青い春に馴染めない黝の星 作:うへうへ学生
「この度を超えた憤怒、憎悪……間違いない。神なる黎明と共鳴して、その感情を流し込まれている。共鳴の可能性だけは考慮していたがやはり……」
地下生活者に余裕は無かった。
妙なことになっているとは把握していたが、見落としが巨大だった。まさか目覚めたのが完全者であるとは知らず、そしてその完全者が盤上に躍り出てきている。
「それらの流入先は小鳥遊ホシノと朝霧スオウが中心で、他の者たちは一度接触してしまったから共鳴の影響が少ないものの、少ないだけで思考は極端にされている。しかし共鳴している朝霧スオウがそこにいるだけで電波塔の役割を果たし、ほぼ広域に流し込まれてしまっている」
更に困ったことに、事象干渉にも限界はある。例え結果を固定しても、その固定された結果に向かわないという選択を強靭な意志によって為すことは可能だ。通常そんなことはできないが、永遠の憤怒と憎悪を宿す完全者との共鳴により流し込まれているならば、できてしまう可能性が高くなっていく。
地下生活者の為に生贄とされる筈の存在たちは、レグナの憤怒と憎悪を流し込まれ、自らの怒りと憎しみのまま、破滅的な選択を嬉々として選んでいく。
彼がここ一番のための駒にしているスオウが共鳴と汚染で憤怒と憎悪の電波塔にされているのも中々に最悪だ。
──だがいつ共鳴させられたかまではわからない。もしかしたら観測できていない頃にやられたのかもしれない。
もちろん共鳴にはその内側に類似した感情がなくてはならない。故に底知れぬ怒りと憎しみを溜め込んでいたホシノと、根底に世界への怒りと憎しみを秘めていたスオウの二人が怒りと憎しみにのみ支配されるレグナと共鳴して飲み込まれていくのは必然的であった。
そして確実に、レグナは狙って二人に共鳴させて流し込んでいる。
神秘としてやれることを十全に把握している以上、その力を権能的に使用するなど造作も無い。完全者であるならばなおのことだ。
しかしその元となる物、力の出所がわからない。まだ見せていないものの中に、共鳴と汚染を可能とする物があるのか……何にせよやり方を知っているからと言って実際にやるにはリソースが必要なのだ。自らを知り尽くす完全者であっても、燃料がなけれ燃えることはできない当然の摂理。
そしてもちろん共鳴などと言っても、それは簡単に行えることではない。効果を発揮するには状況が必要だ。怒りと憎しみを掻き立て、自らを焼き滅ぼす程の炎を出現させてしまうような、地獄のような状況が。
今回地下生活者が用意した状況は、まさにそれだった。どうしようもなく余裕を奪い、どうしようもなく選択肢の少なく、どうしようもなく怒りと憎しみを掻き立てる状況。その上で精神的に不安定にさせてしまったのが痛手だ。
普通ならば少し怒りっぽくなったりするし、すぐにその異変に自分で気付く。そしてそれをあっさり制御できる。何故なら自分の感情ではないから。それが不可能だ。
レグナ相手には地下生活者の策の大半が役に立たない。
何故ならルールに属していないから。ルール違反の塊にルールの穴を突いた戦いが成立するわけがない。ならばとルール無用の場外乱闘などしようものならレグナはすぐに呼んで見て触れた地下生活者を認識し、増幅された力を駆使して現れ、直接的に殺害してくる。
ルール無用というルールすら無視できる。冗談ではない、とんだイカサマ野郎だ。
「やはり、反転させたホルスをぶつけて潰す。それしか道はない。であれば──しかし、真理の探究が、苦行を通して得られる知見が……だが、どうやって……」
実のところ、対処そのものは難しくない。
盤上にはいるのだ、盤上の駒で盤上から排するだけ。しかし問題が多数ある。とりわけ厄介なのは盤外戦術にはめっぽう強い為、地下生活者の得意とするやり方は一切通用しないこと。そして盤上の駒で対処させようにも、ルールに沿っていない為、盤外戦術を絡めなければならない。
つまり連携が取れていなければ、前提にすら立てない。
「ジャンル違いの化身、そもそもルールに属していない。
だからと言って盤外を動かしつつ今度は盤上に自分も乗り込んで踊り出せば、相手はそもそも踊っていない存在なので、踊る間抜けを眺めて銃殺だ。なので盤上に出現させないことが最大の対策になる。事前より仕込めれば、仮に出現しても物理的に拘束などで何とかはできる。
しかし地下生活者は気付くのが遅れた。既に起きている。よって物理的拘束をさせる状況が作れないし、その方法も用立てられない。
そして更なる問題は地雷が大量に敷き詰められているのに拘束するためにわざわざ踏みにいかないといけないこと。物を用意できても、彼の禁忌に触れた瞬間にルール違反の攻撃を使って殺しに来る。何せその精神には通常備わっている死に対する忌避感やどんな形でも積極的な殺しを避けようという意識が文字通り抜け落ちている。
ヘイローを砕くにしろ手間だからあまりやらないということはよくある話だが、手間でないなら誰でもやるだろう。彼は手間でない存在だから、その沸点の低さと相まってヘイロー破壊や殺人へのハードルが極めて低く、その上で効率的な殺人方法を知っているのだからタチが悪い。
「死ぬに死ねず、生きるに生きれず、ましてや自分が誰かもわからないミイラ野郎が、小生の邪魔をしおって──!」
悪態だけが出ていくが、仕方ない。
何せ地下生活者に残っているのはホシノを暴走させ続けて反転させるか、この土壇場でやめて先生たちと協力するかだ。
しかも前者は、地下生活者の望む形の反転になるかも怪しい。そして後者は選択しても敵対するだけだ。
「……どうする? ここで残った奴らを操作? 無理だ。行動に幅が無い。そもそも勝てない。いや、待てよ──後少しで来るじゃないか。都合良く先生が用立ててくれた、使いやすくて潰しやすい駒が」
──視界に入る因果の駒。
「ヒヒヒヒヒ……! まだ、まだだ! 小生の勝利は! 揺るがない!」
どうせ利用されるように弄られた存在だ。
有効に活用してやろう。
その方が嬉しいだろう?
「──くっ。これが小鳥遊ホシノか……」
「しつこい」
時間を稼ぐ為にと言っても、相手が本気で来るなら本気で相手取るしかない。
ジェネラルは前線指揮もできるし、直接戦闘もできる。しかし彼の本領は戦略的な立ち回りだ。
よってホシノに蹂躙されてしまうのも、ある種の必然であると言えよう。
通り過ぎて行くホシノを見送るしかできないジェネラルは、守りを固めさせようと無線に手を伸ばし──
「ああ、オマエか」
眼前に、悪魔が現れた。
「オレを叩き起こした有象無象、それをまとめ上げる者。まさか、アレがライナを無力化できる言霊か何かだと思ったのか。違うな、アレはオマエたちを殺す者を呼び込む禁句だ」
動けない。全身を無数の黒い手が掴んで離さない。憤怒と憎悪に塗れた視線がずっとジェネラルを見下ろしている。
「オマエたちはライナを軽んじた。オマエたちはあの超人を軽んじた。オマエたちはあの女を軽んじた。オマエたちはオリシスを軽んじた。愚物めが、あの塔に触れようとするなど。されど殺さずにいてやる。代わりに、その尊厳を破壊してやろう。喜べ」
「な、にを──!?」
「意志を見せてみろよ。でなければ余興にもならん。せいぜい足掻け」
ぞるりぞるりと漆黒の流体が服の中へと侵入して、各部関節を蝕む。黒のヘカは、生命に由来する力。それ故に暴力的な生命の主は、他者の生命を呼応させて強引にその肉体の自由を奪うことができる。それだけでなくロボットとして当然にある関節の隙間にヘカをねじ込み、物理的にも肉体の自由を奪う。
物理的と精神的な簒奪。足掻いて見せろなどと宣いながら、実際にはまるで足掻かせる気などない。使い潰して壊して砕く。玩具を与えられた赤子が力を制御できずに壊してしまうようなことを、憤怒と憎悪に由来する絶望的な悪意のまま、まるでちょっと工夫を凝らして嫌がらせする程度の気分で行う。
「木端の機械風情が。人の真似事をするな、自らを持つな。オマエ程度が何故持っている。実に不愉快極まりない……!」
侮蔑と軽蔑の言葉。憤怒と憎悪を一切隠すことなく、レグナはジェネラルの尊厳と自由を抵抗の余地無く簒奪し、隷属させた。
「さ、働いてもらうぞ将軍殿。飼い主に牙を向けるなど、野心家どもの一員としては不足無かろう?」
「……」
「ああ、喋る自由も奪ったのだったなァ。悪い悪い。──さて、オマエの権限も立場も余すことなく使わせてもらうか」
『各員に告ぐ。総会を乗っ取れ。敵は我ら以外の全て。それがプレジデントでも、だ』
「いやぁすまない。あのような場所に監禁などと。ネフティスのご令嬢に無礼な真似をしてしまった。部下に変わって謝罪しよう」
嘲笑を隠さぬ声色でプレジデントは連れてきたノノミに謝罪する。もちろんその嘲笑はノノミではなく、彼を出し抜こうとしていた者たちに向けられていたものだ。自分たちは上で、お前たちは下なのだからと。
上司は部下の尻を拭くのも仕事なのだからと言外に告げるその仕草は、彼らのプライドというものを文字通りへし折っていた。
「やけに手際がいいと思ったら、やっぱりカイザーと手を組んでいたんですね。執事さん」
「あの絶対的な力。あれさえあればかつての強い栄光が──!」
「その為に悉くを生贄に捧げるような真似をして悪魔と契約していたんじゃ話になりません! ネフティスともあろう企業がどうして!」
「っ」
執事の野心に満ち溢れた妄言をノノミは凛として切って捨てる。話にならない。ここまで落ちぶれるとは思っても見なかった。足の踏み合いどころか、手を組む相手を見る目すらないなんて。
失望──彼女を支配していたのはそれだった。何か策でもあるのかと思えば自分を人質にするなんていう短絡的な作戦。ライナが指摘していたように徹底的に自分たちが列車砲の手に入れる為に動いていただけで、しかもそれで一番面倒な相手に背中から撃たれる。
「目的のためには手段を選ばない。でもそうしてしまえば自分を見失う──昔ホシノ先輩が言った通りでした」
「アビドスこそ、以前は手段を選んでいなかったろう。歴史は繰り返すというだけに過ぎない。アビドスには、狂気が渦巻いているのさ」
そんな背景を持つアビドス出身のお前が言えたことか、とスオウは皮肉を飛ばすもノノミはギロリと睨み付けて彼女の心を抉る言葉を選んだ。
「──コウモリさんは黙っていてください。ただ状況を引っ掻き回すだけで何がしたいかもわからない人が!」
「……貴様……っ!」
何がしたいのかわからない蝙蝠。
誰でもなく、どちらでもなく、何もかもに首を突っ込む迷惑な相手。そんなお前が何をしたり顔で語っている。アビドス関係者でもないくせに──視線が雄弁に語っていた。
スオウは普段ある流せる余裕が流し込まれる憤怒と憎悪により奪われていて、ノノミもまた少なからず伝播しやすくなっている。二人は通常あり得ない言葉の鋭さと、通常あり得ない沸点の低さを選択せざるを得なくなっていた。
だから──本来人質として使わなければならないノノミの胸ぐらを掴んで拳を振おうとするスオウの姿は、決してあり得てはいけないのだ。
「やめたまえスオウ君。それに側から見ればコウモリなのも事実だろう。自分の意志は言わなければわからない。まさか、言わずとも理解されると思っているのかね? 君は何も伝えてないのだからそう言われるのも甘んじたまえ」
「……勝手に、言っていろ」
そしてプレジデントもまたこの場の影響を受けて、味方にかける言葉とは思えない言葉を飛ばす。吐き捨てるように返答したスオウの態度も、側から見ればおかしいものだ。
不気味な状況。味方という枠だから味方なだけで本来なら敵対しているかのような奇怪さ。今や立場を失い身の安全だけを考えている私募ファンドたちの視界には、気味の悪い光景だけが映っていた。
「プレジデント、正体不明の存在の画像です」
「む。この顔立ちは……黒服が何やら気を付けていたあの小僧か。何故髪が長くなってヘイローが浮かび、そして妙な格好なのかはわからんが」
ホシノばかり注目していたがそうもいかないようだ。ようやくレグナがライナであることはプレジデントも理解したものの、その言葉を聞いて反応したのはもちろんノノミ。こいつらには前科があるのだから。
「ライナさん!? あなたたち、ライナさんに何をしたんですか!」
「ご令嬢、知っているのかね」
「──もうどうなっても知りませんよ。あなたたちが叩き起こしたのは、赤い空さえも知る者なんですから」
「脅しか? アビドスの仲間を信頼しているようだな。あんただってネフティスのくせに」
「あなたたちは何もわかっていません。相当な皮肉を飛ばされるだけで済めばいいですね。私も含めて」
プレジデントにもスオウにも、もはやまともに相手する気の無い返答だけをしてノノミは静かに頭を抱える。こんなことになれば、ホシノも危険な状態になってしまっているかもしれない。ライナの中に眠る『彼』の危険性は彼女も知るところである。
この場にいる全員、無事であれるかどうかさえ怪しい。ノノミもまたアイを通して、そして箱舟のライナを通して、その危険性を直に感じたのだから。
爆発、そして銃声。
それはホシノの到着を意味していた。
「もう小鳥遊ホシノは来ているのか。ジェネラルですら三十分も──」
「プレジデント、ジェネラルが反乱を……!?」
「なんだと!? 奴が!? あり得ん、誤情報だ!」
そこに信じられない報告が届いた。
声を荒げる兵士とプレジデントだが、二人からしても意味のわからない現実だ。
ジェネラルが裏切るはずないのだから。
「しっ、しかし我が方の兵力の一部が事実反乱を起こしているのです! なんでも境遇の不平不満をぶちまけながらプレジデントを倒せと……」
「境遇に!? 今!? その旗を振るのがジェネラルだと!? 反乱している奴らは自分たちの頭が変わってもやり方の変わらぬ限り何も変化などないと、何故わからんのだ!」
あり得ない理由、ジェネラルも排除しなければ変わらない環境。理解できない。そもそも不平不満なんてあっても小さなものの筈なのに。訳のわからない、意味が通らない現実に聞いている方も混乱してくる。
「……というよりも、あり得ん。上役共なら足の踏み合いはするにせよ、現場に関しては不平不満が出ないように取り組んでいるぞ」
意外にも。
カイザーPMCは環境だけならホワイトである。良い装備、徹底した実力主義、上司と部下の間に礫圧がなく、確実に手足として働いてもらう為には投資を惜しまない。人心は把握している。
カイザーグループ内部の、上層部同士で争いごとがあればまだ納得はするが……PMCに限ってはそうではない。元理事とジェネラルの間で派閥争いはあったが、しかしそんな程度。理事派は彼について行っている。よって反乱など起こるわけがない。
そしてプレジデントとジェネラルの間にはこれといった諍いの種などない。
必然考えられるのは──
「誰かがジェネラルを騙り煽動している」
「どうします?」
「……事情も聞かねばならん。無力化は支持する。だが殺傷沙汰は控えろ。心の方に何か悪影響でも及ぼすものがあるのかもしれん」
その指示を伝えた瞬間のこと。
扉が破壊されて、PMCの兵士が吹き飛んできた。煙の奥から現れたのは修羅の化身のような風貌のホシノ。
悉くを塵屑のように見ながら、彼女は堂々と入ってきた。
「ホシノ先輩……!」
「ノノミちゃん、遅くなってごめんね。大丈夫?」
ああ、いつものホシノ先輩だとノノミは胸を撫で下ろす。さっきまでの彼女は恐らく気を張っていたからで──
「こうして会うのは初めてか、小鳥遊ホシノ君。私がプレジデントだ。さて、まずは報告からしよう。私募ファンドの代表は私に変わったよ。だから総会は私と君の一対一だ」
「あっそ」
「先輩の様子が……」
違う。これはホシノなのか?
「今更しゃしゃり出るな。ゴミが」
「っ、プレジデント危ない!」
ショットガンが火を吹き、近くにいた兵士が咄嗟に動いて我が身を盾にする。ホシノとしてはあり得ない行動の限り。プレジデントは努めて冷静に、交渉のテーブルに乗せようとした。
「──何のつもりかね? まずは話し合いをする為に来たのだろう? この、ネフティスのご令嬢を助ける為に」
「ごちゃごちゃうるさいんだよ、大人風情が」
「……どうした小鳥遊ホシノ、正気か?」
「お前も黙ってろ蝙蝠。不愉快だ」
「まっ、待ってくださいホシノ先輩! どうしたんですか!? 一体何が──!」
あからさまに正気ではない。
この場にいる全員がホシノが異常であると理解した。しかし何故そうなったかもわからない。何をしに来たのかまるで見えないのだ。助けに来たのか、それとも……
「──返してもらう。カイザーもネフティスも、全員権利は無い。全てアビドス生徒会の物だ」
「か、カイザーはともかく我々に渡さなければお嬢様の転校が……!」
「じゃあハイランダーも潰そうか。お前のせいで一つ学園が壊れるね。よかったじゃん、ネフティスがでっかくなれるよ」
「は、ははは……冗談でしょう?」
ノノミが絶句した。見ていた者全てが驚愕した。発砲、ショットガンがネフティスの執事に向けて撃たれた。
今の小鳥遊ホシノならば、絶対にする筈の無い行動。
「許可なく笑うな。許可なく喋るな。木偶の坊がガタガタ抜かすな。黙って突っ立っていろ」
おかしい。確実に、そして異様に。
小鳥遊ホシノが狂っている。想像を絶する憤怒と憎悪に支配されている。大人の鬱陶しい手口さえも存在を許されない。究極にして最強の暴君として今この場に君臨している。
総会の支配者は、小鳥遊ホシノだった。
「ねぇプレジデント、どう思う? 今更になってノコノコ戻ってきた土着企業が偉そうに口を挟んでくるのは」
ギョロリと視線を動かして、ホシノは淡々と告げる。
それはもはや小鳥遊ホシノなどではない。怪物を殺す怪物である。
「そして、今更しゃしゃり出てきた部外者が偉そうに口を挟むのも」
「っ、権利は無いと、思えるがね……」
今ホシノを鎮圧しようにもまず無理だ。
何の躊躇いもなく非戦闘員を撃てる相手にはあらゆる常識が通用しない。無駄に戦力を減らす理由も無いだろう。適当に命を守りつつ、何より大切なのはこの場を切り抜けてしまうことだ。適当な屁理屈を捏ねていけば、自分たちがノノミと共に……最悪ゴールドカードを手に入れてシェマタに到達することさえできれば──
「そう、お前たちに権利は無い。最初からアビドス生徒会の物だ。今も存在する、私とライナが生徒会だ。だからお前たちにはこの場に立つ権利すら無い」
「彼女が、本当にどうなってもいいと!?」
プレジデントの声に明確な驚愕が宿った。
第一声は何処に行ったのだというような豹変。絶対者たるアビドス生徒会がそう言うのだからお前たちには発言する権利すら無いという、さながら絶対の王の宣言のような発言。どう考えても小鳥遊ホシノの身に何かがあったとしか思えない。
だから敢えてノノミを引き合いに出した。
その豹変に困惑し切っている彼女を。
「──どうにでもできるつもり? ノノミちゃんを? お前ら如きが?」
「見ろ! 囲まれていて武装も無い! 如何に優れた戦闘能力を持っていてもどうしようもない状況だぞ! 落ち着け!」
意味の分からない状況だが、あのプレジデントがホシノに冷静になれと言っている。
それ程までに事態が狂っているのだ。今となっては誰もが訳がわからない。今までいた小鳥遊ホシノが消え去っている。憤怒と憎悪に支配されるにしては短時間過ぎる。
一体何が起きているのかさえわからない。
「じゃ総会、前倒しで始めようか。お前たちには権利が無い。最初からノノミちゃんはアビドスの生徒で、シェマタもアビドスの物。それで終わり」
そして絶対の宣言より開始され終わり、これより処刑宣告がされんとした時。
"──その発言は全部無効だよ!"
未来を切り拓く先導者が、その空間を支配した。
「みんな……! 来てくれたんですね!」
「おまたせ、ノノミ」
「今のホシノ先輩に、アビドス生徒会としての権限はありません!」
「じゃあなに? アヤネちゃんが生徒会長にでもなったの?」
「はい、今は私が生徒会長。そしてホシノ先輩は書記に降格しました!」
"投票できまったことだからね"
"私が証人になってる"
ホシノの豹変理由がわからないから、彼女たちは言葉を尽くしてその凶行を止めようとする。
「ん、みんなで決めてここにきた。ホシノ先輩を止める為にも」
「何が理由で先輩がそうなったのかはわからない……でも今の先輩はどう考えてもおかしいわよ! 正しい方法で、そしてみんなで解決する方が絶対いい!」
堂々とアヤネが前に出て、プレジデントに宣言する。
「対策委員会はアビドス生徒会と合併、契約当事者は対策委員会となります。だから先程までのホシノ先輩による総会はそもそも開かれていません!」
「と、とのことだが……では今から総会を改めて開こうじゃないか。そして──」
転がってきた機会は活かさなければまずい。そして時間稼ぎさえ終われば──そう思っていた時に。
そこに一人の少年が一切の前兆無く現れた。ヘイローを浮かべた長髪の少年……レグナが。
一斉に銃を構えた兵士たちが、背より生えた黒い腕に握られた大剣に一瞬で薙ぎ払われる。それは統率の取れた軍隊だからこそ取れる、中心に現れて一掃する奇策。狭い箇所だからこそ包囲する当然の摂理を利用した、徹底的な排除方法の一つ。
「残念ながら先程の発言は全て有効だ」
プレジデントの表情が凍った。
そしてクツクツと笑いながら、ホシノの正当性を固め出す。
「ここにアビドス高等学校第十八期生徒会、第十二代目生徒会長が存在するが故にな。彼女の正当性を保証しよう。──全てはアビドスの物だ。盗人どもめが」
古き者としての顔を露わにしながら、隠し切れない己ならざる己への嫌悪が溢れながらも、しかしその声色は嘲笑的であり……そして、挑発的でもあった。
「第、十八期──生徒会長……!?」
「プレジデント、知ってるなら話せ」
僅かながらに温かみのあったホシノの声色が再び絶対零度に戻り、一切の虚偽は許さぬとプレジデントに語るように命令する。
「……黒服から聞いたことがある。古いアビドスの葬られた歴史、第十八期の末期、十代から十四代までの生徒会長が異端派であり……その失われた遺産がアマルナという今は砂漠に消えた場所にある、と。だが眉唾物で──」
これ以上語らせるとまずい。
それは『彼』を見て、呼び、触れて、形と成す行為だ。
「異議あり! 彼は現在廃校対策委員会の一員であり、同時に統合された生徒会の一員、アビドス高校三年生の夏雪ライナ! その発言には一切の正当性はありませんっ」
無論、それを想定していたアヤネが事前に打っていた策で対応する。するとレグナは少し目を丸くして驚いた様子を見せたが、すぐにまた脳面のような無表情に戻った。しかしその雰囲気は何処か嬉しげで、同時に嫌悪もあった。
「ほう、頭が回る。事実だ。認めてやろう。この胡乱な称号も探せば根拠はありそうだが、それは不快だな。オレをそのように定めながら他のオレもまた存在しているとは。相変わらず世界は腐っている」
胡乱な称号……どちらを言っているかはわからない。だが恐らくはとシロコは思い当たる。
(……まさか、本当に──)
だとすれば、だとすればレグナもまたライナである筈だ。だが最後の一つ、憶測を確信に変えるものが足りない。他のレグナがどうだったのかというその一点だけが。
(シロコ、急いで。あまり悠長にしてられない……!)
ただもう時間もかなり無い。
彼女の迅速な到着を祈るだけである。
「だが総会に参加する権利はあるだろう? ──オレは"夏雪ライナ"なのだからな」
(しまった──!!)
発言に正当性は無い。だがライナとして扱うならこの場にいてもいいということ。否定するなら参加する権利さえも否定しておくべきだったとアヤネは誤算を恥じる。発言権を封じたところで、そこから排除できなければずっと影響力を持ち続けるのだから。
「仕方ないので立場を変えよう。操り人形越しの腹話術だが、まぁいいだろう」
そしてレグナが指を鳴らすと、部屋の中にまるで幽鬼のように歩きながら、全身から黒い流体を垂れ流しつつ、マリオネットのように不気味に操られるジェネラルが入室してきた。
『ぷ、レジ……デン、と……お逃げ、クダさ──』
「貴様、ジェネラルに何をした!?」
「心の自由と肉体の自由を奪ってみた。古臭いやり方に対抗するには、より古臭いやり方に限る。どうだ、中々だろう」
ケラケラと笑い、ちょっとした芸を嗜んでみたら思いの外上手くいったよと言わんばかりにジェネラルを文字通り玩具にして弄ぶレグナ。自身の言葉に合わせて、黒のヘカと精神感応で強引に肉体を動かし、カイザーの重鎮はさながら人形ショーの開幕のように恭しく礼をさせられ、糸の大元を紹介するような動作をする。
──兵士として従える主の座を強引に簒奪し、兵士として振る舞うべき作法を守った動作を全て捨てさせ、まるでカートゥーンアニメのような大袈裟で子供っぽい動作を無理矢理に取らせる。尊厳を徹底的に破壊し、心をへし折る悪魔のようなやり方。溜まりに溜まった嫌悪と憎悪の象徴。徹底的に身の程知らずを叩き潰す嘲弄的悪意。
「というわけでこれよりオレはこの反逆者の翻訳を担当しよう。不都合もあるまい」
本当ならやり過ぎだとか色々言いたかったところはある。ノノミでさえもだ。しかし何故そうしているかの理由は明らかであり、それもまたレグナの真相を照らす光となるから苦渋の決断にて言わないだけ。
本音を言えばその声とその顔で、こんな悍ましいことをして欲しくなどない。暴力以上の暴力で、他者の尊厳を破壊し辱め、愚弄することを嬉々として行なっている姿に、僅かながらにでもライナのたまに見えていた過激さや性悪の部分が垣間見えるのも最悪だ。
だがそれでも──それはライナではないと断ずること自体がライナの否定に繋がりかねないなら、その悍ましく醜い部分を直視するしかない。かつてアイが口汚く罵った言葉も、ライナに秘められていた刃であると考えられるように。
そういうところもあるよねあの人なんて笑い話にしてた部分が見えるなら、肯定する為に飲み込まねばならない。自分たちの都合一つで彼を否定して押し付けるなんてしてはいけない。
「……で、ですが皆さんは勘違いをしておられる。権利を手にしても、列車砲には辿り着けず、また起動もできない。何故なら──あのゴールドカードは、我が社が隠したからです」
ホシノに撃たれ、狂乱の雰囲気に呑まれていた執事がようやく我に帰り、致命的な現実を告げる。プレジデントの視線がスオウへと向けられたが、彼女はどこ吹く風。
「まだそんなことを言って……!」
「お嬢様は理解しておられ──」
「オマエたちの探す鍵は、これか」
言い争いが再び始まろうとした時、レグナが何処からともなくノノミのゴールドカードを取り出した。
(この人とライナさんが切り替わったのは──先生のお見舞いに行った前後! そして私が執事さんに呼ばれて行ったのも見ていた! でも、なんで?)
「!! 何故持っている!」
「ああ。暗がりで少し、ご令嬢の肢体を堪能させてもらった」
「貴様、お嬢様に何をした!」
わざとらしく下劣な言葉を使っているのは目に見えているが、いくら袂を分かったとはいえ実の娘同然の存在を穢したような発言をされれば、誰だって冷静ではいられない。
「砂をかけられたとは言えやはり見守ってきたものは大切か。頭を下げるように要求した存在が、今更心配とは笑わせる。最初から言っていればよかったじゃないか。長い物に巻かれた分際で」
「なっ──!」
もっとも。
レグナは自分の影響も理由で極端な行動を選んでいるとわかっている。よってこれらの言葉全て半ば地下生活者と共に自分が唆した犯人を、黒幕がそうと知られずに詰っているだけだ。端的に言って、タチが悪い。
まぁ溜め込んだ憎悪と復讐もあるのだろうが……
そんなレグナを睨み付けて、前に出たのはスオウ。自らの秘めたる目的の為にそれを手にしなければならないからと。
「──はぁ。無粋な女だ。口を挟むしか脳が無い」
「……」
「それでどうする」
銃を抜く──ジェネラルが動く。
それをわかってスオウはしっかりとレグナに狙いを……
『びよよーん。ジャック・イン・ザ・ボックス』
刹那、ジェネラルの声帯が無理矢理に使われて言う筈のない事を屈辱的に発言される。しかしそれと同時に彼の首元から黒のヘカで作られた腕が飛び出し、スオウの喉を掴み上げているのだから、それはびっくり箱などではなく絞殺への一手だ。
それを皮切りにジェネラルの身体から黒のヘカが象る腕が何本も飛び出し、スオウの持つ二丁のショットガンを奪い取り、眼前でプラプラと揺らして挑発し、その眼帯を引っ張ってゴム鉄砲のように離し、右目付近に苦痛を与えた。苦悶の声を出すスオウを見て、どこか満足げな様子を見せるレグナ。
「オマエたちは硬いからな。絞殺した方が早い」
『べろべろばー』
「、きっ、さま……! ぐ、ぁ──」
「さぁて"監督官殿"。売買を始めよう」
監督官殿。
そのイントネーションは。
(こいつは、あの仮面の──!!)
そこでスオウもようやく気付いた。こいつは最初からずっと自分たちのことを見ていたのだと。
『みんな頑張って他人を蹴落とそ〜』
「だとさ」
"(何がだとさ、だよ!)"
"(君が言わせてるんだろう!)"
「お、落ち着いてください先生! ……多分、彼も腹立っているんだと思います。でなければハイランダーへの態度とカイザーへの態度の違いが、理由がつきません!」
"(!!)"
先生が内心ではその悪逆無道っぷりに嫌悪感を渦巻かせていたように、アロナも流石にレグナへの不快感がある。この行いはライナと共通していたとしても到底許されてはいけない。如何に敵だとて、決して踏み越えてはならない不文律があるのだ。彼はそれを簡単に踏み躙り、破壊し、穢し尽くせる。
──しかしだ。
だとするならばハイランダーには堂々として対応し見事と賞賛を送ったことに対して説明がつかない。あの姉妹は、彼にとって不快な思いをさせた相手でもある筈なのだから。
ならばこれは、ハイランダーとこの総会を目論んだ人物に対する好感度の差なのだろう。蝙蝠のスオウ、二度も起こしたカイザー、そして古きアビドスの存在として容認できないだろう私募ファンドとネフティス。
レグナは対応を変えているだけなのは明白だ。
ではその理由は……?
"(やっぱり、ライナだ)"
"(ライナの感情もレグナの行動理由になってるんだ!)"
考えられるのはライナしかいない。
ライナとしての経験もまた、彼の基準に影響を及ぼしている。ならばこれ以上、もう一人のライナに、彼の受けた真心を踏み躙らせるような真似をさせてはいけない。
その時、あまり把握していないノノミを含めて全員が同じ結論に至った。
これ以上、レグナに魔王の如き振る舞いを許してはいけない。
どうあれ、彼もまたライナに通じているのだから。その源流にライナがいるのだから。
"み──"
「野暮な真似はやめてもらおう」
刹那、対策委員会と先生が地に伏せた。
よく見れば黒のヘカで模られた腕が、みんなを地面に押さえ付けている。
アビドスで立っているのはホシノだけだ。
黒のヘカは生命の力。
ここまで大掛かりなものを使えば相応の消耗も免れない。先生が視線を回す。レグナの様子は消耗してるようには見えない。
ジェネラルの操作に黒のヘカを使っている以上、そう簡単にはパッと用意できるわけではない。ならば何処から──
「せ、先生! 私募ファンドの方々の生命反応が低下しました! 衰弱──いえ、これは簒奪です! 私たちを拘束している黒のヘカは、彼らをタンクにして発動しています! 幸い高熱になった程度の体力消耗ですが、この状態が続くなりまた発動させられるなら、最悪死亡する恐れが……!」
"レグナ!"
"ふざけるな、そんなことをしていいわけがあるか!"
"彼らの命を啜ってこれを発動させたのか!"
どうやってなど見ればわかる。
ジェネラルから零れ落ちたヘカが、私募ファンドやプレジデントの足元まで広がり、影と繋がっている。そこから強引に生命力を奪い取り、起動させた。
それはまさに絶対の支配者。手を差し伸べて与え、手を出して奪い取り、自らの手が届くならば全てを否定して、呑み込む。
慈悲深く無慈悲で、生誕であり終焉、そして再誕。まるで絶対の太陽のように。昼は照り付けて生命を奪い、夜は姿を消して暖かさを隠す。それは人がどう扱おうが、自らに変化は生じずにその形で在り続ける。
「有効活用だ。文句はあるまい」
"大有りだ!"
"どれだけ腹が立ってても他人をゴミのように使っていいわけがないだろう!"
"命の重さがわかってないわけじゃないはずだ!"
「だからどうした。ヤツらもオマエたちを食い物にしようとしていたのだ。その苦痛を喜び、悦に浸って溜飲を下げるがいい」
「誰がそんなこと頼んだのよ!」
「オレがやりたいからやっているだけだが。当然だろう」
セリカの言葉に当然の現実を返して、レグナはまず拘束していたスオウに近寄った。
「監督官殿。売買なのだ、相応の対価を払うべきだろう。だが暴力は対価にはならんので、コチラで用意させてもらった」
彼女が目を見開いた。
ぞるりぞるりと動く腕が連れてきたのは、ヒカリとノゾミ。手足が縛られているが、何故拉致したのかがはっきりと理解できた。
元々スオウで遊ぶ為に連れてきたのだ。
さしものスオウとてその蛮行には憤怒と憎悪、そして地下生活者の支配を振り切って彼女の本心が現れる。
「ふざけるな。二人はハイランダーだが──!」
「オマエが関係しているんだ、なら同胞も関係者だろう。だからわざわざ持ってきた。二つ在るのはちょうどよかった。片方を切り落としても問題無い」
耳を塞ぎたくなるような事を都合が良いと言わんばかりに言い放ち、そして二人の頬を叩いた。
「ほら起きろ。寝てると風邪引くぞ」
「……はっ!? あ、あんたあの時の裸マント! ていうかあんたなに!? 私たちの頭ぶっ叩いていきなり連れてきて!」
「拉致だよこれー……! 抗議するー!」
「自らの言動を顧みることだ。どこで狂人の怒りを買うかわからんぞ。説明を省いたのは時間の無駄だからだ、総会の時間は死守せねばならん」
冷たく言い放つ姿は教育者のようだが、実際には全く違う。自らを狂人と置いて幼子を正す言葉ではない。
かつてノゾミが言った工期に間に合わせる為なら強行してよいというような言葉を嫌味ったらしく言い放ち、まともに相手などするつもりがないのも隠そうともしない。
──当てつけ、だ。
「監督官!? あんたなんでそんなとこいるの!?」
「っ」
「何か事情でもある? 監督官も大変……?」
訳のわからない状況だからこそとにかく情報を集めようとする二人を尻目に、レグナはゴールドカードをスオウの目の前に突き出して、冷酷に告げた。
「これが欲しければ死んでいい方を指定しろ。決定が行われ次第殺す。ただしオマエがこれを欲して行うものがシェマタの起動ならば生き残った方も即時殺す」
「──へ?」
「……どういうこと?」
どれだけ頑丈なキヴォトスの中の存在であっても、生物の基本的構造は変わらない。刺殺や射殺が難しいならば、その端的な殺し方は絞殺などの原始的な方法に回帰する。
どのように殺害するかはわからない。だがスオウの選択によっては、おおよそキヴォトスでは想像し得ない苦痛を与えられて二人が死ぬのだけは確実に想像できた。
それも、裏社会ですら想像できない殺し方で。
「哀れな姉妹よ。オマエたちはこの監督官殿が抱く悍ましい感情によって生贄とされるのだ。片方死んでも、恨むなら監督官殿にしてくれよ。オレは選択を反映するだけだからな」
「ちょっと待って。その子たちのヘイローを壊して何になるの」
流石にそれは凶行を超えた凶行だ。
ホシノが正気に引き寄せられて、待ったをかける。
「コイツらがどうなってもオマエには関係無いだろう。コイツらは彼女が必死になって守ったあの場所に土足で踏み入り、荒らし回り、挙げ句の果てに自分たちは客だと宣った賊だ。死んでいいだろう、そんな塵屑など」
しかしレグナはまるでライナのような事を、無感情気味に告げた。さしものホシノもその反応に奇妙な物を感じたのか、訝しげな顔で沈黙した。
「う、嘘だよね?」
「へるぷ〜」
「……カードは諦める。二人を解放しろ」
──できない。
何故なら如何に行動をコントロールされていようが、ゴールポストへ向かう道が複数ある場合、そこには選ぶ権利が生じる。
如何に復讐に身を捧げる決意が、共鳴した憤怒と憎悪によって為されても。如何にその行動の結果が決定され、そこに至る経緯が限られていても。
朝霧スオウという人間が積み重ねたこれまでの人生が、眼前の悪魔の提案を受け入れて、二人を残虐に解体される生贄にしてでも選択するということを拒絶している。大多数は弄ばれ選択を奪われたマリオネットのような今の彼女であっても、彼女自身の中にある確かな己がそれを選択した。
それはちっぽけだが硬く鋭い最後の善性だけではない。ハイランダーという居場所に共にある存在への、無意識的な仲間意識だ。
「賢明な判断だ。そう、自慰に他人の命を付き合わせるなど愚者のすること。──惜しいな」
予想していたようにレグナはカードを何処かへと再び消した。そして先程の殺意と悪意に塗れた提案とは真逆に、その選択を賢明とし、更には察しているのか惜しいと評する。
「……あんたがアビドスに関係しているようにも思えない。何故この場に現れた」
……奇妙。
ぐちゃぐちゃとして仕方ない。だからついそんなことを聞いてしまった。気の迷い、聞いても仕方ないことだろうに。確かに存在する朝霧スオウへと帰還した彼女の選択。
だが、聞かれれば答える。そういう性質も持ち合わせているが故に、その心の柔らかいところを切り裂く形で返答が返ってくるのだ。
「欠片のみ触れている隻眼の巨神よりもオレはアビドスに生まれ、アビドスに生き、アビドスに憎悪し、アビドスに死に、そしてアビドスである」
「……何を言っている」
「ままならぬ怒り、捨てられた苦痛、失われた悲しみ、叶わぬ夢、惨めな自分と満足気な死にかけの古巣。怨念返しがそんなにしたいか。巨人の中枢に立つ監督官という身分よりも、それら全てを捨ててでも己の怒りをぶち撒けたい。アビドスを否定することで、自分が捨てられた事実に意味を持たせその選択が誤りだったと証明したい……故郷から出ていったことは間違いではないのだと、あるいは──故郷が己を選ばなかったことが間違いなのだと」
心を引き裂き傷を開くその言葉には悪意が欠片も無い。ただ事実を告げるのみ。しかし伽藍堂の言葉は冷たい現実となって突き刺さる。見たくないもの、聞きたくないものを、淡々と口にされる事こそが真の痛み。
何故ならそこに意が無いということは──嘲笑の価値も無い、ちっぽけな事実でしかないと如実に示す。そしてレグナにとって、朝霧スオウの苦痛とはただ心無く読み上げる文章に過ぎないのだと、無機質な視線が物語っていた。
「その怒りと憎しみ、世界にぶつけるといい。だがオマエの復讐は取られてしまうぞ。不条理な世界は、不条理にも復讐さえより相応しい者へと譲渡する」
だからこそ先程の悪意に塗れた行いは、どうにも結び付かない。どうでもいいが効果的に心を傷付けつつ、本心が何処にあるかを確かめてみるなど滅茶苦茶だ。
(……こいつ本当に監督官へ嫌がらせする為に私たち連れてきたの?)
(変だ。八つ当たりみたい。怒ってるのに、怒ってない)
いやそもそも。
この男にとって何もかもが大義名分であり、実際には単なる八つ当たりであるような支離滅裂さというべきか。何かのついでに好き勝手やっているような──
「それは、八つ当たりだよね」
「なんだアヌビス」
見ていられない。そんな悍ましい光景を止める為に、真正面から受け止める以外の方法はたった一つ。
その心に触れに行くことだけ。
シロコ自身、正直無事では済まないと思っている。だがそれでも、これ以上の凶行を見たくないと思った。そしてその凶行は、レグナの本意では恐らくない筈だと。
「あなたの根源は違う。適当な理由があるから自分のままならない怒りをぶつけてるだけ。あなたは──!」
本当に零を求めているかはわからない。ただ一を嫌悪する姿勢は見せていた。ならばと山を張るしかない。本当ならもう少し証拠が揃ってから踏み込みたかったが、やむを得ない。
だがシロコの叫びが届く前に、彼はその表情を再び能面の如き無表情へと変えた。
「気が変わった。茶番は終わりにしよう」
「お前がライナであるもんか──っ!」
刹那、ホシノが叫んだ。
目にも止まらぬ速さで仕掛ける。拳銃を抜いて連射。更に連射完了後、ショットガンを使った近接戦闘に飛び込んでいく。
「なんだと……!?」
その行動を予測していなかったらしく、完全に想定外で驚愕しながらも、変異したガンブレードを取り出して銃弾は同じく発砲して迎撃。まるで剣のように振るわれたショットガンと刀身部分が激突し、鍔迫り合う。
その時であった。部屋を支配していた黒のヘカが全て突然消えた。それは彼の戦闘慣れし過ぎた弊害だった。
遊び半分の小細工に力を入れ続けるのは愚の骨頂。当然の判断、当然の摂理。それを理解しているが故に、戦闘には全てのリソースを回す……
故にスオウの拘束が外れる。
故にジェネラルが遂に解放される。
故に対策委員会が自由になる。
「ふざけた真似をしてくれたな! ──プレジデント、お下がりを!」
「チッ、木偶が出しゃばるな!」
即座に近くにいたジェネラルが近接戦闘を選択。CQBの基本に沿ったお手本のような拳撃を、即座にホシノを押し退けて自由になって、左手で防ぐ。
「オレに牙を剥くか。この身の程知らずめが!」
「舐めるな小僧ォ!」
そのまま関節を破壊しようと引き寄せるが、返す刀で胴を叩き切られる。しかし伊達にジェネラルの座についているわけではない。自身の誇り、魂、全てを穢した存在に対して奮い立ち、落ちていた銃を拾い引き金を引く。
「自らの怒りか、それとも忠義か、どちらを取る!」
それは操られていた事が原因だ。
長期間の同調接触による共鳴、その効力を理解しているからこそレグナは何をするまでもなく言葉をかける。実際そうだ。ジェネラルのやるべきことはこの利益を何も産まない場所からプレジデントを安全に連れ帰り、滅茶苦茶になってしまう前に軍を引き上げることだ。
なのに今レグナを排除しようとしている。彼に長く操られていたが故に、その屈辱への憤怒と憎悪が優先されてしまっている。
「……!」
「まず一つ」
一瞬の硬直、迷い。それを見逃すことなくレグナは騎槍を出現させ刺突を繰り出す。
余裕が無い。消耗を避けるとかそういう次元では無い。この場を切り抜けないとまずい。
彼にもわからない、わかっていない。何故ホシノが憤怒と憎悪でもなく、地下生活者の干渉でもなく、ライナと自分が同一ではないことを叫びながら襲ってきたのか。
「皆さん私の後ろに!」
「ノノミ! これを!」
もちろん敵はホシノだけではない。
シロコがガトリングを投げ渡し、ノノミが人質となり得る存在全てに接触させまいと構えて立つ。
「ちょっと待ってなさい! すぐ解くわ!」
「さんきゅ〜」
「パヒャッ、形勢逆転じゃん!」
「少し待っててください! お二人の救助が来ます!」
ヒカリとノゾミの拘束を解き、セリカとアヤネも動き出す。
そして装備を回収し切ったスオウもまた、レグナを撃滅せんと迫る。
「お前はライナじゃない! お前がライナな筈がない! だとしたら、だったら──!」
「あんただけは──潰す」
そんな二人の言葉を聞いて。
「……その意、なるほど」
彼は、何故こうなったかを悟り。
「しくじったな」
ただ静かに自らの過ちを認め、一切の遊びを捨てた。
──消える。
一切の前兆無く視界から消える。そしてそれぞれの前にほぼ同時に現れてその一撃で大きく吹き飛ばす。
何が起きたか。その実態がどうにしろ、レグナは如何なる手段か全員同時攻撃を行なってみせた。
だがアロナは間近で見たことで理解する。それが何なのか。どういう手段で移動しているのか。
(空間圧縮!? ──それも高度で、完璧な……!)
理論・理屈としてはシンプルだ。
現在地と目的地点の間の空間を圧縮し移動距離自体を短くする……要はゴールまでの距離を縮めて、スタート地点から少し歩いて移動した後に元に戻せば、まるで瞬間移動しているように見えるということ。決して魔法などではない。
とはいえ、これ自体は極めて複雑な演算を必要としている。そもそも空間を圧縮するという時点で膨大な演算を必要とするのに、それを望む距離で瞬時に行うというのは、それこそシッテムの箱を持ってこいというもの。
だというのにレグナは単身でやっている。特別何かする素振りさえ見せずに。それは異常に他ならない。
自力でやっているにしてもそのリソースは何処から捻出しているのかさえ不明だ。何せ特別な反応も何も無いのだから。つまり元々備わっている能力だけで、シッテムの箱を必要とするレベルの高度な演算を行なっている。全く無茶苦茶だ。
(……ジャンル違い……)
かつてアイが言っていたこと、ジャンル違い。
今ならわかる。これはジャンルが違う。キヴォトスというジャンルから外れている。
「仕方ない、纏めて消す」
左手に光が爆縮し始める。
庁舎から文字通り放り出されたのならば、誰しもがそう手早くは復帰することができない。そうでなくても建物の崩落に巻き込まれるのなら、相応のダメージにもなる。
合理の一手、思考の空白に叩き付ける最大効率の攻撃。
しかし。
「──は、ァ?」
それを見ていた地下生活者が間抜けな声を出した。
「……来たか」
突然ロケット弾が飛来し、レグナに命中し光の爆縮を阻止する。その攻撃の主がカツカツとヒールの音を立てて入ってくる。
「見つけた。ライナの中にいたお前。私の前で、よくもみんなを引き裂いたな──絶対に許さない」
「これはこれは砂狼シロコ。嚮導者が最後の教え子。偉大なるその片割れよ」
漆黒のドレスを纏い、迷いなく立つもう一人のアヌビス。
「シロコ!」
「待たせてごめんね、シロコ」
プレナパテスの砂狼シロコが、列車の動く音を引き連れて、遂に魔人と再会した。