灰の傭兵と光の園 〈RF各機、メカイラストあり〉 作:青羽 イオ
俺は銃口を下げなかった。
「戻るつもりはない。俺はもう〇三六じゃない。ここから先も、そっちには行かない」
コンラートの動きが、ほんの少し止まった。
次の瞬間、空気が変わる。さっきまで会話をしていた男が、ただの敵になる。立ち方も、視線も、肩の力の抜き方も、全部が戦闘用に切り替わった。
「そうか」
コンラートは静かに言った。
「なら、確かめよう」
「何をだよ」
「お前が、どこまでその名前で動けるかだ」
下がっていた拳銃の銃口が、ゆっくり上がる。
俺もグリップを握り直した。引き金にかけた指へ、少しずつ力を乗せる。
ノルンの声が端末から入る。
「アキヒト、武装動作――」
最後まで聞く前に、俺とコンラートはほとんど同時に撃った。
銃声が重なる。
俺の弾は床を叩き、火花を散らした。コンラートの弾は、俺の手ではなく銃だけを撃った。右手に鈍い衝撃が走り、銃が指から抜けて床を滑る。
「っ……!」
「右手甲に打撲。骨折なし。相手の弾道は、武器だけを狙っています」
殺す気はない。
最初から、俺を試すつもりだ。
考えるより先に、腰のナイフを抜いた。銃を拾う時間はない。俺は床を蹴り、コンラートの懐へ入る。
コンラートも拳銃を下げ、反対の手でナイフを抜いた。
刃がぶつかる。
乾いた金属音がホールに響いた。
「右へ逃げる時、肩が先に動く。だから読まれる。何度言った?」
昔と同じ声だった。
訓練場で何度も聞いた声。怒鳴るわけでもなく、褒めるわけでもなく、ただ直すべきところだけを告げる声。
俺は刃を押し込むが、力を流される。引けば空を切る。下からすくい上げても、軽く受けられて手首へ打ち返された。
指先の感覚が鈍る。
「足の幅が広い。前へ出る前に重心が止まる」
コンラートの刃が頬をかすめた。
熱い痛みが遅れて走る。
「切創。浅い。視界への影響は軽微」
「うるさい」
息が荒くなる。
こちらは必死なのに、コンラートの呼吸は乱れていない。俺の動きは全部知っている。知っている上で、殺さない場所だけを選んでいる。
「〇三六。まだ名前を守れる腕じゃないぞ」
「その呼び方をやめろ!」
踏み込もうとした、その時だった。
ホールの入口側から、足音が割り込んだ。
「そこまでだ!」
ヒロの声。
続けて銃声が鳴る。弾丸がコンラートの頭部をかすめ、ガスマスクの端を弾き飛ばした。
片側のレンズが割れ、マスクの一部がめくれる。
露出した頬には古い火傷痕があり、深い皺の奥に片方の目が見えた。
「武器を捨てろ。抵抗するなら――」
ヒロの声がそこで止まった。
コンラートの顔を見た瞬間、銃を構えたまま固まる。
「……なんで」
ヒロの声が、掠れた。
コンラートはそのわずかな隙を逃さなかった。手にしたナイフを投げる。狙ったのはヒロの胸ではなく、銃を握る手首だった。
金属音がして、ヒロの銃が床を滑る。
コンラートは一歩で距離を詰め、転がった銃を靴底で押さえた。
残ったマスク越しに、初めてヒロを正面から見る。
「ヒロか」
声は思ったより静かだった。
その一言で、ヒロは理解してしまったようだった。
「なんでここにいる」
ヒロの息が荒くなる。
「なんで、ここにいる。コンラート・ヴェルナー」
ヴェルナー。
その名前を聞いた瞬間、俺の中でいくつかのことがつながった。
ヒロの父親。
B3の橋を落とした男。
俺を〇三六と呼ぶ、かつての隊長。
コンラートは少しだけ目を細めた。
「ヴェルナーか。懐かしい名前だ」
「話してる場合かよ!」
俺は叫び、もう一度間合いを詰める。
ヒロも床の銃へ手を伸ばしかけたが、踏まれているのを見て止めた。すぐに腰のナイフを抜く。
「二人で来るか」
コンラートは踏んでいた銃を蹴り飛ばした。銃は床を滑り、手の届かないところで止まる。
「いい。まとめて見てやる」
そこから先は、言葉より動きが速かった。
俺が右から斬り込み、ヒロが左から入る。コンラートは背中を見せない。常に斜めに立ち、俺たち二人を同時に見ている。
俺の刃は手首の前で弾かれ、ヒロのナイフは肘で押し返される。コンラートはヒロの足を払いつつ、同時に俺の踏み込み足を軽く蹴った。
ほんの少し姿勢が崩れる。
そこを叩かれる。
「ヒロ、脚を固めすぎだ。立つ場所を守ろうとして身体が止まっている」
「黙れ!」
ヒロは体勢を崩しながら、ナイフを捨てるようにして拳で殴りにいった。
コンラートは腕で受け、力の向きをずらした。拳は空を切り、代わりに膝がヒロの脇腹へ入る。
「がっ……!」
ヒロの身体が横へ流れ、膝をつく。
その隙に俺は刃を走らせた。コートの裾が裂れる。血は出ないが、少しだけ手応えがあった。
いける。
そう思った瞬間、腕を絡め取られた。
「〇三六。お前も昔から変わっていない」
コンラートは俺の動きを止め、残った刃で肩口を切り上げた。
「ッ……!」
肩から脇腹へ、浅く長い痛みが走る。熱が広がり、スーツの内側に血がにじむのが分かった。
「出血量、許容範囲ぎりぎり。これ以上の強い踏み込みは危険です」
「左に逃げる時、視線が先に動く。そこで読まれる」
「教え方が悪かったんだろ!」
言い返して前に出ようとしたが、傷が開く感覚があり、足が止まった。
ヒロも立ち上がろうとしているが、脇腹の一撃が効いている。呼吸が乱れ、膝に力が入っていない。
コンラートは、俺たち二人を見下ろせる位置に立っていた。いつでも刺せる距離なのに、刃先は俺たちから少し外れている。
「戻れ」
また、その言葉だった。
「名前を捨てろ。白帯にしがみつくより、俺の下で動け」
「ふざけるな!」
叫んだのはヒロだった。
「俺が守ってる白帯を、お前は平気で折った。そのうえ俺の隊員まで番号で呼びやがった!」
コンラートはヒロを見た。
「ヒロ。白帯の上からしか世界を見ないなら、お前は一生そのままだ」
「それでも構わない」
ヒロは息を切らしながら言い返した。
「白帯の上でしか生きられない奴らがいる。あいつらには、そこが最後の道なんだ」
「甘い」
短い一言と同時に、コンラートが動いた。
俺が割り込もうとしたが、足を払われ、崩れたところへ柄で脇腹を打たれた。
「ぐっ……!」
身体が勝手に丸くなる。
ヒロも正面から迎え撃つが、ナイフも拳も届かない。踵が膝の横へ入り、ヒロの足が崩れた。床へ落ちる寸前、後頭部の横を打たれ、ヒロの視線が飛ぶ。
「アキヒト、ヒロに中程度の頭部衝撃。脳震盪の危険があります」
気づけば、俺たちは二人とも床に倒れていた。
立とうとしても、身体が遅れる。手をついても、力が入らない。
コンラートは一歩下がり、刃についた血をコートの裾で拭った。
「〇三六」
俺を見下ろして言う。
「今はまだ、アキヒトという名前に縛られていろ。いつか自分で選べ」
返事をしようとしたが、喉から音が出なかった。
コンラートの視線がヒロへ移る。
「ヒロ。白帯の上に立つのは勝手だ。だが、それだけが世界だと思うな」
ヒロは睨み返すだけで精一杯だった。
「そのうち、嫌でも分かる」
コンラートはレゾナンスコアのコンソールへ歩いた。
ノルンが警告する。
「アキヒト。操作入力を確認。待ってください」
コンラートの手が端末に触れる。
ホール全体が低く唸った。足元から細かな振動が上がり、コアを走る光が一気に強くなる。
視界が白く飛んだ。
金属が軋む音と、遠いノイズが重なる。身体の感覚が一瞬抜けて、床にいるのか浮いているのか分からなくなった。
「局所的共振。視覚と聴覚が一時的に――」
ノルンの声もそこで途切れた。
どれくらい経ったのか分からない。
まぶたをこじ開けると、コアの光は元の弱さに戻っていた。ホールの中にコンラートの姿はない。
床には、俺とヒロの血と、戦闘の跡だけが残っていた。
黒い靴跡が、脇の別ルートへ続いている。そこの扉が半分開いていた。
耳鳴りが消えない。
身体を動かすたび、骨の内側が揺れるような違和感が走った。
ノルンの声が戻る。
「接続復旧。アキヒト、生体反応二。どちらも危険域手前で安定。応急処置を優先してください」
「逃がしたか」
俺は天井を見上げたまま息を吐いた。
動こうとしても、身体がついてこない。
白帯も導光もない場所で、俺とヒロはコンラートに会った。
そして、何もできずに負けた。