灰の傭兵と光の園 〈RF各機、メカイラストあり〉   作:青羽 イオ

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第40話 脊髄に刻むリンク

 その頃、ヘルマーチの隊舎は、いつもどこかが痛んでいた。

 

 ベッドは埋まり、ギプスや包帯の隊員が廊下の壁にもたれて座り込んでいる。戦闘が終わっても休みはほとんどなく、次の任務までの短いあいだに回るのは応急処置と最低限の点検だけだった。

 

 LSLリンクは、もう当たり前だった。

 

 首の後ろの端子を機体に繋ぐ。体の奥を通して動かす。最初は「気持ち悪い」と騒いだ連中も、今はそれなしでは反応が遅れる。遅れたやつから死ぬ。そういう場所だった。

 

 そんなある日、基地に見慣れない腕章の一団が入ってきた。

 

 制服の袖に、アストレイア社のロゴ。現場の空気を読まずに歩く足取りで、医務室でも格納庫でもなく、真っ先に会議室を押さえる。

 

 数十人の隊員が集められた前で、年配の技術者が淡々と口を開いた。

 

「新しいリンクの導入が決まった。K-LSL。純正LSLの高反応仕様だ」

 

 背後のスクリーンに、神経と機体の図が映る。見慣れたLSLの線の上に、赤い線が重ねられていった。

 

「これまでのLSLは、信号を“安全な範囲”に抑えていた。K-LSLでは、その抑えを薄くする。反応が上がる。同調が上がる。攻撃に移るまでの時間が短くなる。結果として、生き残る確率も上がる」

 

 良いことだけが、きれいに並ぶ。

 

 技術者は、そこで一拍置かずに続けた。

 

「痛みや恐怖も、今までより強く拾う。拾った分だけ、機体は“怖い方向”へ先に向き直って殴り返す。先に殴れるようになる」

 

 冗談めいた口調ではない。けれど、その言い回し自体がヘルマーチ向けの売り文句に聞こえた。

 

「全員が対象ではない。一定以上の実戦データがあり、今後も長く運用する価値があると判断された者から、順に書き換える」

 

 何人かが息を止める気配を見せた。

 

 それは「選ばれる」という意味であり、同時に「戻れなくなる」という意味でもあった。

 

 名前ではなく番号で、リストが読み上げられる。

 

「ゼロヨンニ、ゼロサンロク、ゼロニキュウ……」

 

 自分の番号が呼ばれた瞬間、アキヒトは背中に視線を感じた。

 

 羨む目と、避ける目が混ざっている。「お前は、もう一段奥へ行く」という空気が、言葉より先に広がった。

 

 *

 

 書き換えの日。

 

 軍医施設の奥へ通され、上半身を裸にさせられる。冷たい金属の台に横たわると、背中全体が硬い感触に押しつけられた。

 

 白衣の医師が、慣れた調子で言う。

 

「LSL端子はもう入ってる。今日は抑えのほうを弄《いじ》る」

 

 横のテーブルに、細い線と小さな接続ユニットが並ぶ。整いすぎた並びが、道具というより手順に見えた。

 

「頭を固定する。動くと面倒だ」

 

 額と顎に柔らかいベルトが回り、首の後ろに冷たい液体が落ちる。消毒の匂いが鼻についた。

 

「局所麻酔。少し痛い。文句は言うな」

 

 針が刺さり、薬が入る。首筋から背中にかけて、じわじわと感覚が薄れていった。

 

 医師と技術者の声が、頭の上で交差する。

 

「抑えの回路を迂回」

「制限値、下げる。ヘルマーチなら、もう一段」

 

 言葉の半分は分からない。それでも、首の後ろと背骨のあたりで、いままで最後に残っていた歯止めを外しているのだと、それだけは分かった。

 

 冷たいものが骨のすぐそばを撫で、そこから細い線が這うような感覚が走る。痛みはほとんどないのに、体は勝手にこわばった。嫌な予感だけが、先に立つ。

 

「大丈夫だ。切り替えるだけだ」

 

 医師の声は慰めではなく、作業の確認だった。

 

「これでお前は、普通のLSLより先に動ける」

 

 視界が少し暗くなる。麻酔のせいか、意識が遠のいていく。

 

 最後に見えたのは、蛍光灯の白さと、天井を走る配線だった。

 

 *

 

 目を覚ますと、天井があった。

 

 首の後ろと背中に鈍い痛みが残り、起き上がろうとすると頭がぐらりと揺れた。

 

「気持ち悪いか」

 

 横のベッドに座っていた軍医が、水の入った紙コップを差し出す。

 

「純正LSLの上にK-LSLを上乗せした。馴染むまでは吐き気と頭痛が出る。K-LSL持ちはみんな通った道だ」

 

 アキヒトはコップを受け取り、一口飲んだ。水が喉を通る感覚だけが、妙にはっきりしている。

 

「動けるかどうか見たい。シミュレーター室に行けるか」

 

 足を床に下ろし、ゆっくり立つ。首の後ろに埋まった端子の存在が、前より強く分かる。皮膚の下で、何かが深く食い込んでいる感じがした。

 

 *

 

 シミュレーター室。

 

 K-LSL対応に調整されたコクピットへ押し込まれ、脊髄の端子と座席の接続が繋がれる。

 

「K-LSLリンク開始。深呼吸しろ」

 

 スピーカーから技術者の声。

 

 背中に、今までより強い微かな震えが走り、首の後ろから何かが一気に入り込んでくるような感覚がした。

 

 次の瞬間、世界の輪郭が変わった。

 

 モニターの映像だけじゃない。機体の重さ、足の位置、腕の角度が、頭の中へまとめて流れ込んでくる。足を動かしていないのに、地面を踏んだ感触がある。

 

 境界が薄い。

 

「気持ち悪い」

 

 思わず漏れた声に、技術者が即答する。

 

「当然だ。止めてた分まで流してる。怖くなるし、腹も立つし、全部機体が拾う。慣れろ。お前らはそれで金をもらってる」

 

 続けて、言い捨てるように。

 

「歩け。右だ左だは要らない。“そこへ行く”と思え」

 

 視線の先へ意識を向けた瞬間、機体の足が勝手に動いた。

 

 右、と考えたわけじゃない。「前へ」と思った瞬間には、片足が前に出ている。

 

 数歩で吐き気が強くなる。胃がひっくり返り、喉の奥に酸が上がってくる。

 

「限界なら止めるか」

 

 アキヒトは唇を動かし、短く返した。

 

「続けます」

 

 ここで「無理だ」と言ったら、体を開いてまで変えた意味が消える気がした。消えるのが怖かった。

 

 何度かのシミュレーションを繰り返すうちに、“考える前に動く”感覚が少しずつ形になる。自分の体と機体の体が、ぴったり重なる瞬間が増えていった。

 

 自分の指じゃない。機体の指がトリガーを引く。けれど、どちらの指か区別する必要が、だんだん薄れていく。

 

 *

 

 実戦でK-LSLを使い始めると、違いはすぐ出た。

 

 敵影を視界の端で捉えた瞬間には照準が合っている。「撃とう」と決める前に、機体がもう前へ出ている。

 

 恐怖を感じた瞬間、機体が勝手に反撃の形を作る。

 

 反応が上がる——説明は嘘じゃなかった。

 

 ただ、その分、終わったあとに残るものも増えた。

 

 戦いの最中に感じた恐怖や興奮が、そのまま体に残る。リンクを切っても、足の裏に灰の感触が残り、手の中にトリガーの重さが残る。身体の内側に、リンクの残り火みたいな熱が居座って、簡単には冷めない。

 

 夜、リンクのないベッドに横たわっても、同じ場面が頭の中で何度も再生された。敵に飛びかかった瞬間、踏み潰したときの骨の砕ける感触、白帯に落ちかけた砲弾の光が、夢と現実のあいだを行ったり来たりする。

 

 *

 

 そんな中で、薬に頼る者が増えていくのは自然に見えた。

 

 出撃前、ロッカールームの隅で錠剤を噛み砕く音がする。苦い顔のまま、水もなしに飲み込む隊員が笑って言う。

 

「これがないと手が震えるんだよ」

 

 目の下には濃い隈がある。

 

 別の男は戦闘後に医務室へ直行し、腕をまくって軍医に注射の準備をさせていた。

 

「鎮静剤。これを打てば、少しは眠れる」

 

 注射器の中の透明な液体を見つめる目が、笑っていない。

 

「使いすぎるなよ」

 

 軍医が言っても、止めようとはしない。

 

「止めたら、もっとおかしくなる」

 

 そう言って笑う。

 

 アストレイアの技術者たちは、その様子をメモを取りながら静かに見ていた。K-LSLの“運用データ”として。

 

 *

 

 それが「現場の空気」になると、壊れるのは速かった。

 

 射撃場の奥には岩壁があり、その手前に灰をかぶった砂丘が低くうねっている。乾いた風が吹く日だった。

 

 薬で目の焦点を失った戦友が、笑いながら空に銃口を向けた。

 

「見ろよ。今日は、全部軽い」

 

 何が軽いのか、本人も分かっていない声だった。

 

 そのまま引き金を絞る。乾いた銃声が岩壁に弾かれ、砂丘には空薬莢だけが散った。

 

 誰かが怒鳴るより早く、戦友はもう一度笑い、銃口を自分の顎の下へ滑らせた。まるで次の手順を思い出したように、引き金がもう一度絞られる。

 

 体が音もなく崩れ、砂丘に沈んだ。笑っていた口だけが、途中で止まっていた。

 

 誰も叫ばなかった。叫ぶ暇がなかったわけじゃない。叫ばないことに、慣れていた。

 

 係の兵が近づき、銃を取り上げる。安全を掛け、弾倉を抜き、薬莢の数を数える。軍医が来て脈を見て、首を振った。

 

「搬送。記録。次」

 

 それで終わった。

 

 アキヒトはその場で指を握り込む。トリガーの重さが、自分の手にも残っている気がした。

 

 *

 

 アキヒトは、できるだけ薬には頼らないようにしていた。

 

 あの砂丘に散った空薬莢の音が、夜になると耳の奥で鳴り直す。自分がまだ笑っていないことだけを確かめて、目を閉じた。

 

 眠れない夜も、無理やり目を閉じてやり過ごす。体が勝手に戦場の感覚を探し始めても、動かないことで朝まで持たせた。

 

 けれど、ある任務のあと、それが崩れた。

 

 強行続きの作戦。白帯周辺の多重任務。敵も、ミュータントも、同時に相手にする。

 

 K-LSLは確かに役に立った。反応が遅れて死んでいた場面を、いくつも切り抜けた。

 

 代わりに、全身が鉛を流し込まれたように重い。

 

 医務室のベッドで天井を見上げる。まぶたを閉じても、さっきまでの映像が消えない。機体の腕がちぎれる感覚、敵の頭部を踏み潰した振動、白帯をかすめた砲弾の軌道が、脈と一緒に戻ってくる。

 

 指が勝手にトリガーの位置を探しそうになり、笑いながら銃口を滑らせた、あの顎の下の角度まで——なぜか正確に思い出せてしまう。

 

「落ち着け」

 

 軍医の声。

 

「脈が上がりすぎだ。K-LSLの影響も出てる。鎮静剤を打つ。嫌なら拒否しろ」

 

 選べと言われた。口では。

 

 でも体は、もう自分のものじゃない感じがした。抑え込めていた震えが、腕から足へ広がっていく。

 

 断ったら、次に“軽い”と言い出すのは自分だと思った。

 

 アキヒトは喉を鳴らし、かすれた声で言った。

 

「お願いします」

 

 腕に針。冷たい液体が血管の中を流れる。

 

 数秒で、体の重さが別の種類に変わった。

 

 恐怖も興奮も、まとめて薄まっていく。頭の中が静かになり、代わりに何も考えたくなくなる。

 

 そのまま眠りに落ちた。

 

 *

 

 それから、医務室に運ばれたときには、同じ選択肢を自然に思い出すようになった。

 

 自分から「打ってくれ」とは言わない。

 

 けれど軍医が「要るか」と聞いてきたら、首を横に振ることもできなかった。

 

 一線はまだ越えていない、と自分に言い聞かせる。

 

 戦闘前の錠剤には手を出していない。出撃前に興奮剤を飲むのはやめている。

 

 しかし、戦闘後の鎮静剤だけは、もう完全には切り離せなくなっていた。

 

 K-LSLで機体と自分の境界を薄くし、薬で自分の感情の境界をさらに削る。

 

 ヘルマーチは、そうやって人間の中身を削りながら、任務の効率を上げていく組織になっていった。

 

 アキヒトは、その流れの中に自分の体と頭を差し出していた。

 

 そうしなければ生き残れないと、――自分で選んだことにして。

 

 

――次回、第41話「白ごと削れ」へ続く

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