灰の傭兵と光の園 〈RF各機、メカイラストあり〉 作:青羽 イオ
北方の中規模都市の地図が、会議室の壁いっぱいに映し出されていた。
中央を避難用の導光ラインの白い線が貫いている。
その周囲を赤いマーカーが囲んでいて、ゲリラに押さえられた区域は一目で分かった。赤は白の外側だけではなく、ところどころ白の上にも食い込んでいる。地図の上ではただの色分けに見えるが、そこにはまだ人が残っているはずだった。
「状況は以上だ。次に、あいつらの声明文だ」
スクリーン脇の将校が端末を操作した。
少し遅れて、スピーカーから別室の声が流れる。紙を読むような、感情の薄い声だった。
「ゲリラ側のものとされる声明文を読み上げる」
会議室の空気が、少しだけ硬くなった。
「我々は、企業とUDFによる選別的な防衛を認めない。白帯は特定の人間のための道ではない。我々は、自分たちのルールで白を引く」
言葉だけなら、正しい顔はできる。
だが地図の上で、その「自分たちの白」は、既存の白帯を塞ぐ形で引かれていた。避難路ではない。人の流れを止めるための封鎖線だ。
声はそのまま続いた。
「この都市は、我々の管理下に入った。企業の護送車と軍の車列は、以後この白を通ることを認めない」
声明はそこで切れた。
「以上だ」
将校が短くまとめる。
「表向きの命令は、ゲリラの排除と白帯の奪還だ」
後方で、誰かが小さく呟いた。
「表向き、ね」
その声を踏み潰すように、前列にいたコンラートが口を開いた。
「今回の指揮はヘルマーチが取る」
視線が集まる。
コンラートは地図の前に立っていた。数本の白帯、赤い占領区域、灰で途切れた道路。その全部を眺めても、顔色は変わらない。
「UDF本隊は周辺に警戒線を張るだけだ。白帯の中に踏み込むのは俺たちだ。つまり、後始末もここで済ませろということだ」
淡々とした言い方だった。だが、「後始末」の一語で、部屋の温度が一段だけ下がった気がした。
「ゲリラは白帯沿いの建物に陣を置いている。民間人も残っている。白の上を逃げ惑う者も出るだろう」
コンラートは地図の白い線を指で示した。
「普通にやれば膠着する。あいつらは白帯を盾にする。こっちは白帯を壊せない前提で動く。そうなれば、こちらの損耗が増えるだけだ」
そこで、言葉を切る。
「今回は、その前提を変える」
前提。
その言葉だけが、やけに軽く聞こえた。
俺は口を閉じたまま、地図から目を逸らさなかった。白い線が街を貫いている。誰かがそこを歩くための道だったはずのものが、この会議室ではもう、作戦上の障害物として扱われ始めていた。
*
市街に入ると、白帯の光が建物の隙間を縫って走っているのが見えた。
道路の中央に埋め込まれた導光ラインは、まだ点灯している。その両側にはバリケードと放置車両が並び、割れた窓の奥でゲリラが銃を構えていた。
ファルコンとバッファローの混成部隊が、白帯の外側を進む。上空にはUDFの監視ドローンが複数飛んでいたが、建物の影に入った敵までは追い切れない。
オペレーターの声が、回線に入る。
「白帯沿いの建物から銃撃多数。ロケット弾も確認。民間人混在。識別困難」
白帯の上には、本来の避難列とは違う人影が動いていた。
荷物を抱えたまま必死に走る者、震える子どもの手を引く者。恐怖のあまり立ち止まり、来た道を戻ろうとしては、容赦のない別の銃声に押し返される者――。
それはもう、避難の列などではなかった。 散ってはぶつかり、逆流してはまた散っていく、出口のない凄惨な人間の群れだ。
その混沌のなか、ゲリラたちがまるで家畜の背中を押すように、民間人を白帯へと強引に追い立てている光景が、俺の目に焼き付いた。
「盾にしてやがる」
誰かの低い悪態が、無線に混ざった。
コンラートの声が入る。
「ファルコン隊は外壁を削れ。バッファローは白帯の外から圧をかけろ。白の上には撃つな」
最初の指示は、まだ常識の範囲内だった。
白帯を傷つけずに残したまま、周辺エリアを制圧する。建前としては正しいが、当然、敵もその縛りを読み切っていた。
案の定、白帯のすぐ脇にある窓から、容赦のないロケット弾が飛び出す。
それは装甲車の側面に容赦なく直撃し、激しい爆炎と黒煙がまたたく間に燃え上がった。
「くそっ、白のすぐ脇だぞ!」
「白帯上に民間人あり。砲撃制限。近接で――」
オペレーターが言い終えるより早く、別方向からも容赦なく弾丸が飛来した。
民家の屋根からの正確な狙撃。さらには地下の出入口から飛び出す、予期せぬ奇襲。
ゲリラたちは白帯の周囲の地形を、地図ではなく自らの身体で知り尽くしていた。どこに民間人が固まり、どこから仕掛ければこちらが撃ち返せないのかを、奴らは完全に把握している。
激しい撃ち合いは、じわじわと、だが確実に、俺たちの退路を断つ足止めへと変わっていった。
「隊長、このままじゃ前にも後ろにも動けません。白の周り、全部取られてます」
「民間人が邪魔で大口径が使えない」
無線に焦りが混ざる。焦りが増えるほど、白帯の上の人影は、人ではなく数に寄っていく。何人いるか。どこにいるか。通れるか。撃てるか。
その時、コンラートの声が作戦回線に入った。
「白帯B7区間。この区間の民間人流入はどの程度だ」
オペレーターが短く確認を挟む。
「散発的です。正規の避難列はありません。ゲリラに押し出された少数のみ。ラインガードも不在」
一拍、沈黙が落ちた。
コンラートは、その少数を少数のまま扱った。
「なら、その区間の白帯は、もう避難路として機能していない」
回線が詰まったように静まる。
誰も否定しない。
否定した瞬間、ここまでの任務が根元から崩れる。白帯を守りに来たはずの部隊が、白帯の意味を自分たちで決め直すことになるからだ。
コンラートは続けた。
「B7区間を切る。導光ラインも含めて破壊する。建物ごと落として構わない。繰り返す。正規の避難列が通っていない白帯だ。敵に盾として使われるくらいなら、ここで壊したほうが損失は少ない」
一瞬、すべての通信回線から音が消えた。
損失は少ない、という言葉。
それが命の軽さを意味しているのだと分かってしまう、あまりに冷酷な響きだった。
重苦しい沈黙のあと、返事は遅れて落ちた。
「了解」
「ファルコン二、指定座標に榴弾装填」
「バッファロー隊、前方障害物を砲撃で除去。白帯上を巻き込む」
了解が重なるたび、腹の底が沈んでいく。
喉の奥が狭くなるのに、呼吸だけは機械のように続いた。K-LSLがこちらの迷いまで拾っている気がして、余計に息を整えた。
そのとき、コンラートが俺を呼んだ。
「ゼロサンロク。聞いているか」
「はい」
「お前の区画も同じだ。白帯を気にするな。撃ってくる場所ごと削れ」
下された命令は、残酷なほど明確だった。
迷う余地など表向きには存在せず、たとえここで迷ったとしても、その痕跡が報告書に残ることはない。
俺の照準のなかに、あの白帯があった。
道路の中央をまっすぐに走る、一本の白い線。
その両側にはゲリラの陣地が潜み、線上には、逃げ遅れた数人の人影が頼りなく揺れている。彼らは今すぐにでも走り出したいはずなのに、どこへ逃げればいいのかさえ分からず、ただその場で立ち往生していた。
俺はトリガーにかけた指へと力を込めた。
この戦場で、迷いなど結果としてしか残らない。残るのは当たったか外れたか、標的を壊したか壊せなかったか、それだけだ。
グローブ越しに指先が強張り、きしむ関節のせいでわずかに動きが遅れる。
――白帯を気にするな。
冷徹な命令が頭の中でリフレンした。気にしないためには、目の前の人影をただの「記号」として処理し続けるしかなかった。もしそこに人間としての顔を認めてしまえば、その瞬間に指が止まる。
砲弾が放たれた。
直後、白帯の一部が凄まじい爆炎に飲み込まれる。
線の上にあった人影が、一瞬で掻き消えた。
確かに命の数が減ったはずなのに、戦場の爆音は何一つ変わらない。
千切れた導光ラインの光が途中で途絶え、崩落した地面とともに、あの白帯の一部が暗い穴へと飲み込まれていった。
砲撃が重なった。
別の区画でも、白帯が次々と切り裂かれていく。かつて街を貫いていた一本の導光ラインは、いまやところどころが黒い焦げ跡へと変わり果てていた。
白帯の上にいた影が爆風で容赦なく吹き飛び、倒れ伏した先へ瓦礫が覆いかぶさる。それはまるで、彼らの命に蓋をするかのような無慈悲さだった。
本来、白帯は人々を通すための道だ。 それがいまや、人の流れを断ち切り、境界を越えた者たちを二度と戻れなくするための「破壊の跡」へと成り下がっている。 俺はスコープのズームを戻し、戦場の全体を見渡した。
あちこちで途切れた白い線。その断絶のたびに、街の一部だけが先に終わりを迎えたように見えた。
――俺は、もう守っている側の人間じゃない。
言い訳の形にすらならない残酷な事実が、喉の奥に苦く残った。
指先がわずかに震える。
止めようと思えば、いつでも止められる震えだった。
だが、俺は止めない。
この震えを止めて正気に戻った瞬間、俺は二度と次の弾を撃てなくなる。
コンラートの声が入った。
「B7区間、敵火力の大半は沈黙。よし。この一帯は、もう使い物にならん」
声には達成感も嫌悪もなかった。
「中途半端に残して、また誰かが勝手に白を引き直すほうが厄介だ」
無線の向こうで、誰かが短く鼻で笑った。
俺は笑えなかった。何かを言えば、いま撃ったものが人間に戻ってしまう気がして、口を開く気にもなれない。
命令に従って撃ち、任務は成功した。
報告書は、おそらくこうだ。
ゲリラ拠点壊滅。白帯B7区間、戦術上の理由により一時喪失。
その程度の言葉で、すべては綺麗に片づく。
喪失、という言葉は便利だった。誰が失わせたのか、その主体を消去できる。
だが、俺は白帯を壊す側にいた。その事実だけが、澱のように残った。
父も撃った。路上の兵士も撃った。白帯の外にいたやつらなら、とうに何人も撃ってきた。今さら一つ増えたところで、何が変わる。
そう思い込まなければ、次の戦場へは行けなかった。
焦げた地面と途切れた白をモニターの端に残し、機体を反転させる。
白は後ろで消え続けている。消えていくのに、俺の視線だけが勝手にそれを追っていた。