歌姫と共に   作:ぶるうず

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歌う剣

音で見えた。ならば——音で崩す。

 

フェズは構えを変えた。

 

剣を下段に落とす。力任せに叩くのはもうやめだ。何度やっても甲羅は砕けない。だが音は通る。カルンの旋律は弾かれなかった。甲羅の表面に触れて、中の構造を映して返ってきた。

 

「カルン。もう一回、さっきの音を」

カルンが応えた。弱い光が揺れて、旋律を紡ぎ始める。さっきと同じ音。甲羅に向けて飛んでいく。

反響が返ってくる。

右肩の節目。低い音。他のどこよりも低い。密度が薄い。——やっぱりだ。ここだけ構造が違う。

 

フェズはテッラの右側に向かって走った。

 

正面からではない。甲羅の縁に沿って弧を描くように駆ける。テッラの琥珀色の瞳がフェズを追う。

 

床が動いた。

 

石柱がフェズの前に突き出す。赤い岩の柱が行く手を塞ぐ。

 

カルンの旋律が鳴った。共鳴を通じて、音がフェズの中に流れ込む。

 

——左。柱が来る。

 

感じた。音が教えてくれた。石柱が生える前の地面の微かな振動を、カルンの旋律が拾っている。フェズは左に跳んだ。直後、さっきまでいた場所に柱が生える。

 

床が隆起する。

 

——下。地面が動く。

 

跳んだ。足元がせり上がる前に跳躍して、隆起した岩の頂上を蹴って次の足場へ飛ぶ。テッラの攻撃が来る前に、カルンの音が先読みしている。地面の振動パターンを読んで、どこが動くかを半拍早くフェズに伝えている。

 

目で見るより早い。耳で聞くより正確だ。

 

テッラの右肩に近づく。甲羅の表面が目の前にある。赤い岩盤。無数の亀裂が走っている。その中に——さっき音で見つけた節目がある。他より少しだけ色が薄い。目では分からない。でもカルンの旋律がそこを指している。

 

剣を構える。

 

普通に斬っても弾かれる。知っている。何度も弾かれた。甲羅は岩盤そのもので、鉄の剣では傷一つつかない。

 

——なら、普通に斬らなければいい。

 

共鳴を深めた。カルンとの繋がりを一段階、押し広げる。カルンの旋律がフェズの腕を伝って、剣に流れ込んだ。

 

刃が震え始めた。

 

微かな振動。目には見えないほど細かく、刃全体が揺れている。カルンの旋律が金属に乗って、音を発している。

 

違う。これはただの振動じゃない。

 

フェズはカルンの旋律の音程を変えた。共鳴を通じて——さっき返ってきた反響音の低い音程に合わせる。節目の密度に合わせる。同じ周波数。同じ揺れ。

 

共振。

 

剣が甲羅の節目に触れた。

 

ガキン、という音は——しなかった。

 

代わりに、ビィン、と低い唸りが広間を満たした。刃と岩が同じ周波数で揺れる。同じリズムで震える。二つの振動が重なって、増幅して——

 

岩盤が軋んだ。

 

亀裂が走った。節目から放射状に、細いひびが甲羅の表面に広がっていく。

 

——通じた。

 

テッラが動いた。

 

甲羅が揺れる。巨体が身じろぎする。怒りではなかった。琥珀色の瞳が見開かれている。驚き。挑戦者が——防御を崩した。

 

フェズは跳び退った。テッラが脚を踏み鳴らし、広間が揺れる。甲羅のひびが——塞がっていく。地面から新しい岩が湧き上がって、亀裂を埋めていく。補修。テッラの体と地面は繋がっているから、材料は無限にある。

 

一撃では足りない。

でも——通じた。

 

「カルン」

 

カルンが旋律を紡ぐ。今度は別の場所を探る。甲羅全体に音を飛ばして、反響を聞く。

 

返ってきた。

 

二箇所目。腹甲の左前方。前脚の付け根のすぐ下。ここも音が低い。ここも密度が薄い。

 

「——行く」

 

フェズは駆けた。テッラの前脚の方へ。

 

---

 

テッラの反撃が激しくなっていた。

 

石柱が連続で突き出す。一本、二本、三本——立て続けに赤い柱が地面から生えてくる。さっきまでは一本ずつだった。フェズが防御を崩したことで、テッラの攻撃の密度が上がっている。

 

カルンの旋律がフェズを導く。右。左。下。上——天井から岩が降ってくる。

 

「っ——!」

 

転がって躱した。岩が背中をかすめる。起き上がる。走る。カルンの音だけを頼りに動いている。目で見て判断していたら間に合わない。石柱の出現も、壁の移動も、天井からの落石も——全部、カルンの旋律が半拍前に教えてくれる。

 

フェズはカルンの音の中を泳いでいた。

 

テッラの腹甲が見える。甲羅の下。前脚の付け根。地面に近い。潜り込むように姿勢を低くして、テッラの巨体の下に滑り込む。

 

暗い。甲羅の下は赤い光が届かず、テッラの腹甲だけが頭上にある。岩盤の匂いが濃い。圧迫感。この巨体に押しつぶされたら——

 

考えるな。

 

共鳴を深めた。カルンの旋律を剣に乗せる。さっきと同じだ。刃が震える。反響音から拾った二箇所目の音程に合わせる。腹甲の密度。その周波数。

 

剣を腹甲に突き立てた。

 

共振が起きる。ビィン——低い唸りがテッラの体内を走る。腹甲が軋む。ひびが入る。

 

二箇所目。

 

テッラの体が大きく揺れた。広間全体が波打つ。フェズは弾き出されるように甲羅の下から転がり出た。

 

「はっ・・・はっ・・・」

 

息が荒い。膝をついて、地面に手をつく。指先が震えている。共鳴を通じてカルンの旋律を剣に乗せるのは、衝撃波を放つのとは別の消耗がある。精密さが要る。音程を合わせて、周波数を維持して、それを剣の振動として出力する——頭の中が焼けるように熱い。

 

カルンの光が急速に弱まっていた。

 

旋律が途切れかけている。常時の探知と、攻撃の先読みと、共振のための音程制御。三つを同時にやっている。カルンの負荷が大きすぎる。

 

「カルン・・・」

 

カルンが光を揺らした。大丈夫、と言うように。でも大丈夫ではなかった。光が点滅している。昨日肩から滑り落ちた時よりもっと弱い。

 

フェズの腕も震えている。視界が揺れる。共鳴を通じてカルンの消耗がフェズの体にも流れ込んでいる。筋肉が軋む。剣を握る手が痺れている。

 

テッラが修復を終えた。二箇所目のひびも塞がった。新しい岩が甲羅を補強している。

 

——もう一箇所。

 

「あと一箇所。あと一箇所で——」

 

声に出した。自分に言い聞かせた。

 

カルンの旋律が一瞬途切れた。

 

その隙に石柱が横から突き出した。反応が遅れた。腕で庇ったが、石柱の角がフェズの脇腹をかすめた。

服が裂ける音。熱い。遅れて痛みが来た。脇腹に赤い線が走っている。血が滲む。

 

痛みで意識が鮮明になった。

 

——止めるべきだ。

 

分かっている。カルンの光がほとんど消えかけている。これ以上続けたらカルンが壊れる。昨日の夕方、肩から滑り落ちたカルンの弱々しい光。あれよりもっと酷い。今カルンは限界を超えて旋律を紡いでいる。フェズのために。フェズが求めるから。

 

止めるべきだ。止めなければ——

 

でも。

 

あと一箇所で、テッラの防御は崩れる。三箇所のひびを同時に維持できれば——修復が追いつかなくなる。そうすれば試練を越えられる。祠印を得られる。

 

「・・・カルン」

 

カルンが弱い光でフェズを見た。

 

「もう少しだけ。・・・頼む」

 

カルンが目を閉じた。一瞬。それから——光が揺れた。弱い。弱い光。でもそこに拒否はなかった。

 

旋律が再び紡がれ始めた。

 

---

 

三箇所目。

 

甲羅の頂上。最も高い場所。最も防御が厚い。だがカルンの旋律が教えてくれた。頂上に一筋の古い裂け目がある。テッラが何百年も背負ってきた甲羅の、最も古い亀裂。他の場所よりずっと深くまで続いている。

 

ここを砕けば——内側から崩せる。

 

テッラの体を駆け上がる。

 

まず前脚だ。岩盤と同質の太い脚にしがみつく。手が滑る。爪を立てて、岩の凹凸を掴む。テッラが脚を振る。しがみつく。振り落とされそうになる。カルンの旋律が——途切れた。

 

一瞬、世界が無音になった。

 

カルンの光が消えた。

 

「カルン!」

 

カルンが落ちかける。フェズが片手で脚にしがみつきながら、もう片方の手でカルンを受け止めた。手のひらの中で、カルンの体が冷たかった。いつもの温かさがない。

 

「・・・カルン。カルン」

 

カルンが震えた。手のひらの中で、微かに。光が——戻った。弱い。蝋燭の最後の灯火のような、消えかけの光。

 

旋律が——紡がれた。

 

途切れ途切れの、消え入りそうな旋律。でもカルンは紡いでいる。フェズの手のひらの中で、最後の力を振り絞って。

 

フェズの目が熱くなった。

 

——ごめん。ごめんな、カルン。

 

甲羅の縁を掴んだ。体を引き上げる。腕が悲鳴を上げている。脇腹の傷が引き攣れる。血が伝って手が滑る。それでも登る。カルンを胸に押し当てて、片手で甲羅の起伏を掴んで、一歩ずつ。

 

テッラが体を振った。

 

甲羅が揺れる。フェズの体が浮いて、落ちかける。爪が岩を引っ掻く。甲羅の亀裂に指を突っ込んで、必死にしがみついた。指の皮が裂ける。構うものか。

 

カルンの旋律が導いている。もう少し右。もう少し上。そこ——

 

頂上に手をかけた。

 

体を引き上げた。甲羅の頂上。赤い岩盤の一番高い場所。テッラの背中の天辺。

 

見えた。

 

古い裂け目。甲羅の頂上に、一筋の深い亀裂が走っている。周囲の亀裂とは違う。これだけが古い。テッラの体が形作られた時からある、最初のひび。目で見ても分かる。亀裂の縁が丸みを帯びている。何百年もかけて風化した線。

 

ここだ。

 

カルンを胸に押し当てたまま、剣を構えた。両手で柄を握る。握れているのか分からない。指の感覚がほとんどない。でも剣は手の中にある。

 

共鳴を限界まで深めた。

 

カルンの旋律とフェズの意志が——重なった。

 

これまでの共鳴とは違った。探知でもない。衝撃波でもない。共振のための音程制御でもない。

 

カルンの旋律がフェズの中を流れて、フェズの意志がカルンの中に流れ込んで、二つが溶け合って——一つの音になった。

 

剣に乗せた音が——歌になった。

 

言葉のない歌だった。旋律だけの、音だけの歌。でも確かに歌だった。カルンの音とフェズの意志が、互いに応えて、響き合って、一つの旋律を紡いでいる。

 

剣が歌っている。

 

振り下ろした。

 

歌う刃が古い裂け目に入った。

 

共振が——起きた。

 

刃と岩が同じ周波数で揺れる。だがこれまでの二箇所とは比べものにならない。古い裂け目は甲羅の奥深くまで続いている。共振が内側に伝播する。岩盤の深くに浸透していく。

 

テッラの体が震えた。

 

広間全体が震えた。

 

裂け目から放射状に亀裂が走る。甲羅の頂上から側面へ、側面から腹甲へ——岩盤が崩れていく。内側から。音が岩を割って、その音がさらに岩を割って、共振が連鎖して——

 

テッラの防御が、崩壊した。

 

甲羅の半分が崩れ落ちた。赤い岩の破片が広間の床に落ちて、轟音を立てる。砂塵が舞い上がる。広間全体が揺れて、天井から石片が降ってくる。

 

テッラが沈黙した。

 

動きが止まった。

 

広間全体が——静まり返った。

 

崩れた甲羅の上で、フェズは片膝をついていた。剣を支えにして。息ができない。体中が痛い。視界が白く飛んでいる。カルンが胸元でぐったりと光を失いかけている。

 

テッラの顔が、ゆっくりとフェズを見上げた。

 

琥珀色の瞳。怒りではなかった。苦痛でもなかった。

 

承認だった。

 

「お前の音は、岩の中まで届いた」

 

テッラの声が広間を満たした。低く、重く、大地そのもののような声。壁が共鳴して、床が揺れて、言葉が岩を通じて広間全体に響いた。

 

フェズの手のひらに——光が集まった。

 

金属片が形を成していく。テッラの魔力が凝縮されて、小さな金属の破片になる。重い。ずっしりと重い。

 

三つ目の祠印。地の祠印。

 

「・・・取れた」

 

声が掠れた。笑おうとした。笑えなかった。

 

フェズは甲羅から降りようとした。脚に力が入らなかった。膝が折れて、甲羅の斜面を滑り落ちた。赤い岩の破片の上に背中から落ちる。衝撃。痛い。でも起き上がれない。

 

カルンがフェズの胸元から滑り落ちた。赤い土の上に転がる。光がほとんどない。目を閉じたまま動かない。

 

「カルン・・・」

 

手を伸ばす。指先がカルンの体に触れた。冷たい。カルンの体はいつも温かかった。共鳴している時も、眠っている時も、少しだけ温かかった。

今は冷たい。

 

フェズがカルンをそっと手のひらに乗せた。持ち上げる力もほとんどない。指先でカルンの体を包む。

 

「ごめんな・・・」

 

テッラが崩れた甲羅を修復し始めた。地面から新しい岩が湧き上がり、欠けた部分を埋めていく。ゆっくりと。テッラにとっては甲羅の崩壊は傷ですらないのかもしれない。何百年も生きた大精霊にとって、甲羅の一部が崩れることなど——

 

テッラの琥珀色の瞳が、最後にフェズを見た。

 

「ただし——」

 

テッラの声が、広間に落ちた。

 

「その歌は、代わりに何を削っているか、知っているか」

 

フェズは答えられなかった。

 

口を開こうとした。言葉が出なかった。体に力が残っていないから——だけではなかった。答えを持っていなかったから。

 

いや。

 

知っていた。知っていて、答えられなかった。

 

カルンを削っている。カルンの光を。カルンの温もりを。カルンの命を——少しずつ、少しずつ削っている。共鳴を深めるたびに。旋律を求めるたびに。

 

知っている。

 

フェズは手のひらの中のカルンを見た。光のない、冷たい体。

 

テッラの問いが、石の広間に残響のように残っている。壁に跳ね返って、天井に当たって、床を走って——消えない。消えない問いが、赤い光の中で響き続けている。

 

三つ目の祠印を得た。

 

「歌う剣士」——カルンの旋律を剣に乗せて、音の共振で岩をも砕く戦い方。それは美しかった。剣と音が一つになって、何者にも崩せない防御を内側から崩した。

 

そして、危うかった。

 

フェズは赤い土の上で動けなかった。手のひらの中にカルンの冷たい体がある。三つの祠印が懐にある。テッラの問いが頭の中で鳴り続けている。

 

——その歌は、代わりに何を削っているか。

 

答えは、ずっと手のひらの中にあった。

 

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