灰の傭兵と光の園 〈RF各機、メカイラストあり〉   作:青羽 イオ

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第34話 線の外で試される脚

 アキヒトは言い切った。

 

「戻るつもりはない。俺はもう036じゃない。ここから先もそっち側には立たない」

 

 コンラートの動きが、ほんのわずか止まる。次の瞬間、間合いと視線の置き方だけが戦闘に切り替わった。

 

「そうか」

 

 礼儀正しく一歩だけ詰める。

 

「なら確認しよう」

 

「何をだよ」

 

「お前の脚が、どこに立つつもりなのかをだ」

 

 視線が落ち、下げていた拳銃の銃口がゆっくり上がる。アキヒトもグリップを握り直し、引き金にかけた指へ力を乗せた。

 

〈ノルン〉『アキヒト』

 

 警告を聞き切る前に、二人の指がほとんど同時に動いた。

 

 短い銃声が重なる。アキヒトの弾は床を叩いて火花を散らし、同時にコンラートの一発が“銃だけ”を殺す角度で噛む。手首に鈍い衝撃。銃が跳ね上がり、指から抜けて床を滑った。

 

「っ!」

 

〈ノルン〉『右手甲に打撲。骨折なし。弾道は"銃だけ"を狙っている。殺傷意図なしと推定』

 

(最初から俺を殺すつもりじゃない!)

 

 考えるより先に、腰のナイフを抜く。刃を握り直し、懐へ飛び込む。

 

 コンラートは銃を下げ、反対の手でナイフを抜いた。腰の反対側に細身の短刃がもう一本、鞘に収まったままだ。

 

 刃と刃が噛み、乾いた金属音が走る。

 

「右に逃げるとき、肩が先に動く。だから読まれる。何度言った?」

 

 訓練場と同じ声。アキヒトの刃は受け止められ、押せば流され、引けば空を切る。

 

 切っ先を下からすくい上げた瞬間、コンラートは最小限の力で絡め取って上へ逃がし、手首へ軽く打ち込んだ。指先の感覚が鈍る。

 

「足の幅。前に出るとき、広げすぎだ。踏ん張る前に重心が止まる」

 

 突きを流し、距離を殺し、刃を頬に滑らせる。薄い痛みが遅れて走った。

 

〈ノルン〉『切創。浅い。視界への影響は軽微』

 

(ふざけるな)

 

 息が荒くなる。こちらが必死でも、コンラートの呼吸は乱れない。

 

「036。まだ名前を守るほどの腕じゃないぞ」

 

「うるさい!」

 

 踏み込んだ、そのとき。

 

 ホール入口側から別の足音が割り込む。

 

「そこまでだ!」

 

 短い声。続けて乾いた銃声。弾丸がコンラートの頭部をかすめ、ガスマスクの端が弾け飛んだ。

 

 片側のレンズが砕け、マスクが半分めくれる。露出した頬に古い火傷痕。深い皺。片方の眼だけが静かにこちらを睨む。

 

「武器を捨てろ! 武装解除に応じない場合は――」

 

 ヒロの声が途中で切れた。崩れたマスクの向こうを見た瞬間、顔から血の気が引く。

 

「なっ」

 

 銃を構えたまま、ほんの一瞬だけ固まる。

 

 コンラートはその一瞬を逃さない。手のナイフを反射的に投げ、ヒロの銃ではなく握り込んだ手首を打った。

 

「っ――!」

 

 金属音。銃が弾き飛ばされ床を滑る。コンラートは一歩で踏み込み、転がった銃を靴底で押さえた。

 

 マスクの残った半分越しに、初めてヒロをまっすぐ見る。

 

「ヒロか」

 

 呼ぶ声は思ったより静かだった。

 

 ヒロも、その一言で理解してしまう。言葉が詰まり、視線だけが動けない。

 

(親父――)

 

「なんで……」

 

 絞り出すような声。

 

「なんでここにいる」

 

 ヘルマーチの紋章。見覚えのある顔。子どもの頃に見上げた背中の角度。

 

「なんでここにいる。コンラート・ヴェルナー!」

 

 吐き出した瞬間、ヒロは奥歯を噛み締めた。

 

 コンラートは少しだけ目を細める。

 

「ヴェルナー、か。懐かしい名前も悪くない」

 

「話してる場合かよ!」

 

 アキヒトが叫び、間合いを詰め直す。ヒロも床の銃へ伸ばしかけ、踏まれているのに気づいて止まった。咄嗟に腰のナイフを抜く。

 

「036。そっちの坊やもなかなかいい脚をしている」

 

 コンラートは踏んでいた銃を靴先で遠くへ蹴り出した。銃は滑っていき、手の届かない場所で止まる。

 

「二人まとめて見てやる。どちらの脚がどの線に立つのか」

 

 そこからは言葉より動きが早い。

 

 アキヒトが右から斬り込み、ヒロが左から打ち込む。コンラートは二人に背中を見せない。常に斜め、常に中心を取る。

 

 アキヒトの刃は手首ぎりぎりで捌かれ、ヒロのナイフは肘で押し返される。足払いでヒロの体勢を崩しながら、同時にアキヒトの踏み込み足を軽く蹴った。

 

「ヒロ、脚を固めすぎだ。立っている場所を守ろうとして身体が止まる。止まった脚はすぐ読まれる」

 

「黙れ!」

 

 ヒロは崩れかけた体勢のまま、ナイフを諦めて拳で殴りにいく。

 

 コンラートは腕で軽く受け、力をずらした。拳が空を切り、代わりに膝がヒロの脇腹へ入る。

 

「がっ――!」

 

 息が押し出され、ヒロの身体が横に流れて膝をつく。

 

 その隙にアキヒトが刃を走らせた。コートの裾がわずかに裂ける。血は出ないが、手応えはあった。

 

(いける)

 

 次の瞬間、現実が叩き返す。

 

「036。お前も昔から変わっていない」

 

 コンラートはアキヒトの腕を絡め取り、わざと少しだけ止めた。止まった瞬間を狙い、手元に残したほうの刃で肩口を切り上げる。

 

「ッ――!」

 

 焼けるような痛み。肩から脇腹へ、浅いが長い線が走り血がにじむ。

 

〈ノルン〉『出血量、許容範囲ぎりぎり。これ以上の踏み込みは筋断裂と大量出血の危険』

 

「左に逃げるとき視線が先に動く。そこで全部読まれる」

 

「教え方が悪かったんだろ!」

 

 吐き捨てて前に出ようとし、一歩で傷口が開くのが分かって止まる。

 

 ヒロも立ち上がろうとして膝が笑った。さっきの一撃が芯に入っている。

 

 コンラートは二人を見下ろす位置に立つ。いつでも刺せる距離なのに、刃先は二人から少し外れた床を向いていた。

 

「戻れ」

 

 またその言葉。

 

「名前を捨てろ。白帯の上で足を止めるより、俺の下で脚を使え」

 

「ふざけるな!」

 

 先に叫んだのはヒロだった。

 

「俺が命懸けで守ってる白帯を、お前は平気で折った。そのうえ俺の隊員まで番号で呼びやがった!」

 

 コンラートが、まっすぐヒロの名を呼ぶ。

 

「ヒロ。白帯の上でしか世界を見ないなら、お前は一生このままだ」

 

 ヒロの顔が歪む。

 

「外側から全部を見ようとしなければ、何も変えられない。安全地帯にしがみついている限り、この世界は誰かが勝手に引いた線のままだ」

 

「俺はそれでも構わない」

 

 ヒロは息を切らしながら言い返す。

 

「線の内側でしか生きられない奴らが山ほどいる。あいつらにとっちゃ白帯が世界の全部なんだ」

 

 コンラートの目が冷える。

 

「甘い」

 

 短い一言で距離が潰れた。

 

 アキヒトが割り込もうとしたが足を払われ、崩れたところへ柄で脇腹を打たれる。

 

「ぐっ!」

 

 身体が勝手に丸くなる。

 

 ヒロも正面から迎え撃つが、ナイフも拳も見切られる。踵が膝の横へ入った。骨まではいかない、だが立てない場所だ。ヒロの膝が抜け、床に崩れ落ちる。

 

 手をつこうとした瞬間、後頭部の横を打たれた。視界が一瞬白く弾ける。

 

〈ノルン〉『アキヒト、補足。ヒロの頭部への衝撃は中程度。脳震盪の危険』

 

 気づけば二人とも床に倒れ込んでいた。ホールの中心を挟んで互い違い。立ち上がろうとしても身体が言うことをきかない。

 

 コンラートは静かに一歩下がり、刃についた血をコートの裾で拭った。

 

「036」

 

 アキヒトを見下ろして淡々と言う。

 

「今はまだアキヒトという名前に縛られていろ。いつか自分で選べ」

 

 罵りでも慰めでもない、事実を並べる声だった。

 

 視線がヒロへ移る。

 

「ヒロ。白帯の上に立つのは勝手だ。だがそれだけが世界だと思うな」

 

 ヒロは睨み返すことしかできない。痛みと悔しさで声が鳴るだけだ。

 

「そのうちどちらが正しいか、嫌でも分かる」

 

 コンラートは踵を返し、レゾナンスコアのコンソールへ手を伸ばした。

 

〈ノルン〉『アキヒト。待て。操作入力――』

 

 言い終わる前に、ホール全体が低く唸る。足元から細かな振動が伝わり、コアを走っていた光が一気に明るくなる。視界が白く飛び、金属が軋む音と遠いノイズが重なった。身体の感覚がふっと抜ける。

 

〈ノルン〉『局所的共振。視覚と聴覚が一時的に――』

 

 ノルンの声も途中で途切れた。

 

 どれくらい経ったのか分からない。まぶたを無理やり開けると、コアの光は元の弱さに戻っていた。

 

 ホールの中にコンラートの姿はない。床には二人の血と戦闘の跡だけが残り、黒い靴跡が脇の別ルートへ続いている。扉が半開きだった。

 

 耳鳴りが抜けない。身体を動かすたび、骨の内側が揺れるような違和感が走る。

 

〈ノルン〉『接続復旧。アキヒト。生体反応2。いずれもぎりぎり安定。応急処置を優先しろ』

 

「逃がしたか」

 

 アキヒトは天井を見上げたまま息を吐き、動かそうとして身体が追いつかないのを悟る。

 

 白帯も導光ラインもない場所で、三人が顔を合わせた最初の瞬間は、あまりにも一方的な終わり方をした。

 

 

――次回、第35話「036だった頃のこと」へ続く

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