青い春に馴染めない黝の星 作:うへうへ学生
高次元で纏まり過ぎている。
過去の無い少年が持つには、それら全てに理由が付かない。
夏雪ライナ──降るはずのない夏の雪と、嘘のような現実に因んだ名前を名乗るようになった少年──の見せた様々な技術は、二人を唸らせるものだった。
「うーん……なんでもできるね、ライナくん」
「一通りなんでもできるってのも気味が悪いですね」
「気にしてんだから言わねーでもらえるか?」
日常生活、機械整備……本当に一通りできる。料理だって。多分他にも医学などもまあまあできるだろう。
そして一際目を引く程洗練された技術が一つ、戦闘技術だ。自他共に腕が立つと認めるホシノからしても見事と言わざるを得ない能力の数々。異様なまでに高められた実力に、過去の無い男でありながらどう考えても積み重ねた経験でなければ説明のつかない立ち回り。
しかし──
「けどなんで戦う時は、わざわざ銃床で殴り付けるの?」
「……癖?」
わからないのはそれだった。
ボルトアクションライフルを持っているのだから相応に射撃が得意なのだろうと思っていたが、実際にはバレルを握って接近してフルスイングである。バットか鉄パイプ握って、人を殴り倒しているのが似合うレベルでそれはもう暴力的である。
というか銃撃戦よりも本人の傾向として接近戦、特に格闘戦を好みがちだ。接近戦や格闘戦だって当然日常に起きるが、誰もが銃を持っている以上、中心は距離を置いた射撃戦、そこから刹那的に発生する近距離戦闘だ。ハナっから近寄って殴り倒すというのは余程の変わり者でもなければ起きないし、それにしたって基本我流だから荒っぽい。
ホシノだって格闘戦を交えた戦闘ができるが、そんな状況ならショットガンをバットのように握ってフルスイングを狙うことはせず蹴りの一つや二つをぶち込んだり、せいぜい銃で殴る程度で済ませる。というかCQBする。……まぁ手榴弾でも打ち返すなら話は別だが。
要は銃を銃として使わない戦いは無いということだ。仮に銃で殴るだけで終わるなら、そんな状況は戦いと呼ばないだろう。まあやらないということは無いし、弾も使わずに鎮圧できるならフルスイングもするだろうが……
だがライナのそれは奇妙にも洗練されていた。
銃を銃として扱わず、まるで剣や槍のように振り抜く。適切な打撃を適切な角度から打ち込み、苦痛と恐怖で心をへし折ってからトドメを刺そうとする。どうにもキヴォトスを知る者が取る戦術として違和感が強い。
それは──有り体に言えば古臭い格闘戦だからだ。現代的銃撃戦では起こり得ない。例えばヴァルキューレの生徒が警棒を持って攻撃をするとしても、何かしらの意図がある。銃撃が禁じられている空間だったり、そもそも銃を使うまでもないつまらない話だったり……そしてキヴォトスの日常は銃撃と爆破、護身術に近い格闘戦を鍛えるよりも日々必要となる銃撃戦の技量を高めていくのが筋というものだろう。
よって、接近戦は起きても格闘に比重を置いたものは全くと言っていい程無い。まあある事にはあるのだが……武術などはそれを修めることに意味があると言ってもいい。未だ廃れぬ術とはつまり、実用性などははっきり言ってどうでもいい。受け継がれる伝統、先人たちが築いた叡智の結晶、それだけで価値があるということだ。
だが如何なる理由か、ライナの戦闘技術はかなり古い接近戦が中心であり──そして高い練度だった。近代的な近接戦闘術とはまるで異なるそれは、あり得ないというに。
ここ最近、ライナもアビドスで日常化している荒事に巻き込まれるようになったがその全てを、より強力な暴力で破壊していった。
眼球や関節を徹底的に狙った射撃、喉を潰すような銃による打撃。手足をへし折ろうとするのは序の口で、酷い時には捕まえた敵を肉盾にしたり、手榴弾を口の中に突っ込もうとした。
そんな彼の姿を見て、二人は退ける程度に収めなければと決意し、改めてその技術の程を知ろうと考え、今に至る。
「ユメ先輩、ライナには何してもらいます?」
「絶対危ないから後ろから手伝ってもらう方がいいんじゃないかなぁ」
「ですねぇ」
どちらが?
言うまでもない、敵対する存在がだ。
ライナの身体能力はヘイローが無い──見えなくなっているというのが正しいかもしれないが──ものの、別段キヴォトスで、アビドスでやっていく分に不足している訳ではない。こんなことを言うのもなんだが、アビドス砂漠を彷徨い続けて生きている。それだけでも二人からすれば十二分な能力であると言わざるを得ない。
ただ容赦が無い。ちょっと痛い目を見てもらおうと思った時、スイッチが切り替わるように銃を抜くのはキヴォトスの基本だ。しかしライナにはそれがない。攻撃に移行するまでのラグが存在しない。攻撃に際して生じる感情が無い。そして決して容赦が無い。ヘイローを砕く勢いで攻撃をする。
──それは二面性という言葉では表現し切れない。よく人格が二つあるなどと言うが、これはその域を超えている。このほぼラグの無い攻撃決定および容赦の無さは、本人の口が悪くてやや生意気だが義理堅く善寄りな性格として見ても妙ではあった。
だが、事実としてこの両極端な振れ幅がある以上、ユメもホシノも、ライナを前線に立たせてはより多くの敵を排除する為に更に多くの敵を作ると判断した。
「というわけでライナくんは後方支援を担当してね!」
「えー、殴っちゃダメかユメ……ええと、先輩。なんで俺だけ前線立つのダメなん……すか」
「敵を作るからだよ!」
「……?」
「あのさ、ライナはバカだからわかんないだろうけどそういうやり方は余計目立つの」
「はぁ」
「ユメ先輩としては無駄に敵を作る理由が無いから、そうしてもらっちゃ困るわけ。わかった?」
「ホシノだって容赦ねーじゃん」
「君と一緒にしないでもらえる?」
疑問はあった。謎もあった。でもどうでもよかった。楽しかったから。そんなことより、今がずっと続けば良い。より良い明日を目指して邁進する、それのなんと幸福なことか。
──小鳥遊ホシノは、変わらない現状に不満足を抱きながらも、しかし今の小さな幸せを受け入れていた。
やがてその不満が炸裂する時まで、三人は幸せだった。そんな日がいつまでも続けばよかったと、未だ思ってしまう程に。
■
色彩の到来によりシロコが反転し敵対した。
それだけではない。ライナもまた姿を消した。その事実が明確に公になったのは、色彩によって生じた虚妄のサンクトゥムタワーをどうにかして、ウトナピシュティムの本船を手に入れてほとんどの準備を終えたくらいであった。地上最後の夜を過ごす、そんな時。
「アイ、ライナ先輩は!? ずっと連絡が取れないけど、あんたがいるならって──」
「……ライナが、消えた」
「どうしてそれを今更──! お前!」
「あんた、何してたのよ!? 先輩の味方なんでしょ!」
「二人とも落ち着いてください! 今まで彼女が姿を現さなかったのも理由がある筈です!」
「──切り離された」
「アイさんにも何かあったんですね。説明をお願いできますか」
突然アビドスに現れたアイが、焦燥した表情のまま告げたのだ。
当然に激昂する対策委員会。ホシノなど胸ぐらを掴み上げている。今までライナの味方であることが明白であり、常に見守ってそうな相手であるからと信じていたのに、今更やってきて今更本当に消えたと抜かしてきやがったのだ。そういう意味では信頼を裏切ったに等しい。
しかしアイは、訳のわからないことを告げた。それ故に何かあったと見て、落ち着かない二人を宥めるのをノノミに任せたアヤネが尋ねる。
「……ボクは今、単独で顕現している。本体と繋がっていたが故に比較的自由に現れることができてたけど、この空に……色彩の到来によって全てが滅茶苦茶になった時、本体側から切り離されたせいで、計算式の見直しをするハメになった。だから出現が大幅に遅れた。まさかキミらが英気を養うって時になるとはね」
どういうことだ、と視線で説明を要求する。それに対して彼女は、珍しく一切のはぐらかす様子もなく、自らの正体を語り出した。
「──ボクはライナを補助する為の存在で、ほら、調印式で見たミメシスとかシャーレの仕事で会ったペロロジラみたいなモンさ。要は生命体じゃなくて、ライナに紐付いてる付属品のような存在と思ってもらえばいい」
「じゃあ本体って──」
「そうだ。ライナがボクを切り離した。……一体何故かは分からない。それに、あの子はボクとの関係を自覚している筈もない。なら間違いなく……」
ある程度は予想していたことだからそこまで問うこともなかった。元よりこいつは生命体ではなく、最初に感じた何か異質な感覚の数々もまた、ならば当然であると受け入れられるようなことであった。
原因自体には何か心当たりがあるようだが、まずは状況の説明を始めることにした。
「とりあえず、ボクがわかっていることを話す。リンちゃんから聞いたように、サンクトゥムタワーが制圧された頃、センセイの付き添いをする筈だったライナもカイザーに襲撃された。完全に油断していたんだろうね。すんなり終わったと思われる。そして──ライナの中に眠る真実を叩き起こした。もちろんそんなことをして無事に済むわけない。アイツは自然カイザーを叩きのめし、脱走した。これが色彩到来前の話だ」
色彩の到来前に起きた、カイザーによるクーデター。先生やリンが捕えられるなどの危機的状況だったが、Rabbit小隊とヴァルキューレ警察学校の一部生徒らの協力を得てこれを解決した。
「ところがこの後──色彩が到来した途端、アイツはボクを切り離して素材の大半を取り上げた。だからボクは完全に行動不能になった。そして大急ぎでサブプランとして用意していた素材で補い、自分を組み上げてここに来た」
しかし色彩の到来後にアイは自分を維持できなくなった。切り離す理由も無ければ方法も知らない筈のライナから、自分を現実に下す為の素材の大半を取り上げられてしまい、自己観測さえもできなくなりかけてしまったのだ。それをサブプランで補ってなんとか自由には動けるようになったのだが、大きく時間を取られてしまいこんなギリギリになってしまったと。
「あの時のボクは自分を移動させる素材が足りなかった。だから急行するにも場所を選べなかった。範囲を広げておくべきだったな……今わかることがあるとすれば、キミたちの目指す先にライナは必ずいる。これは確実だ。反転したアヌビスは絶対にライナを求める。存在としても──砂狼シロコとしてもね」
そしてシロコのいる先にライナも必ずいると断言した。それが砂狼シロコであるならば必ず求めるだろうからと。
「ボクは戦闘もできない。だから背後霊くらいしかできないが……いないよかマシだろ。本船に乗り込む時は……またシッテムの箱にでも入れてもらうとするさ」
「姿を見せて説明とかしないの? おじさんはライナのことを説明しても──」
しかし例によって秘密主義めいたことをしようとすれば、流石にホシノも口を挟む。それどころではないのだから、バラしたっていいのではないかとも。
「今のボクは限られた人間にしか見ることができない。それにライナの存在を本格的に説明し出したら、絶対ややこしいことになるって。だったら何も知らないか、キミらが説明することに抑えてた方がいい。全部明け透けに話したら間違いなく見殺しにされる」
訳のわからない男子を救う為に協力してくださいなどと言ったところで、アイからすれば頷く奴など一人もいないとしか思えない。シロコならまだしも、仲間とも言い難い訳わからない存在など、切り捨てられても仕方ない。救う理由が無いのだから。しかも事を構える可能性もあるような存在、誰が手を取りたがるか。先生に寄生する悪い虫と考えられて駆除されるに決まっている。
普段ならもう少し余裕のある選択ができるかもしれないが、現在はそうでもない。自分の存在を維持するのも難しく、またある程度知り合いの多い状況などではない。それに彼女はウトナピシュティムの乗組員構成も把握できていないのだ。本来の性能を発揮できない以上、彼女が信頼を置けるのはアビドスくらいしかいない。アビドスに直接足を運んできたのはそれが理由だ。
自分を認識する相手が揃っているというのもあるが、現在なんの役にも立てなくなった自分が頭を下げるくらいしかできずとも、助けてくれる相手がそれくらいしか浮かばなかったというのも大きい。
つまるところ、根本的にアビドス以外信用していなかった。アイは他校を全く信用などしていない。仮にそれが、王女をどういう訳かただの生徒にしているという珍事があったとしても、それは明確に受け入れられる土台があったからの話で、土台の無いライナは受け入れられる訳がないと睨んでいる。
彼女が思っているよりも、キヴォトスはもう少し大らかなのだが──彼女は世界を信じ切れない。
「……わかった。ありがとう、答えてくれて」
そうではない、と信じたい心もホシノにはあったが。アイの正体に完全に気づいたが故に、その可能性を否定し切れなくなった。
そして──恐らく、憤怒と憎悪のままに全てを拒絶し、全てを破壊しようとする姿もまた、偽りないライナの本質であると。かつて黒服の言っていたように。
(……けど)
破壊と拒絶を望むライナも本質であるなら、静かに居場所を求めるライナも、過去のライナもまた本質であるべきだ。人間は一側面的な存在ではない。様々な面を持ち、様々な形に見えるもの。故に全てひっくるめてライナと呼ぶべきだろう。
ならばやる事は変わらない。
「いやぁ、一人増えるとはねぇ〜」
「けどやることは単純です。二人を連れ戻しましょう!」
「シロコちゃんとライナさん捕獲作戦に変更ですね!」
「だからなんで二人を野生動物扱いなのよ……」
まぁ一人増えたくらい、アビドスにとって今更である。気にすることもない──が。
「えっと……私たちはどうなるのよ。聞いちゃってるけど」
同じく仲間が乗り込む、仲の良い友達がどうしているか気になったアルであり、それに着いてきた便利屋の面々。ちょうどいいところに現れて、対策委員会の精神的最後の一押しまでした。そんな素晴らしい友人たち。
それが終わったくらいで訳の分からない初対面の女が突然現れてとんでもないネタバレかましてくるとは思わなかった。しかもなんか見える人間が限られてるとか聞こえてくるし。
だから申し訳なさ半分、困惑半分、あと白目剥きたくなるような現実から少し目を逸らしたい少々な形容し難い表情をしたアルがおずおずと聞くのもまた、当然である。
「ああ。便利屋のキミたちはこの一件が解決したら遠慮なくもっと巻き込むから。この件が丸く解決してからこそが、ライナ関係の話の一番大変なところになるだろうし」
いやちょっと待てよ。
流石にそんなもん聞いてないし初耳だしこいつ誰だしで混乱した。楽しそうなことには目の無いムツキですら心底から何が何だか、という表情をしているのだ。無理も無い。
「ていうかあなた誰よ!?」
「ボクはアイ。ライナの味方」
「社長、これ多分終わったら本格的な説明してもらわないといけないパターンだよ」
「まぁライナくんも色々ありそうってのは私たちも知ってたけど、これもっと面倒なパターン?」
「あの人割とどころかかなりややこしい立場だったんですね……」
好き勝手に言うが、好き勝手に言ったっていいだろう。このクソほどヤバい状況で今明かされる驚愕の真実を禁断のたくさん撃ちとかされたら誰だってそうなる。普段ならあまりそういうことを言わないハルカだってボヤくレベルでアレなのだ。これはもう一定仕方ないのだ。
「まぁキミらにはちょいとマジで全部知ってもらわなきゃならんかもだね。ヤツの行動原理を考えれば……うん、もう一枚の切り札になってもらおう」
「もう一枚の切り札──ええ、いいわ。世界を救った次の仕事はもう決まりね。もちろん私たちはレア……報酬は高いわよ」
「そりゃ後で請求先ふんだくってくれ……っていやちょっと待てよ。少しは内容聞けよ。やるやらないの自由は当然にあるからね? あのさ、キミらちょっと? アルちゃん? ムツキちゃん? ハルカちゃん? あのー? おーい?」
『もう一枚の切り札』──なんと甘美な響きだろうか。「くふふっ、アルちゃんがもう一枚の切り札だってさ〜」とか「アル様! 遂に切り札ですよ!」とか「ふふふっ、やはり私たちの真価をわかってくれる人がいるのね!」とか喜んでいるが、一応色々聞かないといかんものはいかんのである。
溜め息を一つしてから、カヨコは素朴な疑問を投げた。何故アビドスと自分達に情報の差が生じるのか。
「分ける意味って何かあるの?」
「策は無数にあった方がいい。特に、アイツが動くのなら」
「まるでもう一人いるみたいに……」
「……在るんだよライナの中に……もう一つのライナ、ボクの友達が」
──直球の答え。
ライナの中に在るライナ、アイの友人。ここまで踏み込んだ話になってくるとも思ってもなかったし、ライナの中に何かいるというのはこの場においては全員初耳である。
故に最も付き合いの長いホシノは聞かなければと思うものの、察した正体から何故言わなかったかも理解しつつある。
「そいつについて教えてくれって言っても、教えてくれないよね。それが誰の為にもならないからって」
「見るな呼ぶな触れるな形とするな……キミらにとっても厄介な状況を呼び込みかねないからね。元々厄介なのにまだ厄介にしたくないだろ?」
厄介な事にならないように教えようとすることが厄介な状況を呼び込むなど。
つまり厄介事を避けつつ対策をするなら、知ってはいけないことであると常にアピールしつつ同程度の脅威を演出しなければならない。なんと面倒な事か。
「え、ちょっと待って。私たちそんなものを教えられるの? この後?」
「ああ全然大丈夫。キミらは上手く視線を逸せるから」
現実に引き戻されたアルにサラッと答える。
しかし疑問と言えば、何故そうなったかということにある。シロコだって色彩と接触したから反転した──まぁ事実は違うのだが──のだし、何らかの外部要因があってこそというものだろう。しかし話を聞くにライナは最初からそうであるように聞こえる。
「本当にややこしいですね。どうしてそうなってしまったんですか」
「どうして、ねぇ。足掻き続けたらってとこかな。まぁ赤裸々に語ってもいいけどこれは本人の口から言うことに意味があるだろうし」
「……つまり、ライナ先輩は──全部知ってるってこと?」
「──あぁ、知ってる。全部な。アイツはただ思い出せないだけだ」
「ちょっと待ってください。あなたは、ライナさんの過去は知らないって……!?」
「言葉遊びで誤魔化したんだよ。『キミらが知る』ライナの過去は知らないのは事実だからね」
「本人に知られる訳にはいかないから、だよね」
「そう。だから本当の事は言ってないけど、でも嘘ではない事で無理くり誤魔化した」
──奇妙でもあった言い草の正体もシンプル。嘘は言わなかっただけ。良し悪しとはともかくとして、ライナの味方という使命を果たすために常に尽力していたわけだ。しかし言うに言えないし、本人の前では言っていけないことが山のようにある。
ならどうすればいいのか。どうしたものか。死ぬほど困る。結果、あんな立ち振る舞いが出力された。無論本気で思っていることも混ざっているのだが……
「なら、いつ知るべきなんですか」
アヤネの発言に少々苦い顔をしたアイ。
分けた方がいいのはわかった。だが何か知るべきタイミングがあるというならば、それは何処か。聞く限りは適した場面がある筈なのだからそれを聞くくらいはいいだろう、という判断故に出た言葉。
「……断言はできないな。いつ動き出すかはわからない。この一件が終わるまでは動かないけど、その後だ。厄介な事に自分から動かないタチだからな」
しかし一体いつ仕掛けてくるかもわからない以上、何も言えないのも事実。アイもそこだけはわからない。
「ただ必ず現れる。これだけは確実だ。そして敵としてやってくる」
「えらく信じられてますね。初対面は最悪だったのに」
「初対面は──まぁ、あれはその、なんだ。許してくれ。仕方なかったんだ、色々」
「まーまー、ノノミちゃん。あんまりなじるのも可哀想だからやめとこーよ〜」
「ホシノ先輩、急に庇ってるけど……どうして?」
「ん? まぁおじさんの年の功かな」
急に庇うようになったホシノに怪訝な視線を向けつつも、とにかくやることは変わらない。決戦に行くために、英気を養うべきなのだ。
そして──
"わかった"
"想定外が色々起きてるみたいだね"
「でも、まだこのデータ解凍しちゃダメなんですか?」
「ああ、今は特にまずい。それにどの道、今のボクは外に出ても何もできない。だから先に翻訳作業を済ませる」
時間を迎えるまでの少しの間に。
アイは先生とアロナを訪ね、事情を共有していた。
「面倒ですね、色々」
「丸く収めようと思ったら言うに言えないってのは厄介極まりない。ままならないね」
アロナのボヤきにアイも同意する。
何せこのややこしい状況で更にややこしい話になった上に、そのややこしいことをどうにかできる相手が完全に役に立たなくなっているのだ。誰だって勘弁してくれと言いたくもなる。
とはいえ、言うことが命取りになる可能性も高く、何の拍子に現れるかわからない存在など、慎重にならざるを得ないだろう。アリスの一件もあり、先生もそれには理解を示した。知らないことが一番の対策などと、知らなきゃ対策もクソもない相手なのに、知らない事を強いられる訳の分からなさ。
アイが自分を通してその裏を言葉無く教えようと苦心していたのも今になって頷けるというもの。話して終わるなら絶対にそれをしていることは確実だったろうと、先生はわかっている。
──その正体を知ったが故に。
絶対に、あのようなまどろっこしい真似はしない。そんなことをしなくてはいけないほど、ライナの真実は複雑に絡まり合っている。今更になって黒服がライナに確認作業と称して襲撃をさせたのか理解した。
……ゲマトリアですら、訳が分からない状態だったのだ。
「ライナがどうなってるかは見るまではわからない。ボクとライナは切り離された以上、再接続も必要になっている。そこはまぁ、なんとかする」
"アロナから色々聞いた"
"君の事も"
「あー、聞いたんだ。まぁいいよ別に。アンタは知っておいた方がいいだろ。ね、先生」
"……君は君だろう"
"そういう言い方は、嫌いだ"
その呼び方はアイの呼び方でないから。
「そりゃ失礼したよ、センセイ。とにかく、まずは接触する。だからしばらくまた箱を借りるよ。ホシノちゃんたちにはもう説明はしてあるけど、他はしなくていい。無闇矢鱈に広げる意味も無いし」
"わかった"
"でも、リンには?"
「必要無い。勝手に気付く」
まぁ確かにリンは真実を最も知っている。ならば敢えて説明する必要もないだろうと同意するが──
"(んん?)"
"(アイって、ホシノは呼び捨てだったよね?)"
ホシノちゃん、と呼んでいる。
あれ以来特に接触は無い。呼び方を変えるような出来事が起きたとも聞いてすらいない。理由をいくら考えても、正体的にそうなる訳がない。恐らく緊急事態により生じた不具合のようなものだろう……ととりあえず結論付けておくことにする。
"アイ"
"君は、色彩を知っているのか"
「イエス」
"……だからなのかい?"
"キミたちがそうで在るのは"
「いや、どうかね。その辺りはなんとも。ボクらもボクらを信用できない。何せ本当にそれが起きたかさえも怪しいんだから」
──先生にはわからない。
自分さえ定かではない経験など。
「ま、とりあえず今はこの事態を何とか──っても、ボクは役に立たないんだよなぁ……」
「ライナさん関係のアドバイザーですからほら! あんまり気を落とさないでくださいっ」
「ううっ、所詮は従属存在。本体に切り捨てられたら辛いなぁ。アロナっちもセンセに捨てられないように気を付けようネ」
「なんで縁起でもないこと言うんですかー!」
「キミ、ボクがこういう性格だってわかってるでショ。だってほら、ボク──」
「うわあああん! こんなの嫌ですぅ! 先生ぇ、認めたくないですぅ!」
"あ、あはは……"
"まぁ、確かに……嫌だねぇ"
"でも認めなくちゃ"
とはいえ。
正体を知れば今までの言動も理解できるものの、それに対する嫌悪感が新たに生まれたりもするが、人間なんてそんなものだろう。
──英気を養うのは、何も救う側だけとも限らない。
シロコ*テラーもまた、ただ一つの味方を得て自らを癒していた。
「──"ライナ"」
「……」
目覚めたライナの様子は変だった。
青い右目、浮かぶヘイロー。でもどうでもよかった。かつてシロコに絶望を投げ付けた者ではなく、滅ぼす者として共に立ってくれるなら、なんでも。
「ねぇ、"ライナ"。一緒に行こう」
「意のままに、アヌビス」
その手によく知る拳銃と、よく知らない長銃を持っていても、どうでもよかった。シロコと呼んでくれなくても、どうでもよかった。ようやく巡り会えた相手、それもほぼ同じ。ならば──それが物言わぬ相手であっても、十二分だろう。
シロコ*テラーはそう結論付けて、思考を止める。手にかけるしかない関係から、愛しい相手と共に居られるなら、もうなんでもいい。仲間たちとはもう共に歩めないのだから、その渇きを癒せる相手がいるなら──
(……ほう、上手く行ったな。やはり主導を握るは嚮導者か。ならば箱も──)
しかし、ライナの中に潜む者は違った。
(砂狼シロコは剣に気付いていない。そちらのオレが剣を持っていなかったということになるが……妙ではあるな。何故そちらのオレがいない? 無防備なオレなぞ、使い道は無限にある。自分で言うのもなんだが、虹の眼と関係する完全者のオレは、それなりの尖兵になる筈だが……)
自分の正体を全て知る『彼』にとって、見過ごせない差がいくつか生じていたものの、彼女をやり過ごすことができていたのは幸いだった。発見されていれば、おそらくライナとの些細な違いを感じ取り、殺しにかかってきていただろう。そして完全に反転したアヌビスに対抗するなど、『彼』は切り札を使わざるを得ず──プレナパテスによって絡め取られ、終わる。
(まぁ、今はいい。危うい状況は脱した。嚮導者も観察に徹しているだろう。天運には任せることになるが、やってきた終焉を退けられるならば、あるいは──だが、何度も愚者どもが動くのには変わらんか。やはり、オレは──)
浮かんだ結論を捨てられない自分を嗤いながら、『彼』はシロコ*テラーの異様な視線を感じ取る。それは執着にも変貌した愛であり、あるいは超越的な視点に等しい。『彼』も知る砂狼シロコであればそのような視線を投げることはない。ならば何かあったと見るべきだろうが、彼女は純情だ。大体こういう時は男の方に原因がある。
(しかしそちらのライナめ、砂狼シロコに対して何をした。あれは執着に等しいぞ。単に本質として惹かれあっているということではない。まさか、恋愛が拗れた? あり得ん。剣が無いなら、色欲を外す理由にもならん。全て揃った状態だ。それならば、互い向き合ってすぐにくっ付くものと思われるが……)
『彼』は素早くあらゆる状況を想定するも、ほぼ同じ流れであれば、どれだけ時間がかかってもシロコとライナは結ばれるだろうという結論しか出てこない。
お願いだから私を受け入れて、という言葉。あれはどう考えても何処かで心がすれ違ってしまった証拠。しかし全てが揃ったライナを理解する『彼』は、普通心がすれ違うことは無いと知っている。最終的にはシロコを選ぶような性格をしているのだと、強く理解しているのだから。
(オシリスに引き摺られた? だったらホルスと過ちを犯しても不思議でもあるまい。だがあれは……わからんな。というよりもあの二者は特殊だ。そういう感情には発展しない)
想定し得る二人の女性が頭を過ぎるも、それはそれであり得ないだろうと見る。
(朱鷺と猫……もない。アレらと恋仲になるとか無いだろう、流石に。ネフティスは……まぁ、可能性としてはあるが……好みが違う。アレは嚮導者のような、弱みを見せない方が好く。ライナのようなひたすらに壁を作る相手は気を遣うがそれまで。そもそもライナはそういう対象として見ないだろう。なら角付きか羽付きか? いやそれはもっと無いだろう。超人の右腕は──あり得んな。アレは嚮導者にこそ惹かれる。結び付くのは砂狼シロコのみ。……いや、本当に何をしたというのだ。剣が無いなら完全で、この到来が無いなら穏やかな日々が続くだろう。それでオレが起きることが無いと仮定すれば、益々結び付く可能性だけが膨れ上がる。それにもどかしく感じた周囲が手助けもするだろう)
つまりシロコにそのような感情を向けられた時点で、完全ならば結び付くしかない筈なのだが──どういうわけかすれ違ってしまったとしか『彼』には辿り着けない。
真実であるライナが先に意識したが故に歪みを直視し、勘違いしたから割り切ってすれ違ったということに辿り着けない。
ただライナが何かやってしまったとしか、わからない。
(……本当に何をした、ライナ。この女に縋り付くような事を言われるなど……)
『彼』にとって、ライナとシロコの恋模様などどうでもいいが。それはそれとして気になることは気になる。ましてや、何かとんでもない過ちが起きたともなれば。
『彼』は案外、俗っぽかった。
(あとなんだコイツ。ベタベタ触りおって)
「"ライナ"だ……ふふっ」
(手触りを確かめるとは芸術品か何か?)
「……あったかい」
(抱きつかれるとコチラは暑苦しい。しかしいくら骸と箱が先導していると言えども、あの孤独は耐え難かろう。こうなるのも必然か……)
誰も自分とは相容れず、異端であることを常に突き付けられ、馴染む事も属する事も許されず、輪の中にいて手を繋げず、輪の外に出る事も叶わない。世界に裏切られ、世界を裏切るしかなくなってしまう異端の孤独。
それを知るから、『彼』はまるで確かめるようにライナに触れるシロコの気持ちを、ほんの少しだけ理解していた。