灰の傭兵と光の園 〈RF各機、メカイラストあり〉   作:青羽 イオ

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第34話 線の外で試される脚

 俺は銃口を下げなかった。

 

「戻るつもりはない。俺はもう〇三六じゃない。ここから先も、そっちには行かない」

 

 コンラートの動きが、ほんの少し止まった。

 

 次の瞬間、空気が変わる。さっきまで会話をしていた男が、ただの敵になる。立ち方も、視線も、肩の力の抜き方も、全部が戦闘用に切り替わった。

 

「そうか」

 

 コンラートは静かに言った。

 

「なら、確かめよう」

 

「何をだよ」

 

「お前が、どこまでその名前で動けるかだ」

 

 下がっていた拳銃の銃口が、ゆっくり上がる。

 

 俺もグリップを握り直した。引き金にかけた指へ、少しずつ力を乗せる。

 

 ノルンの声が端末から入る。

 

「アキヒト、武装動作――」

 

 最後まで聞く前に、俺とコンラートはほとんど同時に撃った。

 

 銃声が重なる。

 

 俺の弾は床を叩き、火花を散らした。コンラートの弾は、俺の手ではなく銃だけを撃った。右手に鈍い衝撃が走り、銃が指から抜けて床を滑る。

 

「っ……!」

 

「右手甲に打撲。骨折なし。相手の弾道は、武器だけを狙っています」

 

 殺す気はない。

 

 最初から、俺を試すつもりだ。

 

 考えるより先に、腰のナイフを抜いた。銃を拾う時間はない。俺は床を蹴り、コンラートの懐へ入る。

 

 コンラートも拳銃を下げ、反対の手でナイフを抜いた。

 

 刃がぶつかる。

 

 乾いた金属音がホールに響いた。

 

「右へ逃げる時、肩が先に動く。だから読まれる。何度言った?」

 

 昔と同じ声だった。

 

 訓練場で何度も聞いた声。怒鳴るわけでもなく、褒めるわけでもなく、ただ直すべきところだけを告げる声。

 

 俺は刃を押し込むが、力を流される。引けば空を切る。下からすくい上げても、軽く受けられて手首へ打ち返された。

 

 指先の感覚が鈍る。

 

「足の幅が広い。前へ出る前に重心が止まる」

 

 コンラートの刃が頬をかすめた。

 

 熱い痛みが遅れて走る。

 

「切創。浅い。視界への影響は軽微」

 

「うるさい」

 

 息が荒くなる。

 

 こちらは必死なのに、コンラートの呼吸は乱れていない。俺の動きは全部知っている。知っている上で、殺さない場所だけを選んでいる。

 

「〇三六。まだ名前を守れる腕じゃないぞ」

 

「その呼び方をやめろ!」

 

 踏み込もうとした、その時だった。

 

 ホールの入口側から、足音が割り込んだ。

 

「そこまでだ!」

 

 ヒロの声。

 

 続けて銃声が鳴る。弾丸がコンラートの頭部をかすめ、ガスマスクの端を弾き飛ばした。

 

 片側のレンズが割れ、マスクの一部がめくれる。

 

 露出した頬には古い火傷痕があり、深い皺の奥に片方の目が見えた。

 

「武器を捨てろ。抵抗するなら――」

 

 ヒロの声がそこで止まった。

 

 コンラートの顔を見た瞬間、銃を構えたまま固まる。

 

「……なんで」

 

 ヒロの声が、掠れた。

 

 コンラートはそのわずかな隙を逃さなかった。手にしたナイフを投げる。狙ったのはヒロの胸ではなく、銃を握る手首だった。

 

 金属音がして、ヒロの銃が床を滑る。

 

 コンラートは一歩で距離を詰め、転がった銃を靴底で押さえた。

 

 残ったマスク越しに、初めてヒロを正面から見る。

 

「ヒロか」

 

 声は思ったより静かだった。

 

 その一言で、ヒロは理解してしまったようだった。

 

「なんでここにいる」

 

 ヒロの息が荒くなる。

 

「なんで、ここにいる。コンラート・ヴェルナー」

 

 ヴェルナー。

 

 その名前を聞いた瞬間、俺の中でいくつかのことがつながった。

 

 ヒロの父親。

 

 B3の橋を落とした男。

 

 俺を〇三六と呼ぶ、かつての隊長。

 

 コンラートは少しだけ目を細めた。

 

「ヴェルナーか。懐かしい名前だ」

 

「話してる場合かよ!」

 

 俺は叫び、もう一度間合いを詰める。

 

 ヒロも床の銃へ手を伸ばしかけたが、踏まれているのを見て止めた。すぐに腰のナイフを抜く。

 

「二人で来るか」

 

 コンラートは踏んでいた銃を蹴り飛ばした。銃は床を滑り、手の届かないところで止まる。

 

「いい。まとめて見てやる」

 

 そこから先は、言葉より動きが速かった。

 

 俺が右から斬り込み、ヒロが左から入る。コンラートは背中を見せない。常に斜めに立ち、俺たち二人を同時に見ている。

 

 俺の刃は手首の前で弾かれ、ヒロのナイフは肘で押し返される。コンラートはヒロの足を払いつつ、同時に俺の踏み込み足を軽く蹴った。

 

 ほんの少し姿勢が崩れる。

 

 そこを叩かれる。

 

「ヒロ、脚を固めすぎだ。立つ場所を守ろうとして身体が止まっている」

 

「黙れ!」

 

 ヒロは体勢を崩しながら、ナイフを捨てるようにして拳で殴りにいった。

 

 コンラートは腕で受け、力の向きをずらした。拳は空を切り、代わりに膝がヒロの脇腹へ入る。

 

「がっ……!」

 

 ヒロの身体が横へ流れ、膝をつく。

 

 その隙に俺は刃を走らせた。コートの裾が裂れる。血は出ないが、少しだけ手応えがあった。

 

 いける。

 

 そう思った瞬間、腕を絡め取られた。

 

「〇三六。お前も昔から変わっていない」

 

 コンラートは俺の動きを止め、残った刃で肩口を切り上げた。

 

「ッ……!」

 

 肩から脇腹へ、浅く長い痛みが走る。熱が広がり、スーツの内側に血がにじむのが分かった。

 

「出血量、許容範囲ぎりぎり。これ以上の強い踏み込みは危険です」

 

「左に逃げる時、視線が先に動く。そこで読まれる」

 

「教え方が悪かったんだろ!」

 

 言い返して前に出ようとしたが、傷が開く感覚があり、足が止まった。

 

 ヒロも立ち上がろうとしているが、脇腹の一撃が効いている。呼吸が乱れ、膝に力が入っていない。

 

 コンラートは、俺たち二人を見下ろせる位置に立っていた。いつでも刺せる距離なのに、刃先は俺たちから少し外れている。

 

「戻れ」

 

 また、その言葉だった。

 

「名前を捨てろ。白帯にしがみつくより、俺の下で動け」

 

「ふざけるな!」

 

 叫んだのはヒロだった。

 

「俺が守ってる白帯を、お前は平気で折った。そのうえ俺の隊員まで番号で呼びやがった!」

 

 コンラートはヒロを見た。

 

「ヒロ。白帯の上からしか世界を見ないなら、お前は一生そのままだ」

 

「それでも構わない」

 

 ヒロは息を切らしながら言い返した。

 

「白帯の上でしか生きられない奴らがいる。あいつらには、そこが最後の道なんだ」

 

「甘い」

 

 短い一言と同時に、コンラートが動いた。

 

 俺が割り込もうとしたが、足を払われ、崩れたところへ柄で脇腹を打たれた。

 

「ぐっ……!」

 

 身体が勝手に丸くなる。

 

 ヒロも正面から迎え撃つが、ナイフも拳も届かない。踵が膝の横へ入り、ヒロの足が崩れた。床へ落ちる寸前、後頭部の横を打たれ、ヒロの視線が飛ぶ。

 

「アキヒト、ヒロに中程度の頭部衝撃。脳震盪の危険があります」

 

 気づけば、俺たちは二人とも床に倒れていた。

 

 立とうとしても、身体が遅れる。手をついても、力が入らない。

 

 コンラートは一歩下がり、刃についた血をコートの裾で拭った。

 

「〇三六」

 

 俺を見下ろして言う。

 

「今はまだ、アキヒトという名前に縛られていろ。いつか自分で選べ」

 

 返事をしようとしたが、喉から音が出なかった。

 

 コンラートの視線がヒロへ移る。

 

「ヒロ。白帯の上に立つのは勝手だ。だが、それだけが世界だと思うな」

 

 ヒロは睨み返すだけで精一杯だった。

 

「そのうち、嫌でも分かる」

 

 コンラートはレゾナンスコアのコンソールへ歩いた。

 

 ノルンが警告する。

 

「アキヒト。操作入力を確認。待ってください」

 

 コンラートの手が端末に触れる。

 

 ホール全体が低く唸った。足元から細かな振動が上がり、コアを走る光が一気に強くなる。

 

 視界が白く飛んだ。

 

 金属が軋む音と、遠いノイズが重なる。身体の感覚が一瞬抜けて、床にいるのか浮いているのか分からなくなった。

 

「局所的共振。視覚と聴覚が一時的に――」

 

 ノルンの声もそこで途切れた。

 

 どれくらい経ったのか分からない。

 

 まぶたをこじ開けると、コアの光は元の弱さに戻っていた。ホールの中にコンラートの姿はない。

 

 床には、俺とヒロの血と、戦闘の跡だけが残っていた。

 

 黒い靴跡が、脇の別ルートへ続いている。そこの扉が半分開いていた。

 

 耳鳴りが消えない。

 

 身体を動かすたび、骨の内側が揺れるような違和感が走った。

 

 ノルンの声が戻る。

 

「接続復旧。アキヒト、生体反応二。どちらも危険域手前で安定。応急処置を優先してください」

 

「逃がしたか」

 

 俺は天井を見上げたまま息を吐いた。

 

 動こうとしても、身体がついてこない。

 

 白帯も導光もない場所で、俺とヒロはコンラートに会った。

 

 そして、何もできずに負けた。

 

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