歌姫と共に   作:ぶるうず

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自分の剣

修行二ヶ月目に入って、自分の体が変わってきたのが分かった。

 

走り込みで息が上がるのが遅くなった。木剣の素振りが百回を超えても腕が止まらなくなった。筋肉がついたのもあるけれど、それだけじゃない。動きの無駄が減った。トルニオに何百回と叩き直された足の運び方が、考えなくても出るようになってきている。

 

「フェズさん、今日は私と組み手しましょう!」

 

朝の訓練場に着いた瞬間、ラリサが木剣を振りながら言った。いつもの元気な声。でも目がいつもと違う。好奇心がぎらぎらしている。

 

「ラリサと? トルニオは?」

 

「師匠は今日、祠の用事です。だから私が代わりに見てあげます!」

 

ラリサが木剣をびゅんと振って構えた。嵐の精霊は肩の上にいるけれど、共鳴はしていない。体術だけでやるつもりらしい。

 

・・・ラリサと本気でやり合うのは初めてだ。

 

トルニオとの組み手は何十回もやった。毎回一方的にやられた。でもトルニオは教えるための動きをしてくれていた。こう来たらこう返す。この間合いではこう動く。型の中の組み手だった。

 

ラリサは違う。天才だ。トルニオが認めた一番弟子で、精霊を使わなくても大人の荒事師を軽くあしらえる。

 

「・・・手加減してくれるの?」

 

「しませんよ! 手加減したら意味ないじゃないですか!」

 

にこにこしながら怖いことを言う。カルンが俺の肩の上で身を縮めた。大丈夫だよカルン、殺されはしないから。たぶん。

 

「いきます!」

 

ラリサが踏み込んだ。

 

速い。トルニオとは種類の違う速さだった。トルニオの踏み込みは重くて直線的だ。来ると分かっていても体ごと押し込まれる。ラリサのはそうじゃない。軽くて、方向が読めない。足が地面に着いている時間が短い。跳ねるように動く。

 

木剣が横から飛んできた。受けようとしたけれど間に合わない。わき腹に当たった。

 

「一本!」

 

痛い。容赦がない。

 

「ラリサ、今の・・・どっちから来たか全然見えなかった」

 

「ふふ、それは秘密です! さあ次いきますよフェズさん!」

 

二本目。今度は正面から来た。受けた。でも受けた瞬間に木剣を引かれて、体勢が崩れたところに足払い。背中から地面に叩きつけられた。

 

「二本!」

 

三本目。右から。四本目。上から。五本目は来ると思った方向と逆から。

 

六本やられた時点で、正面からぶつかるのは無理だと完全に理解した。

 

速さが違う。技術が違う。体の使い方の精度が根本から違う。俺が二ヶ月かけて身につけたものを、ラリサは息を吸うようにやっている。天才とはこういうことか。

 

「フェズさん、大丈夫ですか? 続けます?」

 

「・・・続ける」

 

立ち上がった。体のあちこちが痛い。でもやめない。こういう時に逃げたら、たぶん一生追いつけない。

 

七本目。

 

今度は自分からは仕掛けなかった。後ろに下がった。訓練場の端の方、木が生えている辺り。足場が悪い場所だ。根が地面から飛び出していて、石がごろごろしている。

 

ラリサが追ってきた。踏み込もうとして、一瞬だけ足元を確認した。

 

その一瞬で横に回った。ラリサの死角に入る。木の根を踏まないように足を運びながら、ラリサの右側に回り込む。

 

「あっ」

 

ラリサが振り向く。でも足場が悪い場所では、あの跳ねるような動きが使いにくい。ほんの少しだけ動きが鈍る。

 

間合いを詰めた。懐に入った。木剣を突き出す。

 

ラリサの胴に、木剣の先が触れた。

 

「——」

 

ラリサが目を丸くした。

 

一瞬の沈黙。それからラリサが大きく息を吐いた。

 

「面白い動き方しますね、フェズさん」

 

驚いている。本気で驚いている。手加減で見逃したんじゃない。あの一瞬、ラリサは本当に対応が遅れた。

 

「正面からは一回も勝てなかったけど・・・足場が悪いところなら、ラリサの動きが少し変わるかなって」

 

「それ、ちゃんと見て考えてたんですか? やられながら?」

 

「・・・うん。六回やられてる間に、なんとなく」

 

ラリサがぱっと顔を輝かせた。

 

「すごいですねフェズさん! 普通はやられてる時にそんな余裕ないですよ! 正面からじゃなくて地形を使って相手の動きを制限するっていうのは、師匠から教わったんですか?」

 

「いや・・・教わったっていうか。前に黒斑病の精霊と戦った時に、窪地に誘い込んだことがあって。それがたまたまうまくいったから」

 

「たまたまじゃないですよ! それがフェズさんの戦い方なんだと思います!」

 

ラリサが興奮気味に言った。嵐の精霊がラリサの肩の上でぼんやりと風をまとっている。主人のテンションに引きずられているのか、風がそわそわ渦を巻いていた。

 

訓練場の端で、腕を組んで見ている人影があった。トルニオだ。祠の用事は終わったのか、いつの間にか戻ってきていた。

 

何も言わない。腕を組んだまま、こっちを見ているだけ。

 

でもいつもの「話にならん」が飛んでこない。それだけで十分だった。

 

「もう一回やるか?」

 

ラリサに聞いた。

 

「いいですね! でもフェズさん、今度は最初から逃げますよね? 同じ手は食いませんからね!」

 

「・・・だろうね。じゃあ別の手を考えないと」

 

結局その日は二十回やって、当てたのは最初の一回だけだった。残りの十九回は全部やられた。ラリサは足場の悪い場所でも動きを修正してきたし、俺の回り込みも二回目からは読まれた。

 

才能の差は歴然だ。俺がどれだけ考えても、ラリサの反応速度には追いつけない。

 

でも、方向は見えた。力で勝てないなら、場所で勝つ。速さで勝てないなら、相手の速さを殺す場所に引きずり込む。

 

これが俺の剣だ。たぶん。

 

---

 

午後は共鳴訓練だった。

 

ラリサが指導してくれる。最初の頃は共鳴を起こすだけで鼻血が出ていたけれど、二ヶ月経った今は三十秒ほど維持できるようになっている。

 

「はい、いきますよフェズさん。カルンちゃん、準備はいいですか?」

 

カルンが俺の肩の上で小さく頷いた。光が安定している。カルンも慣れてきたのだ。最初は共鳴のたびに怯えていたのに、今では自分から準備を整えてくれる。

 

目を閉じた。カルンの存在を感じる。肩の上の小さな温もり。精霊の体温は人間より少し高い。その温度に意識を合わせていく。

 

繋がった。

 

共鳴が始まると、世界が変わる。音が鮮明になる。風の音、木の葉が擦れる音、地面を這う虫の足音まで。全部が聞こえる。体が軽くなって、力が底から湧いてくる。

 

「いいですね、安定してます。じゃあ衝撃波、いってみましょう!」

 

カルンとの共鳴で使える魔法は、今のところ一つだけ。音の衝撃波。拳を振ると同時にカルンの力が音になって放たれる。威力はまだ大したことないけれど、一瞬だけ相手の動きを止められる。

 

拳を振った。

 

空気が震えた。ばん、という短い破裂音とともに衝撃波が広がる。前方の草が揺れて、土埃が舞い上がった。

 

「うん、威力は前より上がってますね。でもまだ拡散しちゃってます。もっと絞れるといいんですけど・・・」

 

ラリサが顎に手を当てて考え込んでいる。

 

もう一度。拳を振る。衝撃波。拡散する。三度目。同じ。

 

四度目を出そうとした時だった。

 

カルンが、歌った。

 

いや、歌ったという表現は正しくないかもしれない。カルンの体から微かな旋律が漏れた。声じゃない。カルンは喋れない。でも音だ。楽器とも声とも違う、澄んだ音が一瞬だけ響いた。

 

共鳴している俺の体を通って、その旋律が衝撃波に混ざった。

 

拳を振った。

 

衝撃波の形が変わった。

 

いつもは全方向に拡散する音が、今回だけ真っ直ぐ前に飛んだ。指向性を持った音の塊。空気を切り裂くように前方の地面に叩きつけられて、土が弾け飛んだ。

 

「——えっ」

 

ラリサの声が聞こえた。でも俺も同じぐらい驚いていた。

 

今のは何だ。

 

カルンを見た。カルンも驚いている。光がちかちかと不規則に点滅していて、俺の肩の上でそわそわしている。自分でも何が起きたか分かっていないみたいだ。

 

「カルン、今・・・何かした?」

 

カルンが小さく首を傾げた。分からない、という仕草。

 

「もう一回やってみよう」

 

拳を振った。衝撃波。拡散する。いつも通りだ。

 

もう一度。拡散。

 

三度やっても、さっきの指向性のある衝撃波は出なかった。カルンの旋律も聞こえない。

 

「・・・ダメだ。再現できない」

 

「フェズさん」

 

ラリサが近づいてきた。いつもの元気な声じゃない。低くて、真剣な声だった。

 

「今の・・・聞いたことない魔法です」

 

「聞いたことない?」

 

「衝撃波に方向を持たせるのは上級の技術です。でもフェズさんがやったのはそれとも違います。音に旋律が乗ってました。あんなの見たことないです」

 

ラリサがカルンを見た。目が変わっている。好奇心だけじゃない。畏敬に近い何かがラリサの瞳に浮かんでいた。

 

「カルンちゃん・・・あなた、歌ったんですか?」

 

カルンがラリサの視線から逃げるように俺の首筋に顔を埋めた。照れているのか、怖がっているのか。

 

「ラリサ、カルンが歌うって・・・そんなこと、あるの?」

 

「分かりません。精霊が旋律を奏でるなんて、少なくとも私は聞いたことがないです。でも・・・カルンちゃんは音楽の精霊ですから。もしかしたら、それが本来の力なのかもしれないですね」

 

ラリサが腕を組んだ。トルニオと同じ仕草だった。師匠に似てきている。

 

「今はまだ再現できないみたいですけど、フェズさん、これはすごいことですよ。衝撃波に指向性を持たせるだけじゃなくて、音そのものが変わってました。あれは・・・うまく言えないんですけど、魔法というより歌に近かった」

 

歌に近い魔法。

 

カルンの体温が少しだけ上がった気がした。共鳴はもう切れているのに、肩の上のカルンがほんのり温かい。

 

---

 

夜になった。

 

ラリサとトルニオは宿舎に戻ったけれど、俺は訓練場に残っていた。素振りをしている。百回、二百回。もう腕は重くないけれど、頭が整理を求めていた。

 

木剣を振るたびに、今日のことが頭を巡る。ラリサとの組み手。あの一瞬だけ懐に入れたこと。カルンの旋律。再現できなかった指向性の衝撃波。

 

カルンが隣にいた。

 

俺の素振りに合わせるように、ふわふわと宙を揺れている。木剣を振り下ろすと左に揺れて、振り上げると右に揺れる。何をしているのかは分からないけれど、楽しそうだった。光が穏やかに明滅している。

 

「カルン、お前も眠くないのか」

 

カルンがふるふると首を振った。眠くない。

 

「・・・そっか」

 

素振りを続けた。二百五十回。三百回。

 

ふと、鼻歌が出た。特に意味はない。村にいた頃、畑仕事をしながら歌っていた歌だ。歌詞は覚えていない。旋律だけが体に残っている。

 

カルンが動きを止めた。

 

俺の鼻歌を聞いている。光がゆっくり揺れている。聞き入っているみたいだ。

 

もう少し歌ってみた。

 

カルンの光が、俺の鼻歌に合わせて揺れ始めた。旋律が上がると明るくなって、下がると暗くなる。まるで一緒に歌っているみたいだ。

 

「・・・カルン、合わせてる?」

 

カルンがぱっと光を強めた。うん、と言っているような。

 

笑ってしまった。

 

「お前、音楽好きなんだな」

 

当たり前か。音楽の精霊なのだから。

 

でもカルンが音楽を楽しんでいるところを見たのは、これが初めてだった。今まではずっと怯えていて、警戒していて、音楽どころじゃなかった。人間に追われ続けて、自分の本来の姿を忘れていたのかもしれない。

 

鼻歌を続けた。カルンが光で伴奏をつける。ちぐはぐで、ずれていて、とても音楽と呼べるものじゃない。でも楽しかった。

 

カルンが俺の膝の上に降りてきた。座って、俺の鼻歌を聞きながら光をゆらゆら揺らしている。小さな手で俺の指を掴んでいる。

 

会話はできない。言葉は通じない。でも一緒にいることが自然になっている。いつからだろう。たぶん気づかないうちに、少しずつ。

 

「カルン」

 

カルンが顔を上げた。

 

「・・・ありがとな」

 

何に対してかは自分でもうまく言えない。でもカルンが小さく首を傾げて、それから光をふわっと強めた。たぶん、伝わった。

 

ざわ、と風が吹いた。

 

カルンがぴくりと体を跳ねさせた。俺の膝から飛び上がって、宙に浮かぶ。何かに反応している。

 

風の中に、別の光があった。

 

ラリサの嵐の精霊だった。訓練場の端をふわふわと漂っている。ラリサは一緒じゃない。精霊だけが夜の散歩に出てきたらしい。小さな竜巻を足元で回しながら、のんびり飛んでいる。

 

カルンがそっちを見ていた。光がちかちかしている。

 

「カルン?」

 

カルンが俺の肩を蹴って飛んだ。嵐の精霊に向かって。

 

「おい、カルン!」

 

慌てて追いかけようとしたけれど、カルンは嵐の精霊の周りをくるくる回り始めた。近づいたり離れたり、ちょっかいを出すみたいに光をちかちかさせている。

 

嵐の精霊がきょとんとしている。小さな竜巻が止まった。カルンが近づくと、嵐の精霊が風をふわっと吹いた。カルンの体がふわりと浮き上がる。カルンが楽しそうに光を揺らした。

 

・・・遊んでいる。

 

カルンが、ラリサの精霊と遊んでいる。

 

信じられなかった。あの、人間を怖がって俺の外套の中に隠れていたカルンが。出会った頃は俺以外の誰にも近づかなかったカルンが。別の精霊にちょっかいを出して、楽しそうにしている。

 

本来の性格が出てきているのだ。人懐っこくて好奇心旺盛な、カルン本来の姿。人間に追われ続けて閉じていた心が、少しずつ開き始めている。

 

嵐の精霊がカルンの周りに小さな風の輪を作った。カルンがその中をくぐって、光をぱっと弾けさせた。嵐の精霊も風を巻いて応えている。精霊同士の遊びだ。言葉はないけれど、楽しそうなのは見ていて分かる。

 

俺は訓練場の端に座って、二匹を見ていた。

 

カルンの光が夜の空気に溶けている。嵐の精霊の風がその光を散らして、小さな光の粒が舞い上がる。きれいだった。

 

しばらくして、カルンが戻ってきた。俺の肩に着地して、満足そうに光を揺らしている。嵐の精霊はラリサのいる宿舎の方にふわふわと帰っていった。

 

「楽しかったか?」

 

カルンがぶんぶんと頷いた。光が嬉しそうにぴかぴかしている。

 

「・・・よかった」

 

笑った。心の底から。

 

カルンが変わってきている。俺も変わってきている。二ヶ月前の俺たちとは、もう違う。

 

自分の剣は見えてきた。力じゃない。速さでもない。頭を使って、場所を使って、ほんの一瞬の隙を作る。そしてカルンとの共鳴で、その一瞬を「音」に変える。

 

まだ形になっていない。カルンの旋律も、指向性の衝撃波も、再現すらできていない。

 

でも方向は定まった。

 

あとは、踏み出すだけだ。

 

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