嫌いも内心も全て知った相手。それは極めて特別な間柄だ。きっと自分はいつの間にか──という奴だろう。まあ初対面としばらくの間のとんでもない不仲っぷりは自分でもどうかと思うが……
(まぁ、いいや)
それはそれ。これはこれ。
そんなものは自分が彼を手に入れたいと思い行動することに何の影響も及ぼさない。
だからこうして引っ張り出して二人きりの時間を作ってみたのに、こういう反応をされると困る。単純に鈍いのか、わかってて鈍いのか。
正式にライナがシャーレ所属となってしばらく。最近は暇してる時間が案外少ないらしく、時間があればシャーレから支給されたPCを動かして何やら打ち込んでいる姿が多い。仕事の割り振りは先生がやっているそうだが、一体何を手伝っているのだろうか。
そんな中で時間を割いてくれたのだ。本音を言えば素直に嬉しい。ただ反応がこれというのは乙女心的には面白くない。なんというかこう、もうちょっと意識してるような反応くらいは欲しい。やはりホシノのような体型を好む異常性愛者なのだろうか? いやでもどうなのだろうか。そういう目を見た事がない。
「ライナって好きなタイプは?」
「は? 何がよ急にお前」
「好きな女の子のタイプ」
「知らん。どうでもいい。興味も無い」
「ん、やっぱりホシノ先輩?」
「そこで個人名を出すな。あと知らんし興味無いって言ったろ。どうでもいいんだよそんなの。なんだお前、先生に恋でもしたのか」
呆れ返った表情とため息、心底から興味というものがない声色。昔からそうだがこの男、欲望という欲望が無いように思える。ごっそり抜け落ちているというか、そういうものを見せる素振りすら無い。
サイクルジャージなんて年頃の男性の前に出るにはとんでもない格好である。だというのにライナは全くと言っていい程反応した事が無い。時間が空いたからと顔を出しに来た先生に披露してみたこともあったが、きちんと褒めると共にそういう視線は少しばかり感じた。もちろんそれを表に出さぬようにと律しているのはわかったから、気にすることもないし何を言うまでもないのだが。
つまりそんな立派な大人さえも衝動的、ある種本能的な視線移動には抗えないということだ。言い方を変えると可愛げとも言えるかもしれない。だが、ライナはそういうものを見せたことすら一度も無いのだ。
「答える気ないなら、いい」
「んだよ。答えたよどうでもいいって」
「どうでもいいは解答の屑だよ」
「ホシノみてーなこと言いやがって……」
ぶつくさと何やら文句を垂れているが、シロコとしてはこっちが文句を言いたい気分だ。真面目に聞いてるのに全く相手にされていない。それどころかうんともすんとも言わないなんて。年頃の女の子を何だと思っているのか。
「しかし、今日は攻めたコースじゃなかったな。慣らしか?」
「たまにはゆっくりしたかったの」
「そーかい」
本当に何も意図が伝わってない。
マジで押し倒してやろうかこのクソ野郎とか思わなくもないのだが、思うだけ。砂狼シロコとは、純情で乙女なのだ。
とまぁ。
前途多難を通り越してまたしても謎だらけな男過ぎてシロコ自身もどうなんだとか思わなくもないのだが。
……まあそもそもの始まりはなんだと言えば。
「ねぇシロコ先輩」
「なに?」
「ライナ先輩のこと、どう思ってるの?」
先日、変な時間帯に柴関ラーメンを訪れた際にセリカから、そんな質問を受けたことから始まったのかもしれない。
バイト中とはいえ、暇も暇だ。人がほとんど来ない時間帯というのもある。そういう時に知り合いが来ればそうもなろう。
セリカにしては元々ベッタリ気味な二人だったし、単なる疑問をぶつけただけに過ぎないのだが。
「自分の中に、自分の知らない感情が溢れてきて、ただ胸が苦しくて──それを恋って言うなら、私はライナのことが好き。今でも理由ははっきりしない。ただあの人の、夜空を見てる時の笑顔が素敵だった。いつも文句を言うような口調だったけどずっと私と向き合い続けてくれた。それくらいでいいと思う。ライナは私の心の隙間に住み着いて、そして食い込んだ。それで良いんじゃないかな」
シロコにとって、それがなんなのか明確にすることは難しい。本当に恋なのかどうか、中々判別がつかなかった。
ただ一つはっきりしたことがある。それは先生とライナ、二人に向ける感情は似ているが明確に異なることだ。
先生には大恩もあれば個人的な好感もある。サービスしたって良いかとか思ったりもするが、先に来るのはアビドスにとって、みんなにとって頼れる大人だ。隣にホシノがいても自分の横に来て欲しいとはあまり思わない。大切な人たちを支えてくれてるのだ、感じるものは大黒柱……父性や兄性に近いものなのかもしれない。できればアビドスを優先して欲しいと思うのは、独占欲というには健全だろう。
もしもあまり知らない人と先生があれやこれやと楽しんでいたら、そりゃ嫉妬の一つや二つくらい湧くだろうし、過激な行動に出ても不思議ではない。
具体的な制度設計の為にシャーレの当番に試験的に出向いた時、結構色々な生徒にチヤホヤされてる先生を見てムッと思ったことがあった。
が、だ。
ある種、姉や母と呼べるホシノが一番近いことにどうしてもモヤついたものを抱え、そして自分にしか向けてないと思っていたあの粗暴な面が、実際にはホシノにのみ向けられていると知って、それを「あれは"私"のライナだったのに」と感じる醜い独占欲なら──きっと、恋慕があると見て間違いないだろう。
あれはホシノに頼まれたから記憶喪失の野良犬の世話をしていただけで──兄貴分として考えられる温かみなど、欠片も無かった。それでも生意気を言う自分を放り投げず、忌々しく思う心を押し留めて、なんであれ向き合うことを選んだ……それは兄貴分というよりも他人だ。そういう意味では、シロコが初めて明確に触れ合った他人の異性だ。
恋慕に発展する理由は十分ではないか、とも思う。まあ具体的なきっかけは不明なままなのだが。
……とまぁ、シロコは素直に内に秘めていた感情を伝えた。聞いた当人が面食らう程に、直球な答えだった。
「……? どうしたの、セリカ」
「いや、先輩結構ガッツリ語るのね」
「恥じるようなことでもないし、別に」
「でもライナ先輩ってさ。鈍くない?」
「まぁ、鈍い方じゃないかな」
「いやあれは鈍い通り越して別の何かよ」
セリカの目を通してわかるライナの姿は、文字通り欲望の欠落した何かである。
ホシノに心惹かれるとか、ノノミにデレデレするとか、シロコに苦悩するとか、そういうこともあってもいいのに何も無い。そんなもの、正直言えば気味が悪い、向けられることそのものは否定する気もないのだ。だって先生もそういう視線あったし。
すぐに隠そうとしてくれたから相応の対応をしようとか考えるわけだが。
要は向けてもいいが気遣いをしてくれるならなんでもいいのだ。向けるな、というのは無理難題に等しいだろう。
「そうだとして、セリカは何が伝えたいの?」
「最近、私たちは落ち着いてきたけど……ほら、先輩は色々あったし、シャーレに所属してからは割と忙しなさそうでしょ? だからシロコ先輩、ここはアタックしちゃったらどうかしら」
見ててヤキモキするというか。知っちゃった以上は応援するしかないというか。さっさとくっ付けというか。兎にも角にもセリカとして何もしないという選択はなかった。
だからシロコの危機感を煽る。
「冷静に考えてシロコ先輩。これからライナ先輩はシャーレ所属として色々なところに顔を出すかもしれないわ。もしも、もしもよ? ライナ先輩が心惹かれ、そして想いを向け合っちゃうような相手が現れたら──」
「ない。ライナの素は荒っぽいしガサツ、その上嫌味ったらしいし、お世辞にも好かれるタイプじゃない。いい顔をしててもすぐに見抜かれるよ。そしてこう思うはず。なんだ、こいつはこんな奴なのか。こんなのにどうして先生が構ってるのかって。だから平気。ライナは私の手の届く所に必ずいる」
あっけらかんと言い切るシロコ。
そういう問題なのか? とか思わなくもない。まあそんな気はしてたが、聞けば素は荒っぽい方だという。それを上手い事覆い隠しているのだ、シロコが言うようにすぐ見抜かれることはないと思うのだが……
不仲から始まり今淡い想いを向けている実例が一つある以上、あまりうかうかはできないだろうとセリカは考える。当たり前だが、人生何が起こるかわからないのだ。他校の友人と……まぁ、力を貸してくれた相手もできたわけだし。
「じゃなんでそんな手が届くところにいるとかなんとか言ってるのに、今まで何もしてこなかったのよ」
「自覚は最近」
「ホシノ先輩に妬いた?」
「先生に近寄る子に妬いた時、違うなって思ったの。ライナが構ってくれない時と妬き方が」
「ふーん。よくわかんないけど、とにかく先輩はそういう気持ちなのはわかったわ」
──しかし問題は。
「でも、それであぐらかいてると絶対掻っ攫われるわよ。そういうのよくあるもん」
「漫画で?」
「漫画で」
「ん、参考にならない。でもセリカのおかげで行動は大事って改めて思った。だから行動する──明日から」
「明日なのね……てか、それならホシノ先輩に相談とか──」
そこまで言いかけて、ホシノとライナの関係性がよくわからないことに気付いた。兄妹姉弟、そういうようなものでもない。友人関係というには深すぎる。言葉にするのが極めて難しい。そんな二人。
もし、もしもあの二人がそういう関係なら──勝ち目がなさ過ぎやしないか?
「あー……いや、どうなんだろ」
「ん、確かめるのは正直怖い。ないとは、思うけど……」
始まりの頃──朧げな記憶の中で、そういう関係性を見出せるようなことは起きていなかったと思う。
「まぁ、とにかく色々やってみる」
そんな風に宣言したのが、事の始まりであった。
しかしその翌日誘って、時間を作ってもらってもこの始末。
だからこそシロコは動き出す。
「──というわけで、会議がしたい」
流石は行動力の化身とでも言うべきか。
気付けばあれよあれよとみんなを集めて会議にまで持ち込んだ。もちろん、その恋慕は早いところからバレていたようだが……
「うへー、そんな気してたよ」
「あれでそうじゃないならなんだって話になっちゃいますねー」
「マジであの人なんなの? なんでクソボケみたいな反応しかしないわけ?」
「なるほど、だからあの時……でも不思議ですね。鈍いというかもう感性そのものが違うみたいな……」
わいのわいのと好き勝手言ったり真面目に考察したり、あーだこーだと語り合ったりもしたが。とりあえずそんな急ぐ必要もないだろう、というのは共通認識だったようだ。
「よし、じゃあシロコちゃんはアプローチを変えてみよう。あのバカは鈍チン通り越して感性ズレてるから直球勝負でないと多分反応すらしない」
「なにかあったの?」
「……昔さー、あったんだよねー。一緒にぬいぐるみ買いに行った時に恋人ですかって言われて、おじさんちょっと困ったのよ。友人ですとか言うと面倒くさいじゃん? 上手く断る文句が浮かばなくてさ。で、あいつなんて言ったと思う?」
今でも鮮明に思い浮かぶ、淡々と関係性を処理する姿。まるで機械か何かのように自分と他者の関係性を告げるライナは──
「『他人です』、だよ? いやあのさ、兄妹とか姉弟とかならまだわかるじゃん。友人ですとか親友ですとか。他人って何? 私とライナって結構長い付き合いだしお互いに色々知ってる仲だよ? それを他人って……」
まぁ、どう頑張ってもそうなのだが。
確かにだ、確かに自分とライナは他人なのだが。他人ではあるが友人だろうと。ユメを含めて過ごした日々はなんだったのか、と。あの時は流石に以前よろしく殴ってやろうがこの野郎と本気で怒った。
「聞けば『俺とホシノは友人だろ? 友人ってことは家族でもないし恋人でもない。なら関係性として他人だろ』とか抜かしやがるし」
「ん、それはライナが悪い」
「え、あの人そんなこと言うんですか」
「うっわサイテー通り越して何よそれ」
「揚げ足取りか何かですか」
「でしょ? だからえらく高いパフェ奢らせたんだー。流石に凹むよ。ノータイムで親友と思ってた相手から他人だなんて評されるなんて」
年長者として言うことがあるとすれば。
「シロコちゃん気を付けてね。あいつ本当に恋心が冷めるようなこと普通に言うから」
「気をつける」
冗談抜きで夏雪ライナという人間は。
「あとみんなも気をつけること。口説き文句みたいなこと平気で言ったりするくせに梯子は秒で外してくるし、そのことを聞いたりすると『うるせぇな』とか『んだぎゃー言いやがって。フツーに喋ってるだけだろ』とかよくないところいっぱい出てくるから」
はっきり言って人間的に終わってるところが山のようにあるということだ。
──そうですよね、ユメ先輩。
最初の頃、先輩一番ライナの言動に振り回されてましたもんね。その度にトゲトゲした対応されて泣きそうになってましたもんね。あいつを二人で何回ボコボコにしたかわかりませんね。しかも無駄に高い戦闘能力と対人技術で無駄に抵抗されましたもんね。
……思い出したらタコ殴りにしたくなってきた。
はー、とため息を吐く。
あいつが先生のように物凄くわかりやすければ良いのだが、あれは別の意味でとんでもない怪物だ。好き勝手に生きている。本当に。
今だって先生も連邦生徒会も振り回してるんじゃないだろうか。なんか直接話した方がいい内容らしいからシャーレに出向いているようだが。
「うへ? なに? その視線は」
と、ここで初めて全員から向けられているニコニコとした視線に気付く。
「やー、まさかねぇ? ホシノ先輩がねぇ。そんな面白い顔をするなんて」
「はいっ、貴重なうんざり顔でした⭐︎」
「ん。レアもの。写真も撮ってある」
「心労、お察しします」
「うあーっ! なんでおじさんが友達にうんざりしてる顔を見せるだけでみんな喜んでるのさ!」
小鳥遊ホシノの素は、案外見えない。
そういうものの断片が見えるだけで、彼女たちは嬉しいのだ。
──リンの頭痛の種が増えた。
ただでさえ連邦生徒会長の消えた連邦生徒会を運営して治安維持やら各学園の連携やらとやることが多いのに、先生が持ち込んできたライナの話が終わったと思ったのに。
面倒な点が余計に増えた。
「最近よく顔を合わせるな。暇じゃないのにいいのか?」
「あなたを取り扱うなら、他の者に任せるわけにもいかないでしょう」
不幸中の幸いは、ライナの評判や能力はシャーレに出入りする生徒からも高いことだろうか。この問題が発覚するまでは全員の意思でアビドスから出すつもりもなかったが、しかし面倒極まりない話ともなればもう言ってられない。なのでちょこちょこシャーレに出向いて仕事をするようになった。
その際、他学園の生徒との接触が生じるようになったがリンの用意した身分と先生の保証があればすんなり受け入れられたようで、警戒していた事態など起きていない。
やはり、年頃の近い能力が保証されている人物をあくまでも裏方として一人連れてきたというのが効いているのだろうか。
『不思議な人だけどいい人でした!』とか。
『先生とはまた別なベクトルで面白い人だった』とか。
『ちょっと怖いし胡散臭いけど先生と話してるのを見て考えを改めました! 掛け算します!』とか。
最後のはよくわからない。
連邦生徒会に属する生徒たちも案外あっさり受け入れているようで、その高い能力を発揮することで先生の仕事の内どうでもいいものはかなりのスピードで片付いている。流石にミレニアムのセミナー会計担当のようにそれはもうプロを超えたプロというわけでもないが、高い水準に纏まった能力はいざという時の代役もやれるということの証明であり、分け隔てなく柔和であろうとしているのも合わさり、なんというか好感触ではあるようだ。
最初に会話した時に、本性の一端を知っているリンからすればなんとも言えないのだが。
"一応聞くけど、どうだった"
「ダメだ。映ってねえ。シャーレの監視カメラを何回もチェックしたが俺の姿が無い」
「リアルタイムで見ていますが、やはり影も形もありませんね」
"映るのは、アビドスでだけ……か"
"他には対策委員会の内誰か一人でも場にいるのが条件みたいだ、だったっけ"
それはライナがシャーレにやってきた時、当番に訪れたミーハーな生徒からこんな疑問が先生宛に届いたことだった。
『ねぇ先生。あのライナさんって人、写真撮らせてくれないから隠れて撮ったの。そしたらさ──映ってなかったんだ。いるんだよね? あの人』
意味がわからなかった。
何せライナが映った写真を先生も見たことがあるし、なんなら撮ったことだってある。
違いは何かといえば、アビドスであるかないか。どういうわけかライナはアビドスでしか写真や映像に映らないのだ。
これに関してライナは自分なりに調査を進めており、それが最近PCに打ち込んでた内容だった。
ちなみにその生徒に対してライナは冗談めかして『俺は写真を撮られるとすぐに隠れる特技を持ってるんだよ。だから映らないんだ』と説明して変人であると納得させていたが。
そして、ライナの面倒な点がもう一つ。
「で、私からも聞きます。シッテムの箱をどこで知ったのですか」
「最近思い出したんだよ。先生が見せたあれは、シッテムの箱だって。まさか目の前に転がってるタブレットがキヴォトスを滅ぼせるような代物とはな」
知っていた。シッテムの箱を知っていたのだ。それも何ができるかまで把握して。
「思い出した? あなたに記憶は──」
「俺は記憶は無いが知識はあるんだぜ行政官殿。訳がわからんがそういうものだ。とりあえずそれで飲み込んどけ。単なる記憶喪失ならいくらでも言えたけどな」
「改めて言われると意味がわかりませんね。記憶喪失というよりも、まるで記憶だけ消されたような……」
「黒服のヤローめ、意味深なこと言いやがって。俺のこと知ってんのになんでチラつかせるだけで止めた……?」
リンと共に本人さえも首を傾げる。
ライナとしては久しぶりの話だ。こんなに訳がわからないのは。まだ例の襲撃の話の方が筋が通っている。
ふと、仮説が浮かんだ先生は、シッテムの箱を起動する。
話を聞いていたアロナも既に待機中だ。
"──シッテムの箱の機能を使ってみようか"
"ライナが戦闘補助システムに映るかどうか"
"リン、仮想敵になってくれる?"
「立っているだけでいいんですよね」
"うん"
「さて、どうなるやら──」
戦闘補助システムを起動する。
生徒たちをリアルタイムで指揮し、敵味方を分析する為の機能。これがなくても先生の指揮に乱れはないが、より確かなものにしているのは箱の機能のおかげだ。
エネミー設定はリンに。指揮対象は──と。
……映らない。
参照情報が無いというだけではない。文字通りシッテムの箱に映らない。ライナという存在は、シッテムの箱に写っていない。
"(どうなっている)"
参照するデータが僅かにでもあれば、それらをベースに解析情報を手に入れることができる。それがシッテムの箱というものだ。訳のわからない巨大兵器やら何やらも、先生には丸裸にされるのはそれが理由だ。
だがどういうわけかライナは、そもそも写っていない。
「先生との視覚情報とリンクして、そこからの解析と情報登録はできますが…….これは、一体」
アロナからしても意味がわからない。
映らないなんてことはないのだ。シッテムの箱には何の異常も無いのだから。
「どうです?」
"映っていない"
「……だとよ、リンちゃん殿?」
「寒気がするような呼び方はやめてください」
謎だらけの男だが、余計に謎が増えた。
ただでさえ襲撃の謎も解決していないというのに、今度は特定条件下でなければ写真や映像に映らないという珍妙な性質。
一体何が起きているのか。
"……視覚情報とリンク"
「はい。ちょっと待っててくださいね」
アロナに指示を下し、戦術指揮画面を眺める。
視覚情報から得られるデータは映ったが、それ以外は全て空欄。名前も映らなければ技術傾向も何も映らない。手動登録以外に方法は無いが、しかし──
"(だからって、なんだこれ)"
"(くそっ、どうしてこうなる)"
いや、一つだけ心当たりがある。
黒服が言っていた発言。
『秩序に属さない』
だがそうなると今度は、黒服が言う『彼』とはライナということになってしまう。だとするとそれはおかしいことだ。あれはどう考えてもライナのことを指していないのだから。
「……まぁなんだ。もう気にしても仕方ないんじゃねぇか? だってよ、ただでさえ訳わからない人間にこれ以上頭悩ます理由もねーだろ。やめよーぜ」
「それでいいんですか? だってあなたは──」
「映らないからなんだ? 俺はここにいる。誰にも否定させない。それでいいじゃんか。二人も俺に時間取られてるくらいなら、他の事に時間取れって。な?」
しかしもうライナにとって、それはどうでもいいことだった。
映らないからなんだというのだ。どうせアビドスから外に出ることもほぼ無いし、今回は検証の為に動いていただけだ。気にしても仕方ないだろうと。
まぁはっきりと言ってしまえば。
映ろうが映るまいが。
どうせキヴォトスには居場所などないのだ。
あの砂の街と、あの学校にしか──夏雪ライナは存在できないのだからと。
半ば諦観にも等しい声色で。
馴染めない自分に、馴染みたい自分を飲み込ませた。