灰の傭兵と光の園 〈RF各機、メカイラストあり〉 作:青羽 イオ
ジルがブリッジへ戻ってきた時、ヒロはすでに機体を格納庫側へ回し、艦橋へ上がっていた。
窓の外には、まだ生きている白帯だけが見えていた。導光ラインは細く脈を打っている。だがB3の先で、その光は途切れている。
ブリッジの状況表示盤では、白帯を示す一本の線が途中から赤く塗りつぶされていた。
「白帯B3区画、路面崩落。通行不能を確定。後続の避難列は別ルートに切り替えろ」
ジルの声に合わせて、オペレーターの指がマップ上を滑る。
カルディア資源都市へ伸びていた幹線も、そこで切れていた。
表示盤の横には、ストレイ・カスタムから送られたノルンのログウィンドウが開いている。
『戦闘通信ログ、再生可能。対象、敵性RF群。識別、ヘルマーチ』
ノルンの合成音声が淡々と告げた。
ジルが短く言う。
「流して」
ブリッジ内のスピーカー音量が絞られ、艦内全体へ流れないように調整される。
すぐに、ノイズ混じりの声が流れた。
『B3、目標視認。対構造物弾、装填完了』
『一射目、命中。振動値、規定内』
『二射目、剥離確認。沈下開始』
『中央落下。白帯、通行不能。依頼条件、達成』
作業報告のような声だった。
続いて、別の声が短く締めた。
『全機、撤収ルートBへ移行。抑止行動は不要。白は切れた』
その一言が流れた瞬間、ブリッジの空気がわずかに止まった。
白は切れた。
ノイズの向こうでも、その言葉だけはよく通った。低く抑えた軍人の声だ。感情を入れず、結果だけを読み上げる声だった。
窓の外へ向けていた視線を、スピーカーへ戻した。
ジルがモニター越しにこちらを見る。
「知ってる声か?」
一度窓の外へ視線を戻した。
「さあな。どこにでもいる、古い軍人の声だ」
それ以上は足さなかった。
ジルも深追いせず、コンソールの入力欄へ手を伸ばした。
システムが次の処理を求める。
『案件ラベル、入力待ち。クレイヴ・アクト護衛任務における白帯破壊案件、初発』
ジルの指が、キーを叩く。
「CASE WL-B3-01。白帯破壊」
画面に新しい行が刻まれた。
【CASE WL-B3-01/白帯破壊】
発生区画、B3高架橋。
白帯ステータス、当該区間通行不能。
白帯内死傷、有。
その文字列を見た瞬間、胸の奥で何かが重く沈んだ。
これで、クレイヴ・アクトが口にしてきた「護衛任務で白帯を一度も割らせていない」という言葉は、もう使えない。
過去形になった。
ジルはその行を一度だけ見て、画面を閉じた。
*
後部格納庫では、帰投したばかりのストレイ・カスタムの足元に、まだかすかな振動が残っていた。
その横を、ラインガードの隊員たちがロープと担架を抱えて行き来している。B3で拾い上げた負傷者を医療区画へ運ぶためだ。走っている者はいない。だが、誰もゆっくり歩いてはいなかった。
俺は格納庫の端から、ストレイ・カスタムを見上げた。
胸部ハッチが一段だけ開いている。中の熱が抜けきっていないのか、隙間から薄い湯気のような空気が流れていた。
アキヒトは、まだコクピットにいる。
俺は回線を開いた。
「VOLK1、聞こえるか」
少し遅れて返事が来る。
『聞こえてる』
「こっちは片付いた。整備に顔を出してから、子ども区画に行け」
俺は続けた。
「たぶん、誰かが泣いてる」
短い沈黙が挟まる。
それから、アキヒトの声が戻った。
『……俺のせいか』
「違う。そうじゃない」
すぐに否定した。ここで間を置くと、あいつは勝手にそこへ沈む。
「お前が戻ったから、泣けるようになったんだ」
回線の向こうで、アキヒトは黙っていた。
「さっき子ども区画を通った。ひとり、通路へ飛び出してきた。泣きながら、アキはどうなったって何度も聞いてきた」
俺は、見たものだけを伝えた。
「他の子も必死にこらえていた。顔を毛布で隠したり、肩で息を整えたりしてな。サキもいた。何も言わなかったが、目は真っ赤だった」
ノイズが少し混じる。
アキヒトの返事は、まだない。
たぶん、正面のモニターを見たまま動いていないのだろう。あいつはそういう時、表情を動かさない。動かさないまま、中だけで何かを受け止めようとする。
「アキヒト」
『……ああ』
「あいつらの中に、ここに道が通っていたって感覚は残る」
俺は格納庫の奥を見た。
担架が一つ、医療区画へ運ばれていく。布の端から、小さな手が見えた。俺は視線を逸らさず、言葉を続ける。
「灰の中で、その白を守ろうとした人間がいたことも残る」
『でも、守れなかった』
「ああ。全部は無理だった」
言い訳はしない。ここで慰めを言えば、あいつはもっと沈む。
「だからこそ壊すな。せめて、残ったものは」
回線の向こうで、かすかに呼吸の音が入った。
「行け。お前の顔を見せてやれ」
そこで通信を切った。
アキヒトが何を考えているかまでは分からない。分かったふりをする気もない。
ただ、あいつは行く。
そういう男だ。
戻る場所があると知ったら、そこから逃げない。
俺はしばらくストレイ・カスタムを見上げ、それから格納庫を出た。
*
執務室は、ひどく静かだった。
グレイランスの中で隊長用にあてがわれた、小さな部屋だ。机の上では端末だけが点いていて、B3高架橋の図面を白く照らしている。
元は高速道路だった高架。
図面の中央だけが抜け落ち、白帯はそこで途切れていた。
俺は椅子に座ったまま、その途切れ目を指先でなぞった。
北側、生存。
南側、再編成済み。
中央、空白。
端末の隅で、艦内の戦術AIが簡潔に評価を出している。
《白帯B3:緊急封鎖は妥当。犠牲は最小予測範囲内》
数字だけを見れば、よくやった側に入る。
それは分かる。
俺はB3を即時封鎖した。北と南に列を分け、橋の中央から人を下げようとした。ヘルマーチを橋脚の前で止めるために、アキヒトと二機で下へ降りた。
助かった者はいる。封鎖が遅れていれば、もっと多くの人間が中央に残っていた。
頭では、そう整理できる。だが、指は図面の空白で止まったままだった。
画面を切り替えると、簡略化されたリストが出る。
ラインガード。誘導員。避難民。
「橋上中央付近」の欄だけが、警告色で濃く塗られていた。
あの瞬間、俺は迷わず封鎖を命じた。北と南に分けろ。中央に残すな。高架を撃たせる前に、ヘルマーチを止める。それだけを考えていた。
それでも、空白は埋まらない。
机の端に置いた写真立てが目に入った。俺は写真そのものではなく、そこに写っている父のことを思い出した。
UDFの制服。白帯の任務をよく引き受けていた男。
線を守るのが俺たちの仕事だと、当たり前のように笑っていた横顔。
父が守っていたのも白帯だった。今、俺が守ろうとしたのも白帯だった。
同じはずだった。だが、結果は違った。
親父なら、どうした。
問いは浮かぶ。答えは出ない。
代わりに、さっきの自分の声だけが戻ってくる。
B3区間を今すぐ封鎖しろ。
北端と南端で列を止めろ。
橋の上の人間を端から下げろ。
中央に残すな。
あれは本当に最善だったのか。
橋を残すこと。
隊を残すこと。
中央にいた人間を切り捨てない別の手は、本当に一つもなかったのか。
戦術AIは妥当と言う。
周囲も、仕方がなかったと言うだろう。だが今夜に限って、その言葉はどれも頭に入ってこなかった。
俺は写真立てから目をそらし、もう一度、途切れた白帯の図を見た。
隊長としてやるべきことはやった。そのはずだ。だが、その「はず」を自分で疑っている。
高架の切り口の向こうで、向こう側の白帯が静かに灯っている。途切れた光は、二つの島のように離れていた。
それでも、同じリズムで瞬きを続けていた。
俺は端末を閉じなかった。
閉じてしまえば、あの空白まで見なかったことにしてしまう気がした。