灰の傭兵と光の園 〈RF各機、メカイラストあり〉 作:青羽 イオ
通路の先に、重そうな扉が一枚だけ残っていた。
壁も天井もひびだらけなのに、その扉だけは妙にきれいだった。中央のパネルには警告サインの跡が残っているが、文字はかすれて読めない。
俺は足を止め、端末を確認した。
ノルンの声が耳に入る。
「この先が中枢区画と推定。共振パターンは現在が最大値です。アキヒト、心拍が上がっています」
「当然だ。開ける」
「注意を推奨します」
「いつも通りだろ」
俺は端末をパネルへ差し込み、解錠信号を送った。待つあいだ、指先に汗がにじむ。銃のグリップを握り直すと、小さく革が鳴った。
扉の奥で、錠が外れる音がいくつか重なった。
分厚い扉が横へ動き、冷たい空気が流れてくる。
中は広い円形ホールだった。
床は中央へ向かって少しずつ低くなっている。その中心に、巨大な装置が立っていた。束ねた円筒の柱が天井まで伸び、表面の溝を弱い光が上下に流れている。見ているだけで、頭の奥がざらついた。
「レゾナンスコアと思われます。完全停止はしていません。低レベルで稼働中」
周りには古いコンソールとデータポッドが並んでいた。ほとんどは死んでいるが、いくつかはまだ薄く光っている。ここが、ただの倉庫ではなかったことくらいは分かる。
その装置の前に、人影があった。
黒いロングコート。顔はガスマスクで覆われている。コアに片手を置いたまま、こちらに背を向けていた。
右腕の部隊章が見えた。
折れた翼の赤いマーク。
ヘルマーチ。
俺は反射で銃を上げた。照準が男の背中に合う。
ノルンが言う。
「中枢区画に生命反応一。武装の可能性があります」
男のコートの裾が少し揺れた。内側の金具が見える。ホルスターだ。
それでも男は振り向かなかった。
「遅かったな」
乾いた声だった。
だが、俺はその声を知っていた。
「〇三六。お前なら、もう少し早く来ると思っていた」
背中が冷えた。
声の高さも、言葉の切り方も、立ち方も覚えている。忘れたつもりだっただけだ。
「コンラート」
男がようやくこちらを向いた。
ガスマスクで表情は見えない。それでも、こいつが笑っているのは分かった。
「名前をもらったそうだな。アキヒト、だったか。悪くない名だ」
「俺を番号で呼ぶな」
「ここでは番号で足りる。お前を拾ったのも、番号を付けたのも俺だ」
銃口を下げる気はなかった。
コンラートは気にした様子もなく、コアから手を離した。
「元気そうで何よりだ。白帯の傭兵ごっこも、板についてきたらしい」
「ごっこで橋は守れない」
「守れていないだろ。B3の橋は落ちた」
崩れた橋。白帯の列。折れた桁。逃げ場を失った人間の声。
それらが、一度に頭へ戻ってきた。
「お前が落とした」
「ああ」
コンラートは即答した。
「依頼は、橋を使用不能にすることだった。俺はその通りにした」
「避難路だと知っていたな」
「知っていた」
「避難民がいた」
「いただろうな」
まるで天気の話でもするような声だった。
指が引き金にかかる。
「何人死んだと思ってる」
「数えていない。契約に人数はなかった」
ゴーシュなら、ここで怒鳴ったかもしれない。ヒロなら、もっと静かに詰めただろう。
俺はどちらもできなかった。
目の前の男は、死者の数を見ていない。橋が落ちたかどうかしか見ていない。そういう人間だと、俺は知っていたはずだった。
「白帯だぞ」
「だから何だ」
コンラートは一歩だけこちらへ向きを変えた。
「お前たちは白帯を守る契約を受けた。俺は橋を落とす契約を受けた。傭兵の仕事としては、どちらも同じだ」
「同じじゃない」
「違うと言いたいなら、金を払った相手を見ろ。企業も軍も、必要な場所に線を引いて、安全地帯だと呼ぶ。お前たちはその上で戦っているだけだ」
言葉は分かる。
だが、納得する気はなかった。
「そこに人がいる」
「どこにでもいる」
「逃げ道がなければ死ぬ人間だ」
「戦場では、逃げ道のある人間のほうが少ない」
コンラートの声は揺れない。
「〇三六。お前はまだ、人を守る仕事と、人を殺す仕事を別のものだと思っている。だが実際は違う。守るために殺す。通すために壊す。生かすために、どこかを切り捨てる。現場ではいつもそうだった」
否定したかった。
だが、完全には否定できない。
俺たちも撃ってきた。ドローンも、ミュータントも、人間の乗ったRFも止めてきた。白帯を守るために、別の何かを壊してきた。
それでも。
「だからって、橋ごと落としていい理由にはならない」
「理由はある。仕事だ」
短すぎる答えだった。
コンラートはホールの中央で足を止めた。俺との距離はまだある。撃てる距離だ。だが、こいつもそれを分かった上で立っている。
「この施設も同じだ。カルディアが欲しがり、グラウバッハが先に入り、今度はお前たちが来た。どいつも同じものを見ている。データ、技術、武器になるもの。口では正しそうなことを言っても、最後は持って帰れるものを探している」
「ヘルマーチもだろ」
「そうだ。隠さないだけ、まだましだ」
「まし?」
「俺たちは壊す。必要なら、白帯も企業も軍も壊す。壊さなければ、誰も現実を見ない」
コンラートはコアを振り返った。
「レゾナンスシティもそうだった。危険なものを作り、制御できなくなり、灰の下に押し込めた。誰も責任を取らない。欲しくなったら、また掘り返す。お前たちはその掘り返しに雇われた」
「だから全部壊すのか」
「そうだ」
迷いのない返事だった。
「安全だと思い込んでいるものを壊せば、人間はようやく自分の足で立つ。守られることに慣れた連中は、守るものが消えなければ動かない」
「避難民を巻き込んででもか」
「世界が変わる時は、いつも誰かが死ぬ」
「それを決めるのがお前か」
「決めているのは俺だけじゃない。企業も軍も、今までずっとそうしてきた。違いは、見える形でやるか、報告書の数字に隠すかだ」
コアの低い唸りが続いている。
頭の奥が重い。共振のせいか、こいつの声のせいか、分からなくなってくる。
ノルンが端末越しに言った。
「アキヒト、心拍上昇。呼吸が乱れています」
「黙ってろ」
「危険域ではありません。ただし、判断低下に注意」
「分かってる」
分かっている。
目の前にいるのは、昔の隊長だ。拾われ、番号を付けられ、戦い方を教え込まれた相手だ。そして、B3の橋を落とした男だ。
コンラートは、そこで声を少し低くした。
「戻ってこい、〇三六」
俺は答えなかった。
「ヘルマーチは再編する。企業も軍も、自分の持ち場を守るので手いっぱいだ。灰は広がり、ミュータントは増え、レゾナンスの残りかすがあちこちで目を覚ましている。白帯を守っているだけでは、いずれ全部押し潰される」
「だから壊す側に回れって?」
「お前はそちらの方が向いている。守るより、壊す方が速い。俺が一番知っている」
「ふざけるな」
声が少し低く出た。
「俺はお前の道具じゃない」
「道具ではない。兵士だ」
「違う」
「傭兵か。名前をもらって、帰る場所をもらって、少し変わったつもりか」
「変わった」
俺は言った。
自分でも意外なほど、はっきり声が出た。
「俺はもう〇三六じゃない」
コンラートはしばらく黙った。
マスクの奥の目は見えない。だが、笑っているようには思えなかった。
「そう思っているなら、撃てるはずだ」
コートの内側で、金属がわずかに動いた。
俺の銃口は、最初から胸に合っている。
コンラートの手は、まだホルスターの近くにある。
ホールの空気が冷える。
ノルンが小さく警告を出した。
「武装動作の可能性」
俺は引き金にかけた指へ力を戻した。
コンラートが静かに言う。
「選べ、アキヒト。戻るか。ここで俺を止めるか」
ホールの中心で、コアの光だけが上下に流れていた。
白帯はない。
味方もいない。
あるのは、銃口と、番号で呼ぶ男と、俺の名前だけだった。