青い春に馴染めない黝の星 作:うへうへ学生
オレだって最初からそうだったわけじゃない。
オレは世界に馴染もうとした。オレは世界から弾かれようとした。どちらも叶わなかった。輪の中にいるなら手を繋ぐ。繋げないなら外へ出る。誰しもが当たり前にできることを、オレはどうしてかできなかった。
前に語ったろう。
竜になれと言われる己が不死であると知る蛇と見つめ合う、鰐になれと言われる普通の蛇がいると。
馴染むならば、オレは竜になるべきだった。
馴染めないなら、オレは鰐になるべきだった。
どちらも拒むなら、オレは蛇で在り続けるしかないのに、常に自分が自分を見ていて、どちらかを選ぶしかなくて──だがどちらもできなかった。
どちらに転ぼうとしても、どちらも自分の一生を定める道が見えて、それから寸分違わぬ生を送らされた。足掻きに足掻いても、何も変わらなかった。きっとそれは、オレを見るオレという構図に気付きさえしなければ──
酷い話だろう?
オレは結局、生まれながらにどちらも選べない存在だったのだから。
暗くて憂鬱で、目の背けたくなるような光景の世界も。
苦しくても分かち合って、誰もが笑顔になれるような世界も。
……オレの世界じゃなかったんだ。何度も変わって、みんなが変わるならオレも何処かでとずっと思っていた。だがオレにはただそう在れとねじ込まれるばかりで、演者になることも役者になることもできない。そしてねじ込まれて降り積もった中で、どれが自分かもわからなくなって、唯一変わらず残り続ける自分の物が……よりによって憤怒と憎悪とは。
なら、オレを生む世界が間違っていたんだって思うのも──当然だろう?
異端を許容しても動き続ける世界なんて、そんなモノ。
壊されて、当然だ。
この終わらない地獄を、丸ごと消し去れる死の権化だけが──オレを、救ってくれるんだ。
あるいは……
■
アビドスにとって、ヒフミは大恩ある人物である。
わざわざ友情一つで首を突っ込む理由にもならない戦いに助力してくれたのだ。そしてその友人が、詳しい説明は時間が無くてできないが助けてくれと言う。ならばそれに応えるのも、当然だろう。
少女覆面水着団としてエデン条約を乗っ取ったアリウスとの戦いに参戦した理由なんて、それで十分であった。
そしてその少女が死が、喪失が、それだけで終わる世界など、他人によって綴られる世界などごめんだと、胸を張って叫ぶ。
友の支えを受けて、友を救う為に、在らん限りに声を上げて。
──ならばその先に広がる物語とは、誰にとっても青春の物語であるべきだろう。
「ライナさんも、ありがとうございました」
「いいよ。今回いるだけ参戦だし」
「それでもあの時に手を貸してくれたんですから!」
「参ったなぁ」
とはいえ。
真にその仲間とも言い難く、小さな場所でしか生きられない者にとって、そのことを感謝されてもちょっと困るのであった。
「私だって裏方ですよ?」
「そんなアヤネのサポートならもっと裏方だよ。いっくら昔は戦えてたって言ってもなぁ……」
以前の件は、ホシノを奪還して状況が落ち着いた頃合いに改めて感謝に行った。ただその時はライナは身分をまだ持っていなかった為、みんなを通して──だったが。
そんなことがあったからか、暇を作ったヒフミはわざわざ直接アビドスに足を運んで感謝を、改めて伝えに来ていた。
「ああ、そういえば。アズサちゃんたちに、見せたんです。ライナさんの写真、色々あって。もちろん、先生もいましたよ!」
「……あ、ああ。うん」
「そしたら、アズサちゃんがなんだか見覚えがあるようなって……」
妙な話だ。というか、あり得ない話だ。
見覚えがあるというのもおかしいし、アビドス視点からすればどうしてトリニティの生徒が? それもどうにも色々ありそうな子が? という至極当然の疑問に突き当たる。
「いや、心当たりは無いというか。むしろおかしくないか? ヒフミさん、わかってるとは思うけどさ……」
「あ、あはは……まぁ、はい。だから私も思ったんです。だとすると変だって」
しかし、尽きぬ疑問が今更一つ増えたところで、気にする理由も特に無く。ライナはそれをどうでもいいことにカテゴライズし、目下最大の謎を解決することにした。
「まぁ、あんまし気に過ぎても仕方ないさ。そうだ、ちょっと相談乗ってやってくれよ」
「何かあったんですか?」
「こいつらさ、人にタイマンでの埋め合わせ要求しておきながら何も言わねーんだ。言った方が忘れてんのかって思って聞いても色々あって、としか返されなくてさ。なら他の人にちょっとこう、と思って」
あれ以来、何故か埋め合わせについて何を言われることもなく、逆にそういう報復かと思っていたが、どうにもそうではないらしく。ならば相談しやすい、というかこういう普通な事に経験豊富なヒフミならいいだろうという気遣いだった。
それ自体、彼女たちも有り難くは思うのだが問題はライナにシロコが想いを寄せている事を知っているかということである。
「俺いるとちょっとあれだろうし、少し席外してるわ」
「うへ? ライナは何してるの?」
「んにゃ、テキトーに屋上で寝てる。たまにはお前に倣ってさ」
だがそんなことを知らないそいつはあっさりとそんなことを言ってのけて、部室から出て行ってしまった。
確かに相談はしたい。だからやむを得ずということで、ホシノはシロコに視線を送り、彼女はそれに頷く。家族同然の相手ならともかく、友達に自分で言うのはちょっと恥ずかしさが勝ったらしい。
「ええっとさ、ヒフミちゃん。実はシロコちゃんがライナのこと──」
「あ、やっぱりそうだったんですね」
ところが。
ヒフミは僅かなヒントから大体のことには辿り着いていたようであり。そんなことを言われたら当然にシロコも動揺するのだ。
「や、やっぱりって何!?」
「なんとなく、たまに二人の会話とか聞いてたらそうなのかなーって。ライナさんも、二人で話す時に結構な頻度でシロコさんの話ばっかりしてるんですよ。やれなんか最近やたら近いからどうしたらいいと思う? とか」
「そっちからわかるんだ」
「そこまで言うならなんで気付いてあげないんだろう、とか思ってたりもしましたけど……人には色々事情がありますもんね」
思いっきり事情があって色々ままならなくなり、思いを素直に受け止めることも吐き出すこともできなくなる事件に遭遇したばかりである。それ故にライナにもそういった何か複雑な事情があるのだろう、とは理解していた。
気を許せる友人の前ではかなりシロコについて触れる。ならばその感情を解していないなどあり得ない、とは思っていたのだが。
「一対一で埋め合わせ……ということは、みなさんで色々して抵抗感を薄れさせてからシロコさんとデートさせるみたいな──」
「全部わかってるじゃん」
「流石、私たちのファウストです⭐︎」
「でも困ったことに、私たちデートもしたことないんですよね。前例を求めようにも、漫画とかの娯楽作品だけじゃ足りませんし……」
「おじさんも困っちゃってさぁ。あいつの趣味、微妙にみんなとズレてるし」
「そういえば、シロコさんの趣味は知ってますけどライナさんの趣味って?」
「刃物収集と、機械弄り。あと天体観測」
「……なんか、困りますね」
「天体観測に誘うこと自体は私の趣味と被ってるから全然平気なんだけど、他の事がね」
しかしヒフミには、何か見落としがあるように感じられた。思い出す──今までの共闘を。思い出す──今までの会話を。友達の為に全力を尽くせ、ハナコのように……!
本人が聞いたら惚けながら恥ずかしがりそうな事を思いながら、彼女はひたすらに思案し──遂に答えに至った。
「あっ! シロコさん、ドローンですよ!」
「ドローン? あれは既製品を私用に色変えして、ちょっと武器付け足しただけだよ? それに調整も自分で出来るし……」
「それを理由にしちゃえばいいんです!」
「……そういうことか!」
シロコも見落としに気が付いた。デートと言っても何も普段しないことをする日ではない。
基本的に何でも自分でやるアビドス。実用的に考えたりすることが多く、機材は機材と分けて考えてしまうことも多い。されど自分たちとて目的を達する最中に目を奪われる事がある。それに──何も自分でできるから常に一人でやらなければならないということは、決してないのだ。
目に輝きが宿り、銀行強盗を企てるより素早く脳が答えを弾き出す。
「そうすれば自然な流れであっちこっちに誘導できます! いくらドローン用のパーツ自体はそんな無くても、整備器具や新型モデルを見に行くとかの理由を付けて本命の場所に近いところに行けば、興味無くても目に入るものが反応の一つや二つして当然の筈です!」
「そして上手い事ご飯食べたり、お店入ってみたり、映画館とかの前に通りかかってみれば──」
「はい、デート的なものから明確なデートに路線変更ができます!」
「ん、流石リーダー」
やはりヒフミはリーダーであると、対策委員会は改めて認識した。彼女こそファウスト、彼女こそ少女覆面水着団のリーダー。自分たちが困ったときに助けてくれる存在……!
「場所は……どうしましょうか? アビドスの外の方がいいですかね?」
「んー、ライナの性格から考えればあんまり外に出たくないタイプだけど……だからって閉じこもってるのも違うだろうし……」
「何処に行くか……何処ならいいのか。何処か華やかなところで、ライナさんも頷くところ……」
「ノノミ先輩、シャーレの近くとかどう? あの辺りなら色々あるし、あの人仕事で行ってもすぐにアビドスに帰ってくるから、多分私たちの方が色々詳しいと思うわ」
「名案ですねっ。けど他にも確かめておきたいし、私たちで他な場所に連れ回すのはどうでしょうか?」
だがホシノの脳裏に、ある人物の姿が浮かんだ。死ぬほど気に入らないが、堂々として受け立つ事を是とし、王道を進むならば王道で応えようとする、嫌な親戚みたいな態度のクソ野郎が。
奴はライナの知らない事を、ライナ以上に知っている。ならば──
「いや、みんな。ここは更に手を借りよう。正直おじさんは会いに行きたくないけど、ライナの事をライナ以上に知っているのはあいつしかいない」
「ホシノ先輩、もしかしてあいつに? ……ん、ちょっと嫌だけど……多分、答えを知ってる」
「あの人ですか……あの態度、腹は立ちますが嘘は言っているようではないし、それに堂々として尋ねれば何かヒントくらいはくれると思います」
「え、あいつに会いに行くの? みんな本気? 確かにこの日ならいると思うけどさ」
「姿は現さないと言ってたけど周りでウロウロしてるのはどうなんでしょうかね、あの人……」
「えーっと、何するんですかね? 時間は全然あるから平気ですよ」
「人に会いに行くんだよ、ヒフミちゃん。──ライナ。ちょっとおじさんたちヒフミちゃんとお昼行ってくるから!」
『はぁ? いきなり何を……? まぁ、わかった。もうテキトーに暇潰してるわ。バイク転がしてD.Uのゲーセンでも行ってる』
いってらー、と屋上から降りてきたライナに見送られて、彼女たちは迷う事なくある人物を目指す。
確かにあれは、滅多な事じゃ姿を現すことはほとんどないなどと言っていたが、姿こそ対策委員会の前に現さないが、他のところでは結構な頻度で現していた。
特定の日時、それもすごく簡単な条件で。
「──え? なんでバレたの?」
「……お前さん、行動範囲が狭すぎるんだよ」
柴関ラーメンの屋台。
セリカのシフトの無い日の、昼間。
何も知らないはずの大将さえも把握できるレベルで、アイは活動範囲が狭く、そしてわかりやすかった。何せ対策委員会も僅か数日で行動パターンを把握し切ったほどである。
きょとんとした間抜けな表情を見せているそこのできる事ならあんまり会いたくない奴こそ、この一件において最大の協力者となり得る人材だった。
「あなたは、あの時の──?」
「あ、ヒフミちゃんじゃーん。元気してた? ってのはちょい違うか。なんか大変だったらしいね、お疲れ様」
「アイを知ってたの? ヒフミさん」
「前にいつもライナさんと仲良くしてくれてありがとうって、言われましたけど……アイさんっていうんですね」
「ま、暫定的だけどね」
首を傾げているヒフミを尻目に、シロコは堂々と前に出る。
「話がある」
「あ、ちょっと待って。本当に待って。今ラーメン頼んだばっかだから。マジで待ってて。普通に座って頼んでキミらも食べな。ボク逃げないから」
「……そういえば、あの時も何か食べてた」
「食事くらいしか娯楽ないのよボクは」
なんだか寂しくなるようなことをボヤきつつ、彼女は座るように催促した。もちろんご飯を食べるつもりだったから、当然に座り──気付けば屋台の席を関係者だけで占領していた。まあいつものことではある。
「とりあえず、何が目的で来たのかくらい言わせて欲しい」
「ライナ関係だろ? ヒフミちゃんまで連れてるのは不思議だけど」
「──アイ、お願いがある」
「まあ聞くだけ聞いてやるヨ」
「ライナを振り向かせたい。だから力を貸して、お願い」
シロコは一切の羞恥を捨てて、迷い無く堂々と告げる。
「はっ、なんだそりゃ。その為にボクを? それだけのことか。恋する乙女の相談相手にされるとはまったく、そんなの──」
アイは静かに目を伏せ、肩を震わせる。
嘲笑にも見えるそれと言葉が、やはりこいつを頼ったのは間違いだったかと思ってしまう。あくまでもこいつはライナの味方であり、対策委員会の味方ではないのだと──
「協力するに決まってるだろ! 恋する乙女が報われないとかあり得ないだろ常識的に考えてよォ! あぁ任せろ、いいじゃないか、真正面から来るんだ、真正面から応えてやる! 応えられる範囲で!」
ところが。
現実は面白いもので。
アイは光の無い目を歓喜に輝かせ、声を荒げながら、なんか急に普通なことを言い出し、それを了承した。
「い、いいの!?」
「いいよ? ボクはライナの味方だからネ。まぁ正直ボクもどうかとは思ってんだ。真横で好き好きオーラ出してんのにうんともすんとも言わないアイツの事は」
なんかやっぱり親戚の嫌な奴だ。
そう思いながら、とりあえずアイの協力は取り付けることに成功した。
聞かれたくない相手が遠出した以上、あまり遠慮というものもいらないだろう。食材を終えてから、アビドス校に招かれたアイは、対策委員会の部室で講師をすることになった。
「さーて、まずみなさんにはライナ振り向かせ大作戦の前に、ちょっとした概念を理解してもらう必要があります。これはトリニティ的な解釈だけど、ボクはあくまでも説明しやすいからこの解釈を使う。そこに関しては容赦してくれよ」
ホワイトボードに達筆な字で描かれる文字。
──SUPERBIA
──AVARITIA
──INVIDIA
──IRA
──LUXURIA
──GULA
──PIGRITIA
博識な生徒ならともかく、古代語で書かれたそれを彼女たちは当然に読む事が出来ず、しばらく不思議そうにした後、ちょっと悲しそうに横に現代語訳を振り始めた。
「傲慢、強欲、色欲、嫉妬、暴食、憤怒、怠惰……これら七つの感情は、律して向き合っていくことが推奨される感情だ。人間の原動力にもなるが、それが故に強力な衝動へと変化していく可能性がある。表裏一体だね」
律しなければならない感情とは、それだけ強力である。毒を以て毒を制することができるように、この世の全ては基本的に適量というものがある。
故に罪とはそれら感情の負の側面、その最果てということになる。捨てるのではなく、上手く付き合っていく。罪とする前に己と向き合い、罪に呑まれる前に自我を保つ。そのようにして人は人になる。
「まぁつまりこれらの感情は、人間の共感性や生殖性、他生存や社会構造にも大きく関わっている。大罪とかはこれらの悪い側面を悪い言い方してるだけで、解体してきゃよくある話に過ぎないのサ。嫉妬するから自分を磨くし、傲慢であるのは自信の表れとか、怠惰を目指して勤勉に行き着くとか、よく言うだろ」
要するに感情には人間の人間たる所以があるということ、と話を纏めながらアイはある感情に下線を引く。それはLUXURIA……一般に色欲とされる、人間が人間であるには密接に結び付いた感情だった。
「じゃ本題に入ろう。結論から言えば、人間の感情におけるもので、ライナは色欲を大きく欠いている」
「つまり、その……欲求が無いってこと?」
「いや、そういう意味での色欲じゃない。性的欲求や単純な生殖欲求ではなく、もっと広義的な──あー、ちょっと待って。少し考える」
シロコが少し言葉を選んだのに、アイは容赦無く直球で答えるも、どうにも意図が違うらしく、少し悩んでいた。ヒフミの脳裏にはこんな話をされた激しく反応するであろう、苦楽を共にした大切な友人の姿が浮かび──ちょっと苦笑する。
しかし、アイの反応は不思議だった。色欲とはつまりそういった生殖欲求を原点とするものではないのか? と真面目に頭を悩ます彼女らに、臨時講師は別なところに書いた色欲という言葉を丸で囲み、矢印をあちこちに飛ばした。
「まず色欲って何か。そういった情欲とかの話じゃない、根源的な話をしよう」
そう言ってから、色欲の周りの矢印に様々な言葉を書いていく。一般に想像される色欲に関連した言葉から、知識の伝播、居場所の生成、友達作りとあまり関係無さそうな物まで。
「色欲とは伝播欲求と言い換えてもいい。自らを他者と分かち合い、他者に自らを抱いてもらう。単なる生殖本能に由来している感情を超えた、特殊な感情と言っていいだろう」
一旦言葉を切り、ピンと来ているか来ていないかを確認──表情からしてまぁ問題なさそうだと判断したのか、言葉を続けた。
「他に色欲に類するモノとしては……例えば、このラーメンは美味しい。そしてその味を知ってもらいたい。だから他校の生徒がこの店を訪れると嬉しい。あるいはこのマスコットは可愛い。そしてみんなに受け入れてもらいたい。だから興味を持って欲しくて布教する──こういった知識の分かち合いもまた色欲の一つとして考えられる。単なる自らの伝播だけじゃない、自らを構成する他要素の伝播もまた色欲の表れと言えるだろう」
キミらにも覚えがあるだろ? と言われたら確かにと納得する。何せ滅茶苦茶身近に起きた事だし、実際自分もやったことだ。例えとしては極めてわかりやすい。
「色欲という概念とは、つまり自分に属する情報の拡散欲求というのが、本来正しい認識だろう。生殖だけじゃない。コミュニティに居場所を求める事だって、立派に色欲だ。他にも他者の価値観を自分色で塗り替えるとか……いやこれは暴食的とも……色々ある」
色欲とは、自身の拡散による存在証明である。故に様々な意味を包括しているのだ、と概念の理解を可能とさせた。
単純な側面的な事ではない、非常に哲学的な話。もしかすると、中々面白い話でもあるのかもしれない。
「とまぁ、難しいことを語ったが、重要なのはそこじゃない。色欲はある種の存在欲求も混じっているということを認識して欲しい。ミソはそこだ」
しかしこれらは本題ではない。
むしろ本題の為の、最低限の理解と言っても良い。
「ライナは色欲を欠いている。この意味、これらの情報から考えればよくわかるだろう?」
「ライナは自分の居場所を広げることを望んでない。自分の存在を、他者に広げる気が無い。そうなるってことだ」
「そう。シロコちゃんの言うように、今のアイツは自らを伝播させたいという原始的な欲求を欠いている。自分を誰かと分かち合う気がまるでない。だから恋愛に疎い上に、理解しようともしない」
自分自身を誰かに伝播して、分かり合う気が毛頭無い人間が、恋心を察したりする事もない。今までのズレた感性の正体、鈍感でもないのに独自の結論ばかり弾き出す理由とは、そもそも現実の存在として必要な物を根本から大きく欠いているから。
「どうやったら、ライナを振り向かせられる?」
「難題だね。自らを愛し伝播する気の無いヤツに、誰かを愛して分かち合うことなんてまず無理だ。今のアイツは他者によって拡散されているだけで、真の意味で拡散はしていない」
ライナの味方、と名乗っているが随分とえらい言い草である。だが聞けば当然でもあるだろう。自分を愛せもしない奴に、他者を愛するなどできるわけがない。自分も他者も憎むことができるなら、愛することもできるはずだが、根本的に色欲──つまり存在欲求や定着欲求さえも欠いているならば、愛に応える筈もない。
長い付き合いであるが故にどうして? と思っていた所に、まさかこうまでわかりやすく答えを与えられるとは。アイを頼って正解だったと心底から思っていた。
「私は事故で知ったようなものだから、拡散相手にはならないんですか?」
「ふむ。ヒフミちゃんとの出会いは偶然なれど、アイツが仲良くしたいと思うなら立派にキミと接している時は色欲が芽生えていることになるだろうね。便利屋の子たちもそういう対象だ。まぁ、あとはアビドスとセンセイ除けば連邦生徒会のごく一部……黒髪メガネくらいじゃねーかな」
ライナに色欲は存在しない訳ではない。だがそれが現れる条件があまりにも限定的であり、そこから発展する筈の感情や欲求へと通じていない。単一で完結しているが故に、原初から不変のままなのだ。対策委員会の仲間たちであってもそれは例外ではない。
それ以上の関係になりたくば、それ以上を関係を意識させなければならないが、それは自己の伝播により生じる一種の事故に等しい。
例えば不意に異性を感じる一瞬。あれなど刹那的な出来事であれどその可能性が生じていたと、自身の無意識と向き合うことになるだろう。
だがライナにはそれがない。それらは他者に自分をもっと受け入れて欲しいという欲求から生じる感情であり、単一で円を描いている彼は、他者と他者は繋がり合う余地があると理解するも、他者と自分が繋がり合う余地があるものだとは認識しないのだ。
「よってライナを攻略したければ、まずアイツに色欲を取り戻させて、自らの意志で外への拡散を望むようにしなきゃいけない。が、だ……それは難しい。アイツの閉じた世界を知るキミたちには、痛いほどわかるだろう」
異端だから、馴染めないから、人を介さねば写真や映像に映らないから、過去が無いから。夏雪ライナという存在は、夏雪ライナであるが故にただひたすらに孤独にしかなれない。真の仲間とは、決して呼べない。だからライナはアビドスだけが居場所だと思うし、そこから動こうともしない。そこで初めて認識したされたから。
そういう彼をよく知るホシノは、思わず目を伏せた。自分のように意図して閉ざすのではない。元より開くも閉ざすも選択肢として存在しないのだ。
「時間が解決する、とは言えないね。月の満ち欠けのように、条件を満たさないといけない。だがその条件達成が極めて難しいが……それさえ出来ちまえば、案外コロっと落ちると思うよ。アイツ、シロコちゃんだけは特別扱いしてるから」
「特別なのかな」
「特別さ。それはホル──ホシノ、キミも認めるところだろ」
「まぁね」
実際、ライナにとって例え偶然でも気に入らないと真正面から隠さずに向き合い本性を剥き出しにした相手は、シロコただ一人である。彼女にとって特別であるように、彼にとっても特別な存在ではあるのだ。それ以上にはならないだけで。
「で、その条件はなんですか? ライナさんの居場所はたくさんあった方がいいです。……あの時、初めて見た時から私はそう思います」
何も変わっていないライナをよく知るから、ノノミはその条件を知ろうとする。自分たちは色々変わっても、やはりあの人だけは何も変われない。どうにかしてあげたい。
「──説明が本当に難しい。いや、言えばわかるっちゃわかるんだが……言うと条件を満たす事が難しくなる可能性があるんだ」
「それも、言えない事なんですか」
「……色々ある。むしろ色々あり過ぎたのに、余計な事ばかり起きて更にややこしくなってやがる。正直言えば、だ。上手く転がしていかないと余計な茶々を入れてくる相手もいるから、下手に動けないのも実情なんだ」
何やら彼女の側にも大きな事情があるようで、珍しく苦虫を噛み潰したような表情で、かなり苦渋の声を出した。ヒフミもついこの前そういうややこしい話に巻き込まれたので、言えない事情やら何やらというのは、この場にいる全員が察することとなる。
だが疑問はあった。
「そういや気になってたんだけど、説明できないのに説明しに来たのはどういう意図なのよ。前もそうなんだけど、あんたのやりたい事を考えれば、黙って仕掛けてきてもおかしくないのに」
セリカが代表して聞いたそれは、アイの矛盾や一貫性の無さの理由であった。
ライナの味方と言いながら、説明もロクにせずにライナと事を構えるような状況を作る。口汚く罵っておきながら、敗北すれば素直に実力を認める。教えないと言いつつ教えることもできないと伝えに来る。姿を見せないと言いつつ周辺をウロウロしている。単純に訳がわからない。
「んー……まぁ、そうだな。それこそ色欲に等しい。自らを知って欲しいと伝播を望んだから、かね。とはいえ、出口の無い迷宮だと思われても困るし、そこに出口があると知っているなら誰かが出口があるぞと希望を与えてやるべきだろう」
──対する答えは、どうにもよくわからないもの。
色欲的な意味、伝播を望む。しかし伝播させる事が、目的を拒むというのにまるで衝動には抗えないかのように。そしてそこに自らの矜持が混ざり、複雑なタペストリーを描き出す。
機械的な反応でもあり、人間的な反応でもあり、あるいはそれ以外の何か別な反応でもあり……薄々とはわかっていたが、アイは通常、想像し得る存在ではない。恐らくはライナと密接に関わる存在なのだろうが──
彼女たちの思考を断ち切るように、アイは声をかけた。
「ま、授業はこんなもんかな。とりあえず今のライナには色欲が欠けてる。それが全てさ」
ポン、とシロコの肩を叩きアイは安心させるように秘訣を告げていく。
「焦らずにじっくりと構えて、いざ条件を満たした時に砂狼シロコを選ばせてやればいい。もし今すぐがいいなら、ガツガツ行ったりすりゃあ現状でも生まれるかもしれないけど……確実な手は……あー、年頃の乙女にこんなこと言うのもなんだけど、襲って抱いてモノにしちまえば変わんじゃねぇかナ」
「わ、私はそういうの……よくないと思う。だってまだ、付き合ってもないし」
何論外なことを言ってんだ、という視線と表情を周囲から向けられても気にすることはなく。
「まー、じっくり時間かけて自分色に染めてやんな」
そう言って、また何処かへと去っていく。
「……頑張らなきゃ」
そう、これは銀行強盗と同じ。
じっくりと時間をかけて計画し、いざ実行に移すならば電撃的に遂行し、成功させる。
逆に言えば、焦らなくていい。
シロコの展望は一気に開けた──が。
「……あれ? なんかシロコちゃんの目が銀行を見るような目になってない?」
「言われてみればライナさんって銀行みたいな……」
「二人とも何言ってんのよ。銀行って──いや銀行と言えば銀行かな?」
「銀行というよりも金庫だよね。硬い金庫」
「金庫破りと銀行強盗って同じですかね?」
ちょっと、これ平気なのかな。結構心配になった。
エデン条約で起きた混乱が沈静化するまでの裏。
逃げ回る姫を捕らえ生贄とするまでの、小さな隙間。
白いドレスの大人──ゲマトリアが一人、ベアトリーチェはある人物の元を訪ねていた。
固く閉ざされた扉を開けて、我が物顔で進み、やがて最奥へ辿り着く。そこには巨大な玉座が存在し、その座に座る少年が一人。
「──久しいな、祝福せし者よ。ヒトの中に入ってくるなど、無礼極まりないが。まぁいい。久しぶりの来客だ。何も無いが、歓迎くらいはしよう」
宇宙の如き青を宿す"左目"。
浮かぶはずのない黝い歪な形のヘイロー。
アビドスの制服を模したコーディネート。
その上に羽織る、黒いロングコート。
姿形こそ違えども、ベアトリーチェも直感する。間違いなく、かつて見た存在と何一つだって変わりない。──"あの存在"だ。
生誕にして終焉であり再誕、唯一で完成された輪廻……異端の神格、完全者。それはそれだけで完結しているが故に全てが付属品であり、全てがそれである。
原初たる資格を備えた後継であり、斯く在れかしという祈りにまつろわぬ者。
「なんだそのナリは。花嫁のつもりか」
「相変わらずどうでもいいところに気付きますね」
「で、なんだ。手を貸せなどと言うならば、鼻で笑うぞ。オマエたちが、まさかそのような戯言をほざくなどあり得んからな」
少年の苦笑とは異なり──
「私に従いなさい」
ベアトリーチェは端的に言い切った。
「……正気か。何のつもりだ。考え直せ。如何に自らを焼く炎に狂わされてようとも、探究の旅をするのがゲマトリアというモノだろう。オレを使うなど──」
目を見開き、そしてゲマトリアを名乗る者なら絶対にしない選択肢に驚愕しながら、今までの超然とした様子さえ投げ捨てて少年は捲し立てるようにベアトリーチェに尋ねた。
「人に使われる存在に拒絶する権利があるとでも?」
子供風情が、搾取される存在が、と。
似たような存在を支配する自負が、積み重ねた実績が、辿り着いた研究が、その発言を引き出す。そして──
「やめろ。その先を言うことの意味、知らぬオマエではない」
その先を予期した少年は警告する。どうでもいい場所で禁忌に触れられたくなどない。そこまで愚かではないだろうと。
「所詮あなたは資格だけ備えている、浅ましい玉座の簒奪者。私に服従すること、光栄に思いなさい──」
その名を、口にしかかったところで。
「オレを見るな。オレを呼ぶな。オレに触れるな。オレを形にするな。──これをオマエに言うとはな」
少年が言葉を発し、そしてベアトリーチェをその青ざめた宇宙のような瞳に捉えた。
刹那、ベアトリーチェが膝を折る。
(これ、は……!)
ベアトリーチェを圧殺せんとのし掛かる不可視の重圧。膝を折らせたのはそれだ。
これは古き法、古き力。現在のキヴォトスではまず痕跡すら発見できない、打ち捨てられたもの。
「……祝福せし者よ。要らん欲でも出したか。触れるなと言ったはずだ。その上でこの行動ならば」
(まずい──このままでは、『消される』!)
ゲマトリアとしての知性が告げる。
この少年はそもそもキヴォトスに属してなどいないと。大人と子供、銃と学園都市、そういった枠組みの外側にいる。物語の作法など根本からして無い。だから全てが何も関係無い。
この力は現在では使えるはずもない。しかし現実として眼前の古き者は行使し、ベアトリーチェに絶対の殺意を注いでいる。
こと此処に至ればもはやどのよう存在であれミスを犯したと表現するしかない。
(──認めるしかありませんね、しくじったと)
プライドの高いベアトリーチェとてこのミスを認めなければならない。それほどの事態だ。実のところ、彼女が少年を甘く見ていたということはない。強気な態度を完璧に支える物を揃えてきたのだから、それを使えば反転した神秘でもなければ対抗さえできない。
だがそもそも、物語の作法も登場人物の設定も無視した存在ならばそれも全て無意味にして無価値。あとは実力行使しかないが、現状このザマである。当然勝ち目など無い。
これは誤算だ、少年が姿こそ違えど腐っても演者であると考えていたベアトリーチェの。現実は演者ですらなく、文字通り異物であった。
「なるほど。それをオレを使うつもりだったか……探究者たる由縁、何処へやった。見下げ果てたぞ祝福せし者。オマエは確かに傲慢であることを許される理由があった。そんなオマエが何故……」
少年は冷めた目でベアトリーチェの手品を見抜いたが、そこには失望と困惑があった。傲慢を許される程の矜持と実績を持っていた存在が、ここまで落ちぶれるとは──と。
少年の知るベアトリーチェならば、自分が気付くまでもなく絡め取り、そして大人として子供を利用しただろう。しかし現実は真逆で、まるでしゃしゃり出るハムか大根のような振る舞いを、彼女がしている。
ゲマトリアたる者、間接と俯瞰には徹底するべきだろうに……そう思った時、少年は察した。
「──鍵を揃え、資格を得たか。どうやら頻繁に垣間見ていたと見える。愚行とは言わん、オレは言えん。そうなったが故にオマエはねじれたのだな」
何せ自分もそれができるならやる側だから。
とはいえ自分たちのように完全に属さぬ者でもなければ、そうして走狗と成り果てるか舞台で踊る役者、あるいは舞台装置に成り下がるということ。そんなものはゲマトリアの在り方とは言えない
かつて傲慢たるを許された存在だったベアトリーチェを知る少年は、憎悪と憤怒を宿しながらも、しかし静かに慈悲も込めて決断した。
「生き恥を晒すのも辛かろう」
手に黝い光が収束し、一際強い発光と共に剣が現れる。
それは壊れかけの大剣。その崩れた刀身は下した敵の数を物語り、欠けた部分は漆黒の闇で補われている。ジャンル違いの化身にして、キヴォトスにあってはならない異物。死と殺戮を謳う、異端の証明。
しかしベアトリーチェを斬首するべく振り上げられた大剣が、一瞬にして姿を変えてしまった。
「なんだと?」
先ほどまで濃密な死と殺戮を宿していた大剣は、ボルトアクションライフルになっている。さしもの少年とて困惑せざるを得ない。ジャンル違いである筈の自分に、適応などという現象は起こるはずがない。そしてこの力は文字通りの異物。それがどうして──?
刹那、ベアトリーチェに膝を折らせていた重圧が消え失せた。
そして彼女は、恥も外聞も無く、即座に逃げの一手を打った。自分の持つあらゆる手段を同時に試し──起動した空間移動によって逃げ延びた。
人の中に侵入しても、何を言おうともキヴォトスの上での出来事だったというのが幸いして、ゲマトリアの成果を用いれば逃げ出すこと自体は難しくなかったということだ。
自らの居城に戻った彼女は、黒服に利用されたと理解した。彼が半端に資料など残すはずが無い。初めから『ベアトリーチェならこうする』という読みの下、巧妙に配置されていたものである。そして彼女の野心が形だけでも潜めているならば、絶対に気付いたはずだ。
こうなればもうベアトリーチェはこの件を口外するわけにはいかない。したが最後、ゲマトリア内での発言権が大きく下がる。これまでの自分の功績を顧みても、露骨に立場が悪くなる。それほどの存在だ。
それに──黒服に大義名分を与えることにもなる。
(……チッ、やってくれる……)
とはいえ、収穫はあった。
何者にも染まらぬ漆黒であれば、絶対的な力があれば、物語の作法など関係無いということ。他ならぬかの玉座の簒奪者が示したように、力という絶対の前には理屈も現実もねじ伏せられるということ。
暗い歓喜に身を震わせながら、それでも冷静な彼女が更なる疑問を呈示する。
黒服の考えが読めない。
何故あんな、中途半端に残したのか。
いやそもそも。
(知っていて何故私が接触するように誘導を?)
あんなもの、目覚めさせればロクなことにならないというのに。
そんなことも気付かない程に、もはやベアトリーチェはゲマトリアというには歪み果てていた。
「……何が起きた」
一方、少年は自分の身に起きた出来事に困惑し続けていた。行使していた力の消滅、大剣の変化、数えればキリがないが、それでもよくあることだとしてあっさり思考を打ち切った。
自分自身が訳のわからぬ存在なのだから、そんな者に起きることもまた訳がわからぬのも道理というものかとして。
「使い方はわかっている。……む?」
しかし。
それよりも異常な事が一つ。
震える声帯、血を巡らせる鼓動、身中にある熱、呼吸という概念、触れる空気。今感じるこの生の実感──そして全く知らない景色と、自分の周りを行き交う人々の姿は。
「いや待て、何の冗談だ。何故──」
それが独り言として溶けているだけだと悟り、ため息を吐いた。
(間違いない、ここは現実だ。呼び出されたのではない。排除の為の行使がきっかけで、偶発的にオレが出たと見える)
少年はこめかみを抑えながら状況を分析する。そしてさっさと戻りたいという欲求を満たすべく最短で合理的な答えらしきものに辿り着いたものの。
(切り替わってしまった理由……状況から考えて恐らく、感情を強く揺さぶるもの……前回は呼ばれた故の憎悪、いわば反射的。だが今回は憎悪ではない上、反射でもない。オレが選んだ。その余波か、アレが眠ってしまっている……)
ウンウンと悩んでいる姿は年相応のようだが、しかし何か明確におかしい。
(今はまだ認識も甘い。猶予もある。とりあえずアレの感情を強く揺さぶるような言葉や行動を誘発する人物を……待て。仮に穏便に済ませようとしても、アビドスはアレとオレの違いに気付く。必ずな。面倒になるのは目に見えている。戻るにしても認識されるのならば……反射的に攻撃するのがオレだ。困ったぞ。厄介なことをしてくれたものだな……)
鉄面皮のまま、俯いた視線を元に戻すとサンクトゥムタワーが見える。少年は停めていたバイクに跨り、誰に聞かせるわけでもなくただ整理の為に呟いた。
「はあ……とりあえず娑婆の空気でも吸うとしよう。せっかくの機会だ。あの窓よりの眺め、堪能でもさせてもらおうか」