灰の傭兵と光の園 〈RF各機、メカイラストあり〉 作:青羽 イオ
個室と呼ばれていたが、落ち着ける部屋ではなかった。
窓はなく、壁の一面がモニターになっている。そこには隣の診察室が映っていた。ベッドの上でユウタは眠っている。胸の上下は、さっきよりずっとゆっくりしていた。
サキはソファに浅く腰をかけていた。両手を膝の上で組み、背もたれには寄りかからない。アキヒトはその斜め後ろで、壁にもたれていた。
机を挟んで、トギが端末を操作する。
「状態は安定しています。発作は抑えられました」
トギは、モニターにユウタの肺の映像を出した。
「ただし、灰の中に戻ればまた悪化します。この子には、きれいな空気と継続した薬が必要です」
サキの視線が、壁のモニターへ動いた。
「薬をもらえれば、グレイランスでも何とかできますか」
「一番安全なのは、ここに残すことです」
トギは迷わず言った。
「費用は心配いりません。灰膜過敏症E型は、こちらにとっても貴重な症例です。長期フォロープログラムで面倒を見ます」
「プログラム……?」
「医療、食事、教育、すべて都市内で管理します。灰の中で移動し続ける生活より、はるかに安全です」
言っていることだけ聞けば、間違っていない。
だが、トギの指はユウタの映像を資料のように叩いた。
「半年もあれば、かなり有用なデータが取れるでしょう」
サキの手が、膝の上で強く握られる。
「それは……あの子を、ここに置いていくってことですか」
「そうです。外部との接触は、医療上必要な場合に限られます」
「でも、グレイランスは、あの子の戻る場所です。私たちは……家みたいなものなんです」
「家という言葉は、ここでは意味を持ちません」
トギの声は変わらなかった。
「必要なのは医療環境です。あなた方の気持ちは分かりますが、それは感傷です。医学的には、ここに残す方が合理的です」
サキは言い返せなかった。
アキヒトは、トギから目を離さない。
合理的。
そう言えば、人間を棚に置いても許されると思っている声だった。
トギは端末を操作しながら、ふと思い出したように言った。
「サキさんなら、本当は分かるはずです。同じような扱いを受けた経験がありますね」
サキの肩が小さく揺れた。
「……どういう意味ですか」
「灰災初期の適応実験棟。H-12ブロック。識別コードS-09。当時七歳」
空気が変わった。
サキの顔から血の気が引いていく。
「やめてください」
「長期被験者としては、かなり優秀だったようです。薬剤耐性、痛覚閾値、灰膜適応――」
「やめて」
声は小さかった。
それでも、十分だった。
アキヒトは壁から体を離した。
「そこまでだ」
トギが目だけを向ける。
「彼女の過去は、今回の判断材料です」
「違う。お前が殴りやすい場所を探しただけだ」
アキヒトは机の前まで出た。
「ユウタを治せるのは事実だろう。ここに設備があるのも分かる。でも、お前らはあの子を患者として見てない。珍しい数字として見てる」
「研究と医療は対立しません」
「なら、最初から言え。治療の代わりにデータを取らせろってな」
トギの指が、机の横の呼び出しボタンへ動いた。
警備を呼ぶつもりだ。
アキヒトは静かに言った。
「押す前に聞け。この部屋の音声と映像は、グレイランスに送ってある」
トギの指が止まる。
「ゲートの時点で、こっちの記録系はお前らの通信にかませてある。全部とは言わない。だが、今の会話を外へ出すには十分だ」
サキが顔を上げる。
アキヒトは続けた。
「灰災孤児を救急搬送で受け入れ、研究目的で囲い込もうとした。そこへ保護者の過去の実験記録まで持ち出した。いいログだ。UDFと監督局に流れれば、ほかの企業も食いつく」
トギの表情が、初めて少しだけ変わった。
「脅しですか」
「そうだ」
アキヒトは否定しなかった。
「お前らのやり方に合わせてる」
部屋が静まり返った。
モニターの中で、ユウタの胸だけがゆっくり動いている。
やがてトギは、薄く笑った。
「分かりました。一時退院として処理しましょう」
端末を操作する音が響く。
「薬と簡易吸入器を四週間分出します。ただし、月に一度は必ず戻ってきてください。来なければ、こちらも正式な手続きを取ります」
トギはサキを見た。
「本当に連れて帰るのですか。灰の中へ」
サキの視線が揺れる。
きれいな空気の中に残すのか。
それとも、灰の中のグレイランスへ帰すのか。
「戻る」
アキヒトが先に言った。
「あいつの家は、ここじゃない」
サキは一度だけ目を閉じた。
次に開いた時、表情に少し力が戻っていた。
「ユウタを連れて帰ります。薬と吸入器の使い方を教えてください」
「了解しました」
トギは立ち上がった。
「看護師に準備させます。ですが、次はこの形では通りません」
「次のことは、帰ってから考える」
アキヒトは返した。
トギは扉へ向かいかけ、そこで足を止めた。
「ああ、ひとつだけ」
背中を向けたまま言う。
「薬は四週間分です。それ以上は、こちらで直接管理します。灰の中でこの症例がどこまで持つかは分かりません。三か月、持てばいい方でしょう」
扉が閉まった。
部屋には、モニターの小さな電子音だけが残る。
サキは何も言わなかった。アキヒトも、すぐには声をかけなかった。
画面の中で、ユウタのマスクが白く曇る。
曇って、消える。
それだけが、ここへ来た理由を思い出させていた。