青い春に馴染めない黝の星 作:うへうへ学生
「──私だよ。入るね」
ある日。
脅されるような出会いからしばらくして。自分の意思で入学を決めた時。ノノミはホシノに連れられて、ある家を訪れていた。
ホシノの声に反応して、幽鬼のように部屋の奥のソファーに倒れている人間がのそりと起きる。
腰まで届く長ったらしい髪。表情は伺えず、ただ悍ましく伽藍堂のような雰囲気を纏ったその人物。
服を着るのも面倒だったのか、上裸のまま。ただズボンだけは履いていた。
光の無い銀の両目がノノミに気付いて、ギョロリと動いて値踏みをするような視線が注がれる。
「……誰だ、それ」
「この子は──新しくできる、私と君の後輩だよ」
「……後、輩……? 今更? はははっ、ははははは……」
乾いた笑い声が響いた後、ライナは静かに告げた。
「少し、外で待っててくれ。気を回せるようにするからよ……」
今更。
何もかも今更だった。身なりが良いということは、大方良いとこのお嬢ちゃんなのだろうが──もうどうでもよかった。ただどう接したらいいかよくわからず、自分の中に燻る怒りと憎しみが出てきたら嫌だなと思って。
色々なものを思い出してしまう自分の顔を忌々しく思い、ナイフで髪をばっさりと切り、そして彼は、ユメの猿真似をすることにした。
見てきたユメを自分なりに解釈したホシノとは、対照的に。
「や、さっきは見苦しい姿を見せたね。初めまして。俺は夏雪ライナ。ちょっとしたアビドスの居候さ。君は?」
結局二人とも、中途半端だったが。
「ホシノ先輩、ここにいたんだ」
「心配だから追いかけてきたの?」
「うん」
「うへー、信用無いなぁ」
「ん、自分の行いを思い出してみるべき」
「おじさんが悪かったよ〜」
フラフラと何処かへと歩いて行ったホシノだったが、結局シロコは心配で追いかけた。
信用が無いとお互いに以前のことを引き合いに出しているが、そうやって惚け合わないと少しも頭が回らなさそうな気がしてならない。こうやってふざけあうことこそ、二人が今の問題に悩んでいる証明だった。
「生徒会長のこと、だけじゃないよね。ライナのことも」
「おじさんの知らないユメ先輩と、おじさんの知らないライナ……急に来て、さ」
シロコにはユメのことはわからない。ただあのライナが凄まじい反応を示し、不可解な死を遂げたら暴走するような大切な相手。そしてホシノがこんな風に動揺し、崩れ落ちてしまうような大切な相手であることは容易に理解していた。
そんな相手が残した謎多き契約と、その契約を訳のわからない知識で虚偽だと断言してしまった親友。ユメの死に関しては噛み砕いていたし、もう少し時間があれば焦ることもなかったが、ライナの豹変に関しては別だった。
一人で死を背負っていたら、より極端な選択となったろう。だが友がいることでその負担は軽減され──しかし友の異常が結局は負荷となる。多少マシだが、それでもホシノの精神的な負担は大きかった。
「先輩、聞いて。シロコの態度からわかるけど、ライナはあの騒動の時から彼女の知るライナだった。だから私たちが知らないライナなんかじゃない。先輩なら絶対知ってるライナだよ」
だからこそシロコは、今のライナはシロコ*テラーの隣に立っていた時からそうであり、彼女が知っているライナならば、自分たちの知るライナであり、ホシノの親友であるライナと代わりは無いと言葉にする。
正直を言えば、恋焦がれた相手の最も過激なところと謎多きところを同時に見せられて、シロコも少し参りたいところだったが、しかしそんなものはシロコ*テラーが一度に味わった苦痛と絶望に比べればなんてことはないと、グッと堪えた。
彼女がライナと認めたならば、それは自分のよく知るライナであり、知らない部分というよりも、今まで表に出てきてなかった部分が強烈だから錯覚してしまいそうになるのだろうと。
「……知らない。大人みたいに考えて、訳のわからないことを言うライナは、私は知らないよ。怒り狂った姿ならまだわかった。でも、あれは──」
だがホシノの知るライナは、少しだけ違う。
自らの謎に押し潰されそうな不安を抱えながら、それでも二人で手を引っ張れば年相応に明るく振る舞う直情的な少年。いつも落ち着いて俯瞰してくれて、困った時は一緒に立ち向かってくれる親友。
そんな相手がホシノが嫌悪する悪い大人たちのような悍ましいやり口をして、憎たらしい黒服のようなことを口走っている。──それは彼女の考える彼の姿とは別だ。普段の姿とも、怒り狂って暴れ回った姿とも、アトラ・ハシースで見た姿とも異なる。
「冷静に考えて。宇宙船に、もう一人の私と先生、ビナーやペロロジラ。このキヴォトスって意味わかんないものばっかりだよ。だから、きっとライナもこの中に入っていられる。先輩が怖いって思うライナなんか、絶対にいない」
「そう、なのかな」
「きっと中にいるっていう『あいつ』含めて、ライナは私たちとそう変わらない人なんだよ」
──『あいつ』。それはライナの中の真実であり、アイが言うにはもう一つのライナ。
正体不明の存在であり、突如として明かされた秘密であり、触れてはならないもの。今のホシノは、ライナの核心に触れてはいけないという奇妙な感覚がない。本人もその時が来たんじゃないかとは思うが、しかしモヤモヤとしたものは感じる。
「シロコちゃん。ライナの中にもう一人がいるらしいね。そのもう一人は、もう一人のシロコちゃんの世界のライナにもいた。そしてこっちの世界にも。……そいつはなんでライナと分かれてるのかな」
「わからない。でもアイが──もう一人のライナが言うには、見るな呼ぶな触れるな、だったよね」
「うん。じゃあライナはどうしてライナなんだろう。……おじさんたち、結局はあいつのこと何も知らないや」
「それは違うよ。だって私たちが知ってるライナって、何も知らないライナだよ? きっと私たちが見てきたものの中に、本当のライナはあると思う。先輩がライナとアイの共通点に気づいたように」
考えれば考えるほどわからないが、問題はきっとそこではない。
今まで何も知らないライナを、全てを知っているライナであるアイが見せ続けてきた理由が、何処かに必ずあるのだ。そしてアイとライナが同じ振る舞いを見せているとわかったのならば、今までのライナの中にも、完全なライナはきっとあったのだ。
敬愛する背中を模した仮面を被り切れなかった時の、素のライナと接していたシロコは確信している。
「だから何も知らないなんて嘘だよ。私たちはライナのことを知ってる。ホシノ先輩。ライナは怒りっぽくて、乱暴で、人見知りで、けど優しさも確かにある人だって、よく知ってるでしょ」
対策委員会は既に、ライナという人間をよく知っているのだと。
「……そうだね。優しさを向ける範囲が狭いけどね」
それはホシノに言えたことなのだろうか、とも思った。まあ自分も似たようなものだから言わないのだが。
「きっとライナは、蓋を開けたら案外単純なのかもしれないね。もしもシロコがここにいてくれたら、何があっても安心なのに……」
真実と唯一出会った存在、彼女さえいてくれたらと思ってしまう。
彼女は完全なライナとずっと接していた。彼女ならば本当のライナをよく知っている筈。
異なるとはいえ自分だからか、シロコの中の可愛らしい恨み節が少しばかり嫉妬の表情と共に現れる。
「何やってるの……私のライナを取ってくくらいにはそっちのライナが好きなのに……でぶシロコのバカ……」
「ま、まぁまぁシロコちゃん」
──でぶシロコて。
ホシノも、あの漆黒のドレスを纏った大人びたシロコを思い浮かべて……確かに肉付きよくなってたよねとか思ってしまう。
ちょっと想像する、大きくなった他の自分がなんか色々知ってて、どっかに潜伏している状況。でかホシノとか言ってみたり……いや、それはダメだと。一女の子として、それを認めるわけにはいかないと、シロコの可愛らしい悪態は仕方ないと思った。
──相対的に自分がチビ扱いは嫌だ。
落ち着きを取り戻しては来たものの、靄がかかったように思考はあまり纏まらない。恐らく今の自分は混乱し過ぎている。そう思えるくらいには戻ってきたが、それではこの滅茶苦茶な事態で役に立てそうもない。
元より頭を使うのは割と苦手だが、今日ばかりは様々な感情が渦巻いて更にダメだ。そう自覚したホシノは、申し訳なさを隠さない表情のまま告げる。
「ごめんシロコちゃん、もう少し思い出巡りしてくるね。今日はちょっと……明日、必ず行くよ。流石に落ち着きたいからさ」
「一人で平気?」
「大丈夫。それで、ライナは?」
「手帳を探すって言って何処かへ」
「ユメ先輩の家か私の家かのどっちかだね。シロコちゃんはどうするの?」
「みんなともう少し、色々と探ってみる」
使い物にならない自分よりもいいだろう。
それにみんな強い子なのだしとホシノは全面的に信じることを決定した。
「ホシノ先輩、また明日。みんなには言っておくね」
「また明日、シロコちゃん。おじさんのことはあんまり気にしないで大丈夫だからね」
心配そうなシロコを見送り、ホシノは天を仰いだ。
(偽りの契約書と金……ライナが言うなら、間違いないんだろうけど……)
あんなに優しい子たちを、今更訳のわからない渦に巻き込んで弄ぼうとしているこの現実。不条理なこの世界が敬愛するユメを弄んだ現実にもうんざりしていて。
その中でふと、とある出会いが思い浮かんだ。
ゲヘナ風紀委員会の委員長、ヒナ。
ライナと自分とユメを、一方的に見ていた部外者。
(……ずっと見てた? あいつらは、ユメ先輩を、見殺しにした? 関係無いからって?)
歯軋り。
(……何が、一方的に見てたのは承知の上、だ。何が、答えてくれてありがとう、だ。損得で私たちを監視してた奴らが、何を関係者ヅラして──!)
今日来たあいつらと、何も変わらない存在。
抑えていた心の箍が外れていくような感覚。溢れ出る怒りと憎しみ、何故自分たちだけがこのような苦痛を愛さなければならないのかという絶望。憎悪と憤怒が入り混じる嫌悪と軽蔑の螺旋が、ホシノの思考を貫く。
親友と先輩が苦痛に嘆いている時、いいやそれ以前からずっとただ眺めていた存在。自分たちの悲嘆を肴に、ずっと見物していた存在。
それは小鳥遊ホシノにとって、何がなんでもぶちのめしたい相手だ。よってそれがどのような事情を抱えていても──自分の聖域を、見世物として冷たく見つめていた"異物"である。そんなものを、どうして憎悪しないなんてできようか。
刹那、冷たく、しかし何処か暖かい風が頬を撫でる。
「……ユメ先輩……?」
何処か懐かしい香りのするその風が通り過ぎる時。憤怒と憎悪はまるで理由を失ったように静まっていた……
学校へ戻ってきたシロコ。
相変わらず全員で契約書を眺めているが、その周りには様々な資料が置いてある。いくらライナが虚偽と断言しても、その根拠は誰にも意味がわからないもの。
結局正面から立ち向かう以外にない。散らばった資料は、そのための方法を探すだけでなく、資金繰りに関するものも多かった。
「おかえり、シロコ先輩。ホシノ先輩はどうだった?」
「ん、今日は流石に疲れたって。明日は必ず来るって言ってくれたよ。セリカが心配してたことはなさそう」
「よかったぁ……ホシノ先輩には前科があるからどーしても心配しちゃうのよね」
セリカのなんとも言えない表情は、この場にいる全員の総意だった。
前科があるし、あんまり教えたくない事なのはわかるが若干秘密主義なきらいがあるし。
「でさ、ライナ先輩なんだけど」
「ライナがどうしたの?」
「成果無しだからアビドス砂漠行ってくるって」
「……この時間から?」
「うん。まぁ何かあったらアイが来てくれるでしょ」
妙ではあったが、もう一人のライナであるアイも何処かで見守っているだろう。彼女が来ないということは自分たちだけでどうにかできるということなのだろうし、危なそうなら本体であるライナを守りに来る──そう考えることは不思議ではない。
"(……アイ)"
"(策は順調だといいんだけど)"
実際に何をしているかは先生自身も知らない。知っていると『彼』が対策をする可能性がある、と先生も考えているからだ。アイと腹を割って話したことは極めてシンプル。
何処かで必ず『彼』は現れる。
そして『彼』が『彼』である限り、死力を尽くさねば退けることもできない。
自分はその助力の為の準備や状況を整えるが、決して上手くいくとも限らないし、覚醒が早ければ間に合わないかもしれない。
──もしもどうしようもなくなったら、然るべき資格を持った者に力を与え、ライナのヘイローを確実に破壊する。
アイはその為に、ライナをライナとして確実に認識できるヒフミと便利屋68を使って、かつて失われた遺物の欠片を掻き集めている。
だがアイとはライナである。
恐らくは策に関してまだ言っていないことがあり、そしてそれを言ってしまうと上手く事が運ばないからという可能性もある。
先生という存在は様々な物事に大きな影響を及ぼす。本人としては不本意だが、そういう事実があることは否定し切れない。
ゲマトリアと同じ視点を持てるアイがそのようにするのだ。何か意味があるのだろう。
「正直気乗りはしないけど、手がこれしかないのも事実だし……ねぇノノミ先輩、こういうやり方はあんまり良くないんじゃないかな?」
──シロコが戻ってくるまでに砂漠横断鉄道について調べてはみたが、しかし何もわからなかった。だからこそノノミは、ある一手を提案した。
「あの事業に関してはネフティスが一番情報を持っています。しかもオンラインデータの大半が失われている……直接やるしかありません」
「でも、素直に答えてくれるとも思えないわ。だってノノミ先輩って実家飛び出してここにいるんでしょ?」
「ええ。ですがネフティスにもネフティスの考えがあるのは明白です。だったら、向こうの藪を突いて蛇を出してみるしかないでしょう」
「自分を餌にするようなやり方は褒められたものじゃありません。それやってやらかした人が身近にいるじゃないですか」
「ん。誰に似たんだろう」
"ふ、二人とも心配し過ぎだよ"
"過剰な釘刺しじゃないかな"
「あ、あくまで物は試しですから! 私用の連絡先……繋がるかな……」
それはネフティスの執事に直接連絡を取ること。まともに取り合ってもらえないのも想定の上だ。だが何もしないよりかはマシである。引き出す言葉によっては、それ自体がヒントになるかもしれないのだから。
『……お嬢様』
「執事さん……」
『二年ぶりですね。お変わりありませんか』
「はい。元気にやっています」
『そうですか。それはよかった。私個人としては、あなたがお元気であるならば何よりです』
連絡は繋がったどころか、穏やかな対応だった。執事はノノミを邪険に遇らう訳でもなく、その生活が安定していることに胸を撫で下ろしているようだった。
しかし次の瞬間、それは一変した。
『どういうおつもりなのかは想像がつきます。ですが、それを尋ねるならば私も態度を変えなければなりません。お嬢様、それだけはご承知ください』
声のトーンが変わる。
私人ではなく組織人として。
「──砂漠横断鉄道。今回の件でネフティスは何を企んでいるんですか。それに私募ファンドも……」
『存じてはおります。しかし、常々非難しておられたあなたが、今更こうして尋ねるなど』
「……私はアビドスの生徒で、そしてネフティスの関係者です。知る権利と、学校を守る権利はあります」
『学校に関してはその通り。しかし今ネフティスの諸問題に首を突っ込む権利はない。出奔した身なのを忘れてはいないでしょう』
ここまでは想定通りだった。
しかし次いで放たれた言葉は、ノノミたちの想定外そのものでもあった。
『社は、二日後の総会で存亡が決まる程の危機的状況です。──明日、そちらに直接お伺いします。今日はもう遅いですから、詳しいお話はそこで』
やはりネフティスにはネフティスの企みがあり、私募ファンドとは足を踏み合う関係というのは確定したが。
『それと理事会の意向として、限度額を引き上げたカードを用意しました。交換せよ、とのことですので現在使用しているものをお忘れなく。それでは、失礼致します』
訳のわからない、珍妙な決定事項も告げられて、一同は困惑するしかなかった。
……クレジットカードを? このタイミングで交換? 極めて怪しい発言を一方的にされても備えるしかなく、ここで解散となった。
(……あるわけない、か)
──砂漠を彷徨い歩くライナ。
ホシノならよくわかる場所にあるらしい手帳。
元はユメの家だった場所を探しても見つからず、ホシノの家にあるわけもないと知ってるから行かなくて。
結局、ありもしないアビドス砂漠なんかに足を運んでいる。
「……夜も朝も砂漠は死を運ぶ。灼熱の風と荒涼の風が螺旋を描く。この砂漠も、吹く風も、何も変わっちゃいない。ただグルグルと回り続けているだけ。アビドスだって……」
誰もいない砂漠で小さくぼやく姿は、孤独そのもの。満天の星空も、冷え切った砂漠も、彼を歓迎することはない。
(……正直最近、寝たくない)
最近、眠ると毎回同じ夢を見る。
そこにはユメが変わらぬ姿で現れて、自分に優しく語りかけるのだ。
怒りのままに母の首を刎ねて、憎しみのままに目を抉って、そして世界を壊せと。
告白を保留し続けているのもそれが原因だ。
(断りたくない。シロコを受け入れたい。が、この夢をどうにか見なくならないと、俺は……彼女への愛を、探せない)
何故そんな夢を見るのか。
理由を探しても探しても見つからない。怒りと憎しみを再燃させるこの一件の前からずっと見ているから。
(こんなの、ユメ先輩に対する侮辱だぞ。何をそんなに……)
ユメ先輩はそんなことを言わない。あの人は優し過ぎるから。
ならば自分が言わせていると結論付けるのもそう変な話ではないのだが、しかしそれにしたって何もない時からずっと見ているのである。
(砂漠横断鉄道の一件、確かに胸糞が悪い。そして反吐も出る。カスばかりの連中だ。こういう感情も出て当然だろう。ただ自分でも不思議だ、それ以前から見てるんだぞ)
冷たい風が吹き荒ぶ砂漠に足を運んだのは、それくらいしないと自分の頭が冷えないと思ったからというのもある。
(俺は何に怒っている、俺は何を憎んでいる。ユメ先輩に言わせているものはなんだ)
理由がわからない。
何か怒りと憎しみを再燃させるものに、自分は既に出会っているようなのだが……
「帰ろう」
流石に寝ないとまずい。疲労の回復には睡眠しかないのだから。
夢もまた見るだろうが、やむを得ない。
迷いなく、澱みなく、コンパスすら見ずにライナはアビドス市街地へと戻っていく。
その内に、憤怒と憎悪を燻らせて。