灰の傭兵と光の園 〈RF各機、メカイラストあり〉 作:青羽 イオ
最初に通されたのは、コンクリートを打ち直しただけの広い中庭だった。
旧UDF基地をそのまま使っているらしく、壁には消しかけた古い部隊章が薄く残っていた。その上から、新しい塗装が雑に重ねられている。隠したかったのか、ただ急いだだけなのかは分からない。
俺たちは中庭の中央に並ばされた。
正面の建物から、数人の男が出てくる。先頭は丸刈りで、声だけがやけに通る教官だった。
「これから番号を割り振る。名前はいらん。呼ばれた番号だけ覚えろ」
教官は紙を片手に、番号を読み上げ始めた。
「ゼロイチゴ、ゼロニニ」
乾いた声で、数字だけが落ちてくる。
呼ばれた者が一歩前へ出て、手首に札を巻かれる。それだけだ。出身も、事情も、ここでは何の意味もないらしい。
「ゼロサンロク」
自分の番だと分かっても、足がすぐに出なかった。
後ろから肘で小突かれて、ようやく一歩前へ出る。教官の目が一瞬だけこちらを見て、すぐ紙に戻った。顔を見たというより、名簿に印を付けただけの目だった。
「返事!」
「はい」
「小さい。やり直し」
言葉が遅れた。息を吸い直して、声を出す。
「はい!」
それでようやく教官が頷いた。
手首に、粗いバンドが締められる。安い樹脂の感触が肌に当たった。白い札に、黒い数字が印刷されている。
036。
数字が皮膚の上に乗った瞬間だけ、冷たかった。
列の後ろで、くつくつと笑いが漏れた。
笑っているのは新入りじゃない。腕を組んで眺めている、制服の色が褪せた古参の隊員たちだ。
同じ列に並ぶ顔も、まともな場所とは噛み合わない連中ばかりだった。目つきの悪い大柄な男。痩せて、腕だけが筋張った男。首元に墨が入った男。まだ子どもに見えるやつも混じっている。
たぶん俺も、その中の一人に見えていた。
そう思っても、列を抜ける選択肢は最初からなかった。
番号の読み上げが終わると、そのまま訓練が始まった。
説明はほとんどない。
ここでは、慣れろという言葉すら省かれる。
朝は射撃だった。
屋外射撃場で、古い小銃と少し新しいカービンを交互に持たされる。教官は同じことだけを繰り返した。
「肩にしっかりつけろ。引っぱるな。指で絞れ」
外せば、短く言われる。
「当てろ。外すな」
理由は説明されない。
狙い方を知るより先に、外したことだけが体に叩き込まれていく。
昼は格闘だった。
格納庫の隅に薄いマットを敷き、二人一組で殴り合う。グローブだけは渡されたが、守るためというより、訓練を続けさせるための道具に見えた。
鼻血も、歯も、肋も、毎回どこかでやられる。
倒れても、教官が「まだ立つ」と判断すれば、腕をつかまれて起こされた。
午後は模擬操縦。
簡易シミュレーターに押し込まれ、古いRFの操作系を叩き込まれる。スティックは重く、ペダルは固かった。画面の向こうで、線みたいな敵影が動く。
吐くやつも出た。
教官が最初に教えたのは、照準でも、回避でもない。
「吐くやつはそこだ。バケツを汚したら自分で洗え」
誰も笑わなかった。
俺も何も言わなかった。
ここで人間扱いを期待するほうが間違っている。そう思えば、少しは楽だった。
そんな日々が、当たり前のように続いた。
大尉が訓練場に姿を見せることは多くなかった。
それでも、ときどき射撃場の端や、格闘場の上にある見学通路に、じっと立つ影があった。見ているだけだ。何かを言うわけでも、手を出すわけでもない。
それでも、落ちるか残るかを、黙って仕分けられている気がした。
大尉は時々、胸のポケットに指先を当てた。
硬い角を確かめるように触れて、すぐ離す。薄い板か札が入っているのが分かった。何なのかは知らない。聞ける空気でもなかった。
その日も、訓練が終わるころには足裏の感覚が曖昧になっていた。反復で肺の奥が焼け、飲み込んだ空気までざらついている。
解散の号令で新入りがばらけ、俺は無言で訓練場を出た。
ドアを抜けたところで、視界が揺れた。
膝が折れかける。
肩口を、横から引き上げられた。
「立てるか」
耳元に短い声が落ちた。
顔を向けると、大尉がいた。表情に色はない。だが、肩を支える手は、落とすつもりのない重さで俺の体を持ち上げていた。
「大丈夫です」
そう答えても、手はすぐに離れなかった。
数歩だけ、並んで歩かされる。
「ここで倒れるなら、その程度だ。まだ歩けるなら、歩け」
言葉は突き放していた。
それなのに、必要な分だけ手がついてくる。
通路の明かりがにじむ中で、俺は自分の足を探し直した。一歩。もう一歩。足が床を踏んでいることを確認しながら進む。
大尉の手が離れた。
そのまま去るのかと思ったが、大尉の指先は胸のポケットへ戻りかけて、そこで止まった。彼はもう一度だけ訓練場を見た。
俺には、その意味は分からなかった。
ただ、肩を支えられた感触だけが妙に残った。
ある日の格闘訓練で、俺は自分より二回り大きい男と組まされた。
首に墨が入っている。元がどこの人間か、噂だけは回っていた。どれが本当かは誰も知らない。
男はグローブを鳴らしながら笑った。
「ガキだな。手加減してほしければ、今のうちに言っとけ」
その笑い方が気持ち悪かった。
父親とは違う。けれど、同じくらい嫌な笑いだった。相手が怖がるのを待っている顔だ。
「別に」
答えた瞬間、合図もなしに拳が飛んだ。
頬に重い衝撃。
続けて腹。
息が詰まり、膝が落ちそうになる。
殴られた角度。踏んでいる足。肩の沈み。筋肉の動き。
体が勝手に拾い始める。
昔と同じだった。
殴られて覚えた。どこを見れば次が来るのか。どの足が動けば体が傾くのか。避けられないなら、どこへ入れば痛みが少ないのか。
生きるために覚えたことだった。
次の拳が来る前に、俺は懐へ入った。
胸ぐらをつかみ、顎の下へ頭をぶつける。相手の体がぐらりと揺れた。足を払って床に叩きつけ、倒れた腹に膝を乗せる。腕を押さえ込んだ。
「そこまで」
教官の声が飛んだ。
俺は息を荒くしながらも、すぐには膝をどけられなかった。
さっきまで浴びた拳の重さが、まだ体のどこかに残っている。離れた瞬間、また殴られる気がしていた。
腕をつかまれて立たされる。
教官が近くで覗き込んだ。
「ゼロサンロク」
「はい」
「いい顔だ」
それだけ言って、教官は続けた。
「死ぬ順番が、ちょっと後ろのやつの顔だ」
褒められているのかは分からなかった。
けれど、その言葉だけは、周りのざわめきの中でも残った。
訓練期間の終わりごろ、俺たちは初めて格納庫の奥へ連れていかれた。
天井の高い建屋に、巨大な影が並んでいる。
グレーと暗い緑の人型。
装甲板には、弾痕と補修の痕が重なっていた。新しい機体ではない。けれど、そこに立っているだけで、人間よりずっと強いものに見えた。
「これが、お前らの仕事場だ」
案内役の整備士が、油で汚れた手袋のまま言った。
「前に出るときは、だいたいこいつの中だ。帰りは棺桶かもしれねえがな」
冗談めいた言い方だったが、笑う者はいなかった。
整備士は、左の機体を指した。
「左がRF-06〈バッファロー〉。重くて鈍いが、前にいるときは心強い。ちゃんと動いてりゃ、だがな」
次に、右の機体を見る。
「右がRF-21〈ファルコン〉。少しは速い。ただ、その分すぐへそを曲げる。どっちも、結局は乗るやつ次第だ」
足元から見上げると、首も胸装甲も手が届かない。
自分がこれに乗る。
そう考えても、現実味は薄かった。
それでも、狭い部屋で殴られているよりはましだと思った。
少なくともここには、殴られるだけではなく、やり返すための道具がある。
これに乗って、言われた場所へ行って、言われたものを撃つ。
それくらいの役割なら、自分にも残る。
そう考えることで、俺はここに立つ理由をぎりぎり形にした。
初めて前線に出る日、俺はRFのコクピットではなく、装甲車の中にいた。
任務は、小規模な反乱分子の拠点掃討。
RFが先行して外壁を割り、歩兵が中へ入る。説明はそれだけだった。相手が何者で、何をしたのかは聞かされない。
薄暗い車内には、新入りと古参が混ざって座っていた。
床からの振動が、骨の奥に残る。油と土と汗の匂いが混じっている。誰かの装備が金属音を立てた。
古参の一人が、ふと思い出したように話し始めた。
「最初に人撃った時な、俺、足が震えてトイレから出られなかった」
ぞろぞろと笑いが起きる。
「それで?」
「撃てって言われたから撃った。撃ったら、次も撃てって言われた。気づいたら、震えなくなってた」
別の男が口を挟んだ。
「撃った相手の顔、覚えてるか?」
「覚えてねえよ。覚えてたらやってられねえだろ」
また笑いが起きた。
乾いた笑いだった。
俺は何も言わなかった。
膝の上で手を組み、話だけを聞いていた。
父の顔は覚えている。
路上の兵士の目も覚えている。
けれど、ここでそれを言ったところで何も変わらない。変わるのは、撃てるか撃てないかを周りに見られることだけだ。
装甲車が減速し、止まった。
後ろのドアが内側へ開き、冷たい空気と土の匂いが流れ込んでくる。
「降りろ。隊列に加われ」
外ではすでにRFが動いていた。
バッファローとファルコンが鈍い音を立てて前進し、拠点の壁へ砲撃を叩き込む。建物の一部が崩れ、砂煙が上がった。隙間から銃声が返ってくる。
「ゼロサンロク。後列につけ。勝手に動くな」
「了解」
言われた通りに列へ入る。
前の背中を見る。両手で銃を構える。進む。
合図。
突入。
狭い廊下。
薄暗い部屋。
壁越しの足音。
「右クリア!」
「左、敵!」
叫び声のほうへ、指が動いた。
引き金の重さだけが、父のときと同じだった。
銃声。
反動。
耳の奥が白くなる。
誰に当たったのか、自分の弾だったのかも分からない。ただ、「撃て」と言われた方向に撃つ。抵抗が弱まると、次の部屋へ進む。
そこにも人が倒れていた。
血が床に広がり、靴底に冷たくまとわりつく。
反乱分子が何を訴えていたのか、どんな理由で武器を取ったのか。
誰も言わなかった。
命令は、拠点制圧。
それ以上の言葉は、どこからも出なかった。
外へ出るころには夕暮れだった。
煙が低く垂れ、焦げた匂いだけが残っている。遺体が建物の横に積まれ、少し離れたところでは士官が無表情に報告書を書いていた。
RFの脚には、血と埃がこびりついている。
俺は自分の手を見た。
グローブ越しでは何も感じない。
それなのに、指先に冷たい重さが薄く張り付いている気がした。
言われた通りに撃って、言われた通りに進む。
好きでやっているわけじゃない。
それでも、ここで生き残るために選べる道は、それしかない。
そう自分に言い聞かせ、俺はもう一度、隊列の中へ足を戻した。