歌姫と共に   作:ぶるうず

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夜明け

洞窟を出た時、空が見えた。

 

紫の雲が——晴れ始めていた。

 

足がふらついた。壁に手をついて体を支える。全身から力が抜けている。歌い終えた後の脱力感が今になって一気に押し寄せてきていた。喉がひりひりする。水が欲しい。でもそんなことより——

 

手の中を見た。

 

カルンがいる。光が——極端に弱い。点滅している。さっき洞窟の中で跳ねた時の勢いはもうない。目が閉じかけている。意識があるのかどうか。

 

「カルン」

 

声が掠れた。喉が潰れかけている。もう一度呼んだ。

 

「カルン、起きてくれ」

 

カルンの光がゆっくりと揺れた。かすかに。蝋燭の最後の炎みたいに、消えかけて——でも消えない。生きている。でも、本当にギリギリだ。

 

核が熱い。手のひらを通じて伝わってくる。鎮魂の歌で全力を出し切った。回復途上だった核に、あの共鳴は重すぎた。分かっていた。分かっていて——止めなかった。カルンの意志を信じたから。

 

目が熱くなった。でも泣かない。カルンは歌い切った。自分の意志で。最後まで。あの精霊の叫びの中から旋律を見つけ出して、寄り添って、歌い切った。その結果を、泣いて否定したくない。

 

「・・・ありがとう、カルン。すごかった」

 

声にならない。掠れて、かすれて、ほとんど息だけの声だった。

 

「お前の歌は——すごかった」

 

カルンの光がぽんと——跳ねた。弱い。消え入りそうなくらい弱い。でも跳ねた。俺の声が聴こえている。嬉しい、と言っている。こんな状態でも——褒められたら跳ねるのか、こいつは。

 

喉の奥が詰まった。泣くなと自分に言い聞かせた。今は歩け。カルンを連れて、ここを出ろ。仲間が待っている。

 

洞窟の出口に向かって歩いた。足がもつれる。壁に肩をぶつけながら、一歩ずつ。カルンを手の中に包んで、落とさないように。

 

出口の光が見えた。白い光じゃない。洞窟の中の封印の光でもない。自然の光だ。外の光。

 

岩壁の隙間から渓谷の空が覗いている。さっきまで紫の雲に覆われていた空が——端の方から青く透けている。アポピスの意識が鎮まったことで、瘴気が晴れ始めている。

 

眩しかった。目を細めた。渓谷の岩壁に朝の光が差し込んでいる。紫の薄暗さに慣れていた目には、ただの朝日が痛いくらいに明るい。

 

「・・・朝だ」

 

誰に言うでもなく、呟いた。いつの間にか夜が明けていたらしい。渓谷に入ったのは朝で、ヴェーノと戦って、封印の核に辿り着いて、歌って——どれくらい経ったのか分からない。でも、朝が来た。

 

カルンの光が微かに揺れた。朝の光を感じているのかもしれない。

 

 

 

中間地点まで戻った。

 

足が何度も止まりそうになった。体が重い。頭がぼんやりする。でも止まらなかった。止まったら座り込んでしまう。座り込んだら立てなくなる。

 

渓谷が開けた場所に出た。分岐点だ。ここで五人が二手に分かれた場所。東と西に道が分かれる、あの広い空間。

 

東の方角から——足音が聴こえた。複数。走っている。岩を蹴る音。息遣い。

 

最初に現れたのはルセだった。走っている。剣を引きずるように持っている。腕に布が巻いてある——怪我をしている。服が破れて、泥と汗で汚れている。ボロボロだ。でも走っている。

 

「フェズ!」

 

ルセの声が渓谷に響いた。大きい。元気だ。あれだけボロボロなのに、声だけは元気だ。

 

手を上げた。力が入らなくて、肩より上に上がらない。でも上げた。

 

ルセが駆け寄ってきた。目の前で急に足を止めて、俺の顔を見た。カルンを見た。俺の手の中で点滅しているカルンを。泣きそうな顔で——笑った。

 

「帰ってきたじゃん」

「・・・約束したから」

 

声が掠れている。聞こえたかどうか怪しい。でもルセは聞こえたらしい。

 

「三回目は守った」

 

ルセが鼻を鳴らした。「当たり前でしょ」

 

声が震えていた。泣きそうなのを我慢している顔だ。ルセは人前では泣かない。知ってる。

 

「・・・そっちは」

「倒した。蛇の目の首領。カシルとミストとラリサと四人で」

 

ルセが短く言い切った。いつも通りだ。断定形。でも言葉の裏に——重さがある。四人で戦い抜いた重さが。

 

「ルセ。すごいな」

 

ルセが一瞬きょとんとした。それから——耳が赤くなった。

 

「は、何いきなり。・・・別にすごくないし。四人でやっただけだし」

 

照れている。分かりやすい。こういうところは変わらない。

 

足音がまた聴こえた。カシル、ミスト、ラリサが追いついてきた。全員傷だらけだ。カシルの腕に包帯が巻かれている。ミストの頬に切り傷がある。ラリサの服が焦げている——嵐の精霊を限界まで使ったのだろう。でも、立っている。全員が。生きている。

 

ラリサが駆け寄ってきた。俺の手の中のカルンを見て、顔色が変わった。

 

「カルンちゃん!」

 

しゃがみ込んで、カルンを覗き込む。精霊学の知識で診ているのだろう。ラリサの表情が真剣になる。嵐の精霊がラリサの肩の上で不安そうに光を揺らしている。

 

「・・・核の状態は——」

 

ラリサが言った。声が低い。

 

「消耗が激しいです。すごく。普通ならここまで使ったら——」

 

言葉を切った。言いかけたことを飲み込んで、もう一度カルンを診た。

 

「でも核は——壊れてません。ギリギリで保ってます。ほんとにギリギリ。でも、壊れてない」

 

息を吐いた。

 

「休めば回復します。時間はかかりますけど。ちゃんと休めば、大丈夫です」

 

膝から力が抜けた。座り込んだ。地面に。尻餅をつくように。立っていられなくなった。安堵で。緊張の糸が全部切れて、体が崩れた。

 

カルンが死なない。壊れていない。休めば戻る。

 

「・・・よかった」

 

それしか出てこなかった。声が震えた。泣くなと言い聞かせたのに——目の端が熱い。

 

カシルが俺の前に立った。朗らかな顔——じゃない。今は違う。静かな顔だ。でも目が温かい。

 

「やったのか」

「・・・うん」

「本当にやったのか」

「・・・カルンがやった。俺は——歌っただけだ」

 

カシルが黙った。しばらく俺を見ていた。それから——笑った。朗らかに。今度は本当に。目まで笑っている。

 

「歌っただけ、か」

 

カシルが俺の横にしゃがんだ。

 

「それが——一番難しいことだったんだがな」

 

何も返せなかった。喉が詰まって、声にならなかった。

 

ミストが少し離れた場所に立っていた。腕を組んで、渓谷の空を見上げている。紫の雲が端から溶けるように薄くなっていく。

 

「・・・終わったのか」

 

低い声。いつも通り静かだ。でも——肩の力が抜いている。ミストが肩の力を抜いているところを、初めて見た気がする。7年間だ。ミストはずっと一人で蛇の目を追ってきた。公には死亡扱い。影から残党を狩り続けて。その7年間の戦いが——今、終わった。

 

ミストの横顔が穏やかだった。それだけで十分だと思った。

 

 

 

渓谷の中で、五人と精霊たちが座っていた。

 

岩に背中を預けて、地面に座り込んで。体力も気力も使い果たして、立ち上がる気力がない。でも誰も急がない。急ぐ必要がない。戦いは終わった。

 

空が——晴れていく。

 

紫の雲が端から溶けるように消えていく。渓谷の上空に青が広がっていく。朝の光が岩壁を照らし始める。渓谷に影を落としていた薄暗さが、少しずつ剥がれていく。

 

ラリサが嵐の精霊を撫でていた。精霊が安堵するように光を揺らしている。アポピスの瘴気に圧迫され続けていた精霊が、ようやく楽になったのだろう。

 

「わたしたちも頑張りましたね」

 

ラリサが精霊に話しかけた。精霊がぽんと跳ねた。ラリサが笑った。「えらいえらい」

 

渓谷の周囲にいた黒斑病の精霊たちが——動きを止めていた。さっきまでゆらゆらと彷徨っていた精霊たち。目の黒い濁りが——薄れ始めている。体表の黒い斑点が、端の方から消えかけている。アポピスの意識が鎮まったことで、汚染が止まったのだ。すぐには治らない。でも——原因が消えた。時間をかければ、精霊たちは元に戻る。

 

「・・・ラリサ。あの精霊たち」

「はい。見えてます」

 

ラリサの目が潤んでいた。精霊使いとして——ずっと黒斑病を調査してきた彼女にとって、この光景は。

 

「回復の兆しです。すぐにはですけど・・・でも、ちゃんと治っていきます。原因が消えたから」

 

ラリサが鼻をすすった。「よかった・・・本当に、よかったです」

 

ラリサがふと顔を上げて、ルセの肩を見た。ピカがルセの肩の上で、朝の光を浴びて白く輝いている。

 

「・・・ルセさん。ピカちゃん、また変わってません?」

 

ルセが肩のピカを見た。「・・・うん。あの戦いの時に。なんか急に光って、大きくなった」

 

ラリサがピカに顔を近づけた。精霊学者の目になっている。さっきまで泣きそうだった顔が、一瞬で真剣になる。

 

「・・・これ、上級です。完全に。再会した時に中級に近いって言いましたけど——あれからさらに」

 

ラリサが目を見開いた。

 

「二段階進化してるんですよ、ピカちゃん。中級から上級に上がっただけじゃなくて——旅の間に初級から上級まで。二段階も進化するなんて、文献でもほとんど例がないです。普通は一段階がやっとなのに」

 

ルセが困った顔をした。「勝手に育ったんだけど。あたし何もしてないし」

 

「何もしてないわけないですよ!」ラリサが力説した。「精霊の成長は主との関係に依存するんです。ピカちゃんがここまで育ったのは、ルセさんと一緒にいたからです。・・・すごいことですよ、本当に」

 

ピカがぽんと跳ねた。褒められたのが分かったのか、ルセの頬に体をすり寄せている。ルセが「くすぐったい」と顔をしかめた。

 

カシルが岩に背を預けたまま、空を見上げていた。朝の光が顔を照らしている。傷だらけの顔が——穏やかだった。

 

「綺麗な空だ」

 

誰に言うでもなく。でも全員に聞こえるように。

 

ルセが俺の横に座っていた。肩が触れている。何も言わない。ただ一緒にいる。ルセの肩の上で、ピカが静かに光っている。白い光が朝日に溶けて、ほとんど見えない。さっき走ってきた時の勢いはもうない。戦いの疲れが出てきているのだろう。でも——隣にいる。ルセはいつもそうだ。必要な時に、隣にいる。

 

カルンが俺の手の中で——微かに旋律を鳴らした。

 

弱い。消え入りそうな音。でも——穏やかだ。安らぎの音。さっきまで洞窟の中で歌っていた鎮魂の歌の残響みたいな。力は残っていないはずなのに、それでも音を出している。歌いたいから歌っている。

 

目を閉じた。

 

カルンの音を聴いた。風の音を聴いた。仲間の呼吸を聴いた。ラリサが精霊と話す声。カシルの穏やかな吐息。ミストの静かな呼吸。ルセの隣にいる気配。

 

渓谷に差し込む朝の光を、閉じた目蓋の裏に感じた。温かい。紫の冷たい光じゃない。朝の光だ。

 

「・・・終わった」

 

声が出た。掠れていて、小さくて、自分にしか聞こえないような声だった。

 

カルンの光がぽんと跳ねた。

 

終わった。蛇の目との戦いが。アポピスの苦しみが。嘆きの渓谷の長い夜が。

 

でも——旅は終わっていない。まだ火の祠が残っている。グラーヴェのトルニオが待っている。巡祠の覇者への——最後の一歩。全部が始まった場所に戻って、最後の試練を受ける。でもそれは——もう少し先の話だ。

 

今は、ここにいる。仲間と。カルンと。夜明けの光の中に。

 

目を開けた。

 

青空が広がっていた。渓谷の上空を覆っていた紫の雲が消えて、どこまでも青い空が見えている。朝の光が渓谷の岩壁を金色に染めている。カルンの光が——穏やかに揺れている。弱い。でも温かい光だ。

 

ルセが隣で同じ空を見ていた。

 

「・・・綺麗」

 

ルセが小さく言った。いつもの断定形じゃない。ただの感想だった。

 

「うん」

 

二人で空を見上げていた。

 

嘆きの渓谷に——朝が来た。

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