灰の傭兵と光の園 〈RF各機、メカイラストあり〉   作:青羽 イオ

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第2話 骸蛾(がいが)

 灰で鈍った地面の上で、VOLKの三機は足を止めていた。

 

 跳んだ個体を白帯へ入れないためだ。

 

 アキヒトはストレイ・カスタムの操縦桿を握り、フロントモニタの揺れを追う。リフローはまだ続いている。見えたものを、そのまま信じるわけにはいかない。

 

 そのとき、群れの一部が脚をたたんだ。

 

 先頭付近の数体が、沈み込むように姿勢を低くする。硬い足先が同時に地面を蹴った。踏み切りの振動が伝わり、ストレイ・カスタムのフレームが短く軋む。

 

 キーテラが、まとめて跳んだ。

 

 真上ではない。

 

 三機の頭上を越え、白帯へ向かう弧を描いているように見える。だが予測線は滲み、端が細かく震えていた。

 

 本当にその弧なのか。

 

 リフローにそう見せられているだけなのか。

 

 切り分けがつかない。

 

〔前列個体の一部、跳躍距離が事前ログを超過。VOLK隊の頭上を通過。白帯方向へ向かう見込み〕

 

 反応線が射線を飛び越え、白帯へ伸びる。

 

 ログと重ねた軌道表示が赤く塗られた。直後、その赤が途中で途切れ、別の位置へ跳ぶ。

 

 跳躍の途中で、灰の流れがまた折り返した。巻き上がった灰が不規則に揺れる。空気の層が入れ替わっている。

 

 ログにない跳び方だ。

 

 読めないまま白帯へ届くのが一番まずい。

 

「ラインガード、飛び越えた分を落とせ! 白帯の手前で必ず止めろ!」

 

 回線が一拍沈む。

 

 すぐにラインガード側から返答が重なった。

 

『了解!』

 

 背中側で一斉射が始まった。

 

 反動音は遅れて届き、音の位置が一度ずれる。アキヒトは振り返らない。前を削らなければ、こちらも距離が足りない。

 

 その前方で、蜘蛛型の群れが不自然に割れた。

 

 押し返されて散ったのではない。

 

 そこだけを避けた。

 

 灰が渦を巻き、中心が深く沈む。さっきまでの層ずれとは、揺れの質が違う。

 

 群れの中央。

 

 灰の渦の中から、黒い影が立ち上がった。

 

 形は蛾だった。

 

 巨大な蛾の背中が、蜘蛛の群れに覆いかぶさるように現れる。

 

 翅は膜ではない。焦げた板のように硬く折り畳まれ、縁は焼けて波打っていた。欠けたところから灰が落ちる。

 

 脚は四本。太い支柱のように地面を掴む。腹の下では、別の細い脚が遅れて揺れていた。着地の間が揃わないまま、胴だけが先へ滑ってくる。

 

 同じ影が、半拍遅れて重なった。

 

 空気のせいか。こいつのせいか。

 

 まだ断定できない。

 

 翅の付け根に、布の切れ端が引っかかっていた。縫い目が残っている。端は焦げて硬い。

 

 甲殻の隙間から細い紐がのぞき、四角い金具が灰を引きずって音を立てる。

 

 金具には、印字の潰れた樹脂片がついていた。

 

 識別札の欠片だ。

 

 さらに内側で、黒い束が垂れている。灰に濡れて固まった髪に見えた。

 

 アキヒトは視線を外した。

 

 今、それを見続ける意味はない。

 

 手順を乱せば、白帯へ届く。

 

〔未登録反応。局所リフロー強度、急上昇。照準補正は安定しません。推定対象、骸蛾〕

 

 先週の仕事で見たものと同じだ。

 

 撃てば当たる。

 

 だが、当たった位置が信用できない。

 

 骸蛾は白帯方向だけを見て、一直線に進んでくる。蜘蛛型の群れまで道を空けていた。

 

 前線側の火線が骸蛾の胴を叩く。火花と欠け目は出る。だが次の瞬間には、当たった位置がずれて見えた。

 

 削れたのは遅れた影で、実体は一歩先にいる。

 

「ノルン、補正を切れ。数字はいらない。揺れ幅だけ出せ」

 

〔了解。照準補正停止。揺れ幅を表示します〕

 

 押し切る相手ではない。

 

 落とすのは翅だ。

 

「リュウ。白帯へ飛んだやつの軌道を追え。こっちは俺が押さえる」

 

 リュウが短く返す。

 

『了解。跳躍軌道を追う。白帯手前で止める』

 

 アキヒトは操縦桿を握り直し、補助スラスターを短く二回噴かした。灰を大きく巻き上げない噴射で前へ出る。

 

 視界の中で、骸蛾が迫る。

 

 リフローのせいで、機体の反応が半拍だけ軽い。

 

 アキヒトはその半拍を使った。

 

 ストレイ・カスタムの両足を骸蛾の胴体にかけ、ブレードを構える。甲殻の線と膨らみを追い、翅の付け根だけを探す。

 

 脚ではない。

 

 腹でもない。

 

 翅の根元だ。

 

 狭い継ぎ目が一本見えた。

 

 ブレードを引き上げた瞬間、甲殻の隙間で黒い束が揺れる。

 

 それが見えただけで、手順が乱れかけた。

 

 背後で火線が重なり、遅れて衝撃音が届く。

 

 その音で、余計なものが消えた。

 

 アキヒトは全出力でブレードを叩き下ろした。

 

「落ちろ――!」

 

 甲殻が鈍い音を立てて割れた。

 

 白い噴出物が弾け、外部カメラの映像が塗り潰される。HUDの線が薄れる。

 

 その瞬間、口の中に鉄のような苦味が広がった。

 

 外気ではない。

 

 LSLリンクが拾った感覚の断片だ。

 

 人の、味。

 

 アキヒトはそれを作業の外へ押し出した。

 

 手首をひねり、刃を左右にこじる。

 

 骸蛾の背中が大きく震えた。畳まれていた翅が傾き、直進の線が崩れる。白帯へ向かっていた胴が横へ流れた。

 

 止まらない。

 

 だが、まっすぐは来ない。

 

 アキヒトは補助スラスターを短く噴かし、ストレイ・カスタムの脚を骸蛾の背から引き抜いた。

 

 白い汚れがモニタから薄れる。

 

 骸蛾の影は後ろへ退いていた。灰の渦が一段深く沈み、そこへ吸われるように輪郭が崩れていく。

 

 空気のずれが少しほどけた。

 

 距離表示の震えも、わずかに収まる。

 

〔地上の群れ、後退傾向。ただし跳躍個体は継続。白帯方向へ向かっています〕

 

 地上は引く。

 

 だが、空の危険は残っている。

 

 退く流れに逆らい、群れの外縁から装甲の厚い巨体が前へ出た。背後には、まだ数十の蜘蛛型が地を這っている。

 

「ゴーシュ、面を削れ。薄く開いたところへ九十五ミリを投げろ。リュウは跳躍だけ追え」

 

 ゴーシュが低く返した。

 

『了解。九十五ミリ、残り八。先にガトリングで押し返す』

 

 ゴーシュの機体が腰を落とす。

 

 百四十ミリガトリングが回転を始めた。低い唸りの直後、重い火線が群れの中腹を横に削る。

 

 密度の芯を外し、薄いところを作る撃ち方だ。

 

 群れが一瞬だけ薄くなる。

 

 その隙間へ、右肩の九十五ミリショルダーランチャーが上を向いた。

 

 短い発射音。

 

 榴弾が灰霧を割り、奥で連続して弾ける。破片が脚関節の腱を断ち、支えを失った巨体が前のめりに倒れた。

 

 倒れた個体に後続がぶつかり、塊が崩れる。

 

 リュウの声が入る。

 

『前列の生き残りを落とす。噴出孔を優先する』

 

 センサー表示の赤が減っていく。

 

 その瞬間、HUDに警告が割り込んだ。

 

〔跳躍個体。白帯到達まで残り三秒〕

 

 アキヒトの視線が、フロントモニタの隅へ跳んだ。

 

 白帯の縮小映像。

 

 杭灯の点滅。

 

 避難列の真上へ、跳躍個体の影が落ちかけている。

 

 白帯側のラインガードが脚を撃つ。火花が散り、巨体の軌道が崩れた。

 

 落ちる。

 

 そうなるはずだった。

 

 だが灰の流れが折り返し、落下のタイミングがずれた。巨体が一瞬、空中で止まったように見える。

 

 次の瞬間、落ちた。

 

〔白帯到達まで一・二秒〕

 

 間に合わない。

 

 白い道の上を、子どもたちの列が進んでいる。先頭には引率の若い女が一人。何度も振り返って、列を数えていた。

 

 その真上へ、黒い影が落ちていく。

 

 届くな。

 

 言葉にする前に、アキヒトは表示を追った。

 

 白い光の手前で、脚が折れた。

 

 巨体が地面へ叩きつけられる。巻き上がった灰が、白帯の縁をなぞるように流れた。

 

 列の最後尾の子どもが足を止める。

 

 小さな顔が横を向いた。視線の先、腕を伸ばせば届く距離に、折れた脚が地面へ突き刺さっている。

 

〔白帯到達回避。着地地点、白帯外縁より二・四メートル〕

 

 二・四メートル。

 

 次も同じとは限らない。

 

「パージ。押し切る」

 

 左腕のシールドがラッチを外した。

 

 重い板が滑り落ちる。守りを捨てた分、機動力で押し切るしかない。

 

 シールドが地面へ触れる直前、背部左側のマイクロミサイル・ポッドが起き上がった。

 

 発射音が短く重なる。

 

 小型ミサイルが灰霧へ飛び出し、一定距離で子弾に分かれて扇状に広がった。

 

 群れの先頭列の足もとで、小さな爆発が連鎖する。脚だけを狙った弾頭が関節を断ち、支えを失った巨体が次々と前のめりに倒れていく。

 

〔マイクロミサイル残弾ゼロ。補給まで使用不可〕

 

 ゼロ。

 

 遠距離の切り札は尽きた。

 

 ライフルの予備マガジンはあと二本。

 

 残るのは近接だけだ。

 

 だが倒れた個体の上へ後続が雪崩れ込み、自分たちの重さで脚を折り、甲殻を砕き合う。センサーの赤がまとめて消えた。

 

 アキヒトは背部ライフルを引き抜き、近くに残った一体へブレードを押し込む。

 

 動きを断つ。

 

 立ち上がる前に。

 

 跳ぶ前に。

 

 白帯へ向ける脚を残さない。

 

〔敵集団、残存数推定十二。白帯到達前の全滅見込み九十五パーセント〕

 

 九十五パーセント。

 

 確定ではない。

 

 最後の数体が脚をもがれ、地表を引きずられながら倒れていく。

 

 アキヒトは踏み込みを止めなかった。倒れきらない個体の関節へ刃を入れ、支えを奪う。

 

〔敵集団、残存数ゼロ。主電七パーセント。これ以上の戦闘継続は非推奨〕

 

 報告が落ちる。

 

 緊急度が一段下がり、ようやく次の手順へ移れる。

 

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