灰の傭兵と光の園 〈RF各機、メカイラストあり〉 作:青羽 イオ
格納庫を出て上のフロアへ向かう途中、ヴァイスは足を止めた。
曲がり角の向こうから、子どもの笑い声が聞こえてくる。続いて、小さな足音と、「待って!」という声。
ヴァイスは少しだけ目を細め、声のする方へ歩いた。
*
居住区近くの廊下は、いつもより少しにぎやかだった。
床の誘導灯ラインが細く光り、その周りで子どもたちが隠れ場所を探している。物資庫の前にはコンテナがいくつか積まれていた。
「七ー」
「八ー」
「九ー」
物資庫の扉の前で、ポチが壁にもたれている。目にはタオルを巻き、両手を腰に当てて、わざとゆっくり数えていた。
「タクト、足音うるさい!」
「リノ、こっち空いてる!」
「線から出たら負けだぞー」
ポチの声に、子どもたちは慌てて誘導灯ラインの内側へ戻る。壁際、コンテナの影、折りたたみテーブルの下。どの隠れ場所も、ヴァイスから見ればだいたい見えていた。
リノは支柱の後ろに隠れているが、肩が出ている。
タクトはコンテナの陰に入ったつもりで、靴だけ丸見えだ。
サナはテーブルの下で丸くなっているが、髪の先が床に出ていた。
全員、実戦なら一秒で見つかる。
ヴァイスはそう思ったが、もちろん口には出さなかった。
「十ー。よし、捜索開始」
ポチがタオルを外す。
「線から出たら、今日のゼリーが一個減るぞ。ルールは守れよ」
「えー!」
文句は出るが、誰も線を踏み外さない。
ポチはわざと大きな足音で歩き出した。
「ふむ。ここには……誰もいないな」
リノのすぐ横を通る。肩が見えているのに、見えないふりをした。
「コンテナの後ろも……いない。靴だけ落ちてるな」
タクトが慌てて足を引っ込め、コンテナに頭をぶつけた。
「いって……」
「今の音、かなり怪しいな」
ポチはそう言いながらも、まだ捕まえない。
その時、支柱の影に隠れていた子どもが、ヴァイスと目を合わせた。
子どもは慌てて口に指を当てる。
見なかったことにしてほしい、という顔だった。
ヴァイスは一度だけうなずいた。
そして、わざと足音を大きくして反対側の廊下へ歩き出す。
ポチがこちらを向いた。
「おや、艦長」
その一瞬で、子どもは支柱の影からテーブルの下へ移動した。
ポチは軽く敬礼する。
「現在、遊戯任務中です。通路が少し騒がしく、申し訳ありません」
「任務を続けろ」
「了解。隠密目標の捜索を再開します」
ポチは何も見なかったように向き直り、タクトの後ろへ回った。
「では、この靴の持ち主を探すか」
「うわっ!」
肩をつかまれたタクトが飛び上がる。リノが手で口を押さえて笑った。
次にサナが見つかり、最後にリノが支柱の影から引き出される。
「どうして分かったの」
リノが目だけでそう聞く。
「支柱が一本多かった。リノくらいの大きさのやつがな」
「えー……」
全員が見つかると、子どもたちは物資庫の前へ並んだ。
「今回の勝者は、線から一歩も出なかったサナ」
「……べつに」
サナは小さく言ったが、少しだけ得意そうだった。
タクトとリノが「次は勝つ」と言い合い、また騒がしくなる。
ヴァイスは少し離れた場所から見ていた。
ポチは手を出しすぎない。だが、放りっぱなしにもしていない。子どもたちが守れる範囲のルールを作り、その中で遊ばせている。
よく付き合っている。
そう思った。
*
遊びが終わると、子どもたちは食堂の方へ戻っていった。足音と笑い声が、少しずつ遠ざかる。
廊下には、ポチだけが残った。壁にもたれて、軽く息を整えている。
「ポチ」
「はい、艦長」
ポチは姿勢を正した。
「遊戯任務、終了しました。本日のゼリーペナルティはゼロ名です。何か問題でも?」
少しだけ緊張した声だった。
ヴァイスは首を振った。
「いや。任務評価は良好だ」
「……良好、ですか」
「そうだ」
それだけ言って歩き出す。
ポチは一瞬きょとんとし、それから苦笑した。
「ありがとうございます。次回は隠密精度をもう少し上げます」
「ほどほどにしろ」
ヴァイスは振り返らずに言った。
背後で、ポチが小さく笑う気配がした。
*
当直の引き継ぎを終えたブリッジは、めずらしく静かだった。
外部モニターには白帯の列が映り、その外側に待機中のRFマーカーが並んでいる。アラームは鳴っていない。タグの動きも少ない。
ジルが端末を閉じた。
「白帯、変化なし。白外反応なし。補給車列も予定どおりです」
いつもの落ち着いた声だった。
そこへ、ブリッジの扉が勢いよく開いた。
「うーっす」
通信担当のアントニオが入ってくる。手には、湯気の立つマグカップがあった。
ジルの目が細くなる。
「アントニオ」
「はい」
「ブリッジは、フタ付き容器以外持ち込み禁止だと、先週言った」
「覚えてますって。これは安定感あるやつです」
アントニオは取っ手を軽く揺らして見せる。中のコーヒーが縁ぎりぎりで波打った。
「お前は前回、それをコンソールにこぼした」
「あれは艦が揺れたんです。俺じゃなくて艦のせいです」
「記録では、お前が椅子の脚に引っかかって転んだことになっている」
「ログって、たまに残酷ですよね」
「消さないからな」
即答だった。
その横を、戦術長のアークが銀色のボトルを持って通り過ぎる。
「俺のは合法だ。フタ付き、耐衝撃、軍備品。文句はないな」
「中身、何です?」
観測担当のミナトが首だけ向ける。
アークは一瞬だけ間を置いた。
「……茶だ」
「なんで今、間があったんですか」
「茶だと言っている」
「まあ、フタ付きならいい」
ジルはそう言って、アントニオのマグを見る。
「それは駄目だ」
「いやいや、ここに置くだけですって」
アントニオがサイドラックへマグを置いた、その時だった。
下層で重い機材でも動かしたのか、ブリッジの床がわずかに揺れた。マグの中身が小さく跳ねる。
ジルは無言で歩き、マグを持ち上げた。
「没収」
「待ってください! それ、今日一番の楽しみなんですけど!」
「今日一番の楽しみがコーヒーなら、明日も楽しめる」
「理屈が強引すぎる!」
その横で、センサー長のセイナが小さなボトルをそっと置いた。
「セイナさん、それは?」
「ミルクティー」
「かわいいですね」
ミナトが言うと、セイナは淡々と返した。
「糖分は必要。長時間監視では、低血糖の方が危険」
「言い訳が完璧だ」
「フタ付きだから規則上も問題ない」
さらに後ろで、プシュ、と缶を開ける音がした。
砲術担当のダンだった。
「ダンさん、それ何ですか」
避難区画オペレーターのカエデが、おそるおそる聞く。
「炭酸水だ」
「色、琥珀色に見えますけど」
「照明が悪い」
ダンは何もなかったように一口飲んだ。
「ジルさん、あっちも怪しいです!」
アントニオが抗議する。
ジルはマグを持ったまま、淡々と言う。
「これは没収。あとはあとで確認する」
「優先順位おかしくないですか!」
その時、ブリッジの扉がもう一度開いた。
ヴァイスが入ってくる。
空気が少しだけ締まった。ジルは背筋を伸ばし、手に持ったマグを自然に視界の外へ下げる。アントニオは、なぜか手を後ろに組んだ。
「艦長」
ジルが報告する。
「当直班、交代済みです。白帯は安定。白外にも変化ありません。それと、ブリッジ内の飲料容器規律も……概ね遵守されています」
「概ね?」
ヴァイスは短く聞いた。
ミナトが小声で言う。
「概ね、の中にアントニオさんがいます」
「聞こえてるぞ」
アントニオも小声で返す。
ヴァイスはブリッジを見渡した。
アークの銀色のボトル。セイナの小さなミルクティー。ダンのラベルのない缶。ジルの手元にある、没収されたマグ。
そして、自分の手元。
紙コップ。
半分ほど残った薄いコーヒー。
ジルと目が合った。
「艦長」
注意とも確認ともつかない声だった。
ヴァイスは何も言わず、近くのゴミ箱へ向かった。紙コップを静かに捨てる。
「……続けろ」
それだけ言って、メインコンソールへ歩いた。
短い沈黙のあと、ジルが小さく息を吐く。
「各自、飲料容器の規律を再確認するように」
「艦長、自分で捨てましたよ」
ミナトが言う。
「だからこそ、こちらが油断するわけにはいかない」
「分かるような、分からないような……」
アントニオはまだ自分のマグを見ている。
ブリッジのあちこちで、フタ付きボトルのキャップが、そっともう一段しっかり閉められた。
ヴァイスはメインモニターを見る。
白帯は静かで、外の灰も大きく乱れていない。
ジムでは筋肉勝負があり、居住区ではかくれんぼがあり、格納庫では整備員がパイロットを小突き、ブリッジではコーヒーが没収される。
報告書には書かれない。
だが、艦が生きているというのは、たぶんこういうことだった。