灰の傭兵と光の園 〈RF各機、メカイラストあり〉   作:青羽 イオ

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第33話 番号と名前のあいだで

 通路の先に、重そうな扉が一枚だけ残っていた。

 

 壁も天井もひびだらけなのに、その扉だけは妙にきれいだった。中央のパネルには警告サインの跡が残っているが、文字はかすれて読めない。

 

 俺は足を止め、端末を確認した。

 

 ノルンの声が耳に入る。

 

「この先が中枢区画と推定。共振パターンは現在が最大値です。アキヒト、心拍が上がっています」

 

「当然だ。開ける」

 

「注意を推奨します」

 

「いつも通りだろ」

 

 俺は端末をパネルへ差し込み、解錠信号を送った。待つあいだ、指先に汗がにじむ。銃のグリップを握り直すと、小さく革が鳴った。

 

 扉の奥で、錠が外れる音がいくつか重なった。

 

 分厚い扉が横へ動き、冷たい空気が流れてくる。

 

 中は広い円形ホールだった。

 

 床は中央へ向かって少しずつ低くなっている。その中心に、巨大な装置が立っていた。束ねた円筒の柱が天井まで伸び、表面の溝を弱い光が上下に流れている。見ているだけで、頭の奥がざらついた。

 

「レゾナンスコアと思われます。完全停止はしていません。低レベルで稼働中」

 

 周りには古いコンソールとデータポッドが並んでいた。ほとんどは死んでいるが、いくつかはまだ薄く光っている。ここが、ただの倉庫ではなかったことくらいは分かる。

 

 その装置の前に、人影があった。

 

 黒いロングコート。顔はガスマスクで覆われている。コアに片手を置いたまま、こちらに背を向けていた。

 

 右腕の部隊章が見えた。

 

 折れた翼の赤いマーク。

 

 ヘルマーチ。

 

 俺は反射で銃を上げた。照準が男の背中に合う。

 

 ノルンが言う。

 

「中枢区画に生命反応一。武装の可能性があります」

 

 男のコートの裾が少し揺れた。内側の金具が見える。ホルスターだ。

 

 それでも男は振り向かなかった。

 

「遅かったな」

 

 乾いた声だった。

 

 だが、俺はその声を知っていた。

 

「〇三六。お前なら、もう少し早く来ると思っていた」

 

 背中が冷えた。

 

 声の高さも、言葉の切り方も、立ち方も覚えている。忘れたつもりだっただけだ。

 

「コンラート」

 

 男がようやくこちらを向いた。

 

 ガスマスクで表情は見えない。それでも、こいつが笑っているのは分かった。

 

「名前をもらったそうだな。アキヒト、だったか。悪くない名だ」

 

「俺を番号で呼ぶな」

 

「ここでは番号で足りる。お前を拾ったのも、番号を付けたのも俺だ」

 

 銃口を下げる気はなかった。

 

 コンラートは気にした様子もなく、コアから手を離した。

 

「元気そうで何よりだ。白帯の傭兵ごっこも、板についてきたらしい」

 

「ごっこで橋は守れない」

 

「守れていないだろ。B3の橋は落ちた」

 

 崩れた橋。白帯の列。折れた桁。逃げ場を失った人間の声。

 

 それらが、一度に頭へ戻ってきた。

 

「お前が落とした」

 

「ああ」

 

 コンラートは即答した。

 

「依頼は、橋を使用不能にすることだった。俺はその通りにした」

 

「避難路だと知っていたな」

 

「知っていた」

 

「避難民がいた」

 

「いただろうな」

 

 まるで天気の話でもするような声だった。

 

 指が引き金にかかる。

 

「何人死んだと思ってる」

 

「数えていない。契約に人数はなかった」

 

 ゴーシュなら、ここで怒鳴ったかもしれない。ヒロなら、もっと静かに詰めただろう。

 

 俺はどちらもできなかった。

 

 目の前の男は、死者の数を見ていない。橋が落ちたかどうかしか見ていない。そういう人間だと、俺は知っていたはずだった。

 

「白帯だぞ」

 

「だから何だ」

 

 コンラートは一歩だけこちらへ向きを変えた。

 

「お前たちは白帯を守る契約を受けた。俺は橋を落とす契約を受けた。傭兵の仕事としては、どちらも同じだ」

 

「同じじゃない」

 

「違うと言いたいなら、金を払った相手を見ろ。企業も軍も、必要な場所に線を引いて、安全地帯だと呼ぶ。お前たちはその上で戦っているだけだ」

 

 言葉は分かる。

 

 だが、納得する気はなかった。

 

「そこに人がいる」

 

「どこにでもいる」

 

「逃げ道がなければ死ぬ人間だ」

 

「戦場では、逃げ道のある人間のほうが少ない」

 

 コンラートの声は揺れない。

 

「〇三六。お前はまだ、人を守る仕事と、人を殺す仕事を別のものだと思っている。だが実際は違う。守るために殺す。通すために壊す。生かすために、どこかを切り捨てる。現場ではいつもそうだった」

 

 否定したかった。

 

 だが、完全には否定できない。

 

 俺たちも撃ってきた。ドローンも、ミュータントも、人間の乗ったRFも止めてきた。白帯を守るために、別の何かを壊してきた。

 

 それでも。

 

「だからって、橋ごと落としていい理由にはならない」

 

「理由はある。仕事だ」

 

 短すぎる答えだった。

 

 コンラートはホールの中央で足を止めた。俺との距離はまだある。撃てる距離だ。だが、こいつもそれを分かった上で立っている。

 

「この施設も同じだ。カルディアが欲しがり、グラウバッハが先に入り、今度はお前たちが来た。どいつも同じものを見ている。データ、技術、武器になるもの。口では正しそうなことを言っても、最後は持って帰れるものを探している」

 

「ヘルマーチもだろ」

 

「そうだ。隠さないだけ、まだましだ」

 

「まし?」

 

「俺たちは壊す。必要なら、白帯も企業も軍も壊す。壊さなければ、誰も現実を見ない」

 

 コンラートはコアを振り返った。

 

「レゾナンスシティもそうだった。危険なものを作り、制御できなくなり、灰の下に押し込めた。誰も責任を取らない。欲しくなったら、また掘り返す。お前たちはその掘り返しに雇われた」

 

「だから全部壊すのか」

 

「そうだ」

 

 迷いのない返事だった。

 

「安全だと思い込んでいるものを壊せば、人間はようやく自分の足で立つ。守られることに慣れた連中は、守るものが消えなければ動かない」

 

「避難民を巻き込んででもか」

 

「世界が変わる時は、いつも誰かが死ぬ」

 

「それを決めるのがお前か」

 

「決めているのは俺だけじゃない。企業も軍も、今までずっとそうしてきた。違いは、見える形でやるか、報告書の数字に隠すかだ」

 

 コアの低い唸りが続いている。

 

 頭の奥が重い。共振のせいか、こいつの声のせいか、分からなくなってくる。

 

 ノルンが端末越しに言った。

 

「アキヒト、心拍上昇。呼吸が乱れています」

 

「黙ってろ」

 

「危険域ではありません。ただし、判断低下に注意」

 

「分かってる」

 

 分かっている。

 

 目の前にいるのは、昔の隊長だ。拾われ、番号を付けられ、戦い方を教え込まれた相手だ。そして、B3の橋を落とした男だ。

 

 コンラートは、そこで声を少し低くした。

 

「戻ってこい、〇三六」

 

 俺は答えなかった。

 

「ヘルマーチは再編する。企業も軍も、自分の持ち場を守るので手いっぱいだ。灰は広がり、ミュータントは増え、レゾナンスの残りかすがあちこちで目を覚ましている。白帯を守っているだけでは、いずれ全部押し潰される」

 

「だから壊す側に回れって?」

 

「お前はそちらの方が向いている。守るより、壊す方が速い。俺が一番知っている」

 

「ふざけるな」

 

 声が少し低く出た。

 

「俺はお前の道具じゃない」

 

「道具ではない。兵士だ」

 

「違う」

 

「傭兵か。名前をもらって、帰る場所をもらって、少し変わったつもりか」

 

「変わった」

 

 俺は言った。

 

 自分でも意外なほど、はっきり声が出た。

 

「俺はもう〇三六じゃない」

 

 コンラートはしばらく黙った。

 

 マスクの奥の目は見えない。だが、笑っているようには思えなかった。

 

「そう思っているなら、撃てるはずだ」

 

 コートの内側で、金属がわずかに動いた。

 

 俺の銃口は、最初から胸に合っている。

 

 コンラートの手は、まだホルスターの近くにある。

 

 ホールの空気が冷える。

 

 ノルンが小さく警告を出した。

 

「武装動作の可能性」

 

 俺は引き金にかけた指へ力を戻した。

 

 コンラートが静かに言う。

 

「選べ、アキヒト。戻るか。ここで俺を止めるか」

 

 ホールの中心で、コアの光だけが上下に流れていた。

 

 白帯はない。

 

 味方もいない。

 

 あるのは、銃口と、番号で呼ぶ男と、俺の名前だけだった。

 

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