灰の傭兵と光の園 Ⅰ 〈RF各機、メカイラストあり〉   作:青羽 イオ

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第18話 ふたりとも連れて帰ってこい

 サキが見上げた子ども区画の天井灯は夜間モードのまま薄く光っていた。寝台が並ぶ中でひとつだけ布団が落ち着かずに動いている。

 

「ユウタ?」

 

 毛布をめくるとユウタは前髪を汗で額に貼りつかせ、浅く速い呼吸を繰り返していた。枕元の吸入器を手に取る。カートリッジの窓が軽く鳴り、薬液はほとんど残っていない。

 

「嘘でしょ。昨日、確認したのに」

 

「ユウタ、吸える? いつもの、すうってやつ」

 

「っ……っ」

 

 うなずきかけたユウタが咳き込み、息の奥で笛のような音が混じった。サキがスイッチを押す。緑ランプは点くのに霧はかすかにしか出ない。

 

「イズミ先生のところ、行こう。すぐ行こうね」

 

 スリッパに足を突っ込みユウタを抱き上げる。体が熱い。寝息を立てる子どもたちの間を抜け廊下へ出た。

 

 医務室のドアを開けると夜勤ランプの白い光が広がり、イズミが顔を上げた。

 

「サキさん?」

 

「ユウタが——吸入器の薬が切れてて。息が、さっきから」

 

「こっちへ」

 

 イズミは診察台を整えユウタの額に手を当ててから体温計を滑らせる。

 

「38.9℃。すぐ下げないと」

 

 聴診器を当て左右に位置を変えるたび眉間が固くなる。

 

「いつから、こんなふうに?」

 

「昼は少し咳が出るくらいで。さっきまでは寝てました。吸入器も大丈夫だと思ってて」

 

「これはただの喘息じゃないわね」

 

 イズミはモニターへ視線を落とした。血中酸素は92%。

 

「灰を吸ってきた子どもによく出るタイプ。気道の内側が荒れてるの。普通の薬は効く場所と効かない場所の差が大きい。今みたいに効かないときが怖い」

 

「じゃあ、どうすれば」

 

「ここでできるのは酸素と解熱と、少し症状を抑える薬だけ」

 

 イズミは酸素マスクとボンベを取り出しユウタの顔に当てる。シュウと乾いた音がして空気が流れ始めた。

 

「本当は肺の中をきちんと診てその子に合わせた薬を作らないといけない。灰に過敏になっている部分を直接落ち着かせる配合で」

 

「そんなこと、ここで?」

 

「できないわ。機械も薬もない」

 

 イズミはきっぱり言い切り続ける。

 

「もしあるとすれば——アストレイアの企業都市。灰災の後に整備された医療区画があって、灰膜の設備もそろってる」

 

「じゃあ、そこに」

 

「歩いて行くのは危険。距離もあるし、今は灰霧が濃すぎる。この子の身体では進むだけで命に関わる」

 

 壁の時計を一度見てイズミは状況を重ねた。

 

「それに、今グレイランスはUDFの補給線と白帯/周辺部隊をつなぐ"前線補給拠点"として、その地点に固定されてる。さっき連絡があったわ。艦は動かせないって」

 

 サキは言葉を失いマスク越しの小さな呼吸を見守るしかなかった。

 

「じゃあ、この子は」

 

「今はここでできる限りのことをするしかない」

 

 イズミの声は静かで硬い。

 

「解熱剤と点滴。酸素で少し楽になれば時間は稼げる」

 

 医務室のドアがノックもなく開いた。

 

「イズミ、何が」

 

 アキヒトだった。整備服に簡易ベスト。手にはまだ油の匂いが残っている。ユウタと酸素マスクそれからサキの顔を見て足を止めた。

 

「重いのか」

 

「灰膜過敏よ。普通の発作とは違う。肺の中がひどく傷んでいてここでは根本治療ができない」

 

 アキヒトの視線がサキへ移る。

 

「行きたいか?」

 

 サキは詰まりながらもうなずいた。

 

「行きたいです。でも、グレイランスは動けないって。歩くなんて、無理で」

 

「分かった」

 

 アキヒトは短く区切った。

 

「だったら別の足を使うしかない」

 

 *

 

 ほどなくしてサキも作戦室へ呼ばれた。

 

 壁のスクリーンには周辺の簡易マップ。白帯を中心に灰色の地図が広がり南の旧市街地には赤い印が点いている。VOLKの半分が出ている請負任務の現場だ。

 

 テーブルを囲むのはジル、ヒロ、ポチ、ナロア、サキ、イズミ。入口近くの壁にもたれてアキヒトが立つ。スピーカーからはかすれた無線が時おり割り込んだ。

 

〈UDF〉『こちら第3補給中隊。灰霧の濃度が想定以上で、進行が大幅に遅れている。到着は——おそらくあと8時間前後になる見込みだ。そちらの防衛状況は』

 

「状況を整理する」

 

 ジルが端末に一瞥し顔を上げる。

 

「VOLKの全6機のうち3機は南方の請負任務。今ここに残っているのはヒロのヴァルケンストーム、アキヒトのストレイ・カスタム、ポチのブレイン・モールの3機だけだ」

 

 ナロアが続ける。

 

「予備フレームは1基あるけど、脚部を分解して部品を回してた。今から組み直しても検査も出力調整も間に合わない。低速で白帯の上を巡回させるくらいなら……灰原に出すのは無理だな」

 

 サキはユウタのカルテを握ったままイズミの言葉を待つ。

 

「ユウタは一晩持つかどうかの瀬戸際よ。酸素と薬で少しは楽にしてるけど根本治療にはほど遠い」

 

「アストレイアの医療施設までの距離は?」とジル。

 

「直線で40km前後。道路事情を考えると実際の移動距離はもう少し伸びる」

 

 ジルが地図上を指でなぞる。

 

「灰霧は高め。徒歩は不可能に近い。UDF側に救急車両の余力はなくこちらのシャトルも燃料の関係で出せない」

 

〈UDF〉『こちらの衛生車は負傷者の搬送で手一杯だ。すまないが灰膜専門の設備もない』

 

 声が現実を突きつける。

 

「つまり」

 

 アキヒトが壁から離れた。

 

「艦もトラックも出せない。歩くのも無理だ。だがあの子をここに寝かせて朝まで様子を見るって選択肢はない」

 

「でも、どうやって?」とサキ。

 

「RFで行く」

 

 アキヒトは迷いなく言う。

 

「ストレイで白帯の外縁を走ってアストレイアのゲートまで行く。コクピットは窮屈だが大人ひとりと子どもひとりなら何とか乗れる」

 

「正気か?」

 

 ヒロの声が低くなる。

 

「あそこはアストレイアの街だ。契約も通さずRFでゲートに突っ込めば警備に囲まれてもおかしくないぞ」

 

「医療案件だと通告する。グレイランスの識別とクレイヴ・アクトの身分証も出す。あいつらは白帯が止まるのを一番嫌う。白帯護衛中の子どもが死んだなんて話を広げたくはないはずだ」

 

 条件を並べる口調は整備の報告みたいに淡々としていた。

 

「白帯の上には乗らない。白帯の外側を沿って走る。撃つのはどうしても必要になったときの最小射だけだ」

 

「白外限定ルールの上にさらに自分で枷をかける気か」

 

 ヒロは苦笑ともため息ともつかない声を漏らしカルテを握るサキの指先を横目で見た。

 

「それでも行くつもりか」

 

「行かなければこの子はここで窒息する」

 

 アキヒトの声だけ少し硬くなる。

 

「俺たちは白を守るために撃つ。白帯の上を歩くやつらの"明日"を守るためだろう。ならその中にいるひとりの子どもを見殺しにして何を守ったことになる」

 

「私も行きます」

 

 サキが口を開いた。

 

「ユウタは知らない場所が怖い子です。知らない人しかいないところに置いていったらそれだけで息が苦しくなってしまう。私がそばにいないと」

 

 ヒロが言いかけた言葉を飲み込みイズミが代わりに頷く。

 

「ユウタの発作には心因性の要素も関わってる。信頼できる大人がそばにいるかで状態は変わるわ。サキが一緒に行くのは医学的にも正しい」

 

「医者のお墨付きってわけか」

 

 ヒロは額に手を当て短く息を吐いた。

 

「ジル。グレイランスとしては?」

 

「艦を動かさない前提なら許可できる」

 

 ジルは少し考えて答える。

 

「ストレイ・カスタムが離れる分、補給車護衛の主力はUDF側と戻ってくる南方面隊に寄せるしかない。ここで子どもひとりを切り捨てれば——VOLKもうちもあとで壊れる」

 

 ヒロはしばらく黙りやがて低い声で言った。

 

「VOLK-6として命令は出さない」

 

 サキの目が揺れる。

 

「これは隊長命令じゃない。ただの——仲間としての頼みだ」

 

 ヒロはアキヒトを見据えた。

 

「アキヒト。お前が自分で決めて自分で行け。行ってふたりとも連れて帰ってこい」

 

「了解」

 

 アキヒトが短くうなずく。

 

「準備にかかる。ナロア、コクピットにベルトを増設したい。揺れで飛ばされないように」

 

「了解。すぐやる」

 

 ナロアが立ち上がり椅子が小さく鳴った。

 

 サキはカルテをいったん胸元に寄せ握り直す。迷いは消えないがさっき腕の中で感じた熱が考えを先へ押した。

 

「行くぞ、サキ」

 

 アキヒトがドアへ向き直る。背中は決めたぶんだけ固い。

 

 サキはその後ろを追った。怖さも不安も抱えたままそれでも足は前へ出た。

 

 

――次回、第19話「灰の中の呼吸」へ続く

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