灰の傭兵と光の園 〈RF各機、メカイラストあり〉 作:青羽 イオ
第25話 筋肉バカと脚部整備と艦長のため息
陸上戦艦グレイランスの艦長ヴァイスは、ブリッジ脇の端末でシフト表を確認していた。
当直の名前、交代時間、機関区の点検予定。画面を最後まで流し、問題がないことを確かめてから端末を閉じる。
「よし」
低く言って椅子を立った。
艦橋の空気は落ち着いている。床下の振動も安定していた。空調の音もいつも通りで、誰かが無理を隠している気配もない。
それなら、次は自分の目で見るだけだ。
「少し見回る」
近くの当直にそう告げて、ヴァイスはブリッジを出た。
*
最初に足が止まったのは、ジムの前だった。
ドア越しに、やけに元気な声が聞こえてくる。
「四十七!」
「まだいけます、先輩! 潰れたらこっちで受けますから!」
――戦闘中よりうるさいな。
ヴァイスは半分呆れながら、ドアを開けた。
熱気と汗の匂いが、一気に流れてくる。
「五十ッ! 戻せ、ガンモ!」
中央のベンチで、タンクトップ姿のゴーシュがバーベルを押し上げていた。顔は真っ赤だが、目だけはまだ勝つ気でいる。その頭側では、ガンモがバーに手を添え、本人より大きな声で煽っていた。
「はい五十! 数字は裏切らねえ!」
「肩は裏切るんだよ!」
バーがラックに戻ると、周囲のクルーが拍手を送った。
「ゴーシュ五十回!」
「白帯最厚の胸板!」
ゴーシュは起き上がり、両腕を突き上げた。
「見たか。これが毎日シールドを担いでる男の肩だ!」
「はいはい。次、俺な」
今度はガンモがベンチに寝る。数分後には、彼も同じように五十回を押し切った。周りの歓声はまた大きくなる。
「これで同点だな」
「いや、俺の方が一回多い。お前、途中で一回ごまかしただろ」
「ごまかしてねえよ!」
言い争いが始まったところで、クルーの一人が手を叩いた。
「はい、回数はもういいです。最後は筋肉で決めましょう」
場の空気が一気に祭りになった。
「出た、筋肉判定」
「艦内最強マッチョ決定戦だ!」
ベンチがどかされ、中央に場所が空く。ゴーシュとガンモは汗を拭き、なぜか真剣な顔で向かい合った。
「まずゴーシュ先輩、正面お願いします!」
「任せろ」
ゴーシュが胸を張り、腕を曲げる。肩と胸が照明の下で盛り上がった。
「盾持ちの肩だ!」
「厚い! 壁みたい!」
「壁は言いすぎだろ、せめて扉にしろ!」
次にガンモが両腕を曲げる。上腕が太く浮き、周囲からまた声が飛ぶ。
「火器担当の腕だ!」
「それで殴られたら弾より痛い!」
「おい、俺は撃つ係だ。殴る係じゃない」
ヴァイスは入り口で腕を組み、しばらく黙って見ていた。
馬鹿らしい。
だが、悪くない。
汗をかける余裕がある。ふざけられる声がある。さっきまで灰の中で命を削っていた艦に、こういう騒ぎが戻っている。それだけで、今夜の見回りには意味があった。
「判定どうします?」
「子ども目線でいこうぜ。光の園の子たちが見て、どっちが守ってくれそうか」
「それ俺だろ」
「いや俺だ」
ゴーシュが急に優しい声を作った。
「いいかー、泣いてる子がいたら、まず肩車してやるのが俺だ。高いとこから見る白帯は、気持ちいいぞー」
「首が心配なんだよ、その肩車」
ガンモが即座に突っ込む。
「俺なら、そもそも敵を近づけねえ。遠くで全部止める。安全だろ」
「子どもにその説明するのかよ」
笑いが広がる。
そこで、ゴーシュの視線が入り口のヴァイスを捉えた。
次の瞬間、顔が変わった。
「艦長!」
ゴーシュが直立する。ガンモも周囲のクルーも、弾かれたように姿勢を正した。
ジムが一瞬で静まり返る。
ヴァイスは、片手を軽く上げた。
「いや、なんでもない」
それだけ言って、踵を返した。
ドアが閉まりかける背後で、誰かが小声で言う。
「今の、なんだったんだ?」
「もっと鍛えろってことじゃないですか」
「そうか。そうだな。よし、次はスクワットだ!」
また騒がしくなる。
ヴァイスは通路を歩きながら、小さく笑った。
*
次に寄ったのは、RF格納庫だった。
鋼鉄の壁に囲まれた空間には、オイルと溶接の匂いが満ちている。工具の音があちこちで鳴り、整備員たちがRFの足元や肩部に取りついていた。
ヴァイスは通路の端を歩きながら、機体よりも人の手を見た。
疲れが出ていないか。作業が荒くなっていないか。誰かが無理をしていないか。
数字だけでは拾えないものが、こういう時に出る。
「ナロアさーん」
軽い声が聞こえた。
「今日も脚部ラインが美しいですね。あれ、これ褒めてますよ。ちゃんと褒めてます」
声の主はリュウだった。
自分のレイヴン・アイの点検が終わったのか、わざわざストレイ・カスタムの作業区画まで来ている。
脚立の上では、ナロアがストレイ・カスタムの脚部関節を確認していた。リュウの声が聞こえているはずなのに、まったく返事をしない。
「昨日の模擬戦もですね、僕の狙撃が綺麗だったのは、ナロアさんの整備が――」
コン。
ナロアは振り向きもせず、六角レンチの柄でリュウのヘルメットを軽く叩いた。
「計器が狂う。しゃべるならログに書け」
「ひどいなあ。僕の繊細な心が今、折れました」
「折れても戦闘には支障ない」
「ありますよ。射撃は心ですから」
「なら、その心を黙らせろ。作業中だ」
近くの整備員が笑いをこらえている。
それでもリュウは引かなかった。
「じゃあ、邪魔はしません。今度の非番、飯でもどうですか。灰のない空気を吸いに」
ナロアはようやく脚立から降り、リュウの正面に立った。
「休暇の予定は、寝ることと脚部ログの整理で埋まってる」
「そこに僕が入る余地は?」
「ない」
「即答ですか」
「いいか、パイロット」
ナロアは油のついたグローブを腰に当てた。
「戦闘で機体を壊すのはあんたの仕事。それを直して、次も生きて帰らせるのが私の仕事だ。口説くなら、せめて機体を壊さなかった日にしな」
「それ、一生来ない日じゃないですか」
「分かってるなら働け」
ナロアが軽くリュウの脇腹を小突く。リュウは大げさにのけぞった。
「痛っ。整備班の暴力、記録しておきます」
「ログに残せ。あとで消してやる」
整備班の笑い声が広がる。
ヴァイスは少し離れた場所で、そのやり取りを見ていた。
軽口も、怒鳴り声も、油の匂いも。
どれもこの艦の一部だった。整備員が機体を直し、パイロットが文句を言いながらまた乗る。その繰り返しで、グレイランスは動いている。
近くの整備班長が、ようやくヴァイスに気づいた。
「艦長! 何か不具合ですか?」
ナロアも振り返り、油のついた顔を少しだけ固くする。
「艦長。私に何か?」
ヴァイスは首を振った。
「変わりないなら、それでいい」
それだけ言って、片手を上げる。
ナロアは一瞬だけ目を瞬かせ、それから小さくうなずいた。
「はい。変わりありません。うるさいのが一人いるだけです」
「誰のことかな」
「自覚があるなら黙れ」
背後でまた笑いが起きる。
ヴァイスは格納庫を出た。
通路へ戻ると、艦内の振動が足の裏に戻ってくる。ジムではまだ誰かが数を叫んでいて、格納庫では工具の音が続いている。
問題なし。
報告書にすれば、その四文字で終わる。
だが、その四文字の中に、こういう騒がしさが含まれていることを、ヴァイスは忘れないようにしていた。