足音が追いかけてくる。
俺は走る。両腕に抱えた小さな体が振動で揺れないよう、必死に押さえた。
グラーヴェ市で買い物を済ませ、村への帰り道。いつも通る森の抜け道で、この子を見つけた。精霊ハンターたちに囲まれ、傷だらけのまま必死に抵抗していた。俺が割って入って抱きかかえると、奴らは一瞬戸惑った。その隙に走り出した――けど、追いつかれる。
「おい、いい加減にしろよ。走ったって結果は変わらねえぞ」
背後から男の怒声が飛ぶ。三人だ。革鎧に長剣、腰には短剣と吹き矢。精霊ハンター。獲物はたぶん・・・いや、間違いなく俺の腕の中にいる。
「リーダー、あのガキ足速えな。このまま森抜けられたら厄介じゃないですか」
「森を抜ける前に捕まえればいいだけだろう。風を使え」
「精霊に当たったらどうすんですか。あれだけの精霊、傷一つ増やしたら値が落ちる」
「・・・なら脚を狙え。ガキの方は多少傷ついても構わん」
こいつら、俺のことなんか最初から眼中にないらしい。精霊の値段のことしか頭にない。
この子は意識がない。さっき森の中で見つけたときも、囲まれて追い詰められていた。傷だらけの体を丸め、震えながら、それでも声を絞って抵抗しようとしていた。歌声は掠れ、精霊が放てる魔力の輝きすら弱々しかった。
考えるより先に、俺の足は動いていた。なんでかは・・・自分でもよくわからない。ただ、あの震えを見て見ぬふりはできなかった。
「おい、起きてくれ・・・頼むから」
呼びかけても返事はない。顔色が悪い。こんなに軽いのに、走るほどに重さを感じる。
森の中。木々の合間を縫って走る。根に引っかかりそうになり、バランスを崩しながらも止まれない。止まれば追いつかれる。追いつかれたら・・・たぶん、この子はもう助からない。
「風よ、捕らえろ」
背後で声が弾けた。突風が背中を叩き、両足が一瞬浮く。精霊を庇って体を丸め、地面に転がった。背中に鋭い痛み。枝が刺さったのかもしれない。けど精霊は無傷だ。・・・うん、それでいい。
「逃がすかよ!」
立ち上がろうとした瞬間、大柄な男が目の前に躍り出た。剣を抜いている。
「おい、ガキ。なんでそこまで必死になるんだ? たかが精霊一匹だろ。こっちに渡しちまえば、お前には何もしねえ。分け前だってやってもいい。悪い話じゃねえだろ」
「・・・嫌だ」
「は?」
「嫌だって言ってんだ。この子は・・・商品じゃない」
言い返した自分に驚いた。普段の俺なら、こんなことは言えない。村で何を言われても黙ってやり過ごすのが俺だ。でも今は・・・この子が、俺に抱きかかえられて少しだけ安心したみたいな顔をしてた。それだけで、黙ってられなかった。
もう一度走り出す。男が舌打ちした。
「面倒くせえガキだな。おい、風を使うなって言ったろ。精霊が傷ついたらお前の取り分から引くからな」
「じゃあどうするんですか」
「剣で止める。脚を斬れば走れねえだろ」
冷たい声が響いた。
殺される・・・かもしれない。
直感が体より先に動く。横に跳んだ瞬間、さっきまで俺がいた場所に刃が突き刺さった。枯葉が舞う。心臓が口から飛び出しそうだ。
腕の中で精霊が小さく震えた。目を開けかけている。起きたら、この状況を見てどう思うだろう。怖いよな。・・・俺だって怖い。けど逃げ切る。逃げ切らないと。
だから、もう少しだけ――
「行き止まりだぞ、ガキ」
前方から別の男が現れた。リーダーらしい。三人全員が俺を囲んでいる。剣を構え、余裕の表情を浮かべている。
崖だ。
後ろを振り返ると急斜面が広がっていた。谷底まで見えない。飛び降りるのは無理だ。
「さて、どうする? お前には二つ選択肢がある。その精霊をこっちに渡して無傷で帰るか、抱えたまま崖から落ちるか。俺としてはどっちでも構わんが・・・精霊が無事な方が助かるな」
リーダーがゆっくり近づいてくる。一歩、また一歩。俺は精霊を抱き直した。
この子を渡せば、俺は無傷で帰れる。村に戻って、いつも通りの毎日に戻れる。誰にも感謝されない、空っぽな毎日に。
・・・でも。
この子を渡したら、俺は何のためにここまで走ったんだ。何のために背中に枝が刺さって、何のために剣を避けたんだ。
何もできない奴が、何かできるかもしれないって・・・そう思えた瞬間だったのに。
「・・・渡さない」
声が震えた。情けない。でも。
「渡さないって言ってんだ・・・!」
「ふん。・・・好きにしろ」
リーダーが刃を振り上げる。
終わり、なのか。
精霊の体がほんの少し温かい。傷だらけだったのに、今はこんなに穏やかに眠ってる。ここで俺が倒れたら、この子はまた奴らの手に落ちる。森の中で囲まれて、怯えることになる。
それは嫌だ。
頭が回らない。体が動かない。剣が振り下ろされる。
・・・まだ、終わらせたくない。
俺の中で、何かが叫んだ。