歌姫と共に   作:ぶるうず

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ヒーロー

何かが叫んだ。

 

俺の中じゃない。もっと近くで、もっと切実な声。声じゃないのに、声だと分かった。

 

体が動いた。

 

剣が振り下ろされる。首筋を狙った一撃。避けられるわけがない――のに、体が横に跳んでいた。砂利を蹴って、崖際から半歩だけ内側に転がり込む。刃が空を切る音が耳のすぐ横を通った。

 

「・・・は?」

 

剣を振ったリーダー格の男が目を丸くした。俺だって驚いてる。今の動き、自分の意志じゃない。腕の中の精霊が一瞬だけ熱くなった気がした。一瞬だけ。

 

「避けやがった・・・おい、リーダー。今のガキ、なんか変じゃなかったですか。普通あの距離で避けられねえでしょう」

 

風使いの男が吹き矢を構えたまま、怪訝そうに言った。

 

「たまたまだろう。怯えた小動物が跳ねただけだ。次はない」

 

リーダー格が剣を構え直す。冷静な声だ。怒りじゃなく、面倒くさそうな苛立ちだけが滲んでいる。俺のことなんか虫ぐらいにしか思ってない。

 

大柄な男が横から回り込んでくる。風使いの男は後ろに下がって射線を確保している。三方向から塞がれてる。背中は崖。逃げ場はない。

 

足元は砂利混じりの土。踏ん張りが利かない。谷底から微かに川の音が聞こえる。落ちたら終わりだ。

 

「坊主、もう一回だけ言ってやる。大人しくその精霊を渡せ。お前には何の得もないだろう。傷だらけで精霊抱えて、崖に追い詰められて・・・これ以上やる意味がどこにある?」

 

リーダー格が一歩詰めながら言った。商談でも持ちかけるような口ぶりだ。

 

「・・・意味とか、得とか。そういう話じゃない」

 

声が震えてる。膝が笑ってる。それでも口は動いた。

 

「そういう話なんだよ。世の中全部そういう話だ。・・・まあいい、交渉する気がないならこっちにも段取りがある」

 

リーダー格が大柄な男に顎で合図した。

 

その時、視界の端に何かが映った。

 

崖の手前に立つ枯れた大木。根が半分浮いて、向こう側の土が崩れかけている。一押しで倒れそうなほど傾いてる。

 

・・・いける、か?

 

考える暇はなかった。大柄な男が突っ込んでくる。

 

「逃がすかよ、今度こそ捕まえてやる! リーダーももう待ちきれねえだろ、さっさと終わらせようぜ!」

 

力任せに腕を伸ばして俺を掴もうとしている。

 

「こっちだ!」

 

叫んで横に跳んだ。枯れ木の根元に向かって走る。大柄な男が追いかけてくる。足音が重い。地面が揺れるくらいの勢いだ。

 

枯れ木の前で急に止まった。振り返る。男が目の前に迫ってる。でかい。こいつ本当にでかい。

 

「ほら捕まえた、おとなしくしろって何度も・・・おい、なんだ? なんでそっちに・・・」

 

男が異変に気づくより先に、俺は精霊を左腕だけで抱え直して、右肩から枯れ木に体当たりした。

 

ゴッ、という鈍い音。肩に激痛が走る。でも枯れ木が揺れた。根が土から引き剥がされる音。ミシミシと軋みながら、ゆっくりと、大柄な男のいる方向に傾いていく。

 

「おい・・・は? 嘘だろ、おい待て待て待て!」

 

男が気づいた時にはもう遅かった。

 

枯れ木が倒れた。巨大な幹が砂利を巻き上げながら崩れ落ちる。男は枝に巻き込まれて体勢を崩し、そのまま斜面を転がり落ちていった。悲鳴と枝が折れる音が重なって、やがて遠くなる。

 

一人消えた。

 

「リーダー! あのガキ、木を倒しやがった! 精霊の力じゃないですよね、今の。体当たりって・・・正気かよ」

 

風使いが吹き矢を構える。でもすぐ下ろした。精霊に当たるのを恐れてる。

 

「正気じゃないから厄介なんだ。・・・構わん、二人で詰める。精霊に当てるな、ガキの手足を狙え」

 

リーダー格が舌打ちして剣を構え直す。

 

まだ二人いる。一人減っただけじゃ足りない。体当たりで右肩がおかしくなってる。腕が上手く動かない。

 

その時、腕の中で小さな光が揺れた。

 

精霊が目を開けていた。

 

小さな瞳が俺を見上げている。怯えてる。周りの状況に気づいて、体を強張らせている。けれど視線は俺から離れない。

 

ボロボロの俺が、それでも自分を庇って立っていることに気づいたみたいだった。

 

精霊の口が微かに動いた。音にならない音。掠れた旋律の欠片みたいなもの。

 

そして――触れた。

 

頭の中に何かが流れ込んできた。言葉じゃない。映像でもない。もっと根源的な、名前としか呼べないもの。音の連なりが意味を持って、俺の意識に刻み込まれる。

 

カルン。

 

この子の名前だ。なぜか確信があった。共鳴。精霊と人間が繋がる瞬間。聞いたことはある。でもこんなものだとは思わなかった。体の奥から何かが溢れ出してくる。熱くて、痛くて、それでいて心地いい。

 

カルンが俺を選んだ。自分の意志で、共鳴を仕掛けてきた。

 

「・・・ありがとう、カルン」

 

声に出たかどうかも分からない。でもカルンの光が少しだけ強くなった。

 

衝撃波が弾けた。

 

俺とカルンの間から生まれた音の塊が、空気を震わせて周囲に広がる。地面の砂利が跳ね、木の葉が一斉に舞い上がった。

 

「なっ・・・! おい、今の何だ! 共鳴したのか、あのガキと!?」

 

風使いが後ろによろめきながら叫ぶ。

 

「黙れ! ・・・共鳴だと? 精霊が自分からガキに? ありえん、捕獲直後の精霊が人間を選ぶなんて・・・」

 

リーダー格が腕で顔を庇いながら、信じられないという声を上げた。一瞬だけ、二人の動きが止まった。

 

すごい。これが共鳴の力か。

 

・・・と思った瞬間、体が悲鳴を上げた。

 

膝から力が抜ける。視界がぐらつく。胸の奥で何かが千切れるような感覚。カルンとの繋がりが急速に薄れていく。耐えられない。体が共鳴に耐えられない。

 

「ぐ・・・っ」

 

地面に膝をついた。右手で体を支える。左腕のカルンも光が弱まって、ぐったりと力を失っている。消耗したんだ。俺もカルンも。

 

一矢報いた。でもそれだけだ。

 

「・・・共鳴が途切れたぞ。見ろ、ガキが膝ついてる。体が持たなかったんだ。所詮は素人の共鳴だな」

 

風使いが態勢を立て直しながら、安堵の混じった声で言った。

 

「ああ。だが自発共鳴した精霊だ。値が跳ね上がった。・・・ガキ、最後の温情だ。その精霊を置いて失せろ。お前の体はもう限界だろう」

 

リーダー格が剣を握り直し、ゆっくりと近づいてくる。

 

立て。立たなきゃ。カルンを守るって決めたんだろ。

 

膝に力を入れる。震える足で、なんとか立ち上がる。でも体がふらつく。まともに立てない。

 

「・・・まだ立つのか。殊勝だがな、坊主。お前ではその精霊は守れん。分かるだろう。今のお前に何ができる?」

 

リーダー格の声が近い。あと数歩で剣が届く距離だ。

 

カルンが俺の腕の中で小さく震えた。さっきまでの共鳴の余韻が、微かな温もりとして残っている。

 

ごめん、カルン。俺じゃ力が足りない。

 

でも離さない。

 

「リーダー、もう面倒だ。さっさと腕ごと斬っちまいましょう。精霊は丈夫ですから、多少の衝撃じゃ壊れやしません」

 

「・・・そうだな。ガキ、最後の――」

 

その時、風が変わった。

 

森の奥から吹きつける突風。さっきまでとはまるで違う。重くて、冷たくて、何かを引き連れてくるような風だ。木々の枝が一斉に鳴った。

 

遠くで雷鳴が響いた。

 

リーダー格の動きが止まった。

 

風使いの顔色が変わった。

 

「おい・・・リーダー、この風。俺の精霊が怯えてる。こんなの普通じゃない、まさか・・・」

 

「黙れ」

 

リーダー格が鋭く言った。けれどその目に、初めて動揺が浮かんでいる。

 

風が渦を巻く。木々の間から、小柄な人影が現れた。

 

こちらに向かってくる。

 

俺はカルンを抱きしめたまま、その影を見つめた。敵か味方か分からない。でも精霊ハンターたちが怯んでいる。少なくとも、奴らにとっては良くない相手らしい。

 

風がさらに強くなる。

 

何かが、変わろうとしている。

 

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