青い春に馴染めない黝の星 作:うへうへ学生
決着が着いた後。
地上に戻り、姿を消そうとしていたシロコ*テラーを呼び止めてその存在を肯定し、ある宝物を託した後、シロコは尋ねた。
「"あなたの"ライナは、何処へ行ったの」
「何処だろう……"私の"ライナは──あの日、私が、扉を開けられたら、きっとほんの少しの間だけでも──」
何があったのか。結局みんな死んでしまったとしか、崩れ落ちた時に零れ出た言葉は告げていなかったが、それはライナに執着した理由にはならない。できることならその呪縛を解いてやりたいと思うのは、必然的でもあった。
「何があったの? 教えて」
「気付かなかったの……私の気持ちに。私、気付けなくて──気付いた時には、もうライナは……っ。どうして……? 私がずっと何も変わらなかったから? それで愛想尽きちゃったのかな? もう、わかんないや……」
自分と異なり、少しだけ気付くのが遅れた。
それだけなのか? 本当にそうなのか? シロコは涙を堪えて悲しみに満ちた過去を回想する彼女の言葉を聞き、疑問を覚える。
相手は自分だ、細部が異なれど大枠は同じ。ならばそう簡単に諦めるはずなどないし、周りが放っておかない。と、なればやはり原因はライナにある。
「シロコはどうだったの」
「好きだよもちろん。好きなのに、気付けなくて、気付いたら──あんなこと、聞いちゃって……逃げちゃった。怖くて、許せなくて、憎たらしく思えて。でも、好きで──けれど伝えられなくて……みんな、死んじゃって……今更ライナも私が好きだったって知って……最後に、あいつが」
なんとなく読めてはきた。
大方、ホシノ辺りに勘違いされそうな事を言っている所を聞かれてしまったのだろう。両片想いだったところに、遠ざかりつつあった現実と何か致命的になる言葉を聞いてしまえば、混乱するのも致し方ない。本当にすれ違ってしまったとしか形容できない。
シロコの心に影が差す。……すれ違いを止められる筈だったのに、更なる悲劇で取り返しが付かないことになってしまった、もう一人のシロコ。彼女にそんな絶望的な現実を強いた世界など、と。
だが。
「あいつ──?」
アイから『中身』があるとは聞いたことがない彼女にとって、ここでようやく『彼』の存在に触れる言葉。目を丸くするシロコを見て、シロコ*テラーは驚いた様子を隠さなかった。当然と言えば当然である。ライナという存在のベールがかなり剥がされている世界のシロコが、その件を全く知らないというのは想像していなかったのだから。
……現実として、『中身』について普通であればアビドスが知る機会は与えられなかった。これは、プレナパテスたちが現れた事で明かされたのだ。
困惑するシロコ。それを護らねばと哀しき結末に辿り着いた先人として、シロコ*テラーの心に為すべきことが刻まれる。
「シロコ、気をつけて。ライナの中には何かがいる。そいつはライナじゃない、でもライナと同じ顔で、同じ声で……全部違う。あなたは、すれ違っちゃ駄目だよ。もしもすれ違うなら、私が必ず止めてみせるから」
もしも『彼』が二人をすれ違わせるというならば、それを排除する。
死の神の怒りを買うこととはどういうことか、あの悍ましい男に教えてやるのだと。シロコ*テラーは、悲劇に向かわせる者を許さぬと全てに誓った。
だから。
「あの二人、デートできたんだ」
それからしばらくして。
たまたま──これなら大体は会わないだろうと思ってアビドスの空き家を転々とする生活をしていたシロコ*テラーは偶然に、割と気合いの入った服装をしたライナとシロコが待ち合わせるのを遠目で見て。
(──私が守らなきゃ)
積極的には首を突っ込む気は無いが、しかし奴が出たのであれば如何なる状況であれ、誰が阻もうが介入することを、確定させた。
あとついでに尾行を始めた。何を言おうとも、どんな経緯を辿ろうとも、彼女はシロコである。
──デートである。
んなこと言われたって、である。
あれから多少日が過ぎて、色々なところが復帰キャンペーンを始めた。シラトリ辺りは被害が大きく完全に復旧とまでは行かないが、それでもシャーレと連邦生徒会の連携によってかなりマシなスピードで立ち直ったらしい。まぁあそこは心臓部のようなものだし、シャーレオフィスもある。そんな中でバカでかいマシンとバカでかいぬいぐるみが死闘を繰り広げたのだ、流石に重点的にもなるだろう。
ちなみにライナは復旧作業には呼ばれていない。これは先生とリンが気を回したからである。
「……なんで俺なんだ?」
まぁ人それぞれ。
可能性があるなら確かめたいのだろう、とは思うものの。
(つーか、俺とシロコがすれ違って受け入れてくれって、そんな関係になり損ねたってのも変な話だよな。俺、シロコに何かしたか? 先生の方が自然だろ)
始点となる部分、つまりそもそもの話が妙にしっくり来ない。シロコ*テラーの辿った道、その中の自分がだ。
(やったことってなんだ? お互いケンカくらいじゃんか。ああでも、誰も付き合いたがらないあいつのスポーツ趣味に付き合ったり自転車の整備代わりにしてやったり飯作ってやったり案内してやったり武器選び手伝ってやったり銃の組み立てと分解教え込んでやったり、暇だからって天体観測に連れ出したり……いや、そんなこと言い出したらスポーツ趣味と天体観測以外は全部ノノミもホシノもやったし……やっぱ先生に行かないのが不思議だよな)
立場上先生と呼ばれている大人であるが、一般の教育者と呼ばれる物ではない、よって生徒と恋愛関係になったところで歳の差が1.5世代分開いてるとかその程度である。まぁ常識に沿えば大問題だが。
ライナだってシャーレの補助員として時々ビルに出入りして仕事をしていたが、その時に当番として各学園から派遣されてる生徒を見ても、あからさまに気があるのは何人か見かけた。だから別段、そういうことに関しては何とも思わない。
むしろ、ああいうよく出来た大人が初恋相手ってのは良い事だろうとも思う。自分のような訳の分からない相手よりも余程良い。
どう頑張っても近所のお兄さんに過ぎない自分なのだから、それだったら先生に向かって欲しいとも思わなくもない。そっちの方が健全だろう。第一自分なんてよくわからないのだし──と思い。
「……まさか、なぁ」
シロコの好意に気付いてながら、そんな風に遠ざけてしまったのか? という疑問。説得でもなく、俺はダメだと伝える訳でもなく、遠ざけて逃げ出した可能性。これも立派にすれ違いだし、受け入れない行動だ。
まぁ真相がどうにせよ、ライナにとってシロコ*テラーの心を無碍にした自分など許される訳がない。人に向き合わず自分の世界だけで完結して終わった愚者など地獄の底で苦しんでいればいい。
(俺はどうなんだろうか。シロコをどう思ってんだ? 野良犬だのなんだのと言ってきたが、俺はシロコの事をどう感じているかはハッキリしてないじゃないか)
それはそれとして自分はどうなのだろうか。
そんなことを思ったことすらないが、もしも、もしも自分もまたそうだとしたら。
今までのシロコの行動にアプローチもあったとしたら。
(……いや、言い訳だな……鈍くない)
──見たくないから視線を逸らそうとしたが、流石に鈍い訳ではない。最近急に今まで感じなかったものを感じるようになり、それに際して色々と今までの行動の真意も察せるようになってきた。無人島の一件なんてあれでそうでなかったらなんだというのか。
何故今までそれがわからず、興味も無く、また一切思考に上がらなかったのかはわからないが、大方ユメとホシノと過ごしている内に使わずに錆び付いたものが、シロコ*テラーとの出会いで動くようになったのだろうと推測する。現実はそもそも欠いていたのだが。
「お、来たか」
年頃の女の子らしい可憐な服装をしたシロコが姿を現す。深呼吸をして視線は常に一定に。意識はせずに最初の一回だけ。あとは怒られてから考える。先生からのありがたいアドバイスを頭に浮かべて心に刻む。
「なあ先生」
"急にどうしたの"
「ここだけの話、どうやって視線逸らしてる?」
"逸らし……は? "
「いやほらさ、女の子ジロジロ見るモンじゃないじゃんか。だから先生みたく上手いこと視線外しつつしっかり見る方法ないかなーって思うワケ」
"なるほどね"
"意識しようとしないことかな"
"意識し出すと余計見るし。注意されて気を付けるくらいがいいよ"
"というかね、申し訳ないことと恥じていることを全面に押し出す以外に無いよ。ウン"
"今まで通りに対応するのが一番だよ"
「急にこう、気になってきてさ。それで聞いたんだが……まぁとにかくそうしてみるわ」
"まぁ安心して! 私もちょこちょこやらかすから! "
"大丈夫! ライナも裸見なきゃきっと平気さ! "
「……あんた、刺されるなよ」
──思い返した会話内容、なんかダメだったかもしれない。裸見なきゃってあんたもしかして相当にギリギリなモン見たってことかよとか思うが。本当に刺されたり襲われたりしないか心配である。
「やほ、シロコ」
「待ってた?」
「少し早く着いただけ。まあ待ってない」
「ん、ならよかった」
少し遅れて待ち合わせ場所にやってきたシロコだが、単に住んでる場所からの距離に過ぎない。要は誤差だ。
「それで、どうかな。みんなと相談して決めたんだけど」
「まず似合ってる。ただ詳細に褒める事はできない。語彙力と経験が無いからな」
「綺麗とか可愛いとかだけでもいいよ」
「じゃ可愛い」
シロコらしいクールなカラーで纏められたコーデは全体的には可憐な印象を与える。フリルのあるノースリーブブラウスがまた彼女らしい活発さを主張しており、砂狼シロコという少女の持つ魅力を余す所なく引き立てている。
「ライナは……あんまり変わらないね」
一方ライナはほとんど変わらない。
ワイシャツとブレザーが普通のシャツとジャケットに変わっただけだ。相手の気持ちに薄っすら勘付いている男のする真似ではない。
「服が無くてな。必要と思ったことすらない」
「あの黒コートは?」
「あれは……似合わんだろ。お前の横にいるなら」
あれを着てしまうとなんか漫画やアニメのライバルキャラみたいな風貌になってしまうのでデートには不向きだ、そう考えるライナ。実際シロコの格好から考えるとまるでボディーガードか何かのようになる。よろしくない、ジャンル違いは余計にだ。
「で、何すんだ。お前が全部決めてくるっていうから、俺はそれに任せるつもりだったが」
「ん。まずは水族館へ行こう。ほら、前に先生とホシノ先輩が行ったところ。みんなで見てた、覚えてる?」
「あっこね。ほいほい。……ん? 今日はショーとかやってない筈じゃないか」
「ライナはじっくり見る方が好きでしょ」
「まぁそうなんだが。デートってったらそういうもんを見るのも楽しみじゃないのか。気を使わなくていいのに」
趣味でないことと、見る見ないは全くの別問題だ。
「見たかった?」
「シロコとなら」
──いきなり何を言ってるんだこの人。そんな感想を抱いて固まる。急にこんなことを言い出して、これが全てを備えた状態なのかとも感じる。何処か人間味のなかった以前よりも、多くの余分が見えて。
「手でも繋ぐ?」
「えっと、今はいい」
明かされた真実から考えれば。
こんな風にシロコに気を遣った振る舞いもできる方が、本来の姿なのだろう。
「古代魚か」
水族館で再現された豊かな生態系に目を奪われながら静かな時間を過ごしていたが、あるコーナーでライナの足が止まった。
古代魚の標本だ。今までも遺存種が展示されているコーナーはあったが、そうではなく標本の前で明確に足を止めた。
「生きた化石──化石なのに生きているのか」
「見つけたらいい値段になるかな」
「さぁな。いい値段になる前にこっちがいい値段を払ってるかもしれないが」
非常にらしい会話をしながらも、本題はそこでないとは双方わかっている。何を伝えたいのか? そうシロコが聞こうかと思った時、懐かしい話題から切り出した。
「前に、ホシノを鯨に喩えてたな」
「え? あぁ、うん。でも随分前の話だよ。よく覚えてたね」
「……古代魚ってのは、言うなれば時代に取り残されてなお、何故か生きている奇妙な生物だ。過去でありながら現在であり、現在でありながら未来でもある。彼らは現存しているだけの種なのか。それとも既に現代に適応している種なのか。あるいはその形態として完全であるが故にそこにいるのか」
「別にそういうのはないと思う。ただ、生きている。それだけで全部なんじゃないかな」
生きているならそれで十分ではないか。シロコはそう思う。そこに居場所があって生きているなら、そこに真理とか哲学とかはあまり考えても仕方ない。哲学には終わりが無いから。
生きている、居場所がある、それのなんと尊いことか。それを彼女は痛感しているが故に。
「ここにいる。だから生きている。だから命がある。難しく考えることって必要なのかな」
「いや、それも真理だろうな。存在している以上、それが答え。きっと彼女も──」
難しいことを難しく考えすぎる必要は無い。
生きている、ここにいる、命がある、存在している。それ以上でも以下でもない。シロコは居場所を得て、温もりを得て、人を得て、そう考える。自らが何者であるかはそこまで重要ではない。他者と共に歩いていけるならなんでも構わない。明日と奇跡を信じて歩き続けられることを望むから。
「悪い、湿っぽい話をしたな」
「ううん。ライナ、中々自分の事話してくれないから貴重な機会だった」
「……確かに、話してもいないな。あいつにも、あの人にも……きっと色々気付かれてはいたろうが、自分からってのはあんましか」
確かに自分のことを話したことは滅多に無い。それどころか自分のことさえ不確かなのだからと自嘲する。いい加減に弱みを見せてもいいかもしれない。そんなことが過ぎって、つい心の中に留めていた本音が溢れ出した。
「情けない話だが、自分の事がわからないんだ。いつまでも自分が何処にいるか見つけられない」
「私もわからない。だって私たちは記憶喪失だから。でも、私は砂狼シロコであなたは夏雪ライナ」
そんなことを言い出したら自分もそうだ。だがそれでも自分たちは自分たちで、このキヴォトスに息づく存在である。ならばそれでいい、それだけで十分だと、シロコは呟く。
慰めなどではなく、お互いに最初から孔を抱えているが、その孔を埋めるものはたくさんあり、それはもう埋められているのだから。
「ありがとう。──よし、次来る時はショーをやってる日にしようぜ。二人で見てみたいんだ」
「次回、期待していいんだ」
「デートは一回だけで終わるものでもないだろ? それになんだ、案外楽しいからさ。また来たいって思ったんだよ。あとはまぁ……」
シロコをその気にさせるようなことを言いながら、その本意は──
「イルカショーで水を引っ掛けられてこそ、水族館って感じがしてな」
イタズラ小僧のような笑みを浮かべて告げられるそれ。──素で変人だ。少し呆れながら、二人は次のコーナーへと移って行った。
「なあシロコよ」
「ん、どうしたの?」
「デートに映画はわかる。だがチョイスが銀行強盗をするアクション映画ってのはあんまりにもあんまりじゃないか? いや、良い映画だったんだがデートで見るにしてはこう……」
デートで見る映画と言えばどんなものを想像するだろうか。ライナは案外甘ったるい映画を想像するタイプだった。しかしシロコはガッチガチのアクション映画を選んだのだ。それも迷いなく。別になんだっていいとは思うのだが、そういうのに見向きもせずにとなると流石に困惑はする。
「恋愛映画でも見てしっとりしたかった?」
「んにゃ、まぁなんでもよかったんだが……なんだ、なんかこうびっくりっていうか」
「実はこの前、試しにセリカにオススメされたのを見てみたの」
「そしたら?」
「……途中で寝ちゃって……」
「あー……」
恥ずかしさで頬に赤みが差すシロコ。
キチンと確かめてみようとしたのにどうしても興味持てなくて寝た、ということを言うのは流石に羞恥心というものがある。シロコのそういった、割と脇の甘い部分をよく知るライナは納得してしまう。
「た、多分今まで触れてこなかったからだと思うの! もちろん改めて全部見たけど!」
「要は退屈さが先に来ちまったんだな。で、時間的にも面白さを見出せるようになれないと判断して興味持てる方をと」
「そういうことだから、ええっと見たくないとかじゃなくて……」
「いいさ。俺も何度か見たがイマイチ気が乗らなくてな。ちょうどいいや、今度は寝ていいから普段見ない奴一緒に見てみようぜ」
次の約束をサッと取り付けて、別に寝ていいから二人で興味を持ってみようと提案する。昔からこうだった。一人で上手くいかんのであればとりあえず二人でやってみる。それでダメならあとは流れるままに。で、更にダメなら別な事を。
完全に趣味を理解してくれている、というわけでもないが。しかし付き合ってくれるというのは得難いものだ。誘えば来てくれる。聞けば答えてくれる。何遍も自分より先にバテたのに、それでも横にいてくれる。そういうところがいいのだ。
はにかむシロコとは対照的に、何かが急に引っかかったようで訝しげな表情のライナ。それは水族館での会話、そう記憶喪失という点。
「そういや、俺お前に記憶が無いってこと、話してなかった筈だけど」
「この前ホシノ先輩から聞いた」
「……あんにゃろ、余計なこと教えやがって。そうだ、記憶と名前は無いが知識だけはあった。お前とは逆にな」
近くのレストランでランチをしながらする会話ではない。映画の感想を言い合い、和やかな雰囲気だった場は、ライナの深層に降り積もった澱みの発露で一気に変わってしまった。
「正直を言えば、お前が羨ましかった。結果の塊みたいな俺よりも、名前と存在が自覚できているお前が。あと女だしな」
「気にしてたの?」
「気にしてなきゃアビドスから一歩も動かないことを望まんだろうに」
「みんな案外どうでもいいって」
「俺が自分で自分を追い込んで行くんだよ。それがわかっててなんで外に出る必要がある」
──自罰意識に近いのだろうか?
ホシノもわからない、ライナの根源的な歪み。今シロコはそこに手が届きかけている。
「男なら男でよかった。ヘイローがあるならヘイローがあるでよかった。ヘイローが無い、そして男だ。なら先生と同じように限界点が早くないといけないだろう」
「……え?」
自認がそれであるというのはわかっていたが、朧げに記憶してる筈なのに自分の事を──? ヘイローがあったことを自覚できなかったのか? いや、変だ。
そもそもライナが朧げに覚えている、と言っていたが。黒のヘカを使った戦いは全く覚えている様子もなかった。覚えているのはシロコ*テラーとの会話、プレナパテスの正体、ホシノたちと戦ったこと、シロコと先生を前にしたこと。アイのことは覚えていなかった。
アイの正体を考えれば、そういうことも可能かもしれないが、対策委員会との会話内容を知って、シロコも流石にそういうことができない状態に今はなっているのだろうと推測できる。
ではこんな、都合良く抜け落ちた記憶は、誰にとって──
(……まさか、シロコの言っていたあいつ……?)
何の為に? 何も得が無い。乗っ取るとかそういうことを考えれば絶妙な揺らぎを残すべきだろう。精神的な揺さぶりをかけるならば。これはまるで、ライナを安定させる為に不安要素を検閲しているかのような……
「だってのに俺は見てくれが先生たちと同じで、中身はお前らと同じだった。どっちでもない。その上、名前も無かった。自分という存在を端的に表す記号の欠いた、双方の特徴を持つ、異形の存在。しかも名前以外のことはほぼ完璧に知っていると来たもんだ。辛うじて戦えるどころか結構やれたし。そんな俺が他のところへ行ってみろ、狂い死ぬぞ」
「ライナは、何が嫌だったの?」
「大人なのか、子供なのか。生徒なのか、そうでないのか。人なのか、神なのか。全てに該当して、全てに該当しないのが嫌だった。そうだな……シロコ、蛇を想像してくれ」
はっきりしない状態が嫌だが、そのはっきりしない状態とは何か。それは複雑怪奇にもつれた自分。
「その蛇は鏡を見ると、翼を持ち空を飛ぶことができる竜として空に映っている自分を見るんだ。で、視線を自分の身体に落としてみれば四本の足で大地を踏み締めて歩く竜として映る。自分は地を這う蛇なのに……と考えながら水の中で呼吸できる事実も知っている。そして自分はどの生き方をしても、異なる自分が見ているから、魚でも恐竜でも御伽話の竜でも蛇でも、とにかく何か一つ自分の零を得たい。そんな感じだ」
どの道を歩いても違う道の自分が見つめてくる。
真下を見て映るのは今の自分の身体ではなく異なる自分の身体。鏡の中の自分は全くの別物。頭の中の自分も全くの別物。常に自分が自分を見つめてきて、自分と呼べる何か始点となるものが欠けたまま、全ての自分が途中まで進んでいる。
それが嫌で嫌で仕方ない。
「ライナはライナだよ」
「あー、いや、まぁそれはそうなんだが……」
「それ以外の何者でもない。他に言いようもないよ。みんなに聞いてみたら、それぞれ違うライナは出てくるけど、私たちにとって、ライナは最初からライナだよ」
「考え過ぎなんだろうってのは思うけどさ。ふと、たまに過って。忘れた頃に湧き上がるんだ。幻肢痛のように、痛む古傷のように」
零が無い。
一から始まっている事を自覚してしまっているから、零を欲する。
ライナは常に一だった。名前と記憶が無いのに知識がある。その上で十であり百であり千である。だが始点となる零が、本人の中にも外にも無い。これはアビドスの外に出れば狂うだろう。アビドスの中でなければ零を実感できないのだから。
原初に名前を持たず、完成されて出現したとしか表現できない自分。それは確かにそうなるしかない。シロコだってきっとそうなってしまう。
だからそれを支えたいとも感じる。ゆっくりと時間をかけてでも──
「ジャンク屋たぁね」
「ん、買い物だよ。ありがちな展開」
「色気がねえ」
その後二人はジャンク屋を訪れていた。
確かに買い物、デートでは典型的な展開だ。だがジャンク屋に行くというのはどうなのだろうか。得意げなシロコを見て、それはどうなのだろうかという感想を抱く。さりとてこういう場に来て心踊るのも確かではあるが、自分だけ楽しくてもつまらない。
そんな態度が見えれば流石にシロコも不思議に思う。
「ライナはアクセサリーとか買いたかった?」
「デートってなったらそういう可愛い店行ったりすると思ってたからさ。お前も割と好きだろ、細かいアクセサリー。ピアスだって付けてるし」
「私はいいけど、ライナはあんまり興味無いじゃん。あんまりらしくないところに行ってもつまらないかなって」
「らしくないことねぇ。やりたいようにやってみたらいいんじゃねぇか。俺らは自由なんだ、他人からどう見えてようが自分がそうするって選んだことなら掛け値無しに本物だろ。つまらない、面白いは終わった時に決まることさ。好きに巻き込めよ」
らしくないことなんかない──そんな言葉にシロコは目を輝かせた。好きに巻き込めよ、という言葉にもだ。
「ん、じゃあ遠慮なく銀行強盗にも巻き込んでいい?」
「……ホシノに睨まれないラインで頼むよ」
「やったっ。ねぇライナ、今度さ。実際襲ってみない?」
「あー……先生に相談してみような。もしかしたらセキュリティ訓練とかでやらしてくれるとこあるかもしれないし」
……そういやどっかの学園から銀行の警備システムをチェックする為に模擬襲撃を行って欲しいというとんでもない依頼がシャーレに来ていたような……来ていなかったような。シャーレの名声も高まった影響か、あちこちの妙ちきりんな依頼も増えてきている。復興支援で今は沈静化しているが、これからも割とどうでもいいような依頼が増えていくことになるだろう。
そんなことを思いながら、商品を眺めていて見覚えのある物が多く目に付く。そこでようやく気付いた。
「ん? 待て、この防塵用装備……アビドス方面に戻ってないか? 時間的にもまだまだ余裕あるし、何か予定を一つ飛ばしてそうな気がする。大丈夫か?」
「いい。予定通りだよ」
──実際予定通りだ、シロコはわかってここを目的地とした。最後に向かうべきところはアビドスのとある場所なのだから。
「お、結構状態いいなこのAR。前弄ってたヤツはほとんどホシノに没収されたからな……」
「そんなことあったの?」
「あった。まぁ先生が来たばかりの頃。変に誤魔化した俺も悪いし、オキニの個体は手元に残してもらえたんだが。昔は銃の弄り方も知らなかったお前が、いつの間にやらあれやこれやと自分でやるようになったもんなぁ。ホシノとノノミのお下がり持たせてもらってた頃とは大違いだ」
整備していた物の大半はホシノに持って行かれてしまった。その事そのものには異議を挟むつもりはない。手元に残るものは寂しくなってしまったが、あの場でややこしい言い草をして、余計にホシノを怒らせたのは自分なのだからと。
まぁ売るなら売るで自分の許可を取ってからにしてくれ、とは言った。そしたら廃校対策委員会の共用装備とされたのは、中々困ったが。
確かに小鳥遊ホシノであれば十全以上の戦闘能力を発揮できるような、無駄も無く調整された武器が手元にあるなら、やれる仕事が増える。彼女たちにとって自分の銃とは日用品、スマホのようなものだ。そりゃあ彩るし遊ばせもする。完全に遊びの無い武器はキヴォトスで探してみても案外少ない。もちろん数で言えば多いのだが、比率の問題でもある。
「あれはあれでちゃんと大切に取ってあるし、きちんと整備だってしてる」
「あれ、結局お前が持ってたんだ。返したのかと思ってたが」
「そう思ってたけど、あげた時点で私の物のつもりだったって。そろそろホワイトパーツに組み替えて刻印付きにする予定」
アビドス生の銃は各々の好みのカラーと、そしてホワイトパーツで組まれているのが基本だ。別にそういうものでないといけないというわけでもないが、ホシノがそうしているからそれに倣って、という理由である。
ホシノにしてもあまり意識はしていない。元々入学に際して校章の刻印を入れただけで、あとは好みの物を出してる店のパーツで組んでたら色味がそうなっただけだ。
ノノミもシロコも同じ店で気に入った銃のパーツを調達したらそうなり──なんか一体感出ていいんじゃないかということでセリカもアヤネもそうなった。本当にそれだけの話なのだ。
「ライナもお揃いの作ろうよ」
「お揃っちのねぇ。何なら手に馴染むかな。デカくてゴツい奴の方が好きだから……手元にある奴で考えるか。パーツ供給してないと面倒だ。自作したっていいが、あれはあれで手間だし」
「できるの?」
「機材は貸してもらうことにはなるけどな」
なんでか知らないができる事、そればかりだとボヤきながら購入する品を手に取り、会計へ持っていく。
今度なんとかして一本作ってもらってプレゼントにしてもらおう、そう画策するシロコだった。
最後に向かった先は、アビドスのとある場所。
──何でもない、ただ空がよく見えるだけの場所。高い所にあるだけの、人気も少なく、店も家もあまり見ない。そんな一角。
ライナにとってもシロコにとっても、そこはよく知る場所だった。
「ここか。終点に選ばれるとは光栄と言うべきか」
「思い出の場所だからね、私たちの」
二人の仲が改善して、シロコが自転車を漕いであちこちに行くようになった頃のこと。
ふとライナは趣味の天体観測にシロコを連れ出した。天体観測と言っても望遠鏡を覗き込むような本格的なものではない。双眼鏡を使うとかでもなく、ただ夜空を眺めるだけ。
『……夜が好きなんだ。昼間は太陽しか見えない。ずっと孤独だ。でも夜は太陽に照らされる者も、太陽が無くても照り輝く者も見える。夜は孤独な存在が、孤独でなくなる安堵の刹那』
二人の間で交わされた会話も大したことではない。
『シロコ、お前はもう昼間の太陽じゃない。みんなと一緒にいる、夜の星だ』
『ライナは?』
『俺? ……昼間の太陽だ』
『ホシノ先輩は、月になれないの?』
『そういう意味じゃない。確かに俺も夜になれば周りに人がいるってわかるさ。けど、違うんだよ』
もう一人じゃないから、というなんでもない言葉。野良犬なんかじゃないよ、と素直に認めた証拠。でもそんな言い方が気になって、ずっと視線で追いかけて──恋の始まりはそこだったかもしれないが、はて実際はどうなのやら。
始まりを回想した二人。そしてライナは意を決した。ここまで来て恥をかかせるような男では在りたくないというちっぽけなプライド。それに従って彼女の心に踏み込む。
「なあシロコ。お前、俺の事──」
「わかっちゃった?」
少し恥ずかしげなシロコを見て、胸は高鳴る。だがそれはどういう高鳴りであるかはわからない。単にしおらしいから可憐と思うのか、それとも無意識に募っていた想いが通じ合っていたことの喜びなのか。何一つだって。
「最近、急に気付いたんだ」
「そんな気はしてた。バレてるんだろうなって」
こういう展開になることもシロコは予想していた。相手が完全になったんだ、バレることもあるだろうと。むしろアプローチに反応しなかった今までが本当に異常だったのだから。
包み隠さず想いを見せたシロコに誠意を欠かさぬよう、ライナもまた自らの迷いと困惑を隠すことなく告げていく。
「わからないんだ。俺はどうなのか。少なくとも、満更でもない。でもそれだけなんだ。そこから先が浮かばない。じゃあ俺はどうなのか、一番大切なところが。そりゃあ満更でもないなら、向き合う中で発展させていけばいいのかもしれないが──それで違うってなったら、お前に何と詫びればいい?」
「ん。その時はその時だよ、ライナ。私がライナを好きであることと、ライナが私をどう思っているのかは全く別なんだから。私を選んでくれたら嬉しい。でもライナにだって選ぶ権利はある。でしょ?」
微笑むシロコとは対照的に、ライナは苦悶の表情だった。
選ぶ権利があるのだし別に気しない──いや、確かにそうなったら悲しいし苦しいし嫌なのだが、それもまた恋の行方としてはまぁ……そういうこともあるだろうとは受け入れられる。
だからシロコはこう告げるのだが、ライナにとってはそうでないようで。満更でもないと浮かれているが、それだけしかわからない自分が今想いを受け入れたところで、向けられるものに応えられるかどうか、そもそも一歩進んだ関係として相応しい振る舞いができるかどうかがわからない。
単に浮かれているだけ、可憐な少女に好かれて嬉しいだけ、欲望が満たせそうで踊ってるだけ、現実がそうならばライナはそんな一時の感情や邪な欲求だけで受け入れる自らを決して許さない。
彼にとって特別に位置する少女が、初恋に相応しい大人の男ではなく、そのようなふしだらな男を好いたことがあってはならないのだ。浮かれて受け入れた後に待つ現実がそんなものなら、ライナは自らをシロコをまやかした塵屑として、憤怒と憎悪のままに殺し尽くすことを視野に入れてしまう程にその可能性を拒絶する。
「今すぐに答えを出すのは、流石に難しいよね。だから私は待ってる。ライナが私の気持ちにどう答えるのか。でもできることなら早くしてね。でないと──」
元々自分の好意がバレようがバレまいが、シロコにとっては好意を示すことに何ら変わりないのだ。むしろ相手が気付いてくれたのだから結末までスムーズに運べるだろうし、相手だって変に思い悩み過ぎたりはしないだろう。拗れない分、よっぽどいい。
だからシロコはもしも手に入らないとなった時のことを、冗談めかして年頃の少女らしく、しかしそれ以上に彼女らしからぬ貪欲さで、花の咲いたような笑みで告げるのだ。
「ライナのこと、襲っちゃうから」
「冗談でしょ?」
「ん」
「……ど、どっちにしろ真剣に考えて可及的速やかに答えを導き出すよ。どっちにしろ、お前を待たせ過ぎているのも事実だからナ」
冗談か本気か。
自分の事もわからないが相手の言葉の真意がわからない少年は、一切の動揺を隠さずに自らの心中を確かめる事を約束するのであった。
「……なるほど。こっちだとシロコが先で、ライナが後なんだ。他の異なる点は──アイって言ったっけ。ライナと同じヘイローと、同じ力を……」
思い返してみれば。
見ての通りとか言っていたような。俺が与えたとか言っていたような。
「……もしも同じ存在だとすれば。個人を複数に引き裂いて、異なる立場から色々していたのなら、納得は行く。真実を知る自分を分離させて、何も知らない自分だけを残す。そして知る自分には適度に餌をチラつかせて他者に伝播、知らない自分と共に追う事で理解度を常に一定のラインでコントロール……それなら、パンクすることもない」
他者に伝えられない情報を流し込まれたらもうどうしようもなくなる。それを避けるには漫画や小説のように順繰りに伏線を張ってみんなで考察できるようにしていくこと。そうすれば誰かが正解に近いものは引けているだろう。
一気に自分の手に負えず、また伝えても何も解決しないような情報。それは絶望的な現実に等しい。
「……そっか。ライナは、全部持っていたから言えなくなっちゃったんだ。全部持ってるから先に自覚して、先に気付いて、どうしようもなくなって雁字搦めに……伝えることもできなくて、背負い込むしかなくなった。あの日記に書いていないことも、本質的な部分も多分知っちゃって」
ホシノと戦った時に羅列されていた様々な言葉。あれは本質に通ずる部分なのだ。そして憤怒と憎悪もまた……シロコ*テラーだって反転する前の生活の中で死の神たるを自覚してしまえば、言ったところでどうしようもないし、そんな悍ましい自分が想いを募らせることは好ましくないと思ってしまうだろう。
……俺は彼女に相応しくない、あの日記に書いてあった一言。その真意はおそらくそれだ。
──彼女が悪いわけでもない。
──誰かが悪い訳でもない。
強いて言うなら、ただ間が悪かっただけ。受け入れられなかったのではない。心はすれ違ってなどいなかった。想いが実らなかっただけで。
伝えて欲しかった、それでもと伝えるべきだった。渦巻く想いが彼女の表情を曇らせて、そして根本的な疑問に突き当たる。
「でも、どうしてアイってもう一人を作れなかったんだろう? 何か大きな違いが、絶対に一つあるはずなんだけど……そういえば、あの銃が……?」
噂程度には聞いたことがある。
キヴォトスには特殊な存在を討ち滅ぼす特別な銃が存在すると。本人に紐付かない力であれば、有無が明暗を分けることもあろうものだが……彼女のライナはそんな銃を手にしてはいない。
思い出す、あのボルトアクションライフル。マガジン式の古いモデルで、マガジンの大きさから推測するに狙撃に使われる弾丸を採用している。オプションも装飾も無く、無地で無骨な、誰が何のために用意したかわからない武器。
そのまま、というのはあまり考えられない。キヴォトスの銃器事情を考えれば手に馴染む様に改造するなり自分好みに彩るなりはするからだ。例えそれがほんの些細なことでも。
それを使うこと自体が所属を示す場合や、そもそもカスタムされて生産されている物はまた別だが。
だがあれにそんな様子は見られなかった。
ならば──
「……あれが一番の違い」
それが何なのか。皆一様に同じ疑問に突き当たる。『剣』とはなんであるか、それだけは絶対わからない。『剣』について知っていて、かつそれを十全に説明できるのは……
しかし彼女は感じている。あれが大きな違いで、そして自分と同じ理解度の先生を元としているプレナパテスが、自分の知らないところで連れてきたというならば。
「あれは、色彩と関係しているんだ」
間違いなくあの銃は。あの『剣』は。
色彩に通ずる何かである。
しかし、ライナには零が無い……尾行していた中で初めて知ったその真実。
零が無いことを苦しみ、零を欲しがる。幻肢痛のように蝕む消えない宿痾、忌々しい鎖。『彼』が最後、語っていたことと似ていて。
そんなこと、ある筈がない。
あっては、いけない。
そんなことだけは……