灰の傭兵と光の園 Ⅰ 〈RF各機、メカイラストあり〉 作:青羽 イオ
最初に降ったのは雪じゃない。灰だ。
冷たさのない粉が肺に砂を詰め込み、その日から北の地は白く塗りつぶされた。
夜の地面に灯が並び、「ここから先は渡さない。帰る人はこの白帯を通る」と刻まれた。
灰の後に現れたのは、名のない『群れ』だった。緑灰色の皮膚は金属を噛み、関節を腐らせる。あとから骸蛾やキーテラと呼ばれ、その名が増えるたびに街は一つずつ消えた。
人はまず、瓦礫をどかすための機械を集めた。壊れた橋を渡す重機に装甲と火薬を盛り、人型巨大兵器RFとした。最初の任務は戦うことではなく、白帯を延ばし、避難民たちの『壁』になることだった。
【挿絵表示】
白帯E‐7区画の南、四キロメートル地点。地面を這う灰霧の向こうで三機のRFが出撃の合図を待っていた。
装甲には薄く灰が積もり、関節は待機の微動を返す。全長十三メートル。三つの頭部カメラは揃って灰に沈む地平線を向いていた。
コクピットが小さく震え、起動シーケンスのチェック音が重なる。
主電は九割台、冷却系も余裕あり。
アキヒトは操縦桿を握り、首のうしろのLSLポートへ伸びるケーブルの取り回しを確かめて、フロントモニタを見据えた。
〈ノルン〉『前方六キロメートル。熱源多数。数は約八〇〇』
古い戦術AIの声は淡々としている。速度は遅いが現場で判断を挟む余地がある。
それで十分だ、とアキヒトは割り切っている。
〈ノルン〉『操縦者状態確認。心拍九二。反応時間正常。体調を申告せよ』
「問題ない」
〈ノルン〉『気分の自己評価』
「いつも通りだ。やることは同じだ」
LSLポートにコネクタが固定され、短い電子音のあと視界と機体感覚が重なる。
意識した重心移動がそのままRF-17SC《ストレイ・カスタム》へ通る。
モニタには薄灰の地表、その奥に白帯が細い線で走っていた。隅の縮小ウィンドウには避難列。外側を大人が固め、中央に子どもの影が寄っている。避難路を示す杭灯が規則正しく明滅し列の上だけを照らしていた。
アキヒトは一度だけ映像を確認し前方へ戻す。
守る場所は見えた。あとはそっちが危うくならない距離で止める。
〈ノルン〉『VOLK隊配置完了。VOLK1 前衛・指揮。VOLK3 右翼高地で狙撃支援。VOLK2 中央正面で砲撃担当』
前に出るのはVOLK1(アキヒト)。右翼の高地にVOLK3(リュウ)。中央正面にVOLK2(ゴーシュ)が手持ち式百四十ミリキャノンを抱えて構える。
白帯の内側にはラインガードRFが等間隔に並ぶ。白の縁を押さえるのがラインガード、外で群れの厚みを削るのがVOLK――今日のE‐7区画で白の外側を任されているのはこの三機だけだ。
アキヒトはHUDの隅で弾薬残量を確認する。近接用アサルトライフルは満載、予備マガジン三本。ゴーシュの百四十ミリ榴弾は十二発。リュウの狙撃弾は二十発。削り切れるかどうかは、地雷帯がどれだけ持っていけるかにかかっている。
〈ラインガード〉『こちら第6ラインガード中隊。敵集団は白帯E‐7前面の地雷帯へ進行中。VOLK隊は外縁での削りに専念せよ。白帯直前の迎撃はこちらで引き受ける』
外で厚みを削る。張りつかれる前に数を落とす。
アキヒトはペダルをわずかに踏み、ストレイ・カスタムの重心を低く構えさせる。灰の向こうでうごめく黒い影へゆっくり前へ出た。
*
〈ノルン〉『前方に蜘蛛型キーテラ。約八〇〇。進路は白帯方向』
コントラストが強まり、灰の影から細長い脚が何本も現れる。甲殻が擦れる硬い音が回線越しに混じりはじめた。
その直後、景色が一瞬だけ合わなくなる。
地面を這っていた灰霧が止まり、次の瞬間に足元へ引き戻された。風向きが変わったのではない。空気の層が入れ替わるように流れの向きだけが反転する。
遠景の輪郭が薄く二重にずれ、杭灯の点滅が半拍遅れて見えた。
〈ノルン〉『環境異常。灰流反転。視界の層ずれを確認』
HUDの数値が跳ねる。距離が〇・二キロメートル単位で前後し、方位線が細かく揺れた。熱源マーカーが一度だけ横に滑る。
〈ノルン〉『測距不安定。補正を繰り返す』
〈ノイズ〉[ザッ]
短いノイズが割り込む。電波の乱れというより感覚に引っかかる種類の音だった。アキヒトはLSL接続を一瞥し、異常表示がないことだけ確認する。
〈ラインガード観測〉『リフロー発生。各機、計器と視界の両方を過信するな。射撃は短く刻め』
リフロー。灰が逆に流れ景色が歪む。原因は分からないが、出た瞬間だけ照準も測距も信頼が落ちる。厄介だ。
〈ラインガード観測〉『目標集団は白帯から十キロメートル。地雷帯接触までカウント10――』
声が一度だけ切れる。
〈ラインガード観測〉『九、八』
地図表示の円と線が重なって点滅する。第一地雷帯は白帯から離れた外側に弧を描き、VOLKの三機はその内側、白帯寄りで待機していた。
カウントの終わりと同時に地雷帯の地面が一瞬で白く光る。
砂地が一斉に爆ぜ白濁した閃光が帯になって走る。爆圧が砂と灰を巻き上げ低い火柱が連続して上がった。だが、舞い上がった灰の落ち方が揃わない。熱風の流れも折り返し、破片の軌道が読みにくくなる。
爆炎の奥でまだ動いている影が残っていた。
〈ラインガード観測〉『地雷帯作動確認。先頭列の約二割を破壊。残りは約六四〇』
煙が薄れ形を保った個体が再び寄る。先頭が消えた分、後続の塊がそのまま前へ詰めてくる。
二割。想定より少ない。
〈ノルン〉『敵速度想定より高い。到達予測を更新』
HUDに新しい予測ラインが引かれる。このままでは白帯直前に数が残りすぎる。
アキヒトは照準を「当てる」ではなく「ズレる前提」に切り替えた。短く刻んで削る。距離を詰められる前に数を減らす。
〈アキヒト〉『VOLK3、予定より手前で指揮個体を落とす。VOLK2、撃ち始めを一キロメートル前倒し。距離を食われる前に削る』
〈リュウ〉『了解。上から頭を抜いていく』
〈ゴーシュ〉『ラジャ。前でまとめて吹き飛ばす』
三機のマーカーが前へ出る。だが、また一度だけ表示が飛んだ。視界の端で灰の流れが反転する。
〈アキヒト〉『LSL、SYNC‐2。初動だけ合わせる』
電子音が二回。
〈HUD〉[同期確立: LSL/SYNC‐2=有効]
HUDの表示は一瞬だけ縁が二重になってすぐ戻る。リフローの中で同期を組む以上、揺れは織り込みだ。
三機が同じタイミングで重心を落とす。リュウは狙撃の間を作りゴーシュは反動を受け止める腰を作る。アキヒトは踏み込みの初動を揃える。
直後、足裏の反力が半拍遅れる。歩幅がわずかにずれ、狙撃の間が崩れ、砲身が数ミリ揺れた。
〈ノルン〉『同期揺れ。補正』
アキヒトは機体の出し方を微調整し、間合いが揃うよう寄せる。止まらないなら合わせ続けるしかない。
高台のリュウが先に火蓋を切る。
細い閃光が走り途中でわずかに折れた。弾道ではなくリフローが「見え方」を歪めている。リュウは即座に補正し同じ個体へもう一発。
前列の奥で大きく動いていた指揮個体だ――腹部の噴出孔を開閉させていた中心へ光が吸い込まれた。噴出孔の縁が砕け個体が脚を折って沈む。
群れの動きが一瞬だけ乱れる。動きが揃わず後列の一部だけが遅れた。
〈リュウ〉『指揮個体、沈黙。残りは腹の孔から順番に潰す。弾数、残り十八』
中央ではゴーシュが百四十ミリキャノンを構える。両腕で銃身を抱え込み、腰を落として黒い塊の中心へ狙いを固定する。
榴弾が飛び着弾。爆炎が上がり衝撃音が半拍遅れて追いかけてきた。前列がまとめて吹き飛び、砕けた殻の上を後続が踏み潰して前へ詰める。
爆炎の位置がわずかに右へ寄っていた。数メートル。小さいが無視できないズレだ。
〈ゴーシュ〉『今ので十は飛んだ。榴弾残り十一』
〈アキヒト〉『もう一列削れ。次は左に二メートル寄せろ。リフローでズレてる』
〈ゴーシュ〉『了解。弾代の請求はあとでまとめてやる』
軽口のまま距離だけが詰まる。
〈ノルン〉『到達時刻を再計算。現在の削減率では白帯直前で約四〇〇体が残存』
四百。多すぎる。
灰の地面が大きく震え、蜘蛛型が脚を広げたまま白帯方向へ一直線に進む。その進路上で、灰はまだ逆に流れていた。リフローが消えないまま、数だけが迫ってくる。
アキヒトは自機の弾薬残量へ視線を走らせる。アサルトライフルは満載、予備マガジン三本。
遠距離ではリフローのズレで命中率が落ちすぎる。近接に出るしかない。
リフローの中で間合いを詰めズレる前提で引き金を刻む。
判断は終わった。あとは動かすだけだ。