青い春に馴染めない黝の星 作:うへうへ学生
「え、ケンカしたんスか」
「うん……でも、ホシノちゃんの言ってることも正しいからさ」
「そうですかねぇ。正論ってのは論としては正しくとも言葉としては正しくない時があると思いますよ、俺は」
「違うよっ。私は優しいホシノちゃんにあんなことを言わせるような現状は──!」
「ま、お互い頭冷やしておくべきでしょうよ。大変なのは事実なんですから」
「ねぇライナくん、ホシノちゃんの方に行ってあげてよ。私は平気だから」
「あいつに俺がついても八つ当たり先にしかなれませんよ? それに俺が先輩についてりゃ、あいつだって安心して頭冷やせますって。ほら、居心地悪いなら気晴らしにちょっと違うとことか探検しましょ」
「……うん、お願い」
「うぃーす。……あれ? 誰もいねぇ。ホシノー? ユメ先輩ー?」
「ライナ。先輩が……こんなの、残して」
「──は? なんで、昨日までは……!?」
「家にも、いなかった」
「どういうことだ。二人で探そう!」
「うん。会ったら、謝らないと──」
「……二人で叫びながら探して、結局これかよ……」
「……どうして、なんで、私が、あんなこと言ったから──?」
「……違う。絶対違う。気楽に考えていた俺が悪いんだ。もっと早くに二人に腹割って話させてたら……俺が、真っ当な存在なら。俺に力があれば。俺が二人に甘えなきゃ……」
「ライナ、私が……私が……!」
「何も、言うな……何も……」
失意のままに彷徨って。
失意のままに思い出を辿って。
失意のままに空振って。
そうして日々を空虚に探し続けて、ホシノの心が完全に朽ちてもライナは動き続けて、たまたま不良の溜まり場を通りかかって。
「そういや見かけないな。アビドスに残ってるって奴」
「もしかして逃げ出したとか? 弱いくせになんかよく吠えてたーとか言ってたよな」
「飼い犬に捨てられて惨めに死んだんじゃね〜?」
たまたまだったのだろう。本当になんでもない談笑だったのだろう。
だがそれは致命的に逆鱗に触れる言葉が使われていて。
──ライナは人間であろうとする心を、捨てた。
「な──っ」
驚愕した瞬間にはライフルによる打突が不良の胴体を貫く。談笑していた仲間が突然吹き飛ばされて、その先には怒り狂った形相の、ヘイローを浮かべた男がいるのだ。訳がわからない。
「望んだのか。お前らが死を望んだのか。ユメ先輩の死を望んだのかァッ!」
叫びながら銃床で殴打し、逃げようとする不良は膝関節を撃ち抜いて跪かせる。
暴力の化身のような存在がいきなり現れて殴りかかってくれば誰も冷静ではいられないだろう。
「な、なんだよあんた!? 急になんだ! 私たちが何かしたかよ!?」
「……疑わしいこと言ってんじゃねぇよ屑が。てめぇらが殺したのかと思った」
「わ、わかってくれたなら……」
「でも隠してる可能性がある以上は全部吐けよ」
「知らない、知らないって!」
「話にならねぇな。じゃあお前からだ」
近くにあった標識を引き千切り、その薄い鉄板をゆっくりと指先に近づけていく。
「答えろ。でないと爪を剥がす」
「本当に知らないよ! だって来たのは最近で、残ってる奴も噂くらいでしか聞いてないのに!」
「じゃあ知った被ったことを抜かしてんじゃねぇ、屑が。で、お前は?」
「お、おんなじだから──がっ!?」
「自分の言葉で話せ」
「しっ、知らない!」
「お前」
「ぜ、全員に聞くのか……!?」
憤怒と憎悪に支配されたライナは、その場にいる全員に拷問のような尋問を行い、それが全く知らないことを明確にしてから、一人一人にマガジン全弾叩き込んだ。
「……この腐ったアビドスも、ユメ先輩に押し付けた塵屑も、死を望んだ輩も、何もかも……!」
あとの事は言うまでも無い。アビドスの悪魔はその破壊的衝動のままに活動を開始した。
寝食を捨てて片っ端からアビドスに屯している組織を調査して回り、少しでも怪しいところがあれば襲撃してユメの死を探る──それがやがて八つ当たりにすり替わっていくことに、そう時間はかからなかった。
そんな彼がカイザーに手を伸ばさなかった理由は、案外単純である。
その前に彼は、崩れたのだ。
どんよりとした空気が包む対策委員会の部室。
先生が病院に運び込まれた。生命に別状はないが、しかしいつ目覚めるかはわからない。
「……参ったね。命に別状が無いのは、不幸中の幸いだけど先生の助力は期待できない」
「ライナ先輩がシャーレに行って資料確認してくるって言ってたけど、どれだけ残ってるか……」
「ん、悲観しても仕方ない。とにかくやれるだけやるしか」
「そうね。シロコ先輩の言う通りだわ。けど、ノノミ先輩は……? そろそろ出発しないと間に合わなさそうだけど」
この場に不在なのはライナとノノミ。
見舞いの後、ライナはシャーレに残っているものを探しに行ったが、少しだけホシノは引っかかりを覚えていた。
──ちょっと、確認だけしてくるよ。
──もしかしたら、何があるかもしれない。
──都合ありそうなら面倒も避けられるだろ。
(……何か変だった。けど何が変だった?)
わからないが、何かが変だった。
そしてそれだけではない。ホシノの内に燻る憤怒と憎悪がより強くなってきているのを感じていた。ユメの願いを否定する列車砲もそうだが、この件で弄ぶように好き勝手している大人たちに対する悪感情が先鋭化してきている。
(まだ、まだ奴らが先生に手を出したと決まったわけじゃない)
そういう妨害に走ってくるような下劣な輩かどうかはまだ決まったことではない、としながらもやるならあいつらしかないのだからと、殺意にも近い感情が吹き上がっていく。もしかしたらユメもそのようにして殺したのではないのかという疑念が、凄まじい勢いで脳裏を支配していっていた。
冷静でなければならないから努めて冷静なだけで、何か致命的なきっかけがあれば狂気の深遠へと落ちてしまう程に、今ホシノは危険な精神状態だった。
三年間溜め込んだ負の感情が炸裂の瞬間を今か今かと待ち侘びて、彼女自身でもどうにもならない程に滲み出している。
──先生が傷付けられたと思われるから?
それだけか?
自分自身の本音にさえも疑惑が及び、ぐちゃぐちゃにもつれ、ねじれていく。
ユメを殺したのは誰だ?
アビドスを穢したのは誰だ?
守るべき大切な人たちを弄ぶのは誰だ?
傷つけてきたのは誰だ?
今を愚弄するのは誰だ?
アビドスを間違わせているのは誰だ?
憤怒、憤怒、憤怒、憤怒、憤怒、憤怒……まるで憎しみを流し込まれているように、その心は黒く染まっていく。
『こちらからの要求は一つ』
しかし。
『アビドス生徒会の契約を無効にしてくださること、それだけです。非認可の組織であってそもそも公式な契約を結ぶ権利がなかったと主張するだけで構いません』
現実とは常に無情なものだ。
『この要求が聞き入れられない場合は、お嬢様を強制的に転校させます。こちらとしてもそのような手段は取りたくない。賢い選択をなされることを期待しています』
悪意に絡め取られていても、陰謀を感じられても、自らの内に存在する衝動に抗うことは誰にもできない。
「……賢い選択? は──っ」
「どうするの、ホシノ先輩」
シロコが尋ねたことは、当然の疑問だ。
まず乗るか乗らないか、そしてどちらにせよその後の動きは。
何かしらの指針が無いと、どうしようもないのも事実だ。
「ノノミちゃんを助ける。奴らは力で黙らせる。一人残らず殲滅する。向こうの事情なんか知らない。アビドスにまた戻ってきたことを懺悔させてやる」
しかし何かのスイッチが入ってしまったような返答だけが返ってきた。憤怒と憎悪に彩られた声色と能面のような無表情が、異常を淡々と告げる。
「私たちを……私たちの大切な思い出を土足で踏み躙って、私たちからユメ先輩を引き剥がした奴らが……見捨てたアビドスに今更出てきたっていうなら──そいつら全員、この憎悪のままに……何処であれ、地獄の果てまで引き摺り回し……全てが消え去るまで、壊し続ける」
今更やってきた奴ら。それがそれでも残りたいと残ってくれた心優しい、救いとなってくれた子を人質に取り、選択を強要する。
ならばそれは、ホシノの全てを踏み躙って侮辱しているに等しい。故にこの一件で湧き上がってきたままならない現実への、ホシノが胸の内に秘めていた憤怒が爆発し、滲み出した憎悪が『暁のホルス』へと回帰……いや、それ以上の何かへと豹変させた。
かつてライナが鬼と化したように。
今になってホシノは鬼と化してしまった。
「そうすればきっと、先輩はほんの少しでも──私のことを許してくれるはず」
自罰と他責が混ざり合い、憤怒と憎悪のままに行動する。その果てにきっと死者は自分の過ちを、僅かだけ許してくれるかもしれないから。
「みんなはここにいて。全部私が片付ける」
反論は許さないという絶対の宣言。
しかしそれで止まる程、覚えが良い訳ではない。
困惑しているセリカとアヤネの二人を置いてけぼりにしてでも、シロコはなさねばならぬことを実行する。立ち去ろうとするホシノの前に立ち塞がる。
「……なに? シロコちゃん」
「ダメ。ホシノ先輩。みんなでなんとかしよう」
「退いて」
「退かない」
「じゃ、力尽くだね」
せーのもない。
力尽くだと宣言した瞬間、シロコは対策委員会室から蹴り出された。
「……ぐ、っ!」
「ごめんねシロコちゃん。こんなことはしたくないんだけど、言葉じゃ絶対止まらないのはよくわかってるから」
そのまま壁に叩きつけられ、腹に押し当てられた銃口から三度音が鳴り響く。それでも倒れずに押し返し、至近距離ならとサイドアームを抜いて正面に狙いを──
「前に言わなかったっけ。先生と一緒に戦ってると行儀良くなっちゃうのはわかるけどね。自分の戦い方をするべき場面で、行儀の良いフリはするものじゃないよ」
それはかつて言われた言葉。
足並みを揃えて戦うのであれば、行儀は良くする。しかしそうでないなら、どれどけ叩きのめしたっていい。
ショットガンが廊下に落ちる。伸ばされた腕を掴み、背負い投げの要領で廊下に叩きつけてそのままハンドガンを奪い取る。
悠々とマガジンを外して弾を排出、そして手放す。これで残るは室内近距離戦では少し困るアサルトライフルだけだ。
「まだまだ!」
素早く立ち上がったシロコは滾る戦意のままに接近戦を挑む。しかし内面では様々な感情が渦巻いていて精彩を欠いているのは、唖然としているアヤネとセリカにも筒抜けであった。
学校で銃を、仲間に撃ちたくないという心理。ここで無闇に消耗をする訳にもいかないという打算。自分たちは一体何をしているのだろうかという迷走。そして──これはホシノの怒りなのだろうかという疑問。あからさまに様子がおかしいのはわかっているが、この奈落のような憤怒と憎悪は、小鳥遊ホシノに蓄積されていたにしては解放されるタイミングと出力が奇妙極まりない。
迷い故に一泊遅れる、だが動く。
得意とするハイキック。黙らせるにはこれが一番いいのだからと選択する技。土壇場の攻撃は最も信頼するものにするのが鉄則だ。
「シロコちゃんらしくないね」
引き寄せられる──何に? ホシノにだ。
ハイキックが成立する前に抱えていたアサルトライフルを掴んでいる。
(しま──っ)
「誰かさんのおかげでさ」
離すのが遅れた。左頬を掌底が叩き、揺らされて更にバランスを崩した身体を右側から押し込んで転倒させる。
「おじさんの手癖も悪くなってるんだよ」
シロコを投げ倒した後、ホシノは奪い取ったアサルトライフルを先程と同じように無力化し手放す。ホシノもこのような手段を得意としていた訳ではない。技術として収めている程度だった。
ただ横にいたサンプルがそれをより暴力的に、かつ効率的に振るい、多くの敵を薙ぎ倒して恐怖を植え付けて刈り取っていくのを見ていたから、自然隠し技として使えるまで伸びただけだ。
痛み、そして恐怖。
身体が頑丈だろうが心から潰していけばいい。それらを駆使すれば格上でさえも潰せると豪語していたライナの姿。実際手慣れた様子で簡単に手足をへし折り、その相手を肉盾として使いながらあっという間に制圧したりとかしていたのだから。
そんな彼を見て二人で止めたのも今は昔。過去を懐かしみながらもホシノはシロコを見つめる。
あっという間に武装解除されたシロコは立ち上がりつつも、素早く定めたこの場の勝利条件を満たすべく言葉を使う事にした。
(まさかホシノ先輩が私みたいなことするなんて。一体どうしたの……?)
ここで消耗するのは誰の為にもならない。そしてまともなホシノならともかく、効率的な排除技巧まで後輩に見せている異常なホシノには下手に刃を向けない方が効果的だろうと思ったから。
それに話を聞いていた限り、暴力的な解決になるのはユメの意志を理解しているホシノの望むところではない筈だ。
「どうして、私たちは──対策委員会はホシノ先輩と一緒に歩くことが許されないの? 私のアビドスは、あの時から始まった。あの雪の日、ホシノ先輩に拾われた時から。私の世界はそこから始まってる。だから生徒会長の事も全然知らないし、先輩とライナの気持ちは、どうしてもわかってあげられない……でも!」
確かに自分たちは何も知らない、わからない。だが──
「でも私も、セリカもアヤネも同じアビドスの生徒で、ホシノ先輩の後輩なんだよ。だから自分だけで行くなんて寂しいことを言わないでよ……」
同じ場所にいる仲間なのだから、喜びだけでなくて怒りも悲しみも分かち合いたいと思うことさえダメなのかと説得する。
仲間とはそういうものではないのかと。かつて自分を孤独の暗闇から引き上げてくれた人物が、そこに向かっていくのは嫌だから。
しかしホシノは奈落のような声で、狂気を宿した瞳のまま答える。
「……シロコちゃんは憎んだことがある? 自分を、世界を、何もかもを。私はあった。でも表には出せなかった。だってライナが先に見せてたから。あんな怖いものになるのは嫌だったから。ユメ先輩がそんなことを望むわけがないから。でも今は私が望む。今更ひっくり返して滅茶苦茶にしてユメ先輩を愚弄してみんなを苦しめるような塵屑なんか、あったってしょうがないでしょ」
──なんだろうか。この違和感。
ホシノの言葉だ、ホシノの怒りだ、確かにそうなのだが、何かこう違う。いや、そもそもだ。会話として成立しているのか? これは。まるで現在の状態に取り繕う為の適当な言葉を吐き出し続けているような──
いや、この言葉の選び方は何処かで、知っている……?
「そんなもの、誰も付き合わせちゃダメなんだ」
「一緒に怒ったって、いいじゃん……っ」
「ダメ。みんなは優しい子なんだから、そんなことしちゃダメなんだよ」
……これは明確にホシノの言葉だ。
シロコが聞き間違える訳はない。ならば先ほどの言葉は──と思考をするが、今は何でも良いから言葉を投げねばホシノが行ってしまう。その迷いに混乱から立ち直ったセリカとアヤネが、言葉なく応えて行動する。
「置いていくんですか、私たちを」
「そうなっちゃうね」
「先輩に学習能力は無いんですか! また同じことをして! 腹が立っているのはあなただけじゃないんですよ!」
「気に入らないなら私たちも同じよ先輩! 今更帰ってきて、それでえらそーに物を言って、ノノミ先輩まで人質に取って!」
怒りを抱いているのは自分だけではないのだぞと、現在の精神状態に効果的であろう言葉を選んでみる。実際腹が立っているのだ。一緒に怒りながら突き進んでもいい。それくらいなら全然許容する。
だがホシノは静かに首を横に振り、自らの怒りのままに言葉を吐き出す。
「そうじゃないんだよ。あいつらは存在するだけでユメ先輩を穢すんだ。ライナに怒りを抱かせるんだ。だから消さなきゃいけないんだ」
「おかしい、おかしいわよホシノ先輩……!」
「怒るにしたって滅茶苦茶過ぎます……!」
「──そんなの簡単だよ二人とも。やっと、この怒りを死ぬまでぶつけていい相手ができたんだから。先輩の献身を、先輩の悲嘆を、知りながらに無視していた奴らがのうのうと生きてて良いわけないでしょ」
二人は同時に、奇妙なものを感じた。
ホシノであってホシノではない。ここまで怒り狂うことはあり得ない。そもそもノノミを助ける為に行く筈なのに、さっきから自分の怒りを叩き付けることを優先しているかのような物言いだ。
ここまで来れば、わからず屋だとかそう言った次元ではない。どう考えても怒りに呑まれ正気を失ったにしても、度が過ぎている。仮に目的地に到達しても、何をやらかすかわかったもんじゃない。
例え限界を迎えてもノノミ救出だけは最優先になる、そういう信頼だけはあった。なのにこのホシノは支離滅裂な状態になっている。ノノミ救出という大義名分を掲げながら、憤怒と憎悪のままにネフティスと私募ファンドと、関わっていればハイランダーさえも殲滅することを目的としている。
明らかに何者か、あるいは何かの影響を受けてホシノは暴走している。いや暴走させられている。その心中の、心底に溜まった負の感情を掻き出されて、塗り潰されている。
「アヤネちゃん」
「うん。何がなんでも」
ダメだ。ホシノをこのままにしてはいけない。完全に消耗を度外視してでも止めなければならない。
このホシノは──危険すぎる。
黒幕が何であるかはわからない。だがホシノを歪めて弄んでいるのは確かだ。その借りは絶対に返してやる。しかしその前に、暴走するホシノは絶対に止めなくては、想像以上の被害がもたらされるだろう。
「今のホシノ先輩は……明らかに正気ではありません。だから止めます。力尽くでも」
「やるしかないわね」
勝てないのはわかっている。そもそも戦いが成立しないのもわかっている。ここから室外に出せばまだなんとかなるかもしれないが、そんなことをさせてくれる相手ではない。
で、あればここでやるべきは一つ。
「勝てるつもりなんだ」
「勝つわ」
「勝ちます」
「もう遅いよ」
──シロコが静止する前に、ショットガンを拾っていたホシノが動いた。いつの間にかピンを抜いていたスタングレネードが炸裂し、視界と聴覚を奪う。
まずはアヤネ。
もちろん来るのは本人だって承知の上だ。廊下なんだからまともに戦闘するにも無理なことは承知。
あえて真正面からショットガンを受けて倒れる。
「何のつもり」
「……さて、なんでしょうか」
「捨て身の無抵抗……?」
思考が止まる。
その停止が、ホシノに回避不可な隙を生む。
「これなら、どうよ──ッ」
それがヒトの形をしているならば生物的に無理な行動は基本的にできない。セリカはホシノに組み付いて、纏めて倒れ込む。人一人分の重量を手足にかけてしまえば、動くことは難しい筈だ。ホシノを押し倒し、その手足を自分の手足から体重をかけて拘束する。
だが。
「セリカちゃん。拘束するならこういう方法じゃダメだよ」
「何言って──ぶっ!?」
「頭が使えるんだから。複数人で仕掛けて初めて役に立つよ、覚えておいてね」
頭突きという原始的な手段で拘束を緩めて、そのまま脱出。素早くショットガンを回収して頭部に一発。
ただ後輩たちに暴力を振るった自分と、そんなことをされてでも止めようとした後輩たちを見て、ホシノはその狂気の中の正気を、微かに露わにした。
「……ごめんねみんな。けどさ、流石にこんなことに付き合わせるなんて人としてダメだよ。だからお願い、一人で行かせて。ノノミちゃんを助ける。これは必ず約束する。みんなは、先生と一緒にノノミちゃんの居場所を守ってあげて」
「先輩は、どうすんのよ……っ」
「助けた後? 一人だって逃しはしないよ」
「そんなことして何になるの……! 暴力や悪意で返しても、同じことの繰り返しになるんじゃないの──!」
「繰り返しにはならないよ。全て消し去るんだから、そんな余地さえ残らない」
ゾッとする程、冷たい視線。
虫ケラを見下し、殺虫剤をかけるように。
小鳥遊ホシノは、敵対する全てに絶死を宣言した。
「こうして頑張ってるみんなを踏み躙る塵屑は、全部消さないと。私を消し去って、あいつらを消し去って、そして──」
狂気に呑まれきったホシノは、狂気の言葉を吐き出して。
「……"お前"を消し去る」
親友にさえ、敵意に包まれた視線を向けた。
「ライナ先輩……!」
「ライナ先輩、お願いします。ホシノ先輩を!」
何をしていたかとか言ってる場合じゃないと、二人は声を張る。だがシロコは気付いた。だから黙ってしまった。
「違う。二人とも違うよ。"そいつ"はライナじゃない。誰だ」
ホシノは眼前の人物がライナではないと言う。しかしどう見てもライナだ。ヘイローもなく、両目は銀で、普段通りにしか見えない。纏う雰囲気もヘラッとした平時のそれで──いや待て。
少し前まで、ライナもかなり尖った雰囲気をしていたというのに、何故平時の物に?
「怒ってるにしても酷いな」
「"お前"は誰だって言ってるんだ」
「やだな、オレだよ。イカれすぎてるのか?」
「違うんだよ、何もかも。物真似が不快だから、さっさと素顔を見せろって言ってるんだクソ野郎。"お前"が本当にライナなら、先輩の名前を呼んでみろ!」
その態度があり得ないからと激昂したホシノの叫びに、ライナは仕方ないなぁとため息を吐きながら、さも当然のようにユメの名前を──
「オシリス」
明るい声色で、意味不明な言葉を告げた。
「……ではなかったな。今だと」
そして急激に能面のような無表情になり、冷たく淡々と自らの猿真似が上手くなかったことを、あっさりと認めた。
「──は……?」
「う、そ」
「……」
──黒が氾濫する。
そしてそこに現れたのは、ライナであってライナでない者。
その姿はライナだが、致命的に違う。
両目は宇宙の如く青ざめた瞳に変わり、例によって複数の形状が重なったような歪な黝いヘイローを頭頂に浮かべ、長い黒髪をたな引かせる。
裸体の上から纏うボロボロの黒いマントに、腰巻きをしたその姿。上部がループ状の楕円になった十字の首飾りを付けて、まるで王や神官の幽霊のように、神話の中から飛び出して来たように現代に立つ『彼』。
「……シロコが、出会ったのは──」
長髪と無表情が与える印象は、活発ながら物静かな少年という印象を与えるライナとは正反対に、俗世に興味を持たない物静かで神秘的な少女という印象さえ与えてくる。
だが女のように細く、しかし男のように鍛え上げられた、しなやかで力強い身体。胸元や素足を晒し、その顔立ちや長い髪も含めて、一見すれば男女どちらとも付かぬ究極の中性そのものが動いているとすら錯覚しそうな程に、それはジャンル違いの怪物だった。
「自己紹介は省略しようか。ご覧の通り、この器の中に在るモノだ」
真の姿へと回帰した、というよりも。
まるでかつての姿の残骸を纏っているかのような変異。
しかしそれでも告げられる声はライナのような感情に溢れたものではなく、冷たく、低く、深く、空っぽの、奈落のような、同じでありながら全く異なる声。
光の無い青の双眼が、今全てを見下ろしていた。
「ライナは何処だ」
「残念ながらオレに代わって随分長い間、この苦界で要らぬ煩悶に蝕まれてくれたからな。暇を出すことにした」
憤怒と憎悪を一切隠すことなく問い詰めるホシノ。それに対してライナの中に潜んでいた者は、まるで従者か何かを扱うような態度で、煙に撒くようなことを告げる。
「猫と朱鷺か。これはこれは」
チラリと映ったセリカとアヤネを見て、奇妙な呼び名で呼ぶ。その呼び名はかつて一度だけアイが呼んだものであり、それは間違いなくライナの中の真実が姿を表していることを証明していた。
「あなたは、一体」
「なり損ない。いや、ただの偶像か」
「名前を聞いたんです」
「そんなものに意味は無い。だが識別ができないというのは不便だな。故に名乗ろう、ただの記号を──レグナと」
アヤネの問いに意味不明な言葉を返して、名乗れという要求に対しては最初に出会った時のアイのような言葉を吐いた後、空っぽの声でレグナと名乗った。
そして少年は窓から身を乗り出し、まるで剣と魔法のファンタジーから抜け出てきたかのように中空に浮かぶ。
「さて、オレはひと足先に行かせてもらおうか。これから楽しいことになりそうだからな」
「待て! ライナを返せ!」
シロコが叫ぶ。自らの知る存在を返せと。
誰の目で見てもまともな答えなど返ってくるわけがない。しかし……
「アヌビスよ、ライナを返せというのは正しい要求ではない。今一度見つめ直し、そして真の答えに至れるものならば至ってみるといい」
レグナは、その言葉が正しい表現ではないとだけ答え、瞬間移動のようなもので姿を消してしまった。
「何が起きたってのよ……どうせライナ先輩の中にいる奴が、今来るのよ!」
「……落ち着いてセリカ。あいつのことを私たちは何も知らない。だからしばらくは観察するしかない。今来た意味も……」
「と、とにかく──ホシノ先輩……?」
何もわからないということしかわからないのだからと話を纏めようとした時、更なる狂気に蝕まれたホシノが、完全に憤怒と憎悪に支配されたような様子を見せる。
「見てたんだ。あいつ、ユメ先輩とライナが苦しんでるのを肴にしてたんだ。あいつだ、あいつが──許さない」
それは間違いなく小鳥遊ホシノの、傍観者たちへの秘めたる狂気。
誰かの憤怒と憎悪ではなく、ホシノが抱え込んでいた、ホシノの憤怒と憎悪。
弾かれるように教室を飛び出して、何処かへ行ってしまったホシノ。
呆気に取られてしまった彼女たちがはっきりするのは、完全武装状態のホシノがレグナを追うように校舎から飛び出る姿を、窓越しに見た時であった。
"まだあなたの旅は終わっていない"
"運命の先に至るんだ"
"A.R.O.N.A.とシロコがいる。反撃はここからだ"
"あとは──まぁ、多分あれも来てくれるだろう"
"あの存在は見過ごせないだろうし"
"そして忘れないでくれ"
"私の力と知識も、共にあるということを"
──目覚める。
先生は身体を起こした。
医者が何やら言っているが、適当に返事をして自らの意思を伝える。
"行かなければならない"
"生徒たちが、待っていますから"
その言葉一つで納得されたのか、何も言わずにそれを認めた。
シッテムの箱を手に取り、急ぐ。
"アロナ"
「はい。アロナは問題ありません。でもプラナちゃんが眠ったままです」
"そうか……"
"プラナ、ありがとう"
"今は私たちで頑張るしかない"
「……アイさんの残していたデータが、特殊な反応を示しています。恐らく──」
"彼が目覚めた"
"アロナ、相当な問題が起きるかもしれない"
"最悪の場合は頼むよ"
「そんなこと言わないでください。みんなで、勝ち取ってみせましょう」
"そうだね!"
「……そうか。起きたか」
「──感じる。そっか、ライナ……」
「掴んでみせる、俺たちの未来を」
「繋げてみせる、この世界の未来を」
「出撃だ。明日を拓くぞ」
「お願い。最後まで力を貸して、みんな」