灰の傭兵と光の園 〈RF各機、メカイラストあり〉 作:青羽 イオ
第10話 ようこそグレイランスへ
グレイランス艦内、避難区画。
乗艦から一夜明けた朝、天井のスピーカーから艦内放送が流れた。
『避難区画にいる方へ。順番に下船のご案内をします。係員の指示に従ってください。繰り返します――』
子どもたちは、まだ眠そうな顔で起き上がった。サキは一人ずつ襟を直し、靴紐を結び直していった。
「今日は、列車に乗って移動するよ。押さないでね。昨日と同じ。走らないで、順番に」
「どこまで行くの?」
「カルディアの街まで。そこから先は、向こうの人が案内してくれることになってる」
言いながら、サキは自分の声が少し硬いことに気づいた。
点呼を終え、十人を連れて通路へ出る。側面ハッチへ続く廊下は、すでに下船を待つ人たちで列になっていた。荷物を抱えた家族。腕に包帯を巻いた男。疲れ切った顔の老人。誰も大きな声を出さず、前だけを見て少しずつ進んでいる。
本来なら、この先の乗り継ぎ拠点で、カルディア企業都市行きの輸送列車に乗るはずだった。
こどもたちがいた孤児院の院長が何度も窓口へ通って、ようやく取ってくれた席だった。子どもたちの切符。付き添いの登録。行き先の確認。あの人は、一枚の紙に何度も指を置きながら、「これで大丈夫」と言っていた。
地上との接続ゲートに着くと、港湾局の職員らしい男がタブレットを構えていた。
「次。家族単位でお願いします」
順番が来て、サキは子どもたちを前へ出した。
ゲート脇のノズルから、除灰用の細かい霧が短く噴かれる。衣類の表面がしっとりと湿り、何人かの子が首をすくめた。サキは袖をつかむ子の歩幅に合わせ、列が崩れないように進ませる。
「こちら、孤児院『光の園』からの避難です。子ども十人と、付き添い一名です。行き先は、カルディア企業都市に――」
「名簿を確認します」
職員は慣れた手つきで画面をなぞった。昨日の乗艦リストと、今日の輸送計画を重ねていく。
「光の園……自治体委託の臨時保護ユニット。カルディア行きの企業列車に乗せる予定だったグループですね」
「はい」
サキは頷いた。
職員の指が止まった。
画面を見直す。もう一度、別の項目を開く。眉間にしわが寄った。
「あれ。カルディアの受け入れ、全部止まってるな」
サキの手が、子どもの肩に置かれたまま止まった。
「止まっている、というのは」
「路線も運行停止です。昨日、列車が襲われた線ですね」
隣にいた別の職員が、小声で言った。その声に、悪気はなかった。だから余計に、事実だけが冷たく落ちてきた。
決まりかけていた行き先が、音もなく消える。
職員は画面を下へ送る。
「それと、このユニット、送り主が……」
サキはすぐに聞き返した。
「院長先生は?」
「重傷で搬送。現在、連絡不能。委託側のサインも未処理になっています」
子どもたちの何人かが、サキを見上げた。サキはその視線に気づき、肩に置いた手に少しだけ力を込めた。
「すみません」
職員が、少し声を落とした。
「このグループだけ、一度列から外れてもらえますか」
「なぜですか」
「カルディア行きの便がなくなりました。向こうの都市も、今は新しい孤児の受け入れを停止しています」
「でも、院長先生が、この子たちの分を払って……席も、取ってくれて……」
言いかけて、サキはそこで止まった。お金の話ではない。席の話でもない。その席を取ってくれた人が、今ここにいない。
「料金の問題だけじゃないんです」
職員はタブレットをサキの方へ少し傾けた。
「自治体側の登録が仮のままで、送り主も連絡不能です。カルディア都市側は、責任の所在がはっきりしないグループは、現時点では受け入れられない、と」
責任の所在。
サキはその言葉を、頭の中で一度だけ繰り返した。
子どもたちは、そこにいる。小さな手が、袖をつかんでいる。昨日の夜、スープをこぼさないように両手で椀を抱えていた子たちだ。
それなのに、画面の上では、責任の所在がはっきりしないグループ、になっている。
列の後ろで、誰かが小さく言った。
「また宙ぶらりんが出たな」
サキは振り返らなかった。
「でしたら、私が代わりにサインします。この子たちの保護者として、私が――」
「それがですね」
職員は言いにくそうに画面を切り替えた。
サキの身分証データの下で、赤い警告が点滅している。
[旧識別記録との照合エラー]
「過去の医療データとの紐付けでエラーが出ています。照合が終わるまで、正式な保護者として登録できません」
言葉が、そこで詰まった。
サキは自分の身分証を見た。そこにあるのは、間違いなく自分の名前だった。けれど、画面の中では、それさえ確かなものとして扱われていない。
「だからといって、追い返すわけにもいきませんから」
別の職員が割って入った。
「このユニットは一旦、グレイランス艦内臨時保護扱いのまま待機。UDFに回して、行き先を決めます。下船列からは外れてください」
サキは十人の顔を見渡した。
眠そうだった顔は、もう眠そうではなくなっていた。何が起きているのか、全部は分かっていない。それでも、自分たちがどこかへ行けなくなったことだけは伝わっている。
サキはゆっくり頷いた。
「……分かりました。この子たちと一緒に待機します」
「付き添いの方だけ、別に降りることもできますが」
「いいえ」
サキは子どもたちの前に半歩出る。
「この十人と離れるわけにはいきません」
職員は一瞬だけサキを見て、それから短く頷いた。
「承知しました。グレイランス側の避難区画に戻ってお待ちください。担当が決まり次第、呼び出します」
「分かりました」
サキは子どもたちを振り返る。
「戻ろう。大丈夫、ちゃんと一緒にいるから。列、崩さないでね」
列から外れた瞬間、人の流れが波のように横を通り過ぎていった。
荷物を抱えた家族が進み、包帯の男が進み、疲れた老人もゆっくり進んでいく。その中で、サキたちだけが、来た道へ戻る。
カルディア行きの線路は、もうつながっていない。
子どもの一人が、小さく聞いた。
「電車、乗らないの?」
サキはすぐには答えられなかった。代わりに、その子の手を握り直す。
「今日は、まだ乗らない。もう少しだけ、ここで待とう」
嘘ではない。でも、十分な答えでもなかった。
サキは十人の歩幅をそろえながら、避難区画へ戻っていった。
*
避難区画へ戻されてから、しばらく時間が空いた。
子どもたちは床に座り、入口の方を見たまま黙っている。いつもなら誰かが「おなかすいた」と言い出す頃だった。けれど、今日は誰も言わない。
「せんせい」
毛布を膝にかけた子が、小さく聞いた。
「れっしゃは?」
サキは一瞬だけ答えに詰まり、それから笑顔を作った。
「今日は、お休みになっちゃったみたい」
「こわれたの?」
「うん。たぶん、確認してるんだと思う。だから、もう少しだけここで待とう」
サキはその子の毛布を直した。
指先が、かすかに震えている。
子どもに見られる前に手を引き、別の子の名札を確認する。
「でも大丈夫。ここは安全だよ。ごはんも出るし、お水もある。ね、昨日のスープ、温かかったでしょ」
確信があったわけではない。
けれど、今ここで黙ってしまうよりは、何かを置いた方がよかった。大丈夫という言葉が薄くても、子どもたちが座っていられるだけの重さにはなる。
水を配り終えたころ、ドアが軽くノックされた。
「光の園の保育士さん」
昨日、甲板で見かけた若い兵士だった。ヘルメットを小脇に抱え、入口から顔をのぞかせている。
「ブリッジから呼び出しです。艦長代理がお話をしたいと」
「……はい」
サキは立ち上がりかけて、すぐに子どもたちを振り返った。
「ちょっとだけ行ってくるね。ここから出ないこと。名札は外さないこと。誰かに呼ばれても、私か艦の人が戻るまで動かない。いい?」
十人がうなずいた。
それでも、一人が服の端をつまんだまま離さない。サキはその指にそっと触れた。
「すぐ戻るから」
約束、とは言えなかった。
けれど、その子は小さくうなずいて、指を離した。
サキは兵士に続いて通路へ出た。
昨夜ほどの混雑はない。片付けを終えたカートが壁際を進み、整備士が工具箱を引いて通り過ぎる。床にはまだ灰の跡が残っていたが、通路は少しずつ艦の仕事へ戻りつつあった。
ブリッジ手前の小さな会議スペースに通される。
モニターの光を背に、ジルがいた。肩章にはグレイランス管制のマークがある。顔には疲れが出ていたが、目の焦点ははっきりしていた。
「光の園のサキさん、でいいのかな」
「はい。サキ……です」
名乗ろうとして、旧い名前と今の名前が頭の中で引っかかった。
サキはそれを飲み込み、軽く頭を下げる。ジルは深く聞き返さず、タブレットの画面を払った。
「港湾局とUDFから話が来た。まず、いい話じゃない」
「はい」
「あなたたちの行き先が、今のところ、どこにもない」
言い方は淡々としていた。
ただ、その言葉を選ぶまでに、一拍だけ間があった。
「カルディア行きの列車は当面止まる。都市側も新規の受け入れを休止。元の自治体は灰の向こうで状況確認中。院長さんは重傷で搬送されて、連絡が取れない」
ジルはそこで一度、画面から目を上げた。
「書類の上では、あなたたちは『送り主不在、受け先未定の臨時保護ユニット』になっている」
サキは膝の上で手を握った。
「UDFからの要請はこうだ」
ジルは必要な部分だけを拾って言った。
「当面、グレイランス艦内で、子ども十名の保護を継続してほしい。費用精算と受け入れ先の確定は後日協議」
そこで、ジルは小さく息を吐いた。
「要するに、今はうちで面倒を見ろ。金と責任の話は、あとで考える。そういうことだ」
サキは言葉を探した。
「ご迷惑を、おかけしているのは分かっています」
「迷惑かどうかの話じゃない」
ジルの声は強くなかったが、そこで区切る意思はあった。
「この艦は、白帯の防衛で手一杯だ。人も、食糧も、余っているとは言えない。昨日みたいな日が重なれば、避難区画はすぐに埋まる。本来なら、子どもたちは地上施設に預けた方がいい。艦の中より、地面の上の方が落ち着く」
「はい」
「でも、その地上施設がどこも受け取れないと言っている。だから、ここから追い出す選択肢はない」
サキは思わず顔を上げた。
ジルはタブレットを伏せる。
「ここに置けるかどうか。そのための話をしている」
「ここに……置いていただくことは、可能でしょうか」
「それを決める前に、ひとつ確認したい」
ジルの口調が、少しだけ柔らかくなる。
「あなたは、どうしたい?」
「どう、というのは」
「子どもたちだけ別の施設へ預けて、自分は別の行き先を探すこともできる。次の乗り継ぎ拠点まで一緒に行って、そこで行政と交渉することもできる。あるいは、グレイランスに残りたいと言うこともできる」
ジルは机の上で指を組んだ。
「残りたいなら、理由を聞いておきたい。規則のためじゃない。こちらが腹を決めるために必要だから」
サキは視線を落とした。
床の継ぎ目が、白帯のようにまっすぐ伸びている。昨日歩いた白い道よりずっと短い。ただ、それでも、どこかへ続いているように見えた。
「この子たちは、ここで一度、守られたからです」
言い切ってから、膝の上の手を握り直す。
「白帯の途中で拾ってもらって、ミュータントの群れからも守ってもらった。行き先が決まらないなら、せめて、守られた場所にいる時間を少しずつ増やしてあげたいんです」
ジルは黙って聞いていた。
「昨日だけじゃなくて、今日も。明日も。ここにいれば、誰かが見てくれる。名前を呼ばれる。ごはんが出る。そういうことが積み重なれば、あとで支えになると思うんです」
言いながら、サキは自分でも分かっていた。
これは、子どもたちの話だけではない。
「それに、私はこの十人と離れたくありません」
ジルの指が止まる。
「この子たちの名前を呼べるのは、今は私だけだから」
「名前、か」
「はい」
サキは自分の手元を見つめたまま続けた。
「ずっと番号で呼ばれていた子もいます。この中に。私も……そうでした」
その一言を出すのに、少し時間がかかった。
出してしまうと、会議室の空気が少し変わった気がした。
「番号で管理されていると、自分が生きているのか、ただ残っているだけなのか、分からなくなる時期があるんです」
ジルはすぐには踏み込まなかった。
ただ、短く息を吐いた。
「わかった」
それだけ言って、椅子の背にもたれた。天井を一度見上げ、それから姿勢を正す。
「少なくとも、今ここにある選択肢の中で一番ましなのは、グレイランスで保護を続けることだ。私もそう思う。ただし、条件がある」
「条件、ですか」
「この艦にいるあいだ、あなたはただの避難民ではなくなる。艦内臨時保護ユニット『光の園』担当スタッフとして扱う」
ジルの口元が、わずかに緩んだ。
「簡単に言うと、うちのクルーと同じくらい働いてもらう」
サキは一瞬きょとんとして、それから小さく笑った。
「それくらいなら、いくらでも。子どもの世話はもちろん、食事の手伝いも、掃除も、できることなら何でもします」
「助かる。医療区画と食堂には、しばらく手が必要だ。はるゑという調理担当がいる。まずはそこに顔を出してくれ。避難区画の子ども全体の面倒も、今は手が回っていない」
「はい」
「その代わり、艦のルールには従ってもらう。非常時の待機場所、アラート時の行動、外には絶対に出ないこと」
「守ります」
「子どもたちもだ。名札は必ず付ける。艦内の立入禁止区画には近づけない」
「はい」
ジルはタブレットにサインを入れた。
短い電子音が鳴る。
「これで、光の園ユニットはグレイランス艦内保護リスト入りだ。名義上はUDF、運用はうち。面倒を見切れるかどうかは、こっちの腕次第だな」
「ありがとうございます」
サキは深く頭を下げた。
ようやく、ここにいていいと言われた気がした。膝の力が少し抜ける。座っていなければ、たぶん分からないくらいに揺れていた。
「礼を言うなら、白帯を維持している連中と、VOLKのやつらに言ってくれ」
ジルは少し居心地悪そうに視線を逸らした。
「この艦は通り道だ。本来は、みんなを次へ送るための場所だ。君たちの次が見つかるまでは、ここを仮の家にする」
「仮の、家」
サキは小さく繰り返した。
仮でも、家。
その言葉が、思っていたより深く胸に残った。
部屋を出ようとしたところで、ジルが呼び止める。
「サキ」
名前で呼ばれて、サキは足を止めた。
「さっきの話。番号で呼ばれていたというやつ」
「……はい」
「今度、余裕があるときに聞かせてくれ。この艦にいるあいだ、少なくとも私は、君と子どもたちを番号では扱わない。そのために、知っておきたい」
サキは少し迷った。
話せるとは、すぐには言えなかった。
「いつか、話せるようになったら」
「それでいい」
ジルは短く頷いた。
「じゃあ、ようこそ、グレイランスへ。サキ」
その名前が、会議スペースの中で静かに響いた。
「よろしくお願いします」
ドアの向こうには、十人の子どもたちが待っている。
白帯の途中で拾われた小さな行き先は、まだ確かなものではない。それでも今、グレイランスという艦と、そこで生きる人たちへ、細くつながり始めていた。