守ることが全てだと思っていた。守られることが全てだと思っていた。——二人とも、間違えていた。
フェズは白い地面の上で、カルンの光を胸に抱いたまま動けないでいた。カルンの記憶が全部流れ込んだ後の体は、泣き疲れたみたいにぐったりしていた。でも——頭だけは、妙に冴えていた。
聴こえた。全部聴こえた。
カルンの恐怖も。感謝も。我慢も。そして——隣にいたいという、シンプルな願いも。
フェズはゆっくりと体を起こした。膝が震えている。精神世界に体なんてないはずなのに、膝が笑っている。情けない。でもいい。ここで格好つけても意味がない。精神世界では嘘がつけないのだから、体の震えも本当の自分だ。
胸元のカルンが——光を揺らした。
弱い。弱すぎる光。でも精神世界に入る前よりも、ほんの少しだけ輪郭がある。カルンの存在が、記憶を流し終えたことで——少しだけ、戻ってきている。
そして——カルンの目が、ゆっくりと開いた。
「カルン」
フェズの声が掠れた。カルンの瞳がフェズを見ている。小さな体。閉じていた目。精神世界の中では物理的な体は意味を持たない。ここにあるのは「繋がり」だけだ。だからこそ——カルンが目を開けたということは、繋がりが、まだ生きているということだ。
精神世界だから——感情が直接伝わる。隠せない。フェズの後悔も、カルンの不安も、全部が透けている。
カルンの光が揺れた。不安。恥ずかしさ。自分の記憶を全部見られた恥ずかしさ。でもその奥に——安堵がある。ようやく聴いてもらえた、という安堵。
「・・・聴こえてたよ。全部」
フェズは膝をついたまま、カルンを見つめた。
「ごめん。俺は——お前を道具にしてた」
言葉が喉に引っかかる。でも止めない。精神世界では嘘がつけない。だったら全部言う。
「守ると言いながら、お前の力を搾り取ってた。お前がどう思ってるかなんて、聞こうともしなかった。俺が守ってるつもりで——俺が一番お前を傷つけてた」
カルンの光が震えた。否定ではない。怒りでもない。フェズの言葉を、静かに受け止めている。精霊は言葉を持たないが、精神世界では感情がそのまま伝わる。カルンの感情は——「知ってた」だった。全部知ってた。でも、言えなかった。
「でも——お前も黙ってた」
フェズの声が少し強くなった。責めているんじゃない。ただ——事実を言わなければならない。
「壊れそうになっても応え続けた。俺が求めるまま力を出し続けた。俺の空虚を埋めるために、自分から差し出し続けた。——それも、違ったんだろ」
カルンの光が一瞬だけ強くなった。
そして——弱く明滅した。肯定。
そうだ。自分も間違えていた。
カルンの感情がフェズに流れ込んでくる。言葉ではない。もっと直接的な——認める、という感情。フェズに必要とされることが嬉しくて、それが自分の居場所で、だから壊れてもいいと思った。それは——優しさではなかった。依存だった。
お互いに。
フェズは長く息を吐いた。白い世界に吐息が溶けていく。
「俺たち、お互いに壊し合ってたんだな」
カルンの光が揺れた。小さく。悲しそうに。でも——否定はしない。
二人とも、分かっていた。分かっていて——変えられなかった。変えるのが怖かった。今の関係が壊れるのが怖かった。壊れた関係でも、何もないよりはましだった。
でも——もうそれじゃ駄目だと、二人とも知っている。
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フェズは膝をついたまま、カルンの前で姿勢を正した。
見下ろさない。見上げもしない。カルンの体は小さい。手のひらに収まるくらいの精霊だ。でも精神世界の中で、フェズはカルンの存在を——自分と同じ大きさに感じていた。対等な存在。守るべき対象でも、力を引き出す道具でもなく。隣にいる、もう一人。
「カルン。俺は——もうお前を後ろに置かない」
カルンの光が揺れた。
「隠さない。戦いの時に外套の中に押し込んだりしない」
今まで何度そうしてきた。戦闘のたびにカルンを胸の中に隠して、背中で庇って、「安全な場所にいろ」と言い聞かせて。それが守ることだと信じていた。でもカルンが見ていたのはフェズの背中だけだった。隣の景色なんか一度も見せてやれなかった。
「お前が隣を歩きたいなら——隣を歩こう」
カルンの光が大きく震えた。期待と不安が混じっている。本当に。本当にいいの。精霊の感情が、言葉よりもずっと正直に伝わってくる。ずっと欲しかった言葉。でも——言われたら、もう甘えの言い訳ができなくなる。
「その代わり——お前の力を勝手に使わない」
フェズの声が静かに、でもはっきりと響いた。
「共鳴はお前が歌いたい時だけだ。お前の意志で。俺が引き出すんじゃなく——お前が応えてくれる時だけ」
カルンの光が激しく明滅した。フェズの言葉の重さを量っている。本当に守れるのか、その約束を。また同じことを繰り返さないのか。
フェズにはそれが分かった。精神世界だから——カルンの疑いも、そのまま伝わってくる。当然だ。何度も「守る」と言いながら壊してきた人間の言葉を、そう簡単に信じられるはずがない。
「・・・信じてくれとは言わない。俺が今言ったことが本当かどうかは——これからの俺を見て、お前が決めてくれ」
白い世界が静まり返った。大精霊の声もない。風もない。フェズとカルンの間に、言葉と感情だけがある。
カルンが——光を発した。
弱い。まだ弱い。でもこれまでの光とは質が違った。
恐怖ではなかった。依存でもなかった。フェズに求められたから光ったのでもなかった。
カルンが、自分の意志で光っている。
自分で選んで。自分で決めて。この人の隣にいたいから。守られたいからじゃない。必要とされたいからでもない。——ただ、隣にいたいから。
その光が、フェズの手のひらに降りてきた。
カルンの小さな体が、手のひらに収まる。いつもの重さ。いつもの温もり。何百回と繰り返してきた、この感覚。
でも——いつもと違った。
カルンが「守られるために」来たのではない。「力を差し出すために」来たのでもない。
隣にいたくて、来た。
フェズの手のひらの上で、カルンが顔を上げた。小さな瞳がフェズを見ている。光が穏やかに揺れている。怯えがない。我慢がない。ただ——まっすぐに、フェズを見ている。
フェズの目が熱くなった。また泣くのか。もう涙なんて枯れたと思っていたのに。
「・・・よろしくな、カルン」
声が震えた。でも——温かい震えだった。
カルンの光がぽんと跳ねた。嬉しい時の光だ。フェズはそれを知っている。何度も見てきた。でも今日のそれは、これまでで一番——きれいだった。
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白い世界に、音が生まれた。
カルンが旋律を紡ぎ始めた。
弱い。弱い旋律だった。核が傷ついている。力がほとんど残っていない。普段のカルンの歌声の十分の一も出ていないだろう。
でも——歌っている。
自分の意志で。フェズに求められたからではなく。歌いたいから、歌っている。
フェズはその旋律を聴いた。引き出そうとしない。増幅しようとしない。共鳴の回路を開かない。ただ——聴く。カルンの音を。カルンの想いを。
旋律が耳から入って、胸に沁みた。温かい。悲しい。嬉しい。怖い。全部が混じった、カルンそのものの音。これまでの共鳴で聴いていた旋律とは全然違う。搾り取られた音ではなく、溢れ出してきた音。
カルンの旋律がフェズの中に入ってくる。共鳴。でもこれまでの共鳴とは全く違う。
一方通行じゃない。
フェズの中にも音があった。カルンの旋律に応える音。それは剣の冴えでも、魔法の衝撃波でもない。もっと原始的な——フェズ自身の感情だった。
カルンへの感謝。ずっと隣にいてくれたこと。
後悔。傷つけたこと。気づかなかったこと。
そして——一緒にいたいという想い。隣を歩きたい。お前の横で。
フェズの感情が音になる。言葉ではない。旋律でもない。もっと不格好な、でも嘘のない音。カルンの旋律に混じって、白い世界に広がっていく。
カルンの旋律が少し変わった。フェズの音を聴いて——応えるように。フェズの不格好な音を包み込むように、旋律の隙間を合わせてくる。フェズもそれに応える。お互いの音を聴きながら、お互いの隙間を埋めていく。手探りで。不器用に。でも——丁寧に。
二つの音が重なった。
ハーモニー。
廃砦でのあの夜の共鳴は不協和音だった。搾取の叫びだった。フェズが引き出し、カルンが悲鳴を上げて、それでも応えようとして——壊れた。
今は違う。
カルンが歌い、フェズが応える。フェズの感情が音になり、カルンがそれを受け止める。受け止めて——また歌う。二人の意志が行き交って、重なって、調和する。
同じ共鳴だ。でも動機が違う。搾取じゃない。対話だ。
白い世界が震えた。音が空間全体に響いている。弱い音だ。壮大な交響曲なんかじゃない。傷ついた精霊の掠れた歌と、泣き腫らした少年の不器用な感情。たったそれだけ。
でも——二人分の音だった。
一人では決して生まれない音だった。
大精霊の声が響いた。白い世界のどこからでもなく、あらゆる方向から。
「それがお前の答えか」
フェズは顔を上げた。手のひらの上でカルンが歌い続けている。弱い光。弱い旋律。でも——消えない。自分の意志で、光って、歌っている。
「・・・ああ」
フェズの声は掠れていた。でも迷いはなかった。
「これが俺たちの——共鳴だ」
白い世界が光に満ちた。カルンの光とフェズの意志が混じり合って、白い霧を押しのけていく。眩しい。温かい。でも目を閉じない。この光を見ていたい。二人でつくった光を。
大精霊の声が、もう一度響いた。今度は——少し、柔らかかった。
「空とは虚だ。何も持たぬ場所。——だがお前たちは、虚の中に音を見つけた」
光が広がっていく。白い世界が溶けていく。精神世界の壁が薄くなっていく。
カルンの旋律がまだ聴こえている。弱い。でも確かに。フェズの手のひらの上で、小さな精霊が歌っている。
空の精神世界に、歌が響いた。二人の歌。——それは、一人では決して生まれない音だった。