灰の傭兵と光の園 〈RF各機、メカイラストあり〉 作:青羽 イオ
南の旧市街から戻ったあと、俺は一晩だけ基地に留まった。
隊舎のなかは、不気味なほど静まり返っていた。廊下の灯りはところどころ切れたままで、昨夜の酒の残臭だけが重く漂っている。誰かが品性もなく笑い転げた名残のようなものが空気に張り付いていて、それが妙に気持ち悪かった。
ベッドは空いていたが、とても横になる気にはなれなかった。
シャワー室に入り、錆びついた蛇口をひねる。ぬるい水が肩に落ち、首の後ろに埋め込まれた接続端子を伝って背中へと流れ落ちていった。どれほど肌を強く擦ってみても、旧市街で浴びたあの硝煙と肉の焦げる匂いは、永遠に落ちないような気がした。
鏡に映る自分の顔は、とうに見慣れているはずだった。それなのに、いま目の前にある輪郭には、奇妙な隔たりがある。顔の形も、濁った目も、頬に刻まれた傷も、間違いなく自分のものだ。なのに、鏡の向こうでこちらを凝視している人間が一体誰なのか、俺にはもう分からなくなっていた。
――ここにいても、俺はまた同じ虐殺を繰り返す。
そう確信した時点で、答えはとっくに出揃っていた。
深夜、補給区画の端で、整備兵が椅子にもたれて眠っていた。
照明は落とされ、常夜灯が機体の輪郭だけを拾っている。金属の床には工具と油染みが残り、遠くで換気扇が低く回っていた。
俺は端末の前に立ち、搬出予定の項目を開いた。
廃棄予定機の移送。
そこには、何機かの識別コードが並んでいた。事故で動力系を傷めた機体、部品取りに回される機体、解体ヤードへ送られる予定の機体。
自分のRFの識別コードを見つける。
指を滑らせると、搬出先と時刻が表示された。
〈搬出先:東部解体ヤード〉
〈搬出時刻:03:20〉
エラー表示は出なかった。
誰も止めない。
格納庫の扉が、静かに開いていく。
RFが一機、ゆっくり外へ歩き出した。
背中には標準の内部電源に加えて、48V系統の外部パックを最低限だけ積んでいる。実戦なら四十分から一時間。移送だけなら、ぎりぎりヤードまで届く計算だった。
行き先なんて、決めていない。それでも足は東を選んだ。
基地の外へ出ると、灰の荒野が広がっていた。
遠くに細い白帯の光が見える。あの上を歩けば、どこかへ帰る人間の列に混ざれるのかもしれない。けれど俺は、その方向へは行かなかった。
白帯には戻らない。ヘルマーチにも戻らない。
その二つだけが、行き先の代わりだった。
基地から数十キロ離れたころ、HUDに警告が出た。
《MAIN 48V 残量 22%》
《外部パック残量 15%/9%/0%》
《推定稼働時間 残り 11分》
外部パックのうち一つは空になっている。補給線も、追ってくる味方の車列もない。ここから先は、自分で機体を生かすしかなかった。
「拾い食いしかないか」
小さく言って、少し先の残骸へ機体を向けた。
錆びついた輸送トラックが横倒しになり、灰に半分埋もれている。タイヤは裂け、荷台の下にはバッテリーユニットらしき箱が並んでいた。
RFを寄せ、アームでボディをこじ開ける。太いケーブルを伸ばし、剥き出しの端子へ無理やり押し当ててロックした。RF側の変換器を入れると、HUDに数字が並ぶ。
《外部入力 接続確認》
《入力電圧 42V→38V》
《効率 37%》
ケーブルの付け根から、火花が数回弾けた。焦げた匂いが、フィルター越しに薄く届く。
「悪いな」
数分待つと、HUDの表示がわずかに変わる。
《MAIN 48V 残量 26%》
《推定稼働時間 残り 17分》
「あと五分、伸びたくらいか」
それでできるのは、次の残骸を探しに行くことくらいだった。
東へ進むほど街は途切れ、白帯の本線から離れていった。導光ラインも、途中で切れたまま放置されている。かつては白く光っていたはずの溝に灰が詰まり、ところどころ黒い焦げ跡が残っていた。
廃工場を見つけ、機体を中へ入れる。天井には古いクレーンがぶら下がり、床の端には小型フォークリフトが倒れていた。俺はパネルを開けて48Vラインを探し、錆びたカバーを外して、ケーブルを直接かませた。RF側で電圧を見ながら、変換器の出力を調整する。
《外部入力 接続確認》
《入力電圧 51V→48V》
《効率 62%》
「さっきよりマシだ」
そう言った直後、HUDに赤い警告が並んだ。
《電圧スパイク検出》
《MAIN系統 温度上昇》
機体の腹の奥で、配線がきしむような音がした。フレームが微かに震え、背中のLSLを通じて嫌な熱が伝わってくる。
「やばい」
俺がケーブルを引き抜くと、警告灯は数秒遅れて沈黙し、外部からの入力が完全に遮断された。
あたりに静寂が戻る。
ただ、指先だけが微かな痺れを残していた。
「こんなこと続けてりゃ、どこかで燃えるな」
それでも、止めるという選択肢はなかった。
別の廃工場の奥に、RFの残骸が寄せ集められた一角があった。
型落ちの機体が横倒しになり、部品を剥がされたものや、胴体だけのものが積み上がっている。企業ロゴも識別番号も、錆と灰で読めなかった。
俺は使えそうなバッテリーブロックを探し、サブアームで一機の胸部ハッチをこじ開けた。
途中で、見慣れないユニットが目に入った。
制御系の中心部分らしく、保護カバーが分厚い。内部の基板は比較的きれいで、埃を払えばまだ通電しそうに見えた。
電源より、こっちのほうが残ってるか。
バッテリーはどれも劣化していた。
だが、この制御ユニットだけは動きそうだった。
俺はそれをコアごと引き抜き、自分のRFの腹部パネルを開けて空きスペースへ押し込んだ。固定具で無理やり支え、ケーブルをつなぐ。LSLと機体制御系の間に、中継を一つ挟む形だ。
「動くかどうかも分からないものを入れるなんて、正気じゃないな」
口ではそう言いながら、手は止まらなかった。接続を確認し、電源を入れる。
《副制御ユニット 起動》
《プロトコル確認中》
HUDの端に、見慣れない表示が出た。
《こちらノルン・ユニット7。接続先RF識別を確認》
機械的な女声だった。抑揚は少ない。けれど、完全な無機音とも違った。
「ノルン?」
《はい。機体統合戦術支援AIノルン。登録パイロット識別コードの入力を求めます》
識別コード。
反射的に、ゼロサンロクと言いかけた。
そこで言葉が止まった。
036は、ヘルマーチの番号だ。隊列で呼ばれる符号。
撃てと言われた場所へ進み、壊せと言われたものを壊すための名前だった。 ここには、もうヘルマーチはいない。
「アキヒトでいい」
短く答えた。
《確認。パイロット名:アキヒト》
《新規登録しますか》
「登録しろ」
《承諾。パイロットプロファイルを作成》
画面の端で進捗バーが伸びていく。
《ノルン:メイン48V残量 31%/推定稼働時間 22分》
《推奨ルート:南東方向 12km先廃ハブ/電源設備残存可能性 高》
「勝手にルートまで出すのか」
《残量と地形データから最適経路を計算しました》
事務的な返答だったが、一人で考える負担が少し軽くなった。
俺はそれを、黙って受け取った。
それからの一年は、その繰り返しだった。
灰の荒野を少しずつ東へ移動し、白帯の本線から距離を取る。誰も通らなくなった支線の近くを選び、廃工場、放棄されたハブ、戦場跡で48Vラインを探す。
見つけたらつなぎ、危険があれば切る。足りなければ、また次を探す。生きているというより、機体と一緒に止まらないようにしているだけだった。
ノルンは、無駄のない声で情報を出した。
《ノルン:右方向 3km、未使用のフォークリフト反応。推定48V系統》
「分かった」
《ノルン:接続電圧、上限近い。変換器温度、上昇中。出力を20%落とすことを推奨》
「そこは後だ。先に水を探す」
《了解。水源候補を検索》
返事はいつも淡々としている。慰めはなく、問い返しも少ない。それがちょうどよかった。
たまに、敵性勢力が使っていたらしい灰色の燃料セルを見つけることもあった。
形は既知の電源ユニットに近い。だが内部の液体がくすんだ色をしていて、ケーブルを近づけただけで、LSLの奥を何かが走った。
耳の内側で細かいノイズが弾け、背中の傷痕が内側から引かれるような感覚が残る。
《ノルン:警告。波形異常。既知の48Vラインと一致しません》
《ノルン:このセルからの給電は推奨しません》
「やめる」
すぐにケーブルを外した。
「こんなものまで喰わせ続けたら、本当にどこかで爆発する」
《ノルン:その判断は妥当です》
電力だけでは生きていけない。
やがて、闇ルートの商人を護衛する仕事も引き受けるようになった。白帯を使えない物資と人間が、灰に覆われた裏道を行き交う。
相手は俺の過去を聞かないし、俺も相手の素性を詮索しない。互いの境界線を守る代償としての報酬は、いくばくかの現金と電力パック、そしてわずかな食糧だった。
《ノルン:今回の報酬で、次の一週間分の食料と予備パックが確保可能》
「それ以上は望めないな」
《ノルン:はい。この生活は、安定とは言えません》
「だろうな」
戦場跡では、スカベンジャーの真似事もした。
大破したRFから、使える部品とバッテリーをもぎ取る。ときどき、かつての仲間と同じ型の機体が混じっていることがあった。
そのたび、ノルンは何も言わなかった。ただ残量と温度、そしてルートだけを冷徹に管理し続けた。
白帯には戻らない。ヘルマーチにも戻らない。
その日暮らしの拾い食いで、今日をしのぐだけの生活。まともな場所から見れば、ただの脱走兵か、盗人か、あるいは灰の荒野のならず者だろう。
それでも。036と呼ばれていた頃よりは、まだ自分の名前でいられる気がした。
アキヒト。
ノルンがそう登録してくれた名前だけを頼りに、俺は灰の中を進み続けた。