青い春に馴染めない黝の星 作:うへうへ学生
時は少し遡る。
「いざ名乗りを上げよ。その存在を声高らかにシェマタへと捧げ、自らを叶えるがいい」
レグナの前へ、シェマタの下へ辿り着いた二人。
憤怒と憎悪に染め上げられ、悪意の糸に絡め取られ、その意志のままに嬉々として破滅への道を歩まされている哀れな少女たち。
そんな彼女たちをシェマタの上から見下ろして、レグナは大袈裟な言い方で勝手に争えと糸を垂らした。
「いつまで指揮者を気取っているつもりだ」
「……あぁ、こういう言葉がいいか。オマエに意味をくれてやる、と言っているのだ。有り難く拝領せよ」
「私の意味も、私の価値も、お前に与えられるものじゃない」
スオウがそう言っても虚しく響く。
現に彼女は誰かの思惑により都合良く動く人形に等しく、その個我と呼べるものの表出は極めて少ない。それをわかっているレグナは半分聞き流しながら、しかし何処か、何かに期待するように言葉を返した。
「ふむ。ではなんだ。一度だって掴み取れたことの無い者に、自らの意味と価値を手に入れることができるとでも」
「掴んでみせる。最強を、そしてアビドスを否定する現実を。恐怖と狂気を否定する為に私は在るのだから」
「なるほど」
言葉にすれば僅か四文字。
その四文字には深い失望が込められていた。
「……どちらか一方、立っていた方に望みの品を与えよう。機嫌を損ねればどうなるか、わからない阿呆でもあるまい」
だから彼は、二人の対立を絶対的にする言葉を投げかけた。──特定の条件下に誘導された場合、先に仕込まれていた行動原理が優先される。
だからスオウは本来ならばレグナ排除が優先されるところ、既に行われていた地下生活者の刷り込みが優先され、この状況であるにも関わらずホシノ排除を優先してしまっている。
そしてホシノからすれば、いい加減鬱陶しい訳知り顔を排除する絶好の機会だ。
「さっさとやろうよ、眼帯ちゃん」
「いつまでも手帳を探すとは、哀れだな」
「──あぁ、そう。見てたんだ。見世物にしてたなら、報いを受けてもらわないと」
小鳥遊ホシノの視線が、冷たく鋭く──
身を焦がす憤怒と情を斬り裂く憎悪に、支配される。
「……人形劇の台本を拾ってみたら、次の日の演目だった気分だな」
あえてその戦闘について触れる必要は無い。
自らの暴力性、その素晴らしい本性を露わにした小鳥遊ホシノに勝る存在など、ほとんどいない。普段なら理性で抑えている部分を、大義名分のままに振るうことが許されるのなら、単騎でありながらゲヘナに警戒された恐るべき存在が再臨するというもの。
当然の結末として、傷だらけのスオウが膝をついた。
「一応聞いてあげる。なんで手帳の事を知ってたの」
「二年も探して見つからないなら、本当にあると思うのか」
「聞かれたことだけ答えろ」
「グッ……お前は、なぜそこまで怒り狂っている。いつまでも過去に囚われて、愚かな──がはっ!?」
揺らぐ。地下生活者の人形としてのスオウ、激情の代行者としてのスオウ、そしてただの朝霧スオウとしての彼女。それらが斑模様を描くが故に、彼女の様々な面が次々と現れる。
運悪く正気の彼女が出てきてしまい、運悪くその逆鱗を撫でる言葉を選んだが故に、追撃とばかりに撃ち込まれる弾丸がスオウを痛め付ける。
「二度も三度も言わせるな」
「梔子ユメが……っ!?」
「それ冗談? 面白いことを言うねぇ。お前如きがユメ先輩の名前を口にしていいと思ってるの?」
本当に今のホシノの行動をユメが望むのか。ごく当然の疑問、あるいは本来なら手を止めさせるに相応しい言葉さえも炎に焚べられる薪でしかない。
遂に素手でスオウを殴り付けたホシノは、注がれて歪み狂った激情のままに胸倉を掴み上げて、自身と同じように左右異なる色の瞳を覗き込む。
「ていうか最強って何? そんなちっぽけな称号の為に自分の環境を捨ててこんなことしたの? 私を倒したら最強になれるとでも言いたいの? バカバカしい。過去に囚われて愚かなもんだね。そんなのあげるからさっさと消えるか手帳の事を吐くかどっちかしてよ」
そこに光はない。似たような言葉で返して、お前がこうして意識を保っているのは手帳に関して知っているからという理由でしかなく、それ以外には価値が無いのだと闇に染まった瞳が告げる。
絡み付いた恐怖を振り切るように、人形としてのスオウが言葉を発する。代行者としてのスオウを目覚めさせるような言葉を。ただの彼女の、心底にある負の感情と縋り付くものを。
「お前から、奪わなければ! 私の価値は! 私の意味は! この呪われたアビドスを消し去り、砂漠を彷徨った意味を!」
「知らないよそんなの。自分で考えたら。アビドスから出てったのは眼帯ちゃんの選択でしょ。今更何しに戻ってきたの。まさか、さっき言ったことが全てだとか言わないよね。逃げ出した奴が今更否定とか、笑わせないで」
相手にもされていない、完全なる否定と拒絶。価値を徹底して貶める言葉。スオウの憤怒は、ホシノの憤怒の前ではちっぽけなものに過ぎなかった。
それが例え増幅、誇張されて正気をねじ伏せているものであってもだ。
それはある種の絶望的な現実であり、眼前に現れた自分以上の怪物、その絶対的恐怖を知り……スオウの心は音を立てて崩れ落ちた。
遠い回り道をして、やっとの事でようやく辿り着いた本望。得てきた全てを投げ捨てて挑んでみれば、本命には雑魚は引っ込んでいろと相手にもされない。
「手帳のことを知らないオマエが何故それを口にする? 教えてやろうか。オマエの知識は与えられたものだからだ。ああつまり、事ここに至るまでオマエは全て掌の上で転がされていたというわけだ。笑えるな」
「つまりこういうこと? こいつ、誰かがそう都合良くいじったとかそういうの」
「概ね正解だ。元々は電波を受信して動く人形だったが、オレの乱入でややこしいことになってしまったようだ。ま、本来の仕事は成し遂げた以上──用済みの役者という分類だな」
何を言おうと、何をしようと、誰も何も朝霧スオウを見つけない。ホシノの視界には自分は映らず、乱入者には道化人形と蔑まれる。
如何に地下生活者の手駒とて、その内に秘めたるものは彼女のモノだ。それを否定することは、スオウへの否定であることに変わりはない。元々不安定を否めなかった精神に降り注ぐ現実、そして地下生活者の干渉……端的に言えば、彼女もまたその精神のバランスを大きく欠いていた。
そのバランスを大きく欠いた精神に、自己嫌悪の八つ当たりを根源に置くレグナの憤怒と憎悪と、ホシノの極端な否定を与えれば必然砕け散るしかない。
膝から崩れ落ちた彼女を見て、レグナは失望と共に感想を吐き出す。
「──所詮こんなものか。怨念しか吐き出せない上に無自覚な人形としての言動。突如現れた都合の良い敵役という存在。呪われた故郷を滅ぼし最強になるという、まるで絵本の中から抜き出して空間に糊付けしたような、現実味の無さ。そういうものだからそうである……真のオマエならばそうはならなかった。何も変わらなくても、心中はまともで在れたろうよ」
それはある種の憐憫混じりであり、そのように動き切ってしまった現実への絶望。本当の朝霧スオウであれば惜しむ心も見えるが、それと同時に知らずの内に使い潰された役者への失望もある。
斑模様の心を隠すことなく言葉と態度に込めて、それはそれでと言わんばかりにホシノへとゴールドカードを投げ渡した。
「よくぞ討ち破ったホルス。さあ、これがオマエの求める王冠だ。受け取るがいい」
「素直にくれるんだね」
「約束は約束だ。違えるわけにはいかん。それにもう、オレには必要ないからな」
──必要無い。
まさか自分とスオウを戦わせる為だけに奪ったのか? ホシノの正気の部分が状況を分析しているものの、それがあらわになることはない。遂に邪魔者が消えたのだ。ならばその嫌悪、憤怒、憎悪。殺しても殺し足りない相手を抹殺することに注力すればいい。
ライナの中で何もすることなく、ただ自分たちの絶望を眺めていたクソ野郎をぶち殺す瞬間は、きっと甘美なものなのだから。
"ホシノ!"
「先生、みんな……」
「来たか」
そんな中で水を差すように、いやホシノに致命的な間違いを犯させないように。彼女にとって大切な人たちがようやくシェマタの御前に辿り着いた。
その状況を把握すれば、自ずとやることは定まる。
「大丈夫ですか……!?」
「ご令嬢、なんで……?」
スオウへ駆け寄ったノノミ。場を引っ掻き回した裏切り者で敵、自らをそう認識する彼女は、何故そうされたのかに全く結び付かない。今更どんな顔をしてハイランダーに向かうのか。それすら浮かばないのだから、ホシノは助けられても自分は助けられない側とするのは必然だろう。
「誰かを助けるのに理由が必要ですか」
──しかし、それが何か理由になるかと言われたらどうでもいいことだ。彼女たちにとって、スオウは訳のわからない状況で踊らされた存在であり、話を聞いてみれば案外理解できるかもしれない相手。ならば差し伸べる手が、完全に振り払われない限り、差し伸べ続ける。
それはホシノから彼女たちへ受け継がれたユメの善意と願い。確かに過去から現在に続く優しさという永遠。
迷いなく見つめられ、迷いなく返されて。
ようやく肩の荷が降りたような気がした。
「……聞いてくれ」
だから自分の感じたことをありのまま伝えることを選んだ。それがこの混沌を打ち払い、帰るべき日常を心より欲する者たちの一助になることを願って。
「あの男から小鳥遊ホシノに対する怒りと憎しみを感じる。まるでお互いにいがみ合うのが必然であるかのように。あれは、あの時の仮面の男。夏雪ライナだろう? ならあんたたちの仲間である筈だ。少なくとも私のように──秘めた目的を果たさんと動いていたなんて、無い筈だ」
ライナとレグナが同一の存在だということはわかる。だがだとすると、スオウの視点からはどうしても噛み合わない部分があった。先生の代わりを務めて、対策委員会の側に付いて、あれ程の敵意を見せた相手。それがどうして懐に入っているであろう相手に強い怒りを見せているのか。
「……本当にあの男は、あんたたちと敵対してでも果たすべき目的なんてあるのか? この状況で……そう、期待しているような……あんたたちの、何か、きっと決意とか言葉とか──いや、そもそもなんであの男は小鳥遊ホシノに怒り、憎んで……滅亡なんて──」
それにこの、妙にゆとりを持たせた駒運び。妨害というには超えられる程度のものしか投げ付けず、基本的に時間稼ぎに徹しているような振る舞い。やる気があるのか無いのか、その気になればいくらでも勝てるしいくらでも滅ぼせるだろうに、何故かそれをしていない。かと言って舐め腐っているということでもないのは目に見えている。
実際尽力しなければならない場面ばかりではあるのだから。超えられる程度とは言うものの、使えるものは全て使って初めて超えられるような妨害だが。
「人の内を無闇矢鱈に話すものではない。余計なものまで流し込んだか。共鳴と汚染、やはり本家のようには使えんな」
──レグナの声が、スオウの肩を支えるノノミのすぐ後ろから聞こえる。
「ご……っ!?」
「わかっていてもその硬さには辟易する。そんなに死を遠ざけたいか。少なくとも見える範囲では。しかしそれもここまで弱れば流石に通る」
胴を貫き血を滴らせる刃。より充満する鉄の臭い。
無機質にスオウを、黒のヘカが作る刺剣で貫くレグナの姿。アロナが空間圧縮による移動を感知する頃には、既にレグナはスオウの背後に移動して刀身を突き入れていた。
「どうした? 何を驚いている。オレの得物はこういうもの。それが人体に突き刺さればこうもなろうよ。安心しろ、心臓を狙ったんだがどうも上手く刺さらなかった。にしても、これくらいの暇があればかつてと同様にはなるようだ。奇襲や強襲にしか使えないが」
自分は刃物を使ってるんだし当然の光景だろうと宣いながら引き抜き、倒れ伏した彼女には一瞥もくれない。それでいて淡々と自分の能力の分析をする姿。一見すればどうでも良さそうに思えるが、しかしそうと判断するには微妙だった。
心臓を狙ったと言っていたが本当に上手くいかなかっただけなのだろうか。まるで急いで口封じに来たようで、黙ればなんでもよかったようにも思えるし、唐突な話題転換もスオウを意識しない為の言葉に感じられる。現にスオウが貫かれた場所は、心臓ではなく胴の中心なのだから。
そうなった瞬間に、ホシノが銃を向けた。横にいるノノミを守るための行動であるが、しかしレグナは余裕綽々のまま黒のヘカを溶かして、ライナが最初から持っていたライフルを手に出現させ、クルクルと回転させてから肩に担ぐ。
「やる気か。だがわかっているだろう。オマエの殺意が我が身に届く前に、我が刃はオマエの愛しい仲間の誰かに届く。そうだな、猫辺りから潰すのも悪くない。命綱のようなもの、これを狩れねば仕留められぬが、これさえ狩れば仕留められる」
「舐めてんじゃないわよ!」
自分を下に見ていると思える言葉、事実だとしても言われっぱなしというわけにはいかない。
事実セリカもレグナがそう言ってくるだけの実力を備えているのは百も承知だが、それに気圧されるようでは何もできずに負けるのみなのだから。自らの奮い立たせる意味でも、吠えなければならないのだ。
「ああ、別に弱き者から狩るというわけではない。人には因果の鎖というものがある。とりわけオマエは、その命が尽きる時、コイツらの命運も尽きるに等しい鎖が結び付いているのだ。──砂狼シロコを地獄に突き落としたのは、ホルスが守りきれなかったからということになるな」
セリカが絶命する時はアビドスの命運も尽きるに等しいということ。つまり勝ちを狙うならそれがいいから、ということらしいのだがよくわからない。聞いてる本人すら自分の死が滅亡へのカウントダウンなど意味がわからない。そこは煙に撒く為の適当な文言と考えるしかない。ならば絶対的にわかることは後半。シロコ*テラーの不幸が、全てホシノの所為だと嘲っていること。
しかし彼女は知っている。他ならぬ異なる彼が、運命は誰か一人で転がるものではないと告げていたことを。
「私の世界のお前は言っていた──誰のせいでもなく、そうなる運命だったって。ならそんなことを、その声とその顔で言うな! お前だってライナなんだから、ライナにそんなことを言わせるな!」
意外にも。
そう言われたレグナは、苦虫を噛み潰したような表情で、何処か心当たりがあるような、なんとも言えない声色でそれを肯定した。何処となくではなく、そこには確かにライナを感じられる。
「……まぁ、そうかもしれんな。たった一人に狂わされる運命など、そんなものに過ぎんか。あの超人が心身を引き裂いても、このように流れていくのだから」
その言葉が、彼女の意識を覚醒に導く。
黒きに染まった衣に変わっても、先生を支える存在であるが故に。
プラナは開いた瞼の先にいる、よく知る王へと尋ねる。
「──あなたに、彼女の何がわかるというのですか」
「プラナちゃん! 平気なんですか!?」
「問題ありません。アロナ先輩、今から私も復帰します」
アロナと軽くやり取りをして、先生もそれを聞いて安心する。
「何もわからん。だがオレはあの超人がどれ程まで苦心したかを知っている。あの超人がどれ程までこの世界を愛しているかを知っている。しかし見ろ、現実はキサマらのような地獄を歩いた者を生み出し、オレのように滅びへ導く愚者を何度も目覚めさせる。キサマはどう思う」
「どうも何も。後悔も絶望もあります。でもそれが前に目を向けない理由にはならない。彼女もまたそうであるように」
「だろうな。でなければプレナパテスが見せた背中から何を学んだのかと呆れるところだった」
プラナは迷わない。あの時から全て決めているのだ。だから悉くに間髪入れて答えて──
……なんだこいつは。
初めて明確に話したプラナが感じる程の奇妙な感覚。
ライナだ。ライナなんだこいつは。プレナパテスに対する敬意。それだけではない、彼女とシロコ*テラーに対する敬意も見える。出力がかなり違うが、こういう皮肉っぽい言い方の中に自分の本意を確かに感じられるくらいに交えるそれ。『プラナがよく知るライナ』だ。日常的に見せていた部分。
だからこそシロコ*テラーがシロコと明確な証拠を突き付け合う以外では認めたくなかったのだろう。
虚空に向けて話しかけている以外の何者でもないが、しかしその言葉から確かなライナを感じ取れるのはプラナだけではない。この場にいる全員だ。
敢えてノノミが踏み込む。その言葉に偽りが無いと信じているから。
「──何故、あなたがホシノ先輩を憎んでるんですか」
「信じるというのか」
「信じます。騙されたからわかることだってあるんですから」
「では答えよう。そこの間抜けが綻びを生んだ所為でこうなったからと逆恨みしているからだ。つまり八つ当たりだな。オレなんぞが生まれる余地を残した全てへの」
ホシノを指差して、吐き捨てるように告げた。
……よくわからない。よくわからないがとにかくレグナは、自らの苦痛の原因をホシノを含めた全てとして、八つ当たりだとわかっていながら八つ当たりをしているのははっきりした。
逆恨み、八つ当たり。自覚しても止まることない奈落の激情である筈なのに、まるで火の消えた薪のように静かな姿。しかしその内に激る憤怒と憎悪は、火を灯し続けている。矛盾、背反。そういった意味不明な状態。
「……いかんな。久しぶりの会話ともなれば楽しくて興が乗ってしまう。とりわけ、自分の悩みや苦痛を吐き出して良いならば。さりとて、オレの望みを叶えるべく行動するに矛盾は無い」
クツクツと笑みを零す。こんな状況での会話が楽しいのを隠そうとしないのに、その楽しさを感じさせてくれる相手でも壊すことに躊躇いもなければ、本人にとって矛盾が無い。
「では八つ当たりの続きと行こう。不愉快な黒幕野郎にも素晴らしい体験となるだろうさな」
そして虚空に──地下生活者に視線を向けて宣言する。
『……どう、するつもりだ?』
「決まってるだろう。この欺瞞の楽園ごと死ね」
『嘘だろ』
「オマエが用意していた案と大して変わらんよ」
『そうじゃねぇ! カード返しただろテメェ!』
「……? 妙なことを言うな。視線を逸らしていたのか。全てを把握しているのではないようだ」
そうして会話したのが隙になり、プラナが地下生活者を捕捉する。裏で糸を引いていたクソ野郎。もしかすればそれは──かつて幸せを奪い去った出来事の裏にいた存在かもしれない。
「……地下生活者。なるほど、ゲマトリアの……」
『あぁ!? 小生の邪魔を……んん? 歪んだ、箱の……? どういうことだ。なんでアヌビスも二つ在るし箱の管理者も二つ在る……?』
もちろん地下生活者もその視線に気付き、プラナを認識する。想定外に次ぐ想定外だからこそ、何故同じ物が二つあるのかという根本の疑問に突き当たる。彼も伊達にゲマトリアではない。瞬時に様々な可能性を考えては否定する。
(──平行世界のように、限りなく近く極めて遠い存在ならばあり得るが、何故ここに)
今はいい。
それよりも──そこで溜め息を吐いている神が問題だ。
だが。
「まさか、気付いてなかったのか。既にシェマタは手中に収めた。言ったろう。それはもう要らんと。まさかオレが物語の悪役か何かだと思ったのか。オマエたちの馬鹿げた戦いを肴にする前から起動していた。一度動かして設定を変えてしまえばいい。そう難しいことではない。こう見えて機械も得意でな」
──全員の頭が凍りついた。
……既にシェマタを手中に収めていた。通常機能するはずのセキュリティも、ジャンル違いのボスにかかれば意味をなさない。1+1=2が当然でも、彼は2+2=5であることを知っていて、それで計算もできる。そのルールでは強固なセキュリティだろうが、他のルールなら子供の落書きレベルまで下がる。ああ言うだけなら簡単だろう。しかしその古の叡智が、憤怒と憎悪に宿るかつてが、動作として簡単な物へと変えてしまっていた。
「自らの足枷より外れて。粉砕し、蹂躙し、破砕せよ。歴史を擦り潰し、文明を踏み荒らし、人命を圧し壊せ」
黒に覆われ、至る所が生物的に変異したシェマタが動き出す。
「──そ、そんなっ。先生! 聞いてください! シェマタの動力反応がありません! なのに起動しています! 理論、理屈として成立してません!」
「警告。シェマタとして該当する兵器は既にルールが書き換えられ、特異な存在として機能しています。ただし破壊に際して問題となるだろう箇所、誘爆の危険性が文字通り消滅しています」
アロナたちがシェマタをスキャンした結果、これがプラズマキャノンの一種であることは判明した。これは本来なら動力炉の誘爆による甚大な被害を避ける為に慎重に行かなければならない理由だ。
しかしレグナによるルールの強引な変更が原因で、それらは決して起こらない。何故も何も無く、全ての機能が問題無く活動して初めて起きる弊害だ。全ての機能が停止したまま、別の方法で停止状態のまま動かしているならば、それが起こるわけがないのも当然である。
──蝋燭の消し忘れがあるなら火事は起きる可能性が極めて高くなるが、蝋燭に火が灯っていない状態のまま、火が灯っている視覚効果だけがあるなら、そもそも火事など起きはしない。見た目光ってる程度なのだ、熱すらない。
再び空間圧縮でシェマタまで戻り、声高らかに全員に向けて告げる。
「さて、コイツを街中に誘導して爆発させたらどうなるかな。──ホルス! ライナに大罪を負わせたくなくば、何をするべきかはわかっているだろう? そうだ、オレを殺せ! 粉々にしろ! そうすれば梔子ユメは……オマエをほんの少しだけでも許してくれるだろうよ!」
「──『ライナ』! お前があの時ユメ先輩にもっと寄り添っていたらこんなことにはならなかったんだ!」
「オマエが彼女の心に寄り添わなかったからこうなったのさ! そこで見ていろ。この楽園が劫火に包まれ、灰塵の吹き溜まりに至るその時をな! それが罰だ!」
呪い合う二つの太陽。暁のホルスと神なる黎明。
突如として吹き出した極大の憤怒と憎悪に呆気に取られた瞬間に、それぞれは動き出した。
シェマタはアビドスへ向けて、ホシノはそれを追って。
"っ、まずい!"
"みんな、シェマタを追うよ!"
「先輩は!?」
"危険だけど、ヒナを信じるしかない!"
どちらを止めるべきかなどキヴォトスの危機であるシェマタが優先で。
(だからこそオマエたちは見落とす)
「都合は良いが──しかし……」
(さぁやれ、暁月に絶望の叫びを響かせろ)
「真のホルスに勝る者などいない。ならば!」
本当の望みを秘める者たちにとって、最も都合の良い形に進む。そうなるようにと仕向けているのだから当然だ。