帝都から鉄道線に乗ること早三日。初日は兵士達の話し声で騒がしかった車内も、今はしんと静まっている。流石に三日間満員電車で立ちっぱなしはキツい。国のために戦うのだからせめて移動中の居住環境くらい整えてくれと思うのは、考えるリソース分だけ無駄だろう。徴兵された時から今まで、兵士がただの「人的資源」としか見られていないのは身に染みてわかっている。
遠くから銃声が聞こえる。
もうすぐ前線だ。
俺の出身地、帝国は隣国の北方連邦との間には昔から領土問題があった。帝国系住民の居住地の一部が連邦領となっていたのである。
ちょうどそのあたり、国境付近に油田が見つかった。10年前のことだ。帝国は、油田の見つかった地域は歴史的に自国領であり、自国民を保護する必要があるなどという名目で侵攻した。
帝国は軍事大国ではあるものの資源面で他国に遅れをとっていた。その当時は、資源国との外交で長年煮え湯を飲まされてきた帝国国民の不満は限界に達しており、資源国及び当時の政府に対して反抗的な勢力が台頭してきた頃であった。
つまり連邦への侵攻は、国民の不満を外に逃すための政府の政治的パフォーマンスの一環だったのである。政府は俺たち国民に向けて、一週間で終わらせる、と言い切った。
しかし結局両国は泥沼の争いに嵌って行った。しかも当の政府は戦争が始まった直後にクーデターで倒されてしまった。全く馬鹿馬鹿しいことこの上ない。何のために始めた戦争だというんだ。
俺たちはこのクソッタレな戦争を、いまだに続けている。
列車を降りてすぐ、俺たち新兵は所属部隊ごとに分けられた。
「傾注!」
俺と俺の同期2人は一斉に体を声のした方に向け、敬礼する。新兵訓練所で体に叩きこまれた動作だ。
声の主は俺たちと同じように軍服を着た若い女性だった。
「新兵諸君、北部方面軍へようこそ。分隊を代表して諸君を歓迎する」
彼女の軍服の胸元には階級章が付いていた。どうやら彼女が俺たちが所属する隊の長らしい。
彼女は挨拶に続けて、周りの隊員達が簡単な自己紹介を始める。新兵は隊員の顔と名前を頭に叩き込めということだろう。
最後に、再び彼女が言葉を発する。
「そして、私は第13分隊長のアイリス・モドゥロ軍曹である! 以降諸君の指揮権は私が持つので、私の指示に従うように」
「はい」
「声が小さい!」
「はい!!!」
大声で返事する俺たち。
「よろしい」
ようやくアイリス隊長は満足そうに頷いた。
苗字持ちってことは、この隊長は貴族か王族か。王族から軍って話も聞かないし、おおかた叙爵された上位幹部の娘とかなんだろう。
「ではドーヴァー上等兵、新兵諸君に前線基地のいろはを教えたまえ」
俺たちが荷物を置くと、隊長はそう指示した。ドーヴァーと呼ばれた兵は了承し、俺たちはキャンプ内を案内された。
ドーヴァーさんは良く言えば気安い、親しみのある感じの、悪く言えば軽薄そうな感じの人だった。
彼はキャンプ内をまわって俺たちに案内しながら、軍での暗黙の了解から隊員のあだ名まで色々なことを教えてくれた。
キャンプ内を一通り回った後、新兵は食事の準備をすることになったのだが、ドーヴァーさんに声をかけられて俺だけが残らされた。
何か落ち度があったかと不安になったが、別にそう言うわけではないらしい。
ドーヴァーさんは土の上にどっかり腰を下ろしたあと、俺にも座るよう促した。
「ッス」
言われるがまま、ドーヴァーさんと向かい合うように座った。
「お前、挨拶の時から浮かない顔してんな。そんな顔で戦ったら真っ先に死んじまうよ」
ハハハ、とドーヴァーさんは笑う。
前線では死もジョークのネタなんだろうか。
「正直に言ってごらんよ」
「正直に、正直にッスか」
ここで下手なこと言って機嫌を損ねたら何をされるかわからない。
「見たところ、家族の仇討ちをしたくて仕方がないとかそういう感じでもないよね〜」
「勝手に推測されるのも困るんスけど……あと俺孤児なんでそう言うのはないっす」
「あー……悪いこと聞いちゃった?」
「いえ」
しかし困ったな。多分ドーヴァーさんは本当に俺を心配してくれているのだろう。その思いを無碍にするのも気が引ける。
「……ホントに、正直にでいいんスよね」
「ああ、先輩に任しとけ。今のうちに吐き出しとくのがいいぞ」
ふう、と一呼吸おいて口を開く。
「隊長、貴族っスよね。正直士官学校上がりの貴族より叩き上げのベテランの方がよかったっつーか。その、経験値的な意味で」
俺がそういうと、ドーヴァーさんはまた笑った。
「新人の言うことは大体同じだな。前に来た奴も同じことを言ってたし。まあお前らの気持ちもわかるぜ、命預けてるわけだからな。けどねえ、新人」
ドーヴァーさんは一度そこで言葉を切り、わざとらしく眉を上下させて、そしてニヤリと笑った。
「その認識のままだと、明日はひっくり返ることになるぜ?」
「どういうことっスか」
「そのまんまだ。うちの隊長は強いんだよ、メチャクチャな」
そう言ってニカっと笑い、ウインクを送ってくる。
先輩が言った通り、翌日俺は隊長の強さを思い知ることになる。
配属翌日、第13分隊は突撃任務に就いた。新兵は被弾率の低い位置につくのが通例らしく、俺はこの部隊で最も被弾率が低いらしい隊長の後ろのポジションにつくことになった。
結論から言うと、なるほど確かに隊長は強かった。それも、尋常じゃないほどに。新兵の俺でもわかる。士官卒にしては実戦に強いとかそう言うレベルじゃない。
敵兵の横を通り抜けながら撃ち殺し、振り向きざまに撃ち殺し、敵塹壕に一瞬で近づいて撃ち殺す。あんなバケモノがそこらにいるはずがない。隊長が100人いればこんな戦争も勝ててしまうんじゃないかと思うぐらいである。
配属されて一週間ほど経っただろうか。
前線は膠着していて、俺達が配属されてからほとんど位置が変わっていなかった。この間、第13分隊は怪我人こそいたものの死者は出していなかった。
その日は雨の日だった。俺と、俺の同期のバッハは、いつものように隊長の後ろにくっついて突撃していた。
戦闘と、このあたりの地形に多少慣れたこともあって油断していたのだろう、バッハは少しの間よそ見をしてしまった。
前方からの狙撃音に気づいた頃には、すでにバッハは腹を打たれていた。
ヤバい。バッハが死ぬ。助けないと。
直感的にそう思った。
しかしそれを行動に移そうとした瞬間、隊長に思い切り首根っこを抑えられ、姿勢を低くさせられる。
「伏せろ!」
とドーヴァーさんが言い終わった直後に爆発音が鳴り響いた。手榴弾か。
あ、と声にならない声を発する。視界の端でバッハの身体が爆ぜた。
結局あのあとどちらも決定打を与えられず、前線が数m前後しただけで終わった。
「第13分隊、全員集合!」
「「「はっ!」」」
「バッハ二等兵が死亡、ザンギ上等兵とドーヴァー上等兵が腕を負傷と報告を受けたが、他に損害はあるか?」
分隊にしばしの沈黙が訪れた。
それを肯定と受け取ったのか、隊長は再び口を開く。
「よろしい。ではダリアン二等兵、前へ一歩出ろ」
言われた通りに一歩前へ進み出る。
その瞬間、鈍い打撃音と共に視界がぐらりと揺れ、暗転する。何が起きたか理解できなかった。
生ぬるい粘液ーーそう、鼻血だーーが顔の表面を伝ったのを感じたことでようやく顔面を殴られたのだと理解する。
「なぜ手榴弾の落下地点に近づいたんだッ! そんな命令は出していないッッ!」
般若のごとく顔を歪ませ、目を見開いた隊長が声を荒げる。
「仲間のところに手榴弾が来たんスよ!? 助けないほうがおかしいッス! 俺が助けてたらもしかしたらっ゛うぐふっ」
反論を言い終わらないうちにもう1発、今度は腹を殴られる。
「お前が助けに行ったところで何ができる! その行動がどれだけ味方を危険に晒したかわかるか!? 軍規違反が如何に重大なことであるかは訓練所でも習ったはずだろう!」
「……」
「隊長、これ以上は明日にも障るので控えた方が良いかと」
見かねたドーヴァーさんが間に入って止めてくれた。
「俺の方からも指導しておきますから。な、ダリアン、謝っとこうぜ」
「……すいませんでした」
鼻が詰まり、情けない言い方になる。
「……反省して明日からの戦闘に活かせ。衛生兵を呼んだから、ドーヴァー上等兵とそこで待っていろ」
そう言い捨て、隊長はテントの方へ戻って行った。
配属初日と同じ場所で待つようにドーヴァーさんに言われた。少し待っていると、小袋を持ったドーヴァーさんが現れる。
「ほら、ちり紙だ。貴重な紙だからな、ありがたく使えよ」
「ッス、アザス」
差し出された紙を受け取って、思い切り鼻をかむ。
「豪快にかむなあ。ハハハ」
「……すんません」
「謝るこたねぇよ」
ドーヴァーさんが俺の背中をさする。
「……隊長の言うこともわかるっしょ? お前の行動で隊長はじめ他隊員の危険度が上がったのは、まあ事実だし
「……ッス」
「お前の気持ちもわかるよ。同じ隊の隊員で、しかも同期だもんな」
「……」
背中を軽く叩かれる。
「やっちまったことはしょうがない。後悔先に立たずっていうしさ」
「はい」
「今日学んだんだから、成長できたって思っとこうぜ。今日からお前は強くなったんだ」
「ッス……がんばります」
「おう、頑張れよ」
ばしんと音が鳴るぐらい盛大に肩を叩かれた。先輩痛いッス。
「なんだなんだおめえら隅っこでコソコソしやがって。エロ本の回し読みでもしてんのか?」
そう言ってテントの裏から現れたのはぴかぴかの禿頭と濃いヒゲがトレードマークのザンギさんだった。ドーヴァーさんと同期で、同じくベテランの先輩である。
「してねーよ。てかお前のことは呼んでねぇ!」
ドーヴァーさんの口は悪いが、別にザンギさんと仲が悪いわけではない。そういうものである。
「つれねえなあ」
「今俺ダリアンと親交深めてるわけ、なあ?」
同意を求められたのでとりあえず頷く。
「おっ、じゃあもっとドーヴァーのことを知れる面白い話を先輩がしてやろう」
「そんなんあったか?」
「まあ聞いてろよ。ドーヴァーの見た目ってチャラそうだろ? 実際その通りでさ、お前らが来るちょっと前の話なんだけど」
「あっ、おいやめろって」
何かに勘付いたのか、ドーヴァーさんがザンギさんの話を止めに入る。
「なあダリアン、ドーヴァー先輩の面白い話聞きたい?」
「聞きたいッス」
ザンギさんに聞かれ、俺はノータイムで答える。こんなに隠したがるなら面白い話に違いない。
「ダリアンてめぇ」
こんにゃろ、と言ったドーヴァーさんが、俺のこめかみにグリグリと拳をあてる。痛いッス。
「衛生兵って結構女のコいるんだ。だからこいつ結構ナンパしに行くんだよ。お前らが配属された日も、ウブな女のコと仲良くしようとか言って衛生の新兵にナンパしに行ってたしな」
「うわぁ……」
新兵の八割は徴兵された兵であり、徴兵された兵のほとんどは16か17である。ドーヴァーさんは多分25ぐらいだろう。年下すぎやしないだろうか。
「そういう行為はルールで禁止スよね」
「声かけて仲良くするだけならいいだろ」
「はあ……」
まあ先輩がそう言うのならそういうものなのかもしれないが……
「2年ぐらい前な、1日で一気に300mぐらい進めた日があったんだ。当然そんな日は宴会するだろ。で、コイツ馬鹿だからベロンベロンになって吐くまで酔ったんだ」
「お前もだろうが」
「うるせえ。そんで良い覚ますために俺と二人で基地に端っこの方に行ったんだよ。そこにアイリス軍曹……いや当時は伍長かな、がいてさ、俺らまだ別の分隊いたから伍長のこと知らなかったわけ」
「はあ」
「でコイツ酔っ払ってテンションおかしくなってて、ナンパしようとか言ってやがった。衛生兵だと勘違いしてたんだよ。服とか全然違うんだが、酔って馬鹿になったコイツには区別がつかなかったわけ。俺言ったんだよ。階級上の人にナンパとかマジで危ないからやめとけって」
「嘘こいてんじゃねえよ。お前俺にはよ行けナンパしろって言いまくってたじゃんかよ」
「そりゃ上官ナンパしてキレられたらおもしれぇもん。実際そうなったしな」
「チッ」
「で、うっかり声かけちゃったんよ」
「ッ、フッ」
思わず笑いを漏らしてしまう。結末まで何となく予想できてしまった。
「そしたら隊長ブチギレて、今のお前よりもボコボコになるまで隊長に思い切り殴られたわけ。最後は大佐と隊長に土下座までしたよなあ」
「お前もしただろ」
「俺ぁお前に巻き込まれただけだよ」
ザンギさんは、ドーヴァーさんの悪態もどこ吹く風という感じである。
「てかダリアン、お前笑ったな? 先輩を笑う後輩には仕置きが必要だなッ!!」
再びこめかみを攻撃される。だから痛いッス先輩。
痛かったが、先輩たちのおかげで落ち込んでいた気持ちは吹っ飛んだ。さすが、何年も後輩を見ている人たちだ。
ここに配属されてもうすぐ2年が経つ。
元は自分含め3人いた同期も、生き残りはもう俺1人だけになってしまった。
最近は新兵指導の役割を任されることも増えてきた。
昨日も、配属されてきたばかりの新兵達に、撃たれづらい姿勢や手榴弾が飛んでくるタイミングなんかを教えたところだ。
最近は前線は連邦に押され、10km単位で後退している。いつにも増して前線の雰囲気はピリピリとしていた。
戦争が始まってしばらくした頃から両国は戦闘機の開発に躍起になっていた。しかしいずれも実用化からは遠い、はずだった。
「敵襲ーッ!」
初めてみる偵察機だな、などと見当違いのことを考えていた俺は、突如降ってきた爆弾に対処できず爆風をまともに食らった。偵察機ではなく爆撃機だったわけである。
吹っ飛ばされ、地面に叩きつけられて、しばらくの間全身の痛みに悶絶する。
確実に肋骨が数本折れている。軍服も破れてそこら中の擦り傷が痛む。
運の悪いことに、今日は作戦の都合上第13分隊は前方へ突出していた。つまり、危険すぎるので衛生兵は来ない。
ただ、俺の怪我が骨折程度の怪我で済んだのは幸運だったかもしれない。爆発地点に戻った時、すでに幾人かは死亡していたのだから……
ひとり、まだ息をしている人がいた。
隊長だった。
血と土でボロ雑巾になったかのように見えるほどの惨状だったが、確かにまだ、生きている。
敵兵がいないことを確認して隊長に近寄った。
遺体が3体しかないことが気になっていたのだが、どうもドーヴァーさんに指揮権を委譲して、死なずに済んだ少数を撤退させたらしい。
「お前も撤退しろ。今ならまだ間に合うかもしれない」
「出血ひどいッスね。今応急処置するんで動かないでくださいね」
「おい、話を聞いていたか? 命令だ。撤退しろ」
「先ほどドーヴァーさんに指揮権渡したんスよね。なら俺が隊長に従わなきゃいけない道理はないッス」
屁理屈をこねて隊長からの命令を拒否する。緊急事態なら命令系統に関係なく下士官は兵卒に命令できるはずだが、諦めたのか、隊長がそれ以上俺の行動に口出しすることはなかった。
抗命は重大な軍規違反だが、それは、命令に従わない兵士の行動が隊員のリスクを上げるという前提に基づいている。しかし今、すでに十分危険度が高い状況なのだ。これよりさらにリスクが上がったとして、それが何だというのだろう。命令を守って隊長を見殺しにするぐらいなら、二人とも助かるかもしれない方に賭けたい。
「強引だな……」
隊長は呆れたようにそう言った後、かすかに笑った。
再び敵戦闘機から爆弾が落ちる。今度は手前に落ちたので直撃こそしなかったものの、塹壕を支える土嚢が崩れ、俺たちは埋もれた。
反射的に土嚢を持ち上げようとするも、隊長に止められる。曰く、少ししたら敵の前線が通り過ぎるはずだから、運が良ければ土嚢の下でやり過ごせるかもしれない、と。
隊長の言った通り、敵戦線は俺たちに気づかず通り過ぎた。
敵の前線はやり過ごしたが、後方がここに来るまであまり時間はないだろう。
そう考え、ひとまず簡単に隊長の出血を止めて、前線から脱出しようと思ったのだが。
「あ」
衛生用品を取り出そうとして腰に伸ばしたダリアンの手は、空を切った。
「IFAK(Individual First Aid Kit:個人用応急処置キット )無くしちゃったッス。消毒液とか持ってますか」
二回目の爆破の衝撃で応急処置キットが飛ばされてしまったようだ。
ただ、不幸中の幸いと言ったところか、ひねった脚を固定するために昨日使った包帯はダリアンのポケットに残っていた。包帯は封されていてそれなりに清潔なので、ガーゼの代わりに使えないこともない。
「……私のも飛ばされてしまったようだ。構わん、とりあえずその包帯で止血してくれ」
「ッス、わかりました」
見たところ顔面と左大腿部の出血が大きい。顔面は派手に流血しやすい場所なので、より深刻なのは大腿の方だろう。
寝転がった隊長の脚を持ち上げ、包帯を直接傷口当てて少しきつめに縛った。
隊長を背負って歩き始める。隊長が女性とは言え、フル装備の人間はかなり重い。80kgはあるだろう。足を引きずりながらもなんとか端まで辿り着いた。
前線の端の方でよかった。これが真ん中だったらもうどうしようもなかっただろう。
森へ入り込む。これで敵に見つかる可能性は小さくなったはずだ。
傷口を包帯で抑えているので失血死の心配はなくなったが……心配なのは感染症だ。急いでいたとはいえ、消毒せずに放置しているのはあまりよろしくない。傷口から細菌が入ると、最悪細胞が壊死して切り落とさなければならないからだ。一度傷を洗い流せればいいのだが。
それに、ボトルの水もあとわずかだ。
できるだけ早く水場を探さないと。
川の流れる音が遠くから聞こえ始めた頃には、いつのまにか夕暮れ時になっていた。途中で隊長から気絶してしまったため、一人での行軍で時間感覚が麻痺していた。
20kmは歩いた気がしたが、隊長を背負っていたいる分歩みも遅かったので、実のところそこまで進んではいないかもしれない。
河原で隊長を下ろして座らせる。
ひとまず流れを手ですくってみる。やはり比較的上流の水なので綺麗だ。目に見えるゴミはほぼないから、煮沸するだけで大丈夫だろう。
前線近くの下流は血でドロドロだったな……思い出したくない景色を思い出してしまった。
あとは沸かすための器だが、鉄帽ぐらいしかないな。
鉄帽を川に入れ、流水で汚れを落とす。
石で簡易的なかまどを作ったあと、火種となるものを集めた。
隊長が持っていた防水マッチを使って、火をつける。
煮沸した水で傷口を洗い流す。ただの水だが、洗わないよりはマシなはずだ。包帯も取り替える。
「ふう」
ポケットからエナジーバーを取り出し、半分を隊長に渡す。相変わらずまずいが、栄養だけはたっぷり入ってるのが今はありがたい。
「実を言うとな、さっきの爆発で被弾した瞬間、もう死んでもいいかと思っていた」
「……それはどうして?」
攻撃を受けたあと、死を簡単に受け入れる兵士は少なくない。攻撃を受けて四肢を失ったり、仲間の死を間近で見て心の傷を負ったりしながら生きるぐらいならいっそ死にたい、という兵士はたくさんいるからだ。しかし隊長はそのようなタイプには見えなかった。
「……父が死んだ」
重苦しく口を開く隊長。
「昨日、前線が突破されて一度前方指揮所の方まで入られただろう。あの時にな」
たしか、隊長の父親は大佐で、俺たち北部方面軍の司令部だと、ドーヴァーさんに聞いていた。
「私の母は幼い頃に亡くなった。私の二人の兄はどちらも従軍して殉職した。そして父も死んだ。もう家族は誰もいない。この世に未練はなかったんだ、その時はな……」
小さく微笑む隊長。
「でもお前が助けてくれて変わった。やっぱり私は生きたい」
「なら、死んじゃダメッスよ。森を抜けるまで」
「ああ」
少しだけ、心が軽くなった気がした。
ここからどこ向かうのが良いだろうか。森の中に留まっているのは危険だ。かと言って、帝国に戻るのも気が進まない。俺たち二人とももう帝国に家族はいない今、政治的・経済的な先行きも不透明な帝国に戻って何になるというのだろう。
隊長に聞いてみると、帝国の東隣にある共和国への入国が良いのではないかと提案された。確かに、中立国のあそこは戦地になっていないから、情勢も安定しているはずだ。それに、前線の位置と歩いてきた距離からして、国境までそう遠くはないだろう。
再び隊長を担いで歩き始める。ひとまず、共和国との国境に向かおう。
「この戦い、どうなると思いますか」
「まあ負けるだろうな」
そう、淡々と言った。隊長がそう言ったことに対して驚きはなかった。自国の戦況ぐらいは前線にいると雰囲気で分かる。
「それでなくとも戦線は押され気味だったのに、戦闘機の実用化でも先を越されたからな。我々の負けだ」
「帝国も戦闘機が導入できるようになったら勝てるってことはないんスか?」
ないと半ば確信しつつも問うた。
「おそらく今頃空から工場が焼かれて、戦闘機の開発どころではないだろう」
「まあそうッスよね」
先ほどから、言葉を投げかけても隊長が反応しなくなった。背中から感じる隊長の体温が熱い。かなりの高熱だ。やはり感染症は防ぎきれなかったらしい。
悪夢を見ているのか、一時間ほど前からずっとうなされている。ごめんなさい、ごめんなさいとひたすら誰かに謝り続けているのだ。謝っている相手は家族か、戦友か。
普段の隊長からは考えられないほど弱々しい姿だ。
隊長の涙が、服に空いた穴から肌に落ちる。傷口に染みて痛い。
俺自身の疲れも深刻だった。森の中では、野生動物を警戒しないといけないせいでろくに寝れやしないのだ。
「あ」
鬱蒼とした木々の隙間から、かすかに明るい場所が見えた。
そこから歩き続けて数分、開けた場所に出る。丸太で組まれた小屋があった。
小屋からは人の気配がしなかった。少し借りさせてもらおう。
「お邪魔します」
無人の小屋だが一応挨拶して入る。入国できそうな場所を知りたいのだが、地図は置いてあるだろうか? 欲を言えばラジオもあると新しい情報も知れるのだが……
小屋の中は簡素なものだった。部屋の中にあった家具は、壁に打ち付けられた棚と木製の円机と椅子、それだけである。被っている埃の具合からして年単位で使われていなさそうだ。食糧調達は期待できそうにない。ただ、地図は棚の上から見つかった。
「ん、あれ?」
地図は共和国語で書かれていた。まだ国境は超えていないのに、なぜ?
よくよく地図を見てみると印をつけられた場所ーー川との位置関係から見るとおそらくこの小屋だーーは国境より共和国側にあった。ということは、俺たちはもう国境を超えている?
そんな馬鹿な、どこにそんなものが、と考えたところではたと思い至る。そうだ、確かに国境線はこんな深い森の中だ。壁なんかない、自然国境というやつだろう。つまり俺たちは知らず知らずのうちに共和国に入国していたわけだ。
どう入国するかの問題がなくなってホッとする。
ひとまずは隊長の治療、それだけだ。
「死んじゃダメッスよ」
自分にしか聞こえないぐらいの声でボソリとそう呟いた。
耐えてくれよ、俺の体も。
小屋から人里への道は残っていた。道に沿って歩き続けると、程なくして村に着いた。
「すいません、そこの方」
すぐ目の前を歩いていた老年の男性に声をかける。
『おいあんた、どうした!?』
振り向いた男性は俺たちの姿を見て顔色を変えて何かを叫ぶ。共和国語はわからない。
『待ってろ! すぐに医者を呼んでくる』
また何かを叫んだあと、すぐにどこかへ走り出してしまった。騒ぎを聞きつけて数人の村人がやってくる。そのうちの一人の男が俺に声をかけた。
「帝国人か?」
訛りはあるが、帝国語だった。頷く。
「話はあとで聞く。とりあえず今じーさんが医者を呼んでいるが、多分診療所まで運んだほうがいいよな、その怪我だと」
男はその場にいた村人に共和国語で何か指示すると、しばらくして村人はどこからか担架を持ってきた。
「担架は一つしかないから怪我のひどい方を乗せたい。女の方でいいな?」
男の確認に俺は同意し、村人が持っている担架に載せ替える。
ごまかしごまかしなんとかここまでやって来た。緊張が解けて安心したのもあったかもしれない。
「よろしくお願いしま、す……」
村人に隊長を預けた直後、俺は倒れ、意識を失った。
ここはどこだろう……
水の中にいるような、宙に浮いているような……
そうだ、俺、隊長運んで、倒れて……
それから……?
「ッ!」
白い天井、まばゆい光、そして上から覗き込む隊長の顔。意識を取り戻した俺はそんな光景を見た。見回すとそこは病室、俺はベットに寝かされていた。
「……ダリアン二等兵、復帰しました」
「良い、ダリアン。もう良いんだ。戦争は終わった」
少しだけ残念そうに隊長は言う。予想通り、帝国は負けたのだろう。
「ここ、どこッスか」
「共和国首都の病院だ。もう安全だよ」
運んでくれた村人、それに治療をしてくれたのであろう見知らぬ医師に感謝する。
「なあダリアン」
隊長が改めて居住まいを正して声をかけてきた。真剣な声色だった。俺もまっすぐ隊長の目を見つめ返す。命令か? それか気づかないうちに何かやらかしててそれのお叱りか?
「あーその、なんだ」
何か言いづらそうにしている。というか何か恥ずかしがっている?
「…………あ、ありがとう。君には感謝している」
「……え、あー……どうも」
思いがけない言葉に、咄嗟に返事が出てこなかった。
彼女はまだ何かを言いたそうにこちらを見つめている。
不意に隊長の顔がグシャリと歪んだ。涙がほおを伝う。
「た、隊長? 大丈夫スか!?」
そのまま大粒の涙を流し始めながら、俺の方を見て……まるで子供のように泣き叫んだ。
「お前が今日でもう一週間眠ったままでっ! このまま意識を取り戻さないのかと思って、思って……」
それは、森の中を歩いているときに見たものとも違う、安堵の涙。
いつも戦場で気を張っていた彼女は、泣きたくても泣けなかったのかもしれない。そんなことを思った。
俺は黙って彼女を抱きしめ、背中をさする。
窓から差し込む日光が俺たちを照らしていた。
「……お前はこれからどうする」
「隊長について行きますよ」
「お前ならそう言うと思った」
「でもそうスね、パン屋のバイトとかしてみたいッス」
「意外だな、そういう風には見えない」
「結構ひどいこと言ってませんか」
「あはは、うん、お前ならなんでもいけるよ」
廊下から硬い靴の音が聞こえてくる。目覚めた俺に対して医師がリハビリの説明に来るらしい。これからのことはその後に考えよう。
「まずはリハビリッスね」
「ははは」
俺たちの人生はまだまだ始まったばかりだ。