「虎になれば、名を遺せると思った。
煌びやかな星の一つになれると、だが国は虎が遺る事を許さなかった。」

中島敦「山月記」の思想を借り、理想と現実にすり潰される男の一生を……

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望却史

 

ある男の話をしよう

歴史に憧れ

名を遺そうとした男の

 

時は未だに神が信じられて居た世界

常世と現世が裏表で合った時

 

その男は産まれた。

男は頭が良く、要領も良かった

誰もが将来は国の為に働くだろうと疑わない程に

 

だが、男は歴史に、より言うなら

何年も語り継がれる存在に憧れた。

空に浮かぶ星々の一つに成りたいと。

 

男の生きた時代に大きな戦は無く

男は自身が歴史に遺るには、形に残る何かが欲しいと考えた。

男は詩人を目指し、約束された将来を全て捨てた

 

哀しきかな、男には唯一芸術の才能は無かった

美しかった容姿は影を潜め

その目は瞳孔が開ききり、上質な着物は見る影も無く。

今や浮浪者と勘違いされるざまよ

 

男は今日を生きる為に屈辱の儘

昔の伝手を辿り国に仕えた

自身よりも仕事の出来ない物が、

まるで男の事を安物の筆の様に扱い

自身を顎で使う屈辱に耐えれなかったのだろう。

 

ある日男は発狂した

人の言葉を喋らず、叫び

夜の森の中に消えて行った

 

ある日

近くの森では人喰い虎が出ると噂された

その見た目は、細くされど煌びやかな美しい銀色の虎だと言う

その虎は肉を食べず痛め付け

記憶に焼き付かせるかの様にその美しい肢体を見せて来ると言う

 

やがて国は動いた。

噂が民を怯えさせ、

語られる虎の姿が増えるほど、

それは「歴史に残るべきではない異物」となった。

 

討伐隊は、名も無き兵で編成された。

英雄を立てぬために。

歌も詩も生まれぬように。

 

月の無い夜、

松明の光が森を裂く。

銀の虎は、逃げなかった。

 

その身は矢を受け、

刃を受け、

それでも最後まで人を見ていた。

 

吠え声は、もはや叫びだった。

言葉にならなかった言葉。

名を呼ばれぬままの問い。

 

――俺は、確かに生きていた。

 

夜明け、

虎は倒れ、

その銀の毛は土に汚れた。

 

誰かが言った。

「ただの獣だった」と。

誰かが頷き、

誰も異を唱えなかった。

 

死骸は焼かれ、

骨は砕かれ、

森は再び“安全”になった。

 

時が流れ、

噂は童話に変わり、

童話はやがて忘れられた。

 

銀の虎の名は無い。

詩にも残らず、

碑も立たず、

歴史書の余白にすら書かれなかった。

 

ただ一つ、

討伐に参加した老兵が、酒に酔い

美しい星々を見た時に譫言の様に零す。

 

「……あれは、獣の目じゃなかった」

 

だがその言葉も、

笑い話として消えた。

 

こうして男は、

誰よりも強く歴史を望み、

誰よりも完全に歴史から零れ落ちた。

 

常世と現世が離れた後、

銀の虎は存在しなかったことになる。

 

――最初から、

名など無かったかのように。

 

只一つ、山の奥深くに有る小さな土の山と

積立てられた石の卒塔婆だけを遺して。


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