灰の傭兵と光の園 〈RF各機、メカイラストあり〉   作:青羽 イオ

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第21話 灰膜クリニック、値としての命

 街の中の空気は、外とまるで違っていた。

 

 ゲートをくぐった途端、灰のざらつきが消えた。舌に残っていた粉っぽさも薄くなり、息を吸うのが少し楽になる。

 

 でも、楽になっていいのは私じゃない。

 

 ストレッチャーの上で、ユウタは酸素マスク越しに細い息をしていた。私はその胸の動きだけを見ながら、白い廊下を進んだ。

 

「こちらです」

 

 医療班の女性が先を歩く。

 

 天井には監視カメラがあり、壁の扉はカードや手のひらで開く。扉をひとつ通るたび、空気の音が変わった。

 

「灰膜関連の区画は、外の空気が混ざらないようにしています」

 

「ずいぶん厳重だな」

 

「患者を守るためでもあります」

 

 嘘ではないのだろう。けれど、それだけでもない気がした。

 

 厚い扉が開き、白い診察室に入る。中央にはベッドがあり、その周りに丸い機械やモニターが並んでいた。どれも新しく、同じ色をしている。

 

 ユウタがベッドに移され、指先に小さなセンサーをつけられる。モニターに数字が並んだ。

 

 意味は分からない。

 

 

 すぐに医師が入ってきた。白衣の下に灰色のシャツを着た、細い男だった。眼鏡の奥の目は疲れているのに、こちらを見る力だけは強い。

 

「灰膜クリニック担当のトギです。……歓迎という状況ではありませんが、間に合ってよかった」

 

「この子が、ユウタです。さっきから息が苦しくて」

 

「記録は見ています。イズミ医師の処置も、悪くありません」

 

 トギはそう言って、ユウタの顔をのぞき込んだ。

 

「ユウタくん、聞こえるかな。ここは灰の少ない場所だよ。匂いは変だけど、薬と消毒の匂いだから大丈夫。すぐ楽にする」

 

 ユウタが、かすかにまばたきをした。

 

「まず肺を見ます。難しいことはしません。大きな聴診器みたいなものです」

 

 丸い機械がユウタの胸の上をゆっくり動く。低い音がして、モニターに肺の映像が出た。

 

 白と灰色の中に、細い糸のような影がいくつも見えた。

 

「……これが?」

 

「灰膜過敏症E型です」

 

 トギは画面を指した。

 

「普通は、灰に傷つくうちに体が鈍くなる。でもこの子は逆です。傷つくたびに、反応が強くなる。肺がずっと怒っているような状態ですね」

 

「治せるんですか」

 

「今より楽にできます。ここなら、この子に合わせて薬を調整できます」

 

 トギは透明な吸入器を手に取った。中には、色のない薬液が入っている。

 

「彼の肺の反応に合わせた薬です。まずは少しだけ使います」

 

 できるんですか、と聞こうとして、私はやめた。

 

 ここにはできる機械がある。できる人がいる。グレイランスでは手が届かなかったものが、白い部屋に当たり前のように並んでいる。

 

 ふと、壁の向こうがガラス張りになっているのに気づいた。

 

 別室で、何人もの白衣がこちらを見ていた。大きな画面には、ユウタの肺の映像が映っている。声は聞こえにくい。でも、いくつかの言葉だけがこちらまで届いた。

 

「E6因子……」

 

「施設外育ちのサンプルか」

 

「この数値、論文になるぞ」

 

 サンプル。

 

 論文。

 

 ここでは、ユウタは助けるべき子どもである前に、珍しい数字なのかもしれない。

 

 横を見ると、アキヒトもガラスの向こうを見ていた。顔は変わらない。でも、目だけが冷たかった。

 

「……数字の話ばかりだな」

 

 小さな声だった。

 

 トギがこちらへ向き直る。

 

「サキさん、と言いましたね」

 

「はい。光の園の保育士です」

 

「あなたはそばにいてください。この子には、安心できる人が必要です。薬だけで全部が決まるわけではありません。始めますよ」

 

 吸入器から、見えにくい霧が出る。

 

「ユウタくん、少し苦いかもしれない。ゆっくり吸って、ゆっくり吐いて」

 

「ユウタ、いつものやつだよ」

 

 私は自然に数え始めていた。

 

「吸うの、いち、に、さん、し。吐くの、いち、に、さん、し」

 

 最初は浅かった呼吸が、少しずつ深くなる。

 

 胸の動きが落ち着き、マスクの曇り方もゆっくりになった。モニターの数字が九十二から九十四、九十五へ上がる。

 

 私は息を止めていたことに気づき、そこでようやく吐いた。

 

「いい反応です」

 

 トギが言う。

 

「薬が合っています。急に全部抑えると負担になるので、少しずつ慣らします」

 

 よかった。

 

 そう思った。

 

 けれど、安心しきることはできなかった。

 

 ガラスの向こうでは、まだ白衣たちが画面を見ていた。誰かが端末に何かを打ち込み、別の誰かがユウタの肺の映像を拡大している。

 

 ここでは命が助かる。でも同時に、命が数字にもされる。

 

「さき、せんせい……」

 

 かすかな声がした。

 

「ここにいるよ。どこにも行かない。ちゃんとグレイランスに帰ろうね」

 

 ガラスの向こうでどんな名前をつけられても、私にとってはユウタだった。

 

 灰の中で一緒に歩いて、吸う息と吐く息を数えてきた、七歳の男の子。

 

 白い部屋の機械は静かに動き続けている。

 

 その中で、私はユウタの手だけを離さなかった。

 

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