灰の傭兵と光の園 〈RF各機、メカイラストあり〉 作:青羽 イオ
数時間前に白帯外縁から戻ったばかりで、格納庫はまだ熱を引きずっていた。
冷却の白い霧が床を低く流れ、天井近くには焦げた油の匂いが残っている。整備灯の下で、戻ってきたRFが一機ずつ固定され、外装を開かれていった。
リュウはレイヴン・アイから降り、足場の手すりに体重を預けた。
下では、ナロア・ジェンクスが腕まくりをして前に出ている。短い髪を揺らしながら、端末を片手にアキヒトの機体を見上げた。
「エース、サイン。必要部品は手配済み。作業枠も押さえてある。外付けパイルは換装済みだよ」
足場の下から、アキヒトの声が返る。
「助かる」
「礼はいい。生きて戻りな」
いつもの軽い調子だった。
けれど、その奥に、ほんの少しだけ別のものが混じっている。リュウにはそれが分かった。整備士の言う「戻れ」は、だいたい命令ではなく祈りだ。
アキヒトは一度だけ頷いた。
それだけ見届けてから、リュウは生活区へ上がる通路へ向かった。
右手には、子ども区画の透明パネルが続いている。
中では子どもたちが半円になって座り、サキが床に腰を下ろして絵本を開いていた。戦闘艦の中にあるには、少しだけ不思議な光景だった。けれど、もう誰も変な顔はしない。
「――そしたらね、その大きな影が、こうやって出てきたの」
サキは声をひそめた。
次の瞬間、両手をぱっと上げる。
子どもたちが一斉に肩をすくめ、すぐに笑い声が弾けた。
「ここからが、ちょっと怖いところ。どうする? 聞く? それとも、怖い子はこうやって――」
サキが自分の目元を手で隠してみせる。
子どもたちは「こわくない」と言いながら、指の隙間から絵本をのぞき込んでいた。
リュウは足を少しだけ緩めた。
隣を歩いていたガンモも、ポチも、たぶん同じだった。見ないふりをしたわけではない。見たうえで、また前へ進む。そういう歩き方になっていた。
ひどい帰りになることもある。
装甲は剥げ、関節は軋み、通信は砂を噛んだような音になる。搬入ランプが下りると、粉塵洗浄の霧が足元で広がり、整備班が一斉に走る。
その日も、格納庫の空気は一気に変わった。
「そこ止めて!」
ナロアが一歩踏み込み、声を張る。
「主電切る、冷却増やせ! 若いの、ボルトは後でいい!」
後部着艦ハッチをくぐる直前で、ゴーシュのブルロアーの主電が尽きかけていた。
膝のロックが抜け、重い機体がぐらりと沈む。床の固定具が悲鳴のような音を立てる。
「ガンモ、肩入れろ!」
「言われなくてもやってる!」
バッド・バンカーが横から寄り、盾を畳んだ肩を差し込むようにしてブルロアーの荷重を受けた。機体同士の装甲がこすれ、低い音が格納庫に響く。
整備班が散る。
リュウは足場からその動きを追い、すぐにアキヒトのストレイ・カスタムへ視線を移した。
左前腕のパイル基部に、斜めへえぐられた長い傷がある。
ユニットの根元まで削れていた。もう少し深ければ、接続ごと持っていかれていたはずだ。
ナロアが低くつぶやく。
「ギリギリね、これ」
縁を指先で確かめる動きは慎重だった。怒っているようにも、呆れているようにも見える。
リュウは手すりにもたれたまま、いつもの調子で声を出した。
「エースも機体も、よくまあ腕がもげずに帰ってきたもんだな。後ろから見てた俺の方が、先に固まるかと思ったぜ」
アキヒトは返事をしない。
それでいい。あの顔の時は、余計な言葉を入れない方がいい。
だからリュウは、少しだけ相手を変えた。
「でさ、必死で援護してた俺にも、たまには労いのひと言くらいあってもよくない?」
ナロアは振り返りもしなかった。
「労いは、生きて帰ってきたって結果で十分。これ以上欲しがるなら、この傷口に自分の財布でも詰めておきな」
「えぐいこと言うなあ。じゃあせめて、夜勤明けのコーヒーくらいで手を打たない?」
「その余計な口が動く分、消耗も倍よ。はい、そこ足どけて。今度は本当にボルト打ち込むよ」
ナロアに指で示され、リュウは苦笑しながら一歩退いた。
「了解了解。じゃ、オファーは保留ってことで。気が向いたら、いつでも受け付けてるからな、ナロア嬢」
返事の代わりに、レンチがカチリと鳴った。
リュウはそれを、どこか楽しそうに聞いた。
ポチが端末を親指で弾く。
頭上の小型ドローンがくるりと一回転し、正面を向いた。
「ピッ」
短く鳴いて、上下に揺れる。
張りつめていた空気が、そこで少しだけほどけた。誰かが小さく笑い、整備士の一人が「今の何だよ」と言う。
「通常点検」
ポチは真顔で答えた。
「どこがだ」
「士気点検」
「それは通常じゃない」
透明パネルの向こうで、子どもたちは黙って見守っていた。
さっきまで絵本で笑っていた顔が、今は白い霧と傷だらけの機体を見ている。小さな手が、隣の子の袖をつかんでいた。
サキがしゃがみ、子どもたちと目線を合わせる。
「大丈夫。いまね、ちゃんと直してるところ。白くなってるのは冷却の霧。煙じゃないから、怖くないよ」
子どもたちは、まだ不安そうに格納庫を見ている。
サキは続けた。
「ここから見てて。ラインの内側ね。手はつないでおこう」
小さなうなずきが返る。
そのうち一人が、細い手をちょこんと振った。
ナロアがそちらへ目をやり、口の端だけで笑う。
「ほら、見られてるよ。手ぇ抜くな」
整備班から、小さな笑いと「了解」が返った。
工具の音がまた戻っていく。さっきより、少しだけ軽い音に聞こえた。
けれど、軽いままではいられない。
傭兵は金で動く。
金がなければ、装備が止まる。装備が止まれば、次に帰ってくる確率が落ちる。
補給端末の前で交わされる声が、リュウの耳に届いた。
「前金が薄い」
「弾で赤だな」
「後払いがまだ止まってる」
「あの自治体、また延ばす気か」
配分表が叩かれ、数字の列へ視線が集まる。
誰かが低く言った。
「ここで少し稼げりゃ、予備バッテリーに脚のオーバーホール、それと予備弾倉ぐらいまでは新調できるんだがな」
空気が、また少し固くなった。
格納庫の奥では、子どもたちがまだこちらを見ている。
その視線があるせいで、金の話は少しだけ言いにくくなる。けれど、言わないわけにはいかない。ここにある冷却液も、弾も、ボルト一本も、誰かが金で買っている。
ヒロが一歩だけ前に出た。
「稼いで買え」
短い言葉だった。
「装甲も、主電も、余力も。生きるにも、守るにも金が要る。だから戦う」
誰も、すぐには返事をしなかった。
ヒロは続ける。
「この艦は飯を食う。弾を食う。部品を食う。なら稼ぐしかない」
リュウは、手すりに置いた手へ少し力を入れた。
その通りだった。
守りたいと思うだけでは、機体は動かない。白帯は維持できない。昨日助けた子どもを、明日も守れるとは限らない。
だから、仕事を取る。
金を取る。
戻ってきて、また直す。
その繰り返しでしか、ここは持たない。
ヒロが配分表へ視線を落とす。
「打ち合わせを続ける。終わったら食堂に回れ。腹が減ってる奴は判断が遅い」
そこで、ようやく小さな笑いが戻った。
「それ、名言っぽく言うほどのことか?」
ガンモが言うと、ヒロは肩をすくめた。
「腹が減ってるんだよ」
整備班の誰かが笑い、補給端末の前の空気も少しだけ緩む。
打ち合わせは、そのまま配膳の時間へ流れていった。
格納庫ではまだ、工具の音が続いている。
透明パネルの向こうで、サキが子どもたちを立たせ、手をつながせていた。子どもたちは何度もこちらを振り返りながら、ゆっくり食堂の方へ歩いていく。
リュウはそれを見送り、足場から降りた。
明日も出る。
たぶん、明後日も出る。
そのために今日は、飯を食って、眠れるだけ眠る。
それも仕事のうちだった。
*
戦術室の卓上スクリーンに、赤いピンが三つ並んでいた。
契約候補はA、B、C。
ヒロは地図を見下ろし、指先で一つ目の印をなぞった。隣にはアキヒトが立っている。二人とも、椅子には座らなかった。
「Bは報酬が厚い」
ヒロが言う。
「でも企業同士の殴り合いだ。終わりが見えない」
「Aは近い。灰都市の調査任務だ。だが敵が多いから、弾がかさむな」
アキヒトが別の印を見る。
最後に、二人の視線がCへ移った。
「Cは報酬が薄い」
「白帯の護衛だな」
「ああ。避難列に最短で間に合う」
短い沈黙が落ちた。
長く考える必要はなかった。
「C」
「同意」
ほとんど同時だった。
ヒロは端末を閉じ、出撃準備の申請を流す。
「稼ぎは悪いぞ」
「弾代で赤になるかもな」
「それでも行くんだろ」
「行く」
アキヒトの返事は短かった。
ヒロは少しだけ口元を緩め、それからすぐに表情を戻した。
「なら、赤にしない撃ち方を考えろ。俺たちは慈善団体じゃない」
「分かってる。外すなってことだろ」
「そういうことだ」
出撃命令が格納庫へ回る。
カタパルトのロックが外れ、レールが露出した。VOLKの機体が一機ずつ発進位置へ滑り込む。整備灯が装甲の傷を白く照らし、誘導員が腕を振った。
モニター越しに、足元の白帯が見える。
導光に沿って、避難者の列が伸びていた。小さな荷物を抱えた人。肩を貸されて歩く人。子どもの手を引く大人。列は遅い。それでも、止まってはいない。
VOLKは白帯の外側をかすめるように進んだ。
白帯は、人と物資のための道だ。RFが楽をするための道ではない。
導光が淡く脈を打ち、進むべき方向を示している。その明滅に合わせるように、避難列の歩調も少しずつそろっていった。
*
同じ日の夜。
護衛を終えて艦へ戻るころには、子ども区画の灯りは落とされていた。足元のガイドランプだけが、弱く明滅している。
寝息はまばらだった。
すぐ眠れる子もいれば、まだ毛布の端を指でつまんでいる子もいる。二、三人は目を開けたまま、暗い天井を見ていた。
サキは見回りを終え、通路側のハンドレールに手を置いた。
壁際には、子どもたちの荷物が並んでいる。
名札のないリュック。左右で色の違う靴。継ぎ目の多いぬいぐるみ。誰かの上着だったらしい、大きすぎる服。
見つけるたび、サキの指先に少しだけ力が入った。
「静かになったな」
ヒロが隣に立った。
足音を殺していたのか、サキは声をかけられるまで気づかなかった。
「はい。今日は、少し早く眠れた子が多いです」
「それでも、眠れない子はいるか」
「います」
サキは子ども区画の中を見た。
「この子たち、親がいない子が多いんです。残った荷物の匂いで、眠る前に泣く子もいます。昼間は平気そうにしていても、夜になると、いろいろ戻ってくるみたいで」
「そうか」
ヒロは短く答えた。
それ以上、踏み込まなかった。
サキは少し迷い、それから小さく頭を下げた。
「場所を作ってくれて、ありがとうございます」
「当然だ」
「当然、ではないと思います」
サキは、寝ている子どもたちを起こさないよう声を落とした。
「ヒロさん。ありがとう。ここに居場所を作ってくれた。輪の真ん中で歌っている時、みんな、本当に子どもに戻るんです」
ヒロは小さく笑った。
けれど、その表情はすぐに締まる。
「戻せるうちは、戻した方がいい」
そこで一度、言葉を切った。
「ただ、子どもは俺たちに近づけすぎない方がいい。俺たちは、いい見本じゃない。ヒーローでもない」
ガイドランプの光が一段弱くなり、二人の影が通路に長く伸びた。
「距離は置きます」
サキは言った。
「でも、姿は見せます。守っている人の顔が分かると、夜が少しだけ短くなるから」
「顔を見せるだけ、か」
「はい。それ以上は、まだ分かりません」
ヒロはしばらく黙っていた。
子ども区画の奥で、毛布が小さく動く。寝ぼけた子が一人、ゆっくり起き上がった。水を探しているらしい。
サキはすぐに中へ入り、膝をついて紙コップを渡した。
「起きちゃった?」
子どもは首を横に振った。起きたくなかった、とでも言いたげな顔だった。
「大丈夫。飲んだら、また横になろうね」
サキは目線を合わせ、コップを持つ手を少し支えた。水を飲み終えた子は、すぐ毛布の山へ戻っていく。
ヒロはその様子を、通路から見ていた。
「本当は、もっと遠い場所にいさせたい」
ヒロが言った。
「戦いの音が届かないところに」
「私もです」
サキは戻ってきて、ハンドレールに手を置いた。
「でも、今はここしかない」
「ああ」
二人とも、それ以上は言わなかった。
答えは出ない。
子どもたちを戦場から遠ざけたい。けれど、遠ざけるための道そのものが、いまは戦場の中を通っている。
ガイドランプがまた明滅する。
静けさの中に、子どもの寝息と、遠い機械音が混じっていた。どちらもしばらく消えなかった。
翌朝も、艦は動き出す。
稼がなければ食えない。
装備には金が要る。弾にも、冷却液にも、主電ユニットにも、整備士の時間にも金が要る。
任務に出れば、命の取り合いになる。帰ってこられる保証はどこにもない。
それでも行く。
行って、稼いで、戻って、また守る。
泥臭い理不尽の上で、白帯だけは今日も光っている。細く、頼りなく、それでも途切れずに先へ伸びている。
その光の先で、次に何を守り、何を拾うのか。
まだ、誰にも分からなかった。