灰の傭兵と光の園 〈RF各機、メカイラストあり〉   作:青羽 イオ

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第16話 白のどちら側にも立てない

 ジルがブリッジへ戻ってきた時、ヒロはすでに機体を格納庫側へ回し、艦橋へ上がっていた。

 

 窓の外には、まだ生きている白帯だけが見えていた。導光ラインは細く脈を打っている。だがB3の先で、その光は途切れている。

 

 ブリッジの状況表示盤では、白帯を示す一本の線が途中から赤く塗りつぶされていた。

 

「白帯B3区画、路面崩落。通行不能を確定。後続の避難列は別ルートに切り替えろ」

 

 ジルの声に合わせて、オペレーターの指がマップ上を滑る。

 

 カルディア資源都市へ伸びていた幹線も、そこで切れていた。

 

 表示盤の横には、ストレイ・カスタムから送られたノルンのログウィンドウが開いている。

 

『戦闘通信ログ、再生可能。対象、敵性RF群。識別、ヘルマーチ』

 

 ノルンの合成音声が淡々と告げた。

 

 ジルが短く言う。

 

「流して」

 

 ブリッジ内のスピーカー音量が絞られ、艦内全体へ流れないように調整される。

 

 すぐに、ノイズ混じりの声が流れた。

 

『B3、目標視認。対構造物弾、装填完了』

 

『一射目、命中。振動値、規定内』

 

『二射目、剥離確認。沈下開始』

 

『中央落下。白帯、通行不能。依頼条件、達成』

 

 作業報告のような声だった。

 

 続いて、別の声が短く締めた。

 

『全機、撤収ルートBへ移行。抑止行動は不要。白は切れた』

 

 その一言が流れた瞬間、ブリッジの空気がわずかに止まった。

 

 白は切れた。

 

 ノイズの向こうでも、その言葉だけはよく通った。低く抑えた軍人の声だ。感情を入れず、結果だけを読み上げる声だった。

 

 窓の外へ向けていた視線を、スピーカーへ戻した。

 

 ジルがモニター越しにこちらを見る。

 

「知ってる声か?」

 

 一度窓の外へ視線を戻した。

 

「さあな。どこにでもいる、古い軍人の声だ」

 

 それ以上は足さなかった。

 

 ジルも深追いせず、コンソールの入力欄へ手を伸ばした。

 

 システムが次の処理を求める。

 

『案件ラベル、入力待ち。クレイヴ・アクト護衛任務における白帯破壊案件、初発』

 

 ジルの指が、キーを叩く。

 

「CASE WL-B3-01。白帯破壊」

 

 画面に新しい行が刻まれた。

 

【CASE WL-B3-01/白帯破壊】

 

 発生区画、B3高架橋。

 

 白帯ステータス、当該区間通行不能。

 

 白帯内死傷、有。

 

 その文字列を見た瞬間、胸の奥で何かが重く沈んだ。

 

 これで、クレイヴ・アクトが口にしてきた「護衛任務で白帯を一度も割らせていない」という言葉は、もう使えない。

 

 過去形になった。

 

 ジルはその行を一度だけ見て、画面を閉じた。

 

 *

 

 後部格納庫では、帰投したばかりのストレイ・カスタムの足元に、まだかすかな振動が残っていた。

 

 その横を、ラインガードの隊員たちがロープと担架を抱えて行き来している。B3で拾い上げた負傷者を医療区画へ運ぶためだ。走っている者はいない。だが、誰もゆっくり歩いてはいなかった。

 

 俺は格納庫の端から、ストレイ・カスタムを見上げた。

 

 胸部ハッチが一段だけ開いている。中の熱が抜けきっていないのか、隙間から薄い湯気のような空気が流れていた。

 

 アキヒトは、まだコクピットにいる。

 

 俺は回線を開いた。

 

「VOLK1、聞こえるか」

 

 少し遅れて返事が来る。

 

『聞こえてる』

 

「こっちは片付いた。整備に顔を出してから、子ども区画に行け」

 

 俺は続けた。

 

「たぶん、誰かが泣いてる」

 

 短い沈黙が挟まる。

 

 それから、アキヒトの声が戻った。

 

『……俺のせいか』

 

「違う。そうじゃない」

 

 すぐに否定した。ここで間を置くと、あいつは勝手にそこへ沈む。

 

「お前が戻ったから、泣けるようになったんだ」

 

 回線の向こうで、アキヒトは黙っていた。

 

「さっき子ども区画を通った。ひとり、通路へ飛び出してきた。泣きながら、アキはどうなったって何度も聞いてきた」

 

 俺は、見たものだけを伝えた。

 

「他の子も必死にこらえていた。顔を毛布で隠したり、肩で息を整えたりしてな。サキもいた。何も言わなかったが、目は真っ赤だった」

 

 ノイズが少し混じる。

 

 アキヒトの返事は、まだない。

 

 たぶん、正面のモニターを見たまま動いていないのだろう。あいつはそういう時、表情を動かさない。動かさないまま、中だけで何かを受け止めようとする。

 

「アキヒト」

 

『……ああ』

 

「あいつらの中に、ここに道が通っていたって感覚は残る」

 

 俺は格納庫の奥を見た。

 

 担架が一つ、医療区画へ運ばれていく。布の端から、小さな手が見えた。俺は視線を逸らさず、言葉を続ける。

 

「灰の中で、その白を守ろうとした人間がいたことも残る」

 

『でも、守れなかった』

 

「ああ。全部は無理だった」

 

 言い訳はしない。ここで慰めを言えば、あいつはもっと沈む。

 

「だからこそ壊すな。せめて、残ったものは」

 

 回線の向こうで、かすかに呼吸の音が入った。

 

「行け。お前の顔を見せてやれ」

 

 そこで通信を切った。

 

 アキヒトが何を考えているかまでは分からない。分かったふりをする気もない。

 

 ただ、あいつは行く。

 

 そういう男だ。

 

 戻る場所があると知ったら、そこから逃げない。

 

 俺はしばらくストレイ・カスタムを見上げ、それから格納庫を出た。

 

 *

 

 執務室は、ひどく静かだった。

 

 グレイランスの中で隊長用にあてがわれた、小さな部屋だ。机の上では端末だけが点いていて、B3高架橋の図面を白く照らしている。

 

 元は高速道路だった高架。

 

 図面の中央だけが抜け落ち、白帯はそこで途切れていた。

 

 俺は椅子に座ったまま、その途切れ目を指先でなぞった。

 

 北側、生存。

 

 南側、再編成済み。

 

 中央、空白。

 

 端末の隅で、艦内の戦術AIが簡潔に評価を出している。

 

《白帯B3:緊急封鎖は妥当。犠牲は最小予測範囲内》

 

 数字だけを見れば、よくやった側に入る。

 

 それは分かる。

 

 俺はB3を即時封鎖した。北と南に列を分け、橋の中央から人を下げようとした。ヘルマーチを橋脚の前で止めるために、アキヒトと二機で下へ降りた。

 

 助かった者はいる。封鎖が遅れていれば、もっと多くの人間が中央に残っていた。

 

 頭では、そう整理できる。だが、指は図面の空白で止まったままだった。

 

 画面を切り替えると、簡略化されたリストが出る。

 

 ラインガード。誘導員。避難民。

 

「橋上中央付近」の欄だけが、警告色で濃く塗られていた。

 

 あの瞬間、俺は迷わず封鎖を命じた。北と南に分けろ。中央に残すな。高架を撃たせる前に、ヘルマーチを止める。それだけを考えていた。

 

 それでも、空白は埋まらない。

 

 机の端に置いた写真立てが目に入った。俺は写真そのものではなく、そこに写っている父のことを思い出した。

 

 UDFの制服。白帯の任務をよく引き受けていた男。

 

 線を守るのが俺たちの仕事だと、当たり前のように笑っていた横顔。

 

 父が守っていたのも白帯だった。今、俺が守ろうとしたのも白帯だった。

 

 同じはずだった。だが、結果は違った。

 

 親父なら、どうした。

 

 問いは浮かぶ。答えは出ない。

 

 代わりに、さっきの自分の声だけが戻ってくる。

 

 B3区間を今すぐ封鎖しろ。

 

 北端と南端で列を止めろ。

 

 橋の上の人間を端から下げろ。

 

 中央に残すな。

 

 あれは本当に最善だったのか。

 

 橋を残すこと。

 

 隊を残すこと。

 

 中央にいた人間を切り捨てない別の手は、本当に一つもなかったのか。

 

 戦術AIは妥当と言う。

 

 周囲も、仕方がなかったと言うだろう。だが今夜に限って、その言葉はどれも頭に入ってこなかった。

 

 俺は写真立てから目をそらし、もう一度、途切れた白帯の図を見た。

 

 隊長としてやるべきことはやった。そのはずだ。だが、その「はず」を自分で疑っている。

 

 高架の切り口の向こうで、向こう側の白帯が静かに灯っている。途切れた光は、二つの島のように離れていた。

 

 それでも、同じリズムで瞬きを続けていた。

 

 俺は端末を閉じなかった。

 

 閉じてしまえば、あの空白まで見なかったことにしてしまう気がした。

 

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