灰の傭兵と光の園 〈RF各機、メカイラストあり〉 作:青羽 イオ
ブリッジを出たあと、ヴァイスは廊下をゆっくり歩いていた。
当直、ジム、格納庫、居住区、食堂の近くまで一通り見た。艦は騒がしく、だが崩れてはいない。あとは自室へ戻るだけだった。
そう思ったところで、右手のドアの前で足が止まった。
簡易ブリーフィングルーム。
中から、押さえた声と端末を操作する音が漏れてくる。
「……ここだ。ヘルマーチが橋の縁を見た瞬間だ」
ヒロの声だった。
「この時点で、B3にVOLKを回すべきだった」
少し間があり、アキヒトが返す。
「その時は、まだ白帯を割る動きだと思ってただろ。B2にも問い合わせが来てた」
「言い訳に聞こえる」
「言い訳じゃない。今、ログを見ながらなら何でも言えるって話だ」
ヴァイスはドアの前で止まった。
ノックはしなかった。
中では戦闘ログを再生しているらしい。声の調子で分かる。これは報告ではなく、傷口をもう一度開いている会話だった。
「ヘルマーチが白帯じゃなく、橋脚を見た」
ヒロの声が少し荒くなる。
「あれを見て『高架を落とす気だ』と言ったのは、お前だ」
「言った。だけど、その場で全機をB3へ寄せたら、B2の白は外で丸裸になる」
「分かってる。分かってるから腹が立つんだ」
机を叩く音がした。
「俺はまだ、企業同士を撃ち合わせずに白を通すことばかり考えてた。先に脚を撃ち抜いてでも止める、そこまで踏み切れてない」
「先に撃てば、カルディアもグラウバッハも黙ってない。白帯の上で撃ち合いになれば、避難民がもたない」
「だが結果として、橋は落ちた」
沈黙が落ちる。
ヴァイスは取っ手に手をかけ、少しだけ押した。隙間から、室内が見えた。
大きなモニターには、白帯B3区画の映像が停止している。ちぎれた高架。途中で切れた白い導光ライン。画面の端には、避難民とラインガードの死傷検知ログが残っていた。
ヒロは腕を組んで立っている。アキヒトは端末の前に座り、別角度の映像を呼び出していた。
「配置から間違ってたのかもしれない」
ヒロが初期配置を出した。B2、B3、外縁のマーカーが並ぶ。
「最初からB3を厚くしていれば」
「その案が、最初のブリーフで通ったと思うか?」
アキヒトが遮った。
「『請負のRFは六機だけです。そのうち二機は橋の下を見ます』って条件で、あの輸送量を通せたか?」
「……通らない」
「だろ」
「でも、結果はこうだ」
ヒロはモニターを指した。
「橋の上に人が残った。封鎖命令も遅い。二発目を撃たれた時には、もう列を下げきれなかった」
「そこで『全員走れ』って言えば、今度は列が崩れる。欄干から落ちるやつも出る。高架を狙われてると分かっても、避難民に走れとは言えなかった」
「じゃあ、何を守った?」
ヒロの声が跳ねた。
「企業の面子か。白帯は安全だって看板か。結果はこれだ。避難民も、ラインガードも、まとめて落ちてる」
アキヒトは端末から手を離した。
「俺も分かってる」
その声は低かった。
「ヘルマーチの脚の沈み方を見た時、嫌な感じはあった。あれは橋を壊す動きだって、体の方が先に気づいてた」
「なら――」
「それでも、俺が口にしたのは『高架を落とす気だ』だけだ。『ヘルマーチを最優先目標にしろ』『B3へ回せ』とまで言い切らなかった」
ヒロが息を吐く。
「そこまで自分のせいにするな」
「お前がそれを言うのか」
アキヒトが顔を上げた。
「橋脚の前に誰を置くか決めたのは俺だ。B2から動かさなかったのも、封鎖命令のタイミングも、俺の判断だ。そう言うつもりだったんだろ」
ヒロは否定しなかった。
「ああ。最終判断は俺だ」
「楽な言い方だな」
椅子が軋む。アキヒトが立ち上がった。
「全部お前の責任にすれば、他のやつは仕方なかったで済む。俺も、黙ってた分を忘れられる」
「忘れさせる気はない」
ヒロの声は沈んでいた。
「だが、隊長が責任を逃げたら終わりだ」
「責任を背負うのと、一人で抱え込むのは違う」
アキヒトが一歩詰める。
「俺もそこにいた。お前の判断に乗った。止めなかった。なのに、お前だけが『俺の責任だ』なんて顔をするな」
ヒロは黙って見返した。
「だったら、お前も逃げるな。ヘルマーチの動きに気づいてたなら、その時に『止めろ』と言えなかった責任は、お前にもある」
「……あ?」
「ヘルマーチの歩き方で気づいてたなら、その場で『橋を狙ってる』と言い切れなかった責任は、お前が持て」
ヴァイスは、ドアの外で動かなかった。
アキヒトの手が伸び、ヒロの胸倉をつかむ。シャツの布がきしんだ。
「俺に背負えって言うなら、お前も勝手に一人で隊長面するな」
「隊長面じゃない。隊長だ」
ヒロは腕をつかんで止めた。振り払わない。逃げもしない。
「俺は『想定外でした』とは言わない。ヘルマーチが来たことも、橋に人が残ったことも、その先を読み切れなかったことも、全部、想定できたかもしれないこととして抱える」
「抱えすぎて折れたらどうする」
アキヒトの拳が震える。
「俺は、隊長が折れた隊を見てきた。何度もな」
「なら、折れないように支えろ」
ヒロはまっすぐ返した。
「俺から隊長を取り上げるな。間違えたら殴ってでも止めろ。その代わり、俺が責任を取る場所まで奪うな」
しばらく、二人はそのまま動かなかった。
やがて、アキヒトが手を離す。
「……最初からそう言え」
ヒロは乱れた胸元を直しながら、モニターへ視線を戻した。
「誰の白を守るのか。どこまでを自分たちの責任にするのか。それを決められない隊は、もう終わってる」
その横顔を見た時、ヴァイスの中で何かが引っかかった。
顔の角度。
声の低さ。
言葉を選びながら、それでも退かない目。
遠い昔、別の場所で聞いた声が、薄く重なった。
灰風中隊がまだ名前だけの部隊だったころ。白帯も、今ほど整っていなかったころ。
自分たちはもっと若く、もっと雑で、もっと簡単に正しさを信じていた。
その中に、同じような顔で「責任」という言葉を口にする男がいた。
ヴァイスはドアノブから手を離した。
今は入るべきではない。
これは、艦長が裁く話ではない。隊が自分たちの中で、どこまでを背負うか決める話だ。
中では、アキヒトが低く言った。
「もう一回、最初から見よう」
「見るのか」
「見る」
ヒロが少しだけ間を置き、うなずいた。
「分かった。B3の五分前から戻す」
ログが巻き戻る音がした。
ヴァイスは廊下を歩き出した。
背後で、また戦闘ログが再生される。誰かの叫び声、橋の軋む音、白帯の警告音。それらがドア越しに薄く漏れてくる。
ヴァイスは振り返らなかった。
責任を話せるうちは、まだ折れていない。
そう判断して、艦長は静かな廊下を進んだ。
*
艦内の照明は、夜の明るさに落ちていた。
廊下の端には細い誘導ラインだけが残り、床下からはエンジンの低い振動が伝わってくる。ヴァイスは最後の見回りとして、子ども区画の前まで来ていた。
ドアの向こうから、小さな寝息が聞こえる。
誰かが寝返りを打ったらしく、布のこすれる音がした。すぐに、また静かになる。
しばらく立っていると、ドアが内側からゆっくり開いた。
サキだった。
片手に点呼表を持ち、もう片方の手でドアを押さえている。中を一度だけ振り返り、そっと閉めてから、こちらに気づいた。
「……艦長」
「不便はないか」
ヴァイスは、廊下とドア、それからサキの手元の点呼表へ視線を移した。
「はい。大きな不便はありません」
サキはそう答えてから、少しだけ考える顔をした。
「強いて言えば……いびきが一番うるさいのは、ガンモさんです」
遠くの区画から、低い寝息のような音がかすかに届いた。
ヴァイスはほんの少しだけ口元を動かした。
「本人には言うな」
「言いません。たぶん」
「たぶん、か」
サキも小さく笑った。
その笑いはすぐに静まり、彼女は点呼表を胸の前で持ち直した。
「子どもたち、ここが家だって思えてきたみたいです」
ヴァイスは黙って続きを待つ。
「最初は、夜になると泣く子もいました。今でも、急に起きる子はいます。でも最近は、寝る前に『明日は何を食べるの』とか、『誰と一緒に歩くの』とか、そういう話をするんです」
サキはドアを振り返った。
「明日の話ができるようになったんだと思います」
ヴァイスの脳裏に、昔の宿営地が一瞬だけよぎった。
整備テントと武器庫。泥と灰。寝ている兵士の荒い息。あの頃の夜には、子どもの寝息などなかった。
「……そうか」
それだけ言ってから、少し間を置く。
「なら、この艦も悪くない」
「はい。私も、そう思います」
サキは何かを言いかけた。
「あの、艦長は……どうして、ここまで」
ヴァイスは片手を軽く上げた。
問いを止めるためではなく、自分が答えられないことを示すためだった。
「サキ」
「はい」
「子どもたちを頼む」
それだけ言う。
少し遅れて、言葉を足した。
「……いや、今のは命令ではないな」
サキはまっすぐうなずいた。
「分かっています。頼まれました」
「そうか」
「はい。ちゃんと見ます」
ヴァイスはそれ以上言わず、背を向けた。
廊下の先へ歩き出す。サキは、彼が角を曲がるまで見送っていた。
見えなくなってから、サキは子ども区画のドアにそっと手を置いた。
艦内には、かすかな振動と遠くのエンジン音が続いている。
その奥で、子どもたちは眠っていた。