灰の傭兵と光の園 Ⅰ 〈RF各機、メカイラストあり〉   作:青羽 イオ

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第26話 ゼリーとマグカップと艦長と

 格納庫を出て上のフロアへ向かう途中、ヴァイスは足を止めた。曲がり角の向こうから、子どもの笑い声が流れてきた。走る足音と、「待って!」という声まで続く。

 

(静かすぎるよりは、まだいい)

 

 そう思い、声のするほうへ歩いた。

 

 

 居住区近くの廊下は、今日は少しだけにぎやかだ。床の誘導灯ラインが細く光り、その上を子どもたちがばらばらに走っている。物資庫の前には、積み上げられたコンテナがいくつか並んでいた。

 

「7ー」

「8ー」

「9ー」

 

 物資庫の扉の前で、ポチが壁にもたれて立っている。目に巻いたタオルの下で、両手は腰に当てたまま、ゆっくり数を進めた。その声に押されるように、子どもたちは隠れ場所を探して散る。

 

「リノ、こっち!」

「タクト、走る音うるさい!」

「線から外れたら負けだからな!」

 

 ポチの言葉に、誘導灯ライン上にいた子どもたちがぎりぎりで足を止める。線をはみ出さないよう、壁際やコンテナの影へ滑り込み、身体を小さくした。

 

「10ー。よし、行くぞ」

 

 タオルが外され、ポチが目を細めて見回す。

 

「線から離れたら、食堂のゼリー1個マイナスだ。ルールは守れよ」

「えー!」

 

 文句は上がるが、誰も線を踏み外そうとしない。ヴァイスは廊下の入口から、その様子を眺めていた。

 

 リノは手すりの支柱の後ろで肩が少しはみ出し、タクトはコンテナの陰で靴だけが丸見え、サナは折りたたみテーブルの下で髪の先が床に出ている。

 

(……全員、射線のど真ん中だな)

 

 心の中で小さく突っ込みながら、ヴァイスは動かずに見守った。

 

 ポチはわざと大きめの足音を鳴らし、ゆっくり廊下を歩き出す。

 

「ふむ。ここには……誰もいないな」

 

 リノの横を通り過ぎても、気づかないふりをする。続けて、コンテナの陰へ視線を向けた。

 

「コンテナの後ろも……誰もいない」

 

 タクトの靴の横を抜ける瞬間、タクトが慌てて引っ込めようとして頭をぶつけた。

 

「いって……」

「今の音、ポイント高いな」

 

 わざと聞こえるように言うのに、ポチはそのまま通り過ぎた。

 

 テーブルの近くで、ポチが立ち止まる。

 

「ここには……」

 

 のぞき込もうとした、そのときだ。少し離れた支柱の影で、別の子どもがポチの背中を見て固まっている。目だけが忙しく動き、次の一歩を迷っていた。

 

 ヴァイスと、その子の目が合った。

 

「……」

 

 子どもは慌てて口に指を当て、「シー」という動きで頼む。声は出さない。ヴァイスはゆっくり一度だけうなずき、わざと足音を大きめにして反対側の廊下へ歩き出した。

 

 ポチが振り向く。

 

「おや、艦長」

 

 テーブルの下から目を離し、ポチが一歩寄る。その隙に、さっきの子どもは支柱の影からテーブルの影へ、そっと移動した。

 

「今は“遊戯任務”の最中でして。通路が少しうるさくて、申し訳ありません」

 

 ポチが軽く敬礼する。

 

「任務を続けろ」

 

 ヴァイスは短く返した。

 

「了解。“隠密目標”の捜索を再開します」

 

 ポチは子どもたちのほうへ向き直り、足音だけ別方向へ向けて歩いていく。

 

「おっと、ここに靴だけ落ちているな。持ち主はどこかな?」

 

 タクトの後ろへ回り込み、いきなり肩をつかんだ。

 

「つかまえた」

「うわっ!」

 

 タクトが飛び上がり、リノが手で口を押えて笑う。

 

「次はテーブルの下だな」

 

 屈みこんだポチと、サナの目が合う。サナは一瞬だけ顔をしかめ、すぐにあきらめたようにテーブルの下から出てきた。

 

「リノは……そこだ」

「えっ」

 

 支柱の影から引きずり出され、リノは「どうして分かったの」と言いたげに見上げる。

 

「支柱が一本多かった。……リノサイズのやつがな」

「えー……」

 

 そんなやりとりの末、全員が見つかると、子どもたちは物資庫の前へ並んだ。

 

「はい、今回の勝者は……線から一歩も出なかったサナ」

「……べつに」

 

 サナが小さく言い、タクトとリノが「次は勝つ」と口々に重ねる。走り回る子どもたちと、適度に手を出して適度に手を引くポチを、ヴァイスは少し離れた位置から見ていた。

 

(あいつも、よく付き合っているな)

 

 

 かくれんぼが一段落し、子どもたちが笑いながら列になって戻っていく。食堂の方向へ向かう足音が、少しずつ遠ざかった。

 

 残ったポチは廊下の壁に寄りかかり、呼吸を整えている。

 

「ポチ」

 

 ヴァイスが声をかける。

 

「はい艦長。“遊戯任務”終了しました。本日のゼリーペナルティは、ありがたいことにゼロ名です。何か問題でも?」

 

 少しだけ肩を張った返答に、ヴァイスは首を横に振る。

 

「……いや、なんでもない。任務評価は“良好”だ」

 

 それだけ言って歩き出すと、ポチは一瞬きょとんとし、すぐに苦笑いへ変わった。

 

 しばらくして、子どもたちがまた廊下へ戻ってくる。

 

「ねえ、さっき艦長いた?」

「え、いたの?」

「ポチがしゃべってた相手、そうじゃなかった?」

 

「えー、見てなかった」

「次はちゃんと見る」

 

 小さなざわめきが、廊下に残った。

 

 

 当直を次の班に引き継いだあと、ブリッジはめずらしく静かだった。外のモニターには、整った白帯の列と、その外側で待機するRFのマーカーだけが映っている。アラームもタグの数も、ほとんど動かない。

 

 ブリッジ管制主任のジルが、いつもの落ち着いた声で確認を終える。

 

「白帯タグ、変化なし。白外も反応なし」

 

 髪を後ろでまとめたまま姿勢を崩さず、端末を閉じる。規則には厳しいが、声を荒げることは滅多にない。

 

 そのタイミングで、ブリッジの扉が勢いよく開いた。

 

「うーっす」

 

 通信担当のアントニオが入ってくる。背が高く、落ち着きのない男で、手には湯気の立つマグカップ。

 

「おい」

 

 ジルの声が一段低くなる。

 

「ブリッジは“フタ付き容器以外持ち込み禁止”だと、先週言ったばかりだろう」

「分かってますって。これ、ちゃんと安定してるやつなんで」

 

 アントニオは取っ手をひょいひょい揺らして見せ、中のコーヒーが縁ぎりぎりで波打った。

 

「お前な。前回それをコンソールにこぼして、白帯タグが全部ブラックアウトしたのを忘れたのか」

「いや、あれは揺れが悪かったんですよ。俺じゃなくて艦のせいっていうか」

「記録では、お前が椅子の脚に引っかかって転んだことになっている」

「ログは消せるじゃないですか。ついでに俺の黒歴史も全部」

「消さない」

 

 即答に、アントニオが肩をすくめる。その横を、銀色の細長いボトルを抱えた男が通り過ぎた。戦術長のアークだ。細身で、いつも計算しているような目をしている。

 

「見ろよ、俺のは合法だ。フタ付き。耐衝撃。軍の備品。一切問題ない」

 

 ボトルを軽く振り、妙に得意げだ。

 

「中身、何です?」

 

 観測担当のミナトが、椅子にもたれたまま首だけ向ける。癖のある前髪越しに、ボトルをじっと観察していた。

 

「……茶だ」

「なんでちょっと間があったんですかね」

 

 小声の突っ込みに、アークが気まずそうに視線をそらす。

 

「茶でもコーヒーでもいい。フタが閉まっていれば」

 

 ジルは言い切ってから、アントニオのマグを見た。

 

「それはダメだ」

「大丈夫ですって。ここに置いとくだけですから」

 

 アントニオは自席のコンソールから一歩分離れたサイドラックへマグを置く。

 

「ほら、これなら万が一ぶつかっても――」

 

 ちょうどそのとき、ブリッジの床がわずかに揺れた。下層デッキで重い機材を動かした振動が伝わってきたのだろう。マグの中身が小さく跳ねる。

 

「……」

「……」

 

 ジルは無言でマグへ歩み寄り、静かに持ち上げた。

 

「ちょ、待って待って待って! それ俺の今日一番の楽しみなんすけど!」

「今日一番の楽しみがコーヒーなら、明日もあさっても楽しめるはずだ」

「なんすかその理屈!」

 

 そのやり取りを横目に、センサー長のセイナが自分の端末の横へ、小さなボトルをそっと置く。短くまとめた髪にヘッドセット、数値とログに強く、感情はあまり表に出さない。

 

「セイナさん、それ何です?」

「ミルクティー」

「かわいいな」

 

 ミナトが笑うと、セイナは少しだけ眉をひそめる。

 

「糖分は必要。長時間の監視では、低血糖のほうが事故につながる」

「言い訳が完璧ですね」

「これはフタ付きだから、規則上問題ない」

 

 会話の後ろで、プシュ、と缶が開く音がした。

 

 砲術担当のダンだ。白髪混じりの短髪に無精ひげ、何度も前線を見てきたベテランで、仕事終わりの酒がよく似合う。

 

「ダンさん、それ何です?」

 

 避難区画オペレーターのカエデが、おそるおそる尋ねる。黒縁メガネの奥の目は、さっきまで避難区画のモニターに固定されていた。

 

「ただの炭酸水だ」

「色、ちょっと琥珀色っぽいですけど」

「艦の照明が悪い」

 

 ダンはすました顔で一口だけ飲んだ。

 

「ジルさーん、あっちもあやしいんですけど!」

 

 アントニオが抗議するが、ジルは淡々とマグを掲げる。

 

「これは没収。あとで食堂で返す」

「冷めるじゃないっすか!」

「そうならないように、フタ付き容器を使え」

 

 アントニオは静かにうなだれた。

 

 そのとき、ブリッジの扉が再び開き、艦長のヴァイスが入ってくる。

 

 背は高くないが姿勢はいつも真っ直ぐで、飾りのない制服のまま歩いてくるだけで、周囲の空気がきゅっと締まる。ジルは反射で背筋を伸ばし、手に持ったマグを視界から外す位置へ下げた。アントニオは、なぜか手を後ろに組む。

 

「艦長」

 

 ジルが報告する。

 

「当直班、交代済みです。白帯安定、白外に変化なし。……それと、ブリッジ内、飲料容器の規律も――」

 

 そこで言葉を切り、手元のマグを見た。

 

「……概ね、遵守されています」

「概ね、が気になりますけど」

 

 ミナトが小声で漏らし、アントニオが「俺のことだろ」とさらに小さく返す。

 

 ヴァイスはそのやり取りを横目に、ブリッジを一周見渡した。アークの銀色のボトル、セイナの小さなミルクティー、ダンのラベルのない缶。カエデの席の横には、まだ何もない。

 

 しばらく黙ったあと、ヴァイスは自分の手元へ視線を落とした。

 

 紙コップ。半分ほど残った薄いコーヒー。

 

 ジルと目が合う。

 

「艦長」

 

 注意とも問いともつかない声だった。

 

 ヴァイスは視線を少しそらし、近くのゴミ箱へ向かう。紙コップを音を立てないように捨てた。

 

「……続けろ」

 

 それだけ言い、メインコンソールへ歩いていく。

 

 短い沈黙のあと、ジルが小さく息を吐いた。

 

「……はい。各自、飲料容器の規律を再確認するように」

「艦長、自分で捨てましたよ?」

「だからこそ、他が油断するとバランスが取れない」

「理屈が分かるような分からないような……」

 

 ブリッジのあちこちで、フタ付きボトルのキャップが、そっともう一段しっかり閉められた。艦長が捨てた紙コップのことを、誰も口には出さなかった。

 

 

――次回、第27話「隊長は責任を、艦長は夜を歩く」へ続く

 

陸上戦艦グレイランスの資料:

https://kakuyomu.jp/works/822139840184157585/episodes/822139841142186980

 

 

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