灰の傭兵と光の園 〈RF各機、メカイラストあり〉 作:青羽 イオ
白帯への侵入はない。列は維持されている。避難列の歩調も崩れていない。
背後の回線から、そんな報告が入った。
アキヒトは送話キーに触れたまま、モニター表示を切り替えた。戦闘映像が縮小され、画面の一角に白帯の様子が映る。杭灯とパルスラインの点滅は一本に戻り、乱れていた灰の流れも、少しずつ前へ揃いはじめていた。
真ん中には、見慣れない服を着た子どもたちがいた。外側を大人たちが挟み込むようにして歩いている。先頭にいる若い女が、何度も列を振り返り、指先で数えていた。
「はち、きゅう、じゅう。よし、全員いるね」
声に震えはなかった。少なくとも、モニター越しにはそう見えた。
女は子どもたちを確認すると、また前を向いて歩き出した。子どもたちは隣の手を握り、白い道の上に小さな足を並べている。
その中に一人だけ、誰とも手を繋がずに歩く子どもがいた。両腕を胸の前で抱え、前だけを見ている。横では別の子どもが、隣の手を両手で握って離さないように歩いていた。
アキヒトはモニター越しにその列を追い、すぐに機体表示へ戻した。
主電七パーセント。冷却余裕七十八パーセント。マイクロミサイル残弾ゼロ。予備マガジン二本。
ぎりぎりだった。
あと一分長引けば、弾が尽きていた。跳躍個体が二・四メートル内側に落ちていれば、白帯を越えられていた。運の要素は否定できない。だが現場では、それも含めて結果でしかない。
アキヒトは周囲の反応をもう一度確認し、回線を開いた。
「周囲を二十分巡視する。異常がなければ帰投する」
すぐにノルンの声が返った。感情のない、機体管制用の合成音声だった。
「現状の主電と冷却では、二十分の巡視は推奨範囲外です」
「分かってる。それでも二十分だ」
操縦桿をわずかに倒し、ストレイ・カスタムの脚を灰の上へ踏み出す。
白い道はまだ光っていた。
その外側を、アキヒトは歩き続けた。
コクピットの中に、苦味が残っている。舌に張りついて、なかなか消えなかった。
*
同じころ、白帯の避難列の脇で、サキは遠ざかっていく機影を見送っていた。
夕方の灰の空を切って、護衛に残ったRFが三機、白い道の縁を回り込み、それぞれの持ち場へ戻っていく。足音が遠くなるたびに、胸の奥で張っていた糸が少しずつ緩んでいくような気がした。
けれど、完全には緩まなかった。
その外縁を、別の音が追い越していく。
低いエンジン音だった。テクニカルが数台、白帯の外を並んで走り抜ける。荷台には兵士たちが数名、灰をかぶったまま座っていた。銃口は横へ寝かされている。誰も大声を出さない。車列が通ったあと、灰が薄く舞い上がり、白帯の灯りが一瞬だけ曇った。
灯りはすぐに戻った。
サキは、それを見てからようやく息を吐いた。
灰が落ち着く前に、さらに端のほうで重い影が動いた。白帯の縁に寄せるようにして、旧式のRFが二機、瓦礫を掻き寄せて道の肩を作り直している。装甲のあちこちに古い傷があり、関節の動きも最新機ほど滑らかではない。それでも巨大な腕がゆっくりと動くたび、崩れた路肩が少しずつ形を取り戻していった。
少し離れた場所では、骨組みの一部が露出した作業用RFが体を低くし、土嚢と割れた板を押さえていた。作業灯の白が灰に散り、油圧の音だけが規則正しく続いている。
戦闘が終わっても、終わりではないのだと思った。
道を直す人がいる。外を見張る人がいる。子どもの数を数える人がいる。そういう小さな作業がいくつも重なって、ようやく列は前に進める。
サキは視線を戻し、子どもたちの歩幅を崩さない位置へ、もう一度だけ並びを寄せた。
歩き続けて、どれくらい経ったのか。時計は見られない。見たところで、たぶん意味はなかった。
前も後ろも、灰の中に消えている。ただ、足音が少しずつ重くなり、列の間隔がじりじり広がってきたのはわかった。小さい子が歩幅を縮める。後ろの子が黙ってふくらはぎをさする。靴底の薄い子は、足を出すたびに、路面をこする乾いた音を混ぜた。
「もう少しだけ。ね? ほら、あそこまで行ったら一回休めるって、さっき言われたでしょ」
言いながら、サキ自身も「あそこ」がどこなのか、本当には掴めていなかった。
地図はない。距離も時間も曖昧だ。白い帯だけが先へ伸びていて、その先に何があるのか、言葉で説明できるほど確かなものは何もない。
前の子がつまずきかけるたび、サキは背中にそっと手を添えた。
ここで止めてあげたい、と思う。
でも、止まったら動けなくなるかもしれない、とも思う。
そのふたつが胸の中でぶつかって、結局、口から出てくるのはいつも同じ言葉だった。
「ゆっくりでいいよ。前だけ見て」
子どもたちは頷く。頷く力も残っていない子は、ただ目だけを動かす。それでも歩いた。
しばらくして、灰の向こうに小さな灯りが揺れているのが見えた。
最初は見間違いかと思った。けれど次の瞬間、風に混じってスープとパンの匂いが届いた。途端に、口の中が乾いているのを思い出す。
白帯が少し広くなった場所に、炊き出しのテントがいくつも張られていた。簡易灯が吊るされ、布の屋根が灰でくすんでいる。通路脇の兵士が手を上げ、短く言った。
「休憩だ。寄れ」
素っ気ない声だった。
それなのに、その一言で足元が少し軽くなった。子どもたちの列にも、小さなざわめきが広がる。声というより、張り詰めていた息が少しだけほどける音だった。
配食係の若者が、紙の器を並べながら手を振った。
「子ども、先!」
列の大人たちが、反射のように道を空けた。小さい背中が前へ押し出され、紙椀が次々に渡されていく。
横に立っていた係は、ほとんど何も言わなかった。ただ、頷いて、指先で顎紐を示す。
ひとりが口元の布を上げかけた瞬間、すぐに手が伸びて、布が戻された。怒るでも叱るでもない。そうするのが当たり前の手つきだった。飲む子は顔を伏せ、器の縁を避けるようにしてスプーンを沈める。
湯気の白の中を、灰の粒が落ちてくる。
灯りがにじんで見えた。紙椀の表面に、点々と黒い粒が乗る。子どもたちはパンとスープを受け取り、熱で指先を震わせながらも、両手でしっかり椀を抱え込んだ。
「こぼさないようにね。顔、近づけすぎないで」
サキは一人ひとりの手元を見て、椀の縁を軽く押さえてやった。
そのとき、小さい子の手が震え、スープが縁からこぼれた。
「あ……」
落ちたスープは灰に吸われて、黒く広がった。
子どもの目が赤くなりかける。サキは反射的に自分の椀を差し出そうとした。
その前に、配食係の若者が動いた。
「大丈夫、大丈夫。ほら、もう一杯」
新しい椀が差し出された。
何でもないことのような声だった。けれど、その何でもなさがありがたかった。子どもは小さく頭を下げ、今度はこぼさないように、両手でゆっくりと受け取った。
スプーンを入れると、灰の粒が浮いた。サキは自分の紙椀を少しだけ傾け、粒を端へ寄せた。きれいに取り除けるわけではない。それでも、そのまま飲むよりはいい気がした。
「こっち、端に寄ろうか」
空きスペースへ子どもたちを移し、通路の端に座らせる。毛布を掛け直しながら、声を落として言った。
「熱いから気をつけて。ゆっくり食べようね」
ばらばらの「いただきます」が重なった。
小さなスプーンの音が、あちこちで鳴り始める。金属ではない、紙と樹脂の軽い音。それでも、その音は妙に人間らしかった。さっきまでの銃声や油圧の音とはまるで違う。誰かが何かを食べている音だった。
サキも自分の椀を両手で持ち上げた。
手のひらに熱がしみる。
「……いただきます」
スープを一口飲む。
塩気と温かさが広がった瞬間、目の奥が危うくなった。泣くほどのことではない。そう思ったのに、体の方が勝手にほどけようとする。慌てて顔を上げると、子どもたちは誰もこちらを見ていなかった。みんな、自分の椀に集中している。
二口目を飲み込む。
温かい。
その当たり前のことが、今は少し怖いくらいだった。
灰の向こうに、巨大な陸上戦艦の影がうっすら見えた。輪郭は曖昧で、ただ一部だけ、灯りが点いている。
あれがグレイランスなのだろう。
紙椀を持ったまま、サキはその影を見上げた。
(あそこに……今夜は入れるんだろうか)
入れたとして、眠れるのだろうか。子どもたちは泣くだろうか。泣いたら、ちゃんと泣かせてあげられるだろうか。
そんなことを考えながら、サキはもう一口、スープを飲んだ。
灰が混じっていた。
それでも、温かかった。
【あとがき】
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灰の傭兵と光の園 ─ 世界設定&メカ資料集(一部イラスト有) ─
https://kakuyomu.jp/works/822139840184157585