歌姫と共に   作:ぶるうず

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回想

石畳を踏む音が響く。

 

グラーヴェの城壁が見えてくると、いつも少しだけ気分が軽くなる。リトルネッロ村を出発してから何時間歩いただろう。木々に囲まれた獣道を抜け、ようやく辿り着いた市場の喧騒。人の声、肉を焼く匂い、露店を引く商人の掛け声。この街は生きてる。

 

俺、フェズは村長に頼まれた買い物リストを握りしめながら、人混みの合間を縫って歩いた。塩、小麦粉、それと鉄の釘を少々。ついでに野菜も安ければ買っていけと言われた。村でこういう買い出しを一人で任されるのは俺くらいだ。別に信頼されているわけじゃない。単に他の奴らが面倒がるだけだ。

 

「おい、坊主!ちょっと待てよ。この布見てけって、東の街から仕入れたんだ。触ってみろ、柔らかいだろ? 坊主みたいな若い奴にこそ着てほしいんだよなあ」

 

「あ・・・いや、今日はちょっと。買い物リストが決まってて」

 

「なんだよ、つれねえな。まあいいや、今度来た時にな!」

 

露店の男に軽く頭を下げてさらに奥へ進む。市場の中心には古い噴水があって、その周りに食料品を扱う店が集まっている。ここで塩と小麦粉を買えばいい。

 

「すみません、塩ひとつと小麦粉・・・これだけお願いします」

 

「あいよ。まとめて16イウロだ。・・・坊主、一人で来てんのか? リトルネッロの方だろ、あんた。こんな時間から一人は感心しねえな」

 

「たぶん・・・大丈夫です。慣れてるんで」

 

「慣れてるって顔じゃねえけどな。まあいいや、気をつけて帰れよ」

 

ポケットから硬貨を数える。村長から預かったのは40イウロ。釘を買っても余裕がある。野菜も買えそうだ。

 

鍛冶屋の通りで釘を買い、戻る途中で野菜も買った。残ったのは2イウロ。ちょうど良い買い物ができた。

 

店を出ると日が傾き始めていた。帰らなきゃ。村まで戻るには森を抜けなきゃいけない。暗くなる前に帰りたい。

 

街を出て、獣道へ入る。木々が密集した森の中、足元の根に気をつけながら歩く。鳥の声が遠くで響いている。風が葉を揺らし、枝が軋む音がする。一人で歩くのは慣れてるけど、やっぱり少しだけ心細い。

 

どれくらい歩いただろう。

 

不意に、高い音が聞こえた。

 

俺は足を止めた。誰かの叫び声? いや、違う。歌、みたいな・・・? 掠れた音が混じっている。苦しそうな、それでいて必死な響き。

 

森の奥から光が漏れている。

 

行くべきじゃない。そう頭では分かってる。でも足が勝手に動いた。荷物を木の根元に下ろし、茂みの影から覗き込む。

 

そこにいたのは、小さな、生き物だった。

 

手のひらに乗るくらい・・・よりは少し大きい。淡い光を纏って、震えながら地面に倒れ込んでいる。周りを囲んでいるのは三人の男たち。革鎧に剣、腰には短剣と吹き矢。精霊ハンターだ。

 

「おい、もう逃げられねえぞ。大人しくしてりゃ痛くしねえって最初から言ってんだろ。こっちも手荒なことはしたくねえんだよ、商品に傷つけたくないからな」

 

大柄な男が腰に手を当て、まるで説教するみたいに精霊を見下ろしている。

 

「商品って言い方はやめろ。品が知れる」

 

リーダーらしい男が冷たく窘める。けど、その目は精霊を生き物として見てない。品定めしてる目だ。

 

「はいはい、わかりましたよリーダー。・・・にしても、こいつ思った以上に抵抗しやがりましたね。吹き矢三本使っちまった。こんな小さい精霊がここまで粘るなんて、相当上物じゃないですか?」

 

三人目の、吹き矢を持った男が感心したように言う。

 

「ああ。だからこそ丁寧に扱え。傷が増えるほど値が落ちる。・・・袋を出せ」

 

男たちが笑っている。精霊は掠れた音を発しながらもがいている。歌うように、叫ぶように。でも力が出ない。光が弱々しく明滅するだけだ。

 

やめろ。

 

そう思った。でも声が出ない。体が動かない。俺が割って入ったところで何ができる? 武器もない。戦ったこともない。

 

精霊が、大柄な男に掴まれた。

 

「ほら、やっと捕まえた。暴れんなよ、余計に傷がつくだろうが。リーダー、袋いいですか」

 

「ああ。手早くやれ。長居は良くない」

 

精霊の体が震えた。恐怖で体を丸め、それでも抵抗しようともがいている。

 

その時、精霊の視線が俺を捉えた。

 

小さな瞳が、こちらを見ている。

 

助けて。

 

そう言っているように見えた。いや、言葉じゃない。でも確かに伝わってくる。怯え、必死、それでも諦めきれない何か。

 

・・・俺と同じだ。

 

村で冷遇されて、感謝もされなくて。誰も助けてくれないと分かっていても、諦めきれない。

 

精霊の視線が、まだこちらを向いている。

 

だったら。

 

「やめろ!」

 

声が出た。

 

男たちが振り返る。俺は茂みから飛び出していた。

 

「・・・誰だ、お前。どこから湧いた」

 

リーダーが目を細めた。警戒というより、面倒そうな顔だ。

 

「関係ない・・・! その精霊を、放してくれ」

 

「坊主、お前さっきからそこで見てたのか? だったら分かるだろ、こいつは俺たちが先に見つけたんだ。横から出てきて放せってのは筋が通らねえぞ」

 

大柄な男が呆れたように言う。

 

「筋とか・・・そういう話じゃない。この子は怯えてる。嫌がってるのに無理やり捕まえるのは・・・」

 

「嫌がってる? 精霊だぞ。犬猫じゃあるまいし、いちいち気持ちなんか考えてたら商売にならねえよ。坊主、悪いことは言わねえ。見なかったことにして帰んな。お前に関係ある話じゃねえだろ」

 

吹き矢の男が諭すように言う。まるで俺が間違ってるみたいな口ぶりだ。

 

「・・・関係、あるよ」

 

自分でも驚くくらい小さい声だった。でも、もう引けない。

 

「関係あるって言ってんだ。この子が助けを求めてる。俺にはそう見えた。だから・・・放せ」

 

「ガキが・・・邪魔すんなよ」

 

大柄な男が剣に手をかけた。

 

死ぬかもしれない。

 

直感が叫ぶ。でももう遅い。俺は精霊に向かって走り出していた。男が袋に入れようとする手を払い、精霊を奪い取る。

 

小さい。

 

すごく軽い。体温はほとんど感じない。でも確かに生きてる。震えてる。

 

「おい・・・! 返せ、今すぐ返しやがれ!」

 

「嫌だ!」

 

精霊を抱きかかえて、振り返らずに走った。

 

男たちの怒声が背後から追いかけてくる。足音が近づいてくる。速い。

 

「逃がすか! おい、風を使え!」

 

「精霊に当たったらどうすんですか!」

 

「ガキの脚を狙え!」

 

枝を踏む音が迫る。息が苦しい。足が重い。精霊を抱きしめる腕が震えた。

 

精霊が俺の胸の中で小さく震えた。さっきまで抵抗していたのに、今は俺に身を預けている。

 

・・・この子は俺を信じてくれてるのか。

 

見ず知らずの俺を、助けてくれると信じて。

 

だったら裏切れない。

 

足に力を込めて、さらに速く走った。

 

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