灰の傭兵と光の園 〈RF各機、メカイラストあり〉   作:青羽 イオ

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第12話 戻る場所のために撃つ 後編

 数時間前に白帯外縁から戻ったばかりで、格納庫はまだ熱を引きずっていた。

 

 冷却の白い霧が床を低く流れ、天井近くには焦げた油の匂いが残っている。整備灯の下で、戻ってきたRFが一機ずつ固定され、外装を開かれていった。

 

 リュウはレイヴン・アイから降り、足場の手すりに体重を預けた。

 

 下では、ナロア・ジェンクスが腕まくりをして前に出ている。短い髪を揺らしながら、端末を片手にアキヒトの機体を見上げた。

 

「エース、サイン。必要部品は手配済み。作業枠も押さえてある。外付けパイルは換装済みだよ」

 

 足場の下から、アキヒトの声が返る。

 

「助かる」

 

「礼はいい。生きて戻りな」

 

 いつもの軽い調子だった。

 

 けれど、その奥に、ほんの少しだけ別のものが混じっている。リュウにはそれが分かった。整備士の言う「戻れ」は、だいたい命令ではなく祈りだ。

 

 アキヒトは一度だけ頷いた。

 

 それだけ見届けてから、リュウは生活区へ上がる通路へ向かった。

 

 右手には、子ども区画の透明パネルが続いている。

 

 中では子どもたちが半円になって座り、サキが床に腰を下ろして絵本を開いていた。戦闘艦の中にあるには、少しだけ不思議な光景だった。けれど、もう誰も変な顔はしない。

 

「――そしたらね、その大きな影が、こうやって出てきたの」

 

 サキは声をひそめた。

 

 次の瞬間、両手をぱっと上げる。

 

 子どもたちが一斉に肩をすくめ、すぐに笑い声が弾けた。

 

「ここからが、ちょっと怖いところ。どうする? 聞く? それとも、怖い子はこうやって――」

 

 サキが自分の目元を手で隠してみせる。

 

 子どもたちは「こわくない」と言いながら、指の隙間から絵本をのぞき込んでいた。

 

 リュウは足を少しだけ緩めた。

 

 隣を歩いていたガンモも、ポチも、たぶん同じだった。見ないふりをしたわけではない。見たうえで、また前へ進む。そういう歩き方になっていた。

 

 ひどい帰りになることもある。

 

 装甲は剥げ、関節は軋み、通信は砂を噛んだような音になる。搬入ランプが下りると、粉塵洗浄の霧が足元で広がり、整備班が一斉に走る。

 

 その日も、格納庫の空気は一気に変わった。

 

「そこ止めて!」

 

 ナロアが一歩踏み込み、声を張る。

 

「主電切る、冷却増やせ! 若いの、ボルトは後でいい!」

 

 後部着艦ハッチをくぐる直前で、ゴーシュのブルロアーの主電が尽きかけていた。

 

 膝のロックが抜け、重い機体がぐらりと沈む。床の固定具が悲鳴のような音を立てる。

 

「ガンモ、肩入れろ!」

 

「言われなくてもやってる!」

 

 バッド・バンカーが横から寄り、盾を畳んだ肩を差し込むようにしてブルロアーの荷重を受けた。機体同士の装甲がこすれ、低い音が格納庫に響く。

 

 整備班が散る。

 

 リュウは足場からその動きを追い、すぐにアキヒトのストレイ・カスタムへ視線を移した。

 

 左前腕のパイル基部に、斜めへえぐられた長い傷がある。

 

 ユニットの根元まで削れていた。もう少し深ければ、接続ごと持っていかれていたはずだ。

 

 ナロアが低くつぶやく。

 

「ギリギリね、これ」

 

 縁を指先で確かめる動きは慎重だった。怒っているようにも、呆れているようにも見える。

 

 リュウは手すりにもたれたまま、いつもの調子で声を出した。

 

「エースも機体も、よくまあ腕がもげずに帰ってきたもんだな。後ろから見てた俺の方が、先に固まるかと思ったぜ」

 

 アキヒトは返事をしない。

 

 それでいい。あの顔の時は、余計な言葉を入れない方がいい。

 

 だからリュウは、少しだけ相手を変えた。

 

「でさ、必死で援護してた俺にも、たまには労いのひと言くらいあってもよくない?」

 

 ナロアは振り返りもしなかった。

 

「労いは、生きて帰ってきたって結果で十分。これ以上欲しがるなら、この傷口に自分の財布でも詰めておきな」

 

「えぐいこと言うなあ。じゃあせめて、夜勤明けのコーヒーくらいで手を打たない?」

 

「その余計な口が動く分、消耗も倍よ。はい、そこ足どけて。今度は本当にボルト打ち込むよ」

 

 ナロアに指で示され、リュウは苦笑しながら一歩退いた。

 

「了解了解。じゃ、オファーは保留ってことで。気が向いたら、いつでも受け付けてるからな、ナロア嬢」

 

 返事の代わりに、レンチがカチリと鳴った。

 

 リュウはそれを、どこか楽しそうに聞いた。

 

 ポチが端末を親指で弾く。

 

 頭上の小型ドローンがくるりと一回転し、正面を向いた。

 

「ピッ」

 

 短く鳴いて、上下に揺れる。

 

 張りつめていた空気が、そこで少しだけほどけた。誰かが小さく笑い、整備士の一人が「今の何だよ」と言う。

 

「通常点検」

 

 ポチは真顔で答えた。

 

「どこがだ」

 

「士気点検」

 

「それは通常じゃない」

 

 透明パネルの向こうで、子どもたちは黙って見守っていた。

 

 さっきまで絵本で笑っていた顔が、今は白い霧と傷だらけの機体を見ている。小さな手が、隣の子の袖をつかんでいた。

 

 サキがしゃがみ、子どもたちと目線を合わせる。

 

「大丈夫。いまね、ちゃんと直してるところ。白くなってるのは冷却の霧。煙じゃないから、怖くないよ」

 

 子どもたちは、まだ不安そうに格納庫を見ている。

 

 サキは続けた。

 

「ここから見てて。ラインの内側ね。手はつないでおこう」

 

 小さなうなずきが返る。

 

 そのうち一人が、細い手をちょこんと振った。

 

 ナロアがそちらへ目をやり、口の端だけで笑う。

 

「ほら、見られてるよ。手ぇ抜くな」

 

 整備班から、小さな笑いと「了解」が返った。

 

 工具の音がまた戻っていく。さっきより、少しだけ軽い音に聞こえた。

 

 けれど、軽いままではいられない。

 

 傭兵は金で動く。

 

 金がなければ、装備が止まる。装備が止まれば、次に帰ってくる確率が落ちる。

 

 補給端末の前で交わされる声が、リュウの耳に届いた。

 

「前金が薄い」

 

「弾で赤だな」

 

「後払いがまだ止まってる」

 

「あの自治体、また延ばす気か」

 

 配分表が叩かれ、数字の列へ視線が集まる。

 

 誰かが低く言った。

 

「ここで少し稼げりゃ、予備バッテリーに脚のオーバーホール、それと予備弾倉ぐらいまでは新調できるんだがな」

 

 空気が、また少し固くなった。

 

 格納庫の奥では、子どもたちがまだこちらを見ている。

 

 その視線があるせいで、金の話は少しだけ言いにくくなる。けれど、言わないわけにはいかない。ここにある冷却液も、弾も、ボルト一本も、誰かが金で買っている。

 

 ヒロが一歩だけ前に出た。

 

「稼いで買え」

 

 短い言葉だった。

 

「装甲も、主電も、余力も。生きるにも、守るにも金が要る。だから戦う」

 

 誰も、すぐには返事をしなかった。

 

 ヒロは続ける。

 

「この艦は飯を食う。弾を食う。部品を食う。なら稼ぐしかない」

 

 リュウは、手すりに置いた手へ少し力を入れた。

 

 その通りだった。

 

 守りたいと思うだけでは、機体は動かない。白帯は維持できない。昨日助けた子どもを、明日も守れるとは限らない。

 

 だから、仕事を取る。

 

 金を取る。

 

 戻ってきて、また直す。

 

 その繰り返しでしか、ここは持たない。

 

 ヒロが配分表へ視線を落とす。

 

「打ち合わせを続ける。終わったら食堂に回れ。腹が減ってる奴は判断が遅い」

 

 そこで、ようやく小さな笑いが戻った。

 

「それ、名言っぽく言うほどのことか?」

 

 ガンモが言うと、ヒロは肩をすくめた。

 

「腹が減ってるんだよ」

 

 整備班の誰かが笑い、補給端末の前の空気も少しだけ緩む。

 

 打ち合わせは、そのまま配膳の時間へ流れていった。

 

 格納庫ではまだ、工具の音が続いている。

 

 透明パネルの向こうで、サキが子どもたちを立たせ、手をつながせていた。子どもたちは何度もこちらを振り返りながら、ゆっくり食堂の方へ歩いていく。

 

 リュウはそれを見送り、足場から降りた。

 

 明日も出る。

 

 たぶん、明後日も出る。

 

 そのために今日は、飯を食って、眠れるだけ眠る。

 

 それも仕事のうちだった。

 

 *

 

 戦術室の卓上スクリーンに、赤いピンが三つ並んでいた。

 

 契約候補はA、B、C。

 

 ヒロは地図を見下ろし、指先で一つ目の印をなぞった。隣にはアキヒトが立っている。二人とも、椅子には座らなかった。

 

「Bは報酬が厚い」

 

 ヒロが言う。

 

「でも企業同士の殴り合いだ。終わりが見えない」

 

「Aは近い。灰都市の調査任務だ。だが敵が多いから、弾がかさむな」

 

 アキヒトが別の印を見る。

 

 最後に、二人の視線がCへ移った。

 

「Cは報酬が薄い」

 

「白帯の護衛だな」

 

「ああ。避難列に最短で間に合う」

 

 短い沈黙が落ちた。

 

 長く考える必要はなかった。

 

「C」

 

「同意」

 

 ほとんど同時だった。

 

 ヒロは端末を閉じ、出撃準備の申請を流す。

 

「稼ぎは悪いぞ」

 

「弾代で赤になるかもな」

 

「それでも行くんだろ」

 

「行く」

 

 アキヒトの返事は短かった。

 

 ヒロは少しだけ口元を緩め、それからすぐに表情を戻した。

 

「なら、赤にしない撃ち方を考えろ。俺たちは慈善団体じゃない」

 

「分かってる。外すなってことだろ」

 

「そういうことだ」

 

 出撃命令が格納庫へ回る。

 

 カタパルトのロックが外れ、レールが露出した。VOLKの機体が一機ずつ発進位置へ滑り込む。整備灯が装甲の傷を白く照らし、誘導員が腕を振った。

 

 モニター越しに、足元の白帯が見える。

 

 導光に沿って、避難者の列が伸びていた。小さな荷物を抱えた人。肩を貸されて歩く人。子どもの手を引く大人。列は遅い。それでも、止まってはいない。

 

 VOLKは白帯の外側をかすめるように進んだ。

 

 白帯は、人と物資のための道だ。RFが楽をするための道ではない。

 

 導光が淡く脈を打ち、進むべき方向を示している。その明滅に合わせるように、避難列の歩調も少しずつそろっていった。

 

 *

 

 同じ日の夜。

 

 護衛を終えて艦へ戻るころには、子ども区画の灯りは落とされていた。足元のガイドランプだけが、弱く明滅している。

 

 寝息はまばらだった。

 

 すぐ眠れる子もいれば、まだ毛布の端を指でつまんでいる子もいる。二、三人は目を開けたまま、暗い天井を見ていた。

 

 サキは見回りを終え、通路側のハンドレールに手を置いた。

 

 壁際には、子どもたちの荷物が並んでいる。

 

 名札のないリュック。左右で色の違う靴。継ぎ目の多いぬいぐるみ。誰かの上着だったらしい、大きすぎる服。

 

 見つけるたび、サキの指先に少しだけ力が入った。

 

「静かになったな」

 

 ヒロが隣に立った。

 

 足音を殺していたのか、サキは声をかけられるまで気づかなかった。

 

「はい。今日は、少し早く眠れた子が多いです」

 

「それでも、眠れない子はいるか」

 

「います」

 

 サキは子ども区画の中を見た。

 

「この子たち、親がいない子が多いんです。残った荷物の匂いで、眠る前に泣く子もいます。昼間は平気そうにしていても、夜になると、いろいろ戻ってくるみたいで」

 

「そうか」

 

 ヒロは短く答えた。

 

 それ以上、踏み込まなかった。

 

 サキは少し迷い、それから小さく頭を下げた。

 

「場所を作ってくれて、ありがとうございます」

 

「当然だ」

 

「当然、ではないと思います」

 

 サキは、寝ている子どもたちを起こさないよう声を落とした。

 

「ヒロさん。ありがとう。ここに居場所を作ってくれた。輪の真ん中で歌っている時、みんな、本当に子どもに戻るんです」

 

 ヒロは小さく笑った。

 

 けれど、その表情はすぐに締まる。

 

「戻せるうちは、戻した方がいい」

 

 そこで一度、言葉を切った。

 

「ただ、子どもは俺たちに近づけすぎない方がいい。俺たちは、いい見本じゃない。ヒーローでもない」

 

 ガイドランプの光が一段弱くなり、二人の影が通路に長く伸びた。

 

「距離は置きます」

 

 サキは言った。

 

「でも、姿は見せます。守っている人の顔が分かると、夜が少しだけ短くなるから」

 

「顔を見せるだけ、か」

 

「はい。それ以上は、まだ分かりません」

 

 ヒロはしばらく黙っていた。

 

 子ども区画の奥で、毛布が小さく動く。寝ぼけた子が一人、ゆっくり起き上がった。水を探しているらしい。

 

 サキはすぐに中へ入り、膝をついて紙コップを渡した。

 

「起きちゃった?」

 

 子どもは首を横に振った。起きたくなかった、とでも言いたげな顔だった。

 

「大丈夫。飲んだら、また横になろうね」

 

 サキは目線を合わせ、コップを持つ手を少し支えた。水を飲み終えた子は、すぐ毛布の山へ戻っていく。

 

 ヒロはその様子を、通路から見ていた。

 

「本当は、もっと遠い場所にいさせたい」

 

 ヒロが言った。

 

「戦いの音が届かないところに」

 

「私もです」

 

 サキは戻ってきて、ハンドレールに手を置いた。

 

「でも、今はここしかない」

 

「ああ」

 

 二人とも、それ以上は言わなかった。

 

 答えは出ない。

 

 子どもたちを戦場から遠ざけたい。けれど、遠ざけるための道そのものが、いまは戦場の中を通っている。

 

 ガイドランプがまた明滅する。

 

 静けさの中に、子どもの寝息と、遠い機械音が混じっていた。どちらもしばらく消えなかった。

 

 翌朝も、艦は動き出す。

 

 稼がなければ食えない。

 

 装備には金が要る。弾にも、冷却液にも、主電ユニットにも、整備士の時間にも金が要る。

 

 任務に出れば、命の取り合いになる。帰ってこられる保証はどこにもない。

 

 それでも行く。

 

 行って、稼いで、戻って、また守る。

 

 泥臭い理不尽の上で、白帯だけは今日も光っている。細く、頼りなく、それでも途切れずに先へ伸びている。

 

 その光の先で、次に何を守り、何を拾うのか。

 

 まだ、誰にも分からなかった。

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