セルペ高原を離れて五日。俺の足取りは止まらない。
止められないのだと気づいたのは、三日目の夜だった。
街道の脇にある林の中で火を焚いた時、火を小さくするか大きくするかで三度迷った。明るくすれば目立つ。暗くすれば落ち着かない。結局小さく焚いて、カルンを外套で覆って眠ろうとした。眠れなかった。風が鳴るたびに目が開いた。木の枝が折れる音がするたびに剣に手が伸びた。朝になって体を起こした時、疲れが昨日より増えていた。
歩いている方が楽だ。足を動かしている間は、少なくとも何かをしている気になれる。
フォルテ街道を南東に進んでいる。セルペ高原の乾いた岩場と風は遠くなった。道の両脇には麦畑が広がっていて、ところどころに果樹の林が挟まっている。風は穏やかで、空は広い。温暖な低地帯に入ったのだろう。すれ違う旅人も増えた。荷馬車を引く農夫、天秤棒を担いだ行商人、杖をついた巡礼者。人の営みがある土地だ。
穏やかな風景だった。
俺の中は、そうじゃなかった。
すれ違う人間の顔を、一人ずつ見てしまう。腰に剣はないか。目つきに不自然なところはないか。蛇の目の紋様が見えないか。旅人が笑顔で会釈してくれても、その笑顔の裏を読もうとしてしまう。
外套の中でカルンが身じろぎした。手のひらの上で丸くなっている。光は戻ってきている。三日前よりずっと明るい。高原を出た頃の弱々しい明滅はなくなって、安定した柔らかい光を放っている。
回復している。
でも、時々——光が不安定に揺れる。
風が変わった時。遠くで物音がした時。俺が急に立ち止まった時。カルンの光がぶれる。自分の不調じゃない。俺の不安を感じ取っている。共鳴していなくても、カルンは俺の感情が分かる。いつからそうなったのかは覚えていない。ただ、俺が怖がるとカルンの光が揺れる。
気づいている。自分の不安がカルンを不安にさせていることは、分かっている。
分かっていて——どうすればいいかが分からない。
ヴェーノの声が消えない。昼間歩いている時はまだいい。景色が変わるから。足元を見るから。でも夜になると、焚き火の揺れの中にあの穏やかな笑みが浮かぶ。「また会いましょう」。「あなたも同じことをしている」。
あいつは追いかける側だ。時間がある。焦らない。俺がどこに逃げても、いずれ追いつける自信があるから笑っていられる。
---
五日目の昼過ぎ。街道沿いに小さな集落が見えた。
人口は五十人いるかどうかの農村だ。街道に面した井戸の周りに数軒の家が並んでいる。畑に出ている農夫の姿が見える。小さな祠が村の入口にあった。大精霊の祠とは違う、土地の精霊を祀っただけの素朴なもの。
水を補給したかった。革袋の中身は半分を切っている。
井戸に向かった。釣瓶を引き上げて革袋に水を移す。冷たい水が革袋を膨らませていく。その間、背中に目がある気がして二度振り返った。農村の通りには誰もいない。畑に出ている農夫が遠くで鍬を振っているだけだ。
水を汲み終えて革袋を閉じた時——
荷台の陰に、人影が見えた。
村の通りの端に荷馬車が停まっていた。その荷台の影に、誰かが立っている。商人風の男だった。旅装の上に薄い外套を羽織り、帽子を深く被っている。こちらを——見ていた。
目が合った。
男が視線を逸らした。何でもない風を装って、荷台の荷物を確認するふりをした。
何でもないのかもしれない。ただの商人が荷物を確認しているだけかもしれない。この集落で補給をしている旅人が、たまたま目が合っただけかもしれない。
でも俺の中の警報が鳴っていた。
カルンが外套の中で体を起こした。光が一つ、鋭く瞬いた。カルンも何かを感じている。
「・・・行こう」
早足で集落を出た。街道に戻って歩き始める。足が勝手に速くなる。
百歩。
振り返らずに百歩歩いた。
そこで我慢できなくなって、ちらりと後ろを見た。
同じ男が、百歩ほど後ろを歩いていた。
追いかけているというほど近くない。でも距離を保っている。俺が歩くと、同じ速さで歩く。
足を速めた。男も速度を合わせた。百歩の距離が変わらない。
脇道に入った。街道から逸れて、麦畑の間を抜ける細い農道に折れた。しばらく歩いて振り返る。男の姿は消えていた。
安堵した——のは、ほんの数分だった。
農道を歩いていると、左手の果樹林の中に気配があった。足音ではない。枝が不自然に揺れた。風のせいかもしれない。でも他の枝は揺れていなかった。
街道に戻った。男の姿はどこにもない。
だが「見ている」感覚が消えない。
ヴェーノとは違う。あの男のように目の前に立ちはだかるのではない。ただ「見ている」。どこに行くか、誰と会うか、次にどこへ向かうかを——記録している。
背筋が冷えた。
ヴェーノは一人ではなかった。
セルペ高原では一対一だった。ヴェーノ個人の執着だと思っていた。でも違う。あの男は蛇の目の幹部だ。その下に組織がある。手足がある。目がある。
蛇の目とはそういうものだ。一人の幹部が追いかけてくるだけじゃない。組織として、網を張っている。
俺が街道を歩けば、それを見ている目がある。俺がどの村で水を汲んだか、どの方角に歩いたか、誰かと一緒にいるか——全部が誰かに伝わっている。
いつからだ。高原を出た時からか。もっと前からか。水紋の谷の頃から——いや、それは分からない。分からないことが一番怖い。
カルンが外套の中で震えていた。俺の恐怖が伝わっている。
「・・・大丈夫。大丈夫だから」
カルンに言ったのか、自分に言ったのか。
---
翌朝。
目を開けた時、朝露が顔に落ちた。
街道から離れた林の中で野営した。火は焚かなかった。見つかりたくなかった。外套にくるまって地面に横になっただけだ。土の匂いと草の湿気。虫の声だけが夜通し鳴っていた。
昨日の尾行者の気配は消えている。朝の街道には農夫が畑に向かう姿があるだけで、帽子を深く被った商人風の男はどこにもいない。
いなくなったのか。それとも見えないだけか。
体を起こした。立ち上がろうとして——膝が折れた。
疲れている。
体ではない。神経が。
五日間、ずっと気を張っている。歩いている間も、寝ている間も。いつ追いつかれるか。いつ目の前にヴェーノが現れるか。あるいはヴェーノではない誰か——蛇の目の別の構成員が、もっと直接的に仕掛けてくるかもしれない。その可能性が頭から消えない。
街道脇の草地に座り込んだ。朝日が麦畑を照らしている。黄金色の穂が風に揺れていた。美しい朝だった。
美しいと思える余裕が、もうない。
水の祠に向かっていた頃を思い出す。ラリサと二人で歩いていた。あの時も知らない道だった。でも怖くはなかった。ラリサが隣にいて、カルンが肩の上で風を受けていて、知らない景色が楽しかった。
今は同じ知らない景色が、全部脅威に見える。あの木の陰に誰かいないか。あの丘の向こうから何か来ないか。頭がそういう読み方しかしなくなっている。
カルンが外套の中から出てきた。ふわりと浮いて——俺の手に降りてきた。
頬に額を寄せようとした。
セルペ高原を出る前、小川のそばで。あの時と同じ仕草だ。「大丈夫だよ」のサイン。
今度は避けなかった。
カルンの額が頬に触れた。温かい。小さな振動が伝わってくる。カルンの鼓動だ。安定している。落ち着いている。「俺は大丈夫」と言おうとしているみたいに。
でも俺は——
手のひらでカルンの体を包んだ。いつものように。でも力がなかった。返す言葉がなかった。「ありがとう」も「大丈夫」も出てこなかった。ただ、カルンの温もりを手のひらに感じていた。
しばらくそうしていた。
カルンが手の中で体を起こして、俺の顔を見上げた。光がゆっくりと点滅している。気遣うような、確かめるような。お前は大丈夫か、と聞いている。
「・・・大丈夫だよ」
嘘だ。大丈夫じゃない。でもカルンに心配をかけたくない。カルンはようやく回復してきたところだ。俺の不安でまた光が揺れるなら、不安を見せない方がいい。
そう考えること自体が、もう何かがずれている気がした。カルンに不安を見せないために感情を隠すのは——守っているのか。壁を作っているのか。
考えるのをやめた。考えても答えが出ないことを考えるのは、今は贅沢だ。
祠印を握った。腰の袋に手を入れて、二つの金属片に指が触れた。水と風。冷たい感触と乾いた感触。
二つ。
まだ三つ足りない。
「早く強くならなきゃ」
口から出た。祈りではなかった。義務だった。
強くなれば——巡祠の覇者になれば——カルンを狙う奴は減る。誰も手を出せなくなる。そのためには早く。もっと早く。立ち止まっている暇はない。
カルンが手の中で首を傾げた。光が少し揺れた。俺の声の調子を読み取っている。焦りの混じった声を。
「行こう、カルン。次の街まであと二日くらいだ。そこで祠の情報を集める」
立ち上がった。膝はまだ重かった。でも歩ける。歩けるなら歩く。止まっている方が怖い。
カルンが手のひらから浮き上がって、肩に戻ろうとした。途中で一瞬ふらついた。飛ぶ力はあるのに、軌道が安定しない。俺の不安が共鳴を通さなくても伝わって、カルンの集中を乱している。
手を伸ばして支えた。カルンが俺の指に捕まって、そのまま肩に移った。小さな足が襟元を掴む。
「・・・ごめん。もう少ししたら、ちゃんと休める」
ちゃんと休める場所がどこにあるのかは分からなかったけれど。
街道に戻る。朝の光の中を、南東に向かって歩き出す。
カルンが肩に戻った。いつもの場所。右肩の、襟元のすぐ横。光が小さく揺れている。安定してはいない。でも——俺の隣にいてくれている。
次の街まであと二日。そこで祠の情報を集める。それまでに追いつかれなければいい。
——「追いつかれなければ」。
その言葉が自分の中で引っかかった。
いつからだろう。いつから俺の旅は、「祠を巡る旅」ではなく「逃げながら祠を巡る旅」になったのだろう。
分からない。分からないまま、歩く。
街道の先に、また麦畑が広がっている。温かい風が穂を揺らしている。穏やかな土地だ。穏やかな風景だ。
その中を歩く俺の影だけが、追われている。