灰の傭兵と光の園 〈RF各機、メカイラストあり〉 作:青羽 イオ
HUDの端が赤く点滅していた。
《MAIN 48V 残量 3%》
《外部パック 0%/0%/0%》
《推定稼働時間 約2分》
ノルンの声が、いつも通り平坦に告げる。
《このままでは、機体停止まで百二十秒です》
「分かってる」
白帯本線から外れた荒野に、放棄されたトラックや工業機械が灰の上で転がっている。そのうちの一台、横倒しになった輸送トラックの腹へ、RFのアームを食い込ませていた。
コクピットから降りる余裕はない。
俺は右腕のアームを伸ばし、輸送トラックの装甲をこじ開けた。むき出しになったバッテリーユニットへ太いケーブルを突き立て、変換器のスイッチを入れる。
《外部入力 接続確認》
《入力電圧 40V→出力 48V》
《効率 29%》
接続部で火花が跳ねた。
焦げた臭いが外装を伝って、薄くコクピットまで届く。
《入力電圧不安定。変換器温度上昇中。出力をさらに落とすことを推奨します》
「ここで止めたら終わりだ」
ケーブルの固定を確かめ、抜け止めのラッチを叩く。もう一度だけ力を込めると、トラックの歪んだ金属が嫌な音を立てた。
「せめて次の残骸くらいまでは持たせる」
《了解。現在の設定で継続します》
わずかな電流が48Vラインへ流れ込み、HUDの表示が少しだけ持ち上がった。
《MAIN 48V 残量 5%》
《推定稼働時間 約3分》
「延命だな」
ノルンは返さなかった。
そのとき、センサーが別の反応を拾った。
《方位40度、距離3.2km。白帯本線上に複数の48V反応。RFおよび車列と推定》
画面の端に、導光ラインの白い筋がかすかに映った。
白帯本線。
その上を、数機のRFと補給車両が列を作って進んでいる。歩調は揃っているが、UDF本隊ほど硬くはない。軍の匂いが薄い。けれど、ただの商人でもない。
《識別信号照合……クレイヴ・アクト所属ユニットと一致》
クレイヴ・アクト。
最近、名前が広まり始めた傭兵組織の一つだった。
同じころ。
白帯本線上を進む隊列の中でも、別のHUDに警告が出ていた。
オペレーターの報告が、クレイヴ・アクトの指揮回線に入る。
「クレイヴ・アクト01、ルート外で電力異常を確認。方位40度、距離三キロ。48Vラインの吸い上げ反応あり。武装RFの可能性」
ヴァイスは前方を見たまま尋ねた。
「位置は白からどれくらい外れている」
「白帯本線から一・五キロ外側。現行ルートには影響ありません」
「了解。列は予定通り進め。ヒロ、白から離れすぎるな」
別の機体から、落ち着いた声が返る。
「了解。隊長、そっちはどうする」
「確認する。すぐ戻る」
先頭を歩いていた一機が、白帯から外れた。
RF-06A《バッファロー》。
重いはずの機体なのに、脚運びは沈まない。指揮官向けの調整が、そのまま動きに出ていた。
左腕の半身盾。胴体の厚い装甲。進路だけは、まっすぐ荒野へ向いている。
《接近中のRF反応。クレイヴ・アクト01と識別》
「こっちに来るか」
俺はケーブルをすぐには外さなかった。
今抜けば、残量が落ちる。次はもう持たないかもしれない。
見えてきた機体は、装備の整った現役のRFだった。
肩に載せた武装。装甲の状態。脚の動き。まともな整備を受けている機体だと、すぐに分かる。
対してこちらは、残骸にケーブルで繋がれた半死状態のRFだ。
装甲の一部には、ヘルマーチ時代の濃緑と赤い斜線の塗装がまだ残っている。上から灰と傷で潰しても、見る者が見れば分かる。
相手も、一目で見分けたようだった。
こちらは通信を切っている。
開けば、そのぶん残り時間が削れる気がした。実際には大した差ではないのだろうが、あのときは一秒でも惜しかった。
相手の外部スピーカーが開いた。
「そこの機体。48Vを拾ってる奴。聞こえるか」
男の声は落ち着いていた。
気は抜いていない。
俺は迷った。
黙っていれば、通り過ぎるかもしれない。開けば、余計なものまで拾う。所属、過去、番号。面倒なものが、全部こちらへ戻ってくる気がした。
結局、最低限の回線だけを開いた。
「聞こえてる」
「コールサイン、所属」
「フリーの傭兵だ。所属なし」
「そのフレーム。ヘルマーチ上がりだな」
クレイヴ・アクトの機体がわずかに角度を変えた。古い塗装と傷を見ている。
「脱走か、生き残りか」
「どっちでもない」
俺は少しだけ息を吐いた。
「死に損なったまま、東まで流れてきただけだ」
一瞬、相手は言葉を止めた。ヴァイスは内部回線へ切り替えた。
「ヒロ」
「隊長、敵性か」
「RFの残骸と、その中身だ。今は電欠寸前で、拾い食いに必死だな」
「放っておけば勝手に止まる。危険なら、そのほうが楽だろ」
「白の外で止まった機体は、次に通る誰かの足場になる」
ヒロはすぐには返さなかった。ヴァイスは続ける。
「それに、ここで腐らせた機体が、別の誰かに拾われて厄介なことになるかもしれん」
「拾うのか、捨てるのか」
「判断は後でいい」
ヴァイスは、灰をかぶったRFをもう一度見た。
「まず、こいつが自分で何て名乗るかだ」
外部スピーカーに戻ったヴァイスは、少し間を置いて言った。
「お前、自分の番号は言えるか」
唐突だった。
「番号?」
「ヘルマーチなら、名前の代わりに振られていただろ。ゼロなんとかの、あれだ」
喉の奥で、ゼロサンロクが引っかかった。
長い間、その呼び方は聞いていない。逃げてからは、自分でも口にしていない。それでも、反射で出そうになる。
「番号はいい」
ヴァイスは続けた。
「番号じゃなくて、名前はあるか」
名前。
母親が最後に呼んだときの声と、番号だけが飛び交っていた年月が、同じ場所でぶつかった。
HUDの端に、小さな表示が出る。
《パイロット名:アキヒト》
《外部コールサイン:未設定》
自分で登録した名前だった。けれど、他人に名乗ったことは一度もない。口を突きそうになったのは、いつもの冷めた理屈だった。
今さら名乗ったところで、何が変わる。番号のままだとしても、やるべきことは同じだ。 だが、その理屈は途中でへし折れた。番号のままでいれば、自分はずっとあの隊に囚われたままだ。
ヘルマーチの列。036番。
撃てと言われた方向へ撃ち、壊せと言われたものを壊すための記号。それが嫌で東へ逃げてきたのだと、自分がいちばん知っているはずだった。
喉の奥で言葉が詰まる。その躊躇いを見透かすように、ノルンの表示がもう一つ、滑り込んできた。
《外部コールサイン欄が空欄です。入力しますか》
「うるさい」
小さく呟いてから、俺はマイクを開いた。
「アキヒト」
静かな声だった。それでも、聞き取れるだけの強さで言った。
短い間が空く。
《外部コールサイン:AKIHITO(暫定)》
ヴァイスは内部回線で短く言った。
「聞いたか。名前はアキヒトだ」
ヒロが返す。
「ああ」
それだけだった。
ヴァイス機が俺の機体の前まで進み、腹部の牽引ユニットを展開する。金属音のあと、太いケーブルが伸びた。
《接近中の機体から牽引ライン。接続要求》
「繋げ」
《了解。受け側ランチャー開放》
俺の機体から簡易フックが伸びる。バッファローのケーブルが噛み合い、ロック音がコクピットの内側まで伝わった。
《牽引開始に合わせ、外部入力を遮断します》
「やれ」
変換器のスイッチが落ちる。右腕が抜け止めを叩き返し、拾い食い用ケーブルを引き抜いた。先端のスパイクだけが、トラックの腹に刺さったまま残る。
《外部入力 切断》
外部スピーカーが、もう一度開いた。
「了解した」
ヴァイスの声が、今度ははっきりとした調子で続いた。
「行くぞ、アキヒト」
その一言で、喉の奥が詰まった。
数年ぶりに、人間の声で自分の名前を呼ばれたのだと気づく。
番号じゃない。
アキヒトとして扱われた。
返事を作ろうとしても、喉が動かなかった。代わりに、LSLの向こうで心拍だけが跳ね上がる。
《心拍数上昇。異常なし》
まだ、名前で呼ばれる場所がある。
牽引ケーブルが張り、機体がゆっくり前へ引かれ始めた。
灰に埋もれたトラックや折れたアンテナが、足元の影と一緒に後ろへ流れていく。
少し離れた空には、白帯本線の導光が、夕方の灰の中で細く揺れていた。
行くぞ、アキヒト。
その声は、ノルンのデータログにも、LSLのさらに奥深くにも留まり続けた。
036ではなく、ひとりの人間としての名前。
この冷たい灰の上で、自分という存在を結び直すための、短い、けれど確かな合図だった。