灰の傭兵と光の園 〈RF各機、メカイラストあり〉   作:青羽 イオ

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第九章 ロードゼロ:線の外の証明
第45話 捨てられた側


 一定間隔の電子音が、耳の奥で鳴っていた。

 

 機械の低い唸りと消毒薬の匂いが混じって、冷えた空気だけが妙にはっきりしている。遠くで合成音声が一度だけ流れた。

 

「生命兆候、安定域ぎりぎり」

 

 その言葉だけを残して意識が沈み、次に浮かんだときには、運ばれている揺れと金属の擦れる音があった。白い天井が流れていく。戦闘ホールの照明ではない。医務区画の天井だ。

 

 医療AIが、俺の心拍と血中酸素濃度を読み上げている。鎮痛薬は効いているらしい。

 

 医務区画か。

 

 まぶたの裏が明るい。

 

 俺は短く息を整え、ゆっくり目を開いた。白い天井、角の黄ばんだ照明カバー、視界の端で上下する緑の線。身体を起こそうとした瞬間、右脚の奥が鈍く痛み、固定具が曲げる動きを拒んだ。首を回そうとして側頭部の痛みに止められ、目だけを動かす。

 

 隣に、もう一つベッドがあった。

 

 毛布に沈んだ肩。胸元から右脇腹にかけて巻かれた厚い固定包帯。鼻にかかった酸素の管が、呼吸に合わせてわずかに揺れている。乱れた髪だけが、いつも通りだった。

 

 アキヒト。

 

 眠っているように見えたが、俺の視線に気づいたのか、細く目が開いた。

 

「起きたか、隊長」

 

 掠れた声だった。それでも、言い方だけは変わらない。

 

「ああ」

 

 喉がひりついた。自分の声が、少し遠く聞こえる。

 

 医療AIが、今度はアキヒトの意識レベルを読み上げた。会話は短時間に留めることを推奨する、という淡々とした声が続く。

 

「表示だけにしろ。喋るな」

 

 アキヒトが目を閉じたまま言う。

 

 医療AIは短い確認音を返し、音声出力を最小化した。記録は継続されるらしい。

 

「どのくらい、やられた」

 

 自分でも余裕がないと分かる声だった。

 

 固定された右脚へ意識を落とす。重く、感覚が薄い。痛みは薬で鈍っているが、奥に嫌な熱が残っていた。

 

 モニターの端に、損傷の概要が表示される。右膝、靱帯損傷の疑い。固定済み。側頭部打撲。経過観察。

 

「もういい」

 

 俺が遮ると、隣のベッドでアキヒトの口元がわずかに動いた。

 

「お前は右膝と頭。俺は右肩から脇腹。判定は、どっちも『生きてる』だ。十分だろ」

 

「……そうか」

 

 

 しばらく、電子音だけが続いた。

 

「さっきの昔話」

 

 アキヒトが目を閉じたまま言う。

 

「途中で意識、飛んだ。悪かったな」

 

「十分だ」

 

 俺は天井へ視線を固定したまま答えた。

 

「あれだけ聞けば、あいつがどういう人間かは分かる」

 

 番号で呼ぶ隊長。人の足元を見て、どこに立つかを試す男。白帯B3を割ったときも、同じ顔で命令していたはずの人間。その輪郭だけが、頭の中に残っている。

 

 心拍が一段速くなった。記憶の中で、ガスマスクの片目がこちらを見る。

 

 親父、か。

 

 火傷跡と皺。ヒロか、と呼ぶ声。二人がかりで踏み込んで、それでも床に転がされた感触。固定された右膝が、遅れて痛んだ。

 

『白帯の上でしか世界を見ないなら、お前は一生このままだ』

 

 コンラートの声が、耳の奥で軋む。

 

『外側から全部を見ようとしなければ、何も変えられない。お前が安全地帯にしがみついている限り、この世界は誰かが勝手に描いた線のままだ』

 

 悔しくて、口が勝手に動いた。

 

『俺はそれでも構わない。白帯から外れたら生きていけない奴らが山ほどいる。あいつらにとっては、あの白い道だけが、明日まで進むための場所なんだ』

 

 返ってきたのは、短い一言だった。

 

『甘い』

 

 そのあと膝を蹴られ、視界が横に流れた。刃は最後まで届かなかった。届かせてもらえなかった。

 

 二人で行って、これだ。

 

 銃はすぐに落とされた。最後は床の上。とどめを刺そうと思えば、いつでも刺せる距離だった。

 

 今の俺じゃ、届きもしない。

 

 036だったアキヒトですら、あの男には届かなかった。足りないものは、数えるまでもない。

 

 しかもコンラートは、アキヒトにははっきり戻れと言った。名前を捨てろ、とまで口にした。

 

 俺に向けられたのは、甘い、このままだ、という評価と、白帯の上に立つのは勝手だという突き放しだけだった。

 

 アキヒトには戻れと言った。俺は、取り残されたままか。

 

 子どもの頃にいなくなった父親と、ヘルマーチの隊長が同じ顔をしていた。再会して最初に渡されたのは、世界の見方ごとの否定と、力の差の確認だった。

 

「ヒロ」

 

 アキヒトが、視線だけをこちらへ寄せる。

 

「顔、ひどいぞ」

 

「そっちもな」

 

 笑いに変えようとしても、口の端がうまく動かなかった。

 

「二人でかかって、相手にもされなかった。今のままじゃ、勝ち目はない」

 

 言葉にした瞬間、自分の胸にいちばん深く刺さった。

 

 白帯の上で守ってきたものも、VOLKの隊長として積んできた戦いも、あの男には甘いの一言で片づくのかもしれない。

 

 喉まで出かかった言葉を飲み込み、俺は天井を見つめた。電子音は変わらないリズムで鳴り続けている。自分とコンラートの差だけが、はっきり残っていた。

 

 少しして、アキヒトが息を吐いた。

 

「負けたのは事実だ」

 

「ああ」

 

「でも、生きてる。次がある」

 

 俺は目だけを隣へ向けた。

 

「簡単に言うな」

 

「簡単じゃないから、今はそれだけでいい」

 

 アキヒトは目を閉じる。

 

「あいつに勝つ方法は、後で考える。今すぐ考えても、鎮痛薬で頭が回らない」

 

「お前でも、そういうことを言うんだな」

 

「俺を何だと思ってる」

 

「もっと無理を通すやつだと思ってた」

 

「それは否定しない」

 

 わずかな沈黙のあと、俺の喉から小さく息が漏れた。笑いにはならなかったが、さっきより少しだけ息がしやすい。

 

 そのとき、ドアロックが小さく鳴った。扉がそっと開く。

 

「失礼します」

 

 遠慮がちな声で、サキが顔をのぞかせた。目のまわりが少し赤い。両手には、くたびれた紙袋を抱えている。取っ手は何度も握ったのか、くしゃくしゃになっていた。

 

「起きてたんだ。よかった」

 

 笑おうとして、頬がうまく動かないように見えた。その後ろから、ナロアがひょいと顔を出す。

 

「お邪魔するよ、負傷者コンビ。面会、私が通した」

 

 いつもの調子だったが、目のふちが赤い。

 

「サキ」

 

 俺は名前だけ呼び、少し遅れて続けた。

 

「心配、かけた」

 

「心配くらいします」

 

 サキは紙袋を抱え直し、足元を確かめるように一歩ずつ近づいた。

 

「子どもたち、みんな泣きそうで。だから、何か届けようって……これ」

 

 袋の口が開く。色とりどりの折り紙と、ぎっしり詰まったメッセージカードが見えた。

 

「はやくよくなってください、とか、こんどは近くでRFを見せてください、とか。みんな、いろいろ書いていて……全部持ってきたら、こんなになっちゃって」

 

 言ううちに、声が揺れた。

 

「ごめんなさい。私、何もできなくて」

 

「謝るのは、俺たちのほうだ」

 

 俺は動かしづらい喉を無理に使った。

 

「心配させた。悪かった」

 

「すごく、心配しました」

 

 サキが唇を噛む。

 

「死んじゃったんじゃないかって、ずっと考えてて。あの子たちに、もう会えませんって言わなきゃいけないのかって……」

 

 そこで言葉が切れ、視線がシーツに落ちた。

 

「ごめんなさい。泣かないつもりだったのに」

 

 小さな染みが、シーツに落ちる。俺は何か言おうとして口を開いたが、言葉が出なかった。結局、短く言う。

 

「生きて戻った」

 

 隣で、アキヒトが困ったように目を細めた。一度天井を見てから、サキへ視線を向ける。

 

「悪い。派手に転んだ」

 

「転んだ、じゃないですよ」

 

 サキは笑おうとして失敗し、そのまま俯いた。肩が小さく震える。ナロアが、ふうと息をついた。

 

「ったくさ」

 

 ベッドのそばまで来ると、まず俺のベッド柵をこつんと叩き、続けてアキヒト側も同じように一発叩いた。

 

「おい」

 

 俺とアキヒトの抗議が重なり、ナロアはわざとらしく肩をすくめる。

 

「泣かせてんのは、あんたらだよ。隊長もアキヒトも」

 

 そう言ってから、ふっと目を伏せた。笑っているのに、まつ毛のあたりが少し濡れている。

 

「生きて戻ってきたなら、それで百点。RFの傷も、あんたらの怪我も、私らと医者がどうにかする。それが持ち場だからね」

 

 サキが涙をぬぐって顔を上げる。

 

「ごめんなさい、ナロアさん。私まで取り乱して」

 

「いいよ。あんたが泣く前に、子どもたち全員泣きそうだったんだから」

 

 ナロアが小さく笑った。

 

「それ、人数ぶん入ってる。あとで枕元に並べときな。自分のがあるか、絶対見に来るよ」

 

 その最中、廊下の足音が増えた。ドアが勢いよく開く。

 

「よーし、渋滞してるな」

 

 真っ先に顔を突っ込んだのはゴーシュだった。後ろからガンモ、リュウ、ポチがぞろぞろ続く。

 

「隊長、人気者じゃないっすか。医務区画でこの人数、初めて見ましたよ」

 

 リュウがわざとらしく感心し、サキの涙の跡を一瞥して、にやりと笑う。

 

「こんな先生まで泣かせてさ。俺まで怒られたらどうしてくれるんですか、隊長」

 

 俺は鼻で笑う。

 

「誰に怒られるんだ」

 

 サキが慌てて目元を拭き、ナロアがすかさずリュウの背中を小突いた。

 

「はいそこ、口が軽い。あんたはまず自分の点検ログを片づけてから口を開きな」

 

「ひでえな。心配して来たのに」

 

「心配して来たやつの足取りじゃなかったぞ」

 

 ガンモが、がははと笑った。

 

「にしても……」

 

 俺の固定具と、アキヒトの包帯を一通り眺めて腕を組む。

 

「膝と肩と脇腹で済んだなら、まだ軽傷だな。次はもうちょっとマシに勝ってこいよ、隊長」

 

「その次の前に、まず治せって話だろ」

 

 ゴーシュがわざとらしくため息をつく。

 

「誰がこの状態で整備ログにサインすると思ってんだ。見舞い品はプロテインにしとくか?」

 

「絶対いらない」

 

 病室に、小さな笑いが広がった。

 

 最後に入ってきたポチは、ドアをそっと閉め、二人のベッドの間に立った。表情はいつもより静かで、口元だけがほんの少しほどけている。

 

「おかえり」

 

 一拍置いて、付け足す。

 

「二人とも」

 

 短いひと言で、場の空気がふっと変わった。

 

 さっきまで冷たく感じた医務区画の空気が、少しだけほどける。

 

「うるさいやつらだな」

 

 アキヒトが天井を見たまま呟いた。

 

「静かな医務区画は性に合わないってことだ」

 

 リュウが肩をすくめる。

 

「いや、医務区画は静かなほうがいいだろ」

 

 ゴーシュが言うと、ポチが横から口を挟んだ。

 

「今さらだろ。うちで本当に静かな場所なんて、弾薬庫くらいだ。あそこもガンモが入ると静かじゃないけど」

 

「なんで俺だよ」

 

「足音がでかい」

 

「それは機体の話だろ」

 

「本人も大差ない」

 

 ガンモが文句を言い、ナロアが「医務区画で声を張るな」とすぐに釘を刺す。サキは涙の跡を残したまま、少しだけ笑っていた。

 

 電子音のリズムは変わらない。白い天井も、消毒薬の匂いもそのままだ。

 

 それでも、取り残されたと思っていた場所に、こうして押しかけてくる連中がいる。紙袋の中には、小さな手で書かれた文字がぎゅうぎゅうに詰まっている。

 

 俺は、胸の奥の力が少し抜けるのを感じて、目を細めた。

 

「悪い。しばらく、ここから動けそうにない」

 

「だったら、立てるようになるまで待つだけだ」

 

 アキヒトが隣のベッドからぼそりと言う。

 

「隊長が立てないと、俺たちも勝手に走りづらい」

 

「そうそう。勝手には走るけど、文句は言われたくないからな」

 

 ガンモの言葉に、また笑いが重なった。

 

 取り残されたという感覚は、まだ胸の内に居座っている。コンラートの声も、膝に残った痛みも、消えたわけではない。

 

 けれどその外側を、しつこく囲んでくる声がここにはあった。

 

 俺は天井を見上げたまま、ゆっくり息を吐く。

 

「……次は、届かせる」

 

 誰に聞かせるつもりでもなかった。

 

 それでも、アキヒトだけは拾ったらしい。隣のベッドから、低い声が返ってくる。

 

「ああ。次は、届かせる」

 

 電子音が、変わらない間隔で鳴っている。

 

 その音の中で、俺はようやく目を閉じた。

 

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