灰の傭兵と光の園 〈RF各機、メカイラストあり〉 作:青羽 イオ
グレイランス艦内、格納庫。
俺は戦闘明けのストレイ・カスタムのコックピットに残っていた。
冷却の霧が、外装を流れていく。灰と焦げた油の匂いが、まだ薄く残っている。遠くで工具の音がしていた。叩く音。締める音。誰かが短く指示を出す声。
戦闘が終わっても、機体はすぐには静かにならない。
「ナロア」
整備台の向こうで、短髪の女が顔を上げた。
ナロア。電装とチューニングの担当。判断が速い。こちらが言い切る前に、だいたい必要なところまで先に見ている。
「はいよ、エース。今日は何を増やす気?」
「左腕にパイルを足したい」
「また物騒なことを言い出した」
「斬るだけじゃ遅い場面がある。刺して止める武装がいる」
ナロアは少しだけ目を細めた。
「了解。ただし、今日は話だけ。載せるのは次の整備枠だよ。まず外付けで感触を見て、それで駄目ならやめる。良ければ内蔵型へ移行」
「分かった」
「分かった、じゃない。左腕が重くなる。盾の扱いも変わる。ブレードの戻しも遅れる。そこは分かってる?」
「分かってる」
「ならいい」
足場を上がる靴音が近づいた。
端末を抱えた若い整備士が、コックピット脇に顔を出す。トキ・エンリ。細い体つきのわりに、端末を扱う手だけはやけに迷いがない。
「失礼します。パイルは左腕運用で進めていいですか?」
俺は左前腕のマウントへ視線を落とした。
昨日、白帯へ落ちかけた影がそこに重なる。あと数秒、あと数メートル。間に合わなかった時の線が、頭の中に残っていた。
「左でいい」
「了解です。じゃ、その前提で組みます。トラブったら即切り離し。二段目はLSLの予備側に回して、異常値が出たら自動で落ちるようにします」
「任せる」
「帰艦したらログを見ます。問題なければ内蔵型に換装。僕の方で準備を進めておきます」
下で配線をまとめていたナロアが顔を上げる。
「部材と作業枠はこっちで押さえる。エース、サイン」
俺は膝横のサブパネルを起こした。
グローブ越しに、承認欄へ指先を滑らせる。短い電子音が鳴った。トキが端末を確認して、すぐに頷く。
「設定、送りました。後から変更もできますから、動かして違和感が出たら言ってください」
「ああ」
ナロアは背を向けたまま、スパナを工具箱へ放り込んだ。
「あんまり無茶しないこと。装備を増やした分だけ、できることが増えた気になるからね」
「そのためじゃない」
「知ってるよ」
ナロアの声は軽かった。
けれど、そこで終わらせる気はないらしい。
「次も生きて戻りなさい。機体だけ戻ってきても、整備する気にならないから」
「戻る」
俺は前方表示へ視線を戻した。
無茶をするために足すわけじゃない。
戻るためだ。
*
格納庫を出ると、通路の空気が少しだけ違っていた。
油と灰の匂いが薄くなり、代わりに食堂の方から残ったスープの匂いが流れてくる。艦はまだ戦闘明けだったが、昨日の夜ほど張りつめてはいない。
曲がり角の向こうから、歌が聞こえた。
細い声がいくつも重なっている。音程は少しずれている。途中で誰かが笑って、すぐにまた戻る。艦の奥に反響して、歌はやわらかくほどけていた。
窓の手前に、影が三つあった。
ポチ。ガンモ。リュウ。
三人とも、ただ黙って聞いていた。誰も中へ入らない。声もかけない。ただ、そこに立っている。
俺に気づくと、ポチが先に目をそらした。
「……仕事、戻るわ」
ガンモも鼻の頭をかく。
「俺も。いや、別に聞いてたわけじゃないぞ。通り道だ、通り道」
「通り道にしては長かったな」
リュウが低く言うと、ガンモは肩をすくめて歩き出した。
三人の足音が遠ざかる。
俺は一人で、扉の小窓から中をのぞいた。
避難用ベッドとコンテナが壁際へ寄せられ、空いたスペースで子どもたちが輪になっていた。手をつなぎ、歌に合わせて一歩ずつ進む。灯りの下で、影が丸く揺れる。
中央でサキが手拍子を打っていた。
目が離れなかった。
昨日、白帯の上で何度も人数を数えていた手だ。子どもの背中を押し、スープの椀を支え、毛布を直していた手。その手が今は、歌の拍を取っている。
背後から声が落ちた。
「下船列は、ほとんど片付いた」
ヒロだった。
俺は振り返らずに答える。
「子どもたちは残った」
「ああ」
ヒロが隣に立つ。
二人で、小窓の向こうを見た。しばらく、歌だけが続いた。
「艦の空気が変わったな」
「いい方にか」
「さあな。少なくとも、静かではなくなった」
ヒロは手すりに軽く拳を置いた。
「アキヒト、覚えておけ。俺たちは傭兵だ」
窓の向こうでは、子どもたちの輪が少し大きくなっていた。サキが手を上げると、子どもたちも真似をして手を上げる。
「稼がなきゃ食えない。守るには装備がいる。装備には金がいる。その金は、契約で取る」
「分かってる」
「分かっていても、人は削れる」
ヒロの声は、いつもより少し低かった。
「金で部品を買う。弾を買う。修理の時間を買う。次に生きて戻る確率を、少しだけ買う。綺麗な話じゃない」
俺は小窓の中を見たまま、答えなかった。
輪の中で、子どもたちが同じ方向へ進んでいる。誰かが少し遅れ、隣の子が手を引く。サキがそれを見て、手拍子を少しだけゆっくりにした。
「忘れられないんだ」
声が勝手に出た。
「見たものを」
「なら、忘れるな」
ヒロは即答した。
「忘れなくていい。ただし、潰されるな」
「簡単に言うなよ」
「簡単じゃないから言ってる」
ヒロは俺を見た。
「戻る場所を守るために稼ぐ。それでいい。正しいかどうかで迷って止まるな。子どもの声が聞こえる方に動け。そこで止まったら、俺がお前を殴る」
「殴られるのは遠慮したい」
「なら動け」
冗談のように聞こえるが、冗談ではなかった。
ヒロは続ける。
「左腕のパイル、申請したんだろ」
「早いな」
「ナロアが俺に確認を投げてきた。二段式にするなら、扱いを間違えるな」
「分かってる」
「本当にか?」
俺は一度、言葉を止めた。
小窓の向こうで、サキが笑っている。子どもたちも笑っている。そこへ、昨日の影が重なる。跳んだキーテラ。白帯の端。折れた脚。あと少しで届いていた距離。
「……生きて戻るために使う」
「それでいい」
ヒロは手すりを軽く叩いた。
「撃つためじゃない。突っ込むためでもない。戻るために使え。守るってのは、死に場所を探すことじゃない」
「分かった」
「分かった、じゃなくて刻め」
俺は黙って頷いた。
生きて戻るためだけに使う。その条件を、頭の中で刻み直す。
「それでも行くんだ」
ヒロが言った。
「行って、稼いで、戻って、また守る。それが俺たちの食い方だ。任務のたびに、少しずつ取り返せ」
「何をだ」
「子どもの明日だよ」
ヒロは小窓の向こうを見る。
「俺たちがもらうのは、報酬と、次の一息ぶんの時間だけでいい」
歌が終わった。
輪がほどけ、子どもたちがばらばらにサキの方へ寄っていく。サキは最後まで手を振っていた。
「生きて戻る、か」
「そうだ、生きて戻れ」
それだけ言って、ヒロは窓から離れた。
俺も続く。通路には、二人分の靴音だけが静かに残った。
次の契約まで、たぶんあまり時間はない。歩きながら、俺はさっきの窓の中を何度も思い返していた。
輪の速さ。手の高さ。笑い声が重なった瞬間の空気。同じ場所に、別の映像も重なる。
昼の外を走る影。爆煙の下に消えた脚。叩き落とされた頭部。砂が舞い、落ち着くまでの短い静寂。俺の視界は、そういうものを全部、同じ場所にしまってしまう。
消したいものが消えない。
残したいものも消えない。
どちらかだけなら、まだ楽だった。
忘れてしまいたいものと、忘れないと決めたものが同じ箱に落ちて、区別なく沈んでいく。拒んでも、手放したふりをしても、残る。
俺は呼吸を整え、足音の間隔を崩さずに歩いた。
歌の続きを探すように、もう一度だけ思い返す。
輪の中で、子どもたちが同じ方向へ進んでいたこと。
誰も止まらなかったこと。
忘れられないなら、せめて順番だけは決める。
先に残すものを決める。
あとで撃つものを決める。
そうしないと、どちらも同じ重さで、俺を削っていく。