灰の傭兵と光の園 〈RF各機、メカイラストあり〉 作:青羽 イオ
レゾナンスコアの唸りが遠のき、耳を塞いでいたノイズがふっと切れた。
ホールに残ったのは、薄暗さと血の匂いだけだった。
ノルンの声が、端末から戻ってくる。
「中枢区画の共振は収束。アキヒト、ヒロ、両名とも生命兆候は安定域ぎりぎりです」
続いて、診断結果が表示された。
《ヒロ:右膝、靱帯損傷の疑い。側頭部打撲。歩行非推奨》
《アキヒト:右肩から右脇腹に切創。仮止血状態。大きな動作は危険》
俺は床に倒れたまま、目だけを動かした。
身体が重い。右肩から脇腹にかけて、熱い痛みがじわじわ広がっている。息を深く吸うだけで、傷が内側から開きそうだった。
「ヒロ。動けるか」
「無理だ」
少し離れた場所から返ってくる声は、妙に遠かった。
「足が死んでる。立とうとしたら、そのまま倒れる」
「聞きたくない報告だな」
「俺も言いたくなかった」
ヒロは小さく笑い、それがすぐ苦しそうな息に変わった。
俺は首を動かすのをやめた。視界の端に、床に投げ出されたヒロの脚だけが見える。
「こっちも、寝てるほうが安全らしい」
「好きで寝てるわけじゃないだろ」
「そうだな」
しばらく、ノルンの監視音だけが続いた。
血が床へ落ちる音。遠くでまだ動いている機器の低い音。さっきまでここにいたコンラートの気配だけが、きれいに消えていた。
先に口を開いたのは、ヒロだった。
「さっきの男、知ってるな」
俺は目を閉じた。
嘘をつく理由はない。ただ、全部を一度に出せば、ここでどうにか保っているものまで崩れそうだった。
「ヘルマーチの隊長だ。俺の昔の隊長でもある」
「昔の隊長」
「あっちでは、〇三六って呼ばれてた」
「ゼロ、サンロク」
ヒロが数字をなぞるように言った。
「名前はいらなかった。全員、番号だけで呼ばれてた。俺もそれで足りると思ってた」
喉の奥が少し乾く。
訓練場の声が、今でも耳の奥に残っている。灰の中で「〇三六」と呼ばれれば、考えるより先に身体が動いた。そういうふうに作られていた。
「名前をくれたのはヴァイス艦長だ。〇三六じゃなくて、アキヒトって呼んだのは、あの人が最初だ」
ヒロは黙っていた。
たぶん、さっき見た顔を頭の中で何度も確かめている。割れたガスマスクの下に見えた頬。火傷痕。深い皺。昔の記憶と、今のコンラートを無理に重ねているのだろう。
やがて、低い声が落ちた。
「俺の父親だ」
俺は目を開けた。
「コンラート・ヴェルナー。白帯B3を割ったのも、あいつだ」
「そうか」
それ以上、言葉が出なかった。
俺の昔の隊長が、ヒロの父親だった。
そしてその男が、B3の橋を落とした。
整理できるはずがない。少なくとも、今すぐには無理だ。
ヒロの声が少し鋭くなる。
「黙ってるつもりか」
「そういうわけじゃない」
「なら聞かせろ。悪いが、何も知らないまま同じ戦場に立つ気はない」
痛みをこらえているのが、声だけで分かった。それでも、ヒロは続けた。
「ヘルマーチにいた頃、お前が何を見ていたのか。〇三六だったお前が、どうして今こっちにいるのか。知らないままだと、コンラートが何を狙ってるのかも分からない」
俺は天井を見た。
崩れかけたコンクリートの隙間から、薄い灰色の光が入っている。
「楽しい昔話じゃないぞ」
「楽しい話が聞きたいわけじゃない」
即答だった。
「だから聞く。今、聞かせろ」
ノルンが割り込む。
「アキヒト。痛覚反応が上昇しています。会話は後回しにするべきです」
「いい。どうせすぐには動けない」
「応急処置を優先してください」
「話しながらでもできる」
俺は左手だけで簡易止血材を探り、傷の上から押さえ直した。痛みで息が詰まったが、声はなんとか出せる。
ヒロの方からも、布を引き裂くような音がした。あっちも最低限の処置をしているらしい。
「分かった」
俺は短く言った。
言葉を探すあいだにも、古い光景がいくつも浮かんでは消える。
灰の街。
壊れた建物。
食べ物を探して歩いていた子ども。
それを見る大人の目。
そして、黒いコートの男。
「最初から話す。灰の街で、あいつに拾われた日のことからだ」
レゾナンスコアの弱い光が、ホールの中心でゆっくり明滅している。
その光を見ながら、俺は過去へ戻っていった。
まだ、アキヒトという名前を持つ前。
ただの子どもで、ただの〇三六だった頃の話へ