灰の傭兵と光の園 〈RF各機、メカイラストあり〉 作:青羽 イオ
第45話 捨てられた側
一定間隔の電子音が、耳の奥で鳴っていた。
機械の低い唸りと消毒薬の匂いが混じって、冷えた空気だけが妙にはっきりしている。遠くで合成音声が一度だけ流れた。
「生命兆候、安定域ぎりぎり」
その言葉だけを残して意識が沈み、次に浮かんだときには、運ばれている揺れと金属の擦れる音があった。白い天井が流れていく。戦闘ホールの照明ではない。医務区画の天井だ。
医療AIが、俺の心拍と血中酸素濃度を読み上げている。鎮痛薬は効いているらしい。
医務区画か。
まぶたの裏が明るい。
俺は短く息を整え、ゆっくり目を開いた。白い天井、角の黄ばんだ照明カバー、視界の端で上下する緑の線。身体を起こそうとした瞬間、右脚の奥が鈍く痛み、固定具が曲げる動きを拒んだ。首を回そうとして側頭部の痛みに止められ、目だけを動かす。
隣に、もう一つベッドがあった。
毛布に沈んだ肩。胸元から右脇腹にかけて巻かれた厚い固定包帯。鼻にかかった酸素の管が、呼吸に合わせてわずかに揺れている。乱れた髪だけが、いつも通りだった。
アキヒト。
眠っているように見えたが、俺の視線に気づいたのか、細く目が開いた。
「起きたか、隊長」
掠れた声だった。それでも、言い方だけは変わらない。
「ああ」
喉がひりついた。自分の声が、少し遠く聞こえる。
医療AIが、今度はアキヒトの意識レベルを読み上げた。会話は短時間に留めることを推奨する、という淡々とした声が続く。
「表示だけにしろ。喋るな」
アキヒトが目を閉じたまま言う。
医療AIは短い確認音を返し、音声出力を最小化した。記録は継続されるらしい。
「どのくらい、やられた」
自分でも余裕がないと分かる声だった。
固定された右脚へ意識を落とす。重く、感覚が薄い。痛みは薬で鈍っているが、奥に嫌な熱が残っていた。
モニターの端に、損傷の概要が表示される。右膝、靱帯損傷の疑い。固定済み。側頭部打撲。経過観察。
「もういい」
俺が遮ると、隣のベッドでアキヒトの口元がわずかに動いた。
「お前は右膝と頭。俺は右肩から脇腹。判定は、どっちも『生きてる』だ。十分だろ」
「……そうか」
しばらく、電子音だけが続いた。
「さっきの昔話」
アキヒトが目を閉じたまま言う。
「途中で意識、飛んだ。悪かったな」
「十分だ」
俺は天井へ視線を固定したまま答えた。
「あれだけ聞けば、あいつがどういう人間かは分かる」
番号で呼ぶ隊長。人の足元を見て、どこに立つかを試す男。白帯B3を割ったときも、同じ顔で命令していたはずの人間。その輪郭だけが、頭の中に残っている。
心拍が一段速くなった。記憶の中で、ガスマスクの片目がこちらを見る。
親父、か。
火傷跡と皺。ヒロか、と呼ぶ声。二人がかりで踏み込んで、それでも床に転がされた感触。固定された右膝が、遅れて痛んだ。
『白帯の上でしか世界を見ないなら、お前は一生このままだ』
コンラートの声が、耳の奥で軋む。
『外側から全部を見ようとしなければ、何も変えられない。お前が安全地帯にしがみついている限り、この世界は誰かが勝手に描いた線のままだ』
悔しくて、口が勝手に動いた。
『俺はそれでも構わない。白帯から外れたら生きていけない奴らが山ほどいる。あいつらにとっては、あの白い道だけが、明日まで進むための場所なんだ』
返ってきたのは、短い一言だった。
『甘い』
そのあと膝を蹴られ、視界が横に流れた。刃は最後まで届かなかった。届かせてもらえなかった。
二人で行って、これだ。
銃はすぐに落とされた。最後は床の上。とどめを刺そうと思えば、いつでも刺せる距離だった。
今の俺じゃ、届きもしない。
036だったアキヒトですら、あの男には届かなかった。足りないものは、数えるまでもない。
しかもコンラートは、アキヒトにははっきり戻れと言った。名前を捨てろ、とまで口にした。
俺に向けられたのは、甘い、このままだ、という評価と、白帯の上に立つのは勝手だという突き放しだけだった。
アキヒトには戻れと言った。俺は、取り残されたままか。
子どもの頃にいなくなった父親と、ヘルマーチの隊長が同じ顔をしていた。再会して最初に渡されたのは、世界の見方ごとの否定と、力の差の確認だった。
「ヒロ」
アキヒトが、視線だけをこちらへ寄せる。
「顔、ひどいぞ」
「そっちもな」
笑いに変えようとしても、口の端がうまく動かなかった。
「二人でかかって、相手にもされなかった。今のままじゃ、勝ち目はない」
言葉にした瞬間、自分の胸にいちばん深く刺さった。
白帯の上で守ってきたものも、VOLKの隊長として積んできた戦いも、あの男には甘いの一言で片づくのかもしれない。
喉まで出かかった言葉を飲み込み、俺は天井を見つめた。電子音は変わらないリズムで鳴り続けている。自分とコンラートの差だけが、はっきり残っていた。
少しして、アキヒトが息を吐いた。
「負けたのは事実だ」
「ああ」
「でも、生きてる。次がある」
俺は目だけを隣へ向けた。
「簡単に言うな」
「簡単じゃないから、今はそれだけでいい」
アキヒトは目を閉じる。
「あいつに勝つ方法は、後で考える。今すぐ考えても、鎮痛薬で頭が回らない」
「お前でも、そういうことを言うんだな」
「俺を何だと思ってる」
「もっと無理を通すやつだと思ってた」
「それは否定しない」
わずかな沈黙のあと、俺の喉から小さく息が漏れた。笑いにはならなかったが、さっきより少しだけ息がしやすい。
そのとき、ドアロックが小さく鳴った。扉がそっと開く。
「失礼します」
遠慮がちな声で、サキが顔をのぞかせた。目のまわりが少し赤い。両手には、くたびれた紙袋を抱えている。取っ手は何度も握ったのか、くしゃくしゃになっていた。
「起きてたんだ。よかった」
笑おうとして、頬がうまく動かないように見えた。その後ろから、ナロアがひょいと顔を出す。
「お邪魔するよ、負傷者コンビ。面会、私が通した」
いつもの調子だったが、目のふちが赤い。
「サキ」
俺は名前だけ呼び、少し遅れて続けた。
「心配、かけた」
「心配くらいします」
サキは紙袋を抱え直し、足元を確かめるように一歩ずつ近づいた。
「子どもたち、みんな泣きそうで。だから、何か届けようって……これ」
袋の口が開く。色とりどりの折り紙と、ぎっしり詰まったメッセージカードが見えた。
「はやくよくなってください、とか、こんどは近くでRFを見せてください、とか。みんな、いろいろ書いていて……全部持ってきたら、こんなになっちゃって」
言ううちに、声が揺れた。
「ごめんなさい。私、何もできなくて」
「謝るのは、俺たちのほうだ」
俺は動かしづらい喉を無理に使った。
「心配させた。悪かった」
「すごく、心配しました」
サキが唇を噛む。
「死んじゃったんじゃないかって、ずっと考えてて。あの子たちに、もう会えませんって言わなきゃいけないのかって……」
そこで言葉が切れ、視線がシーツに落ちた。
「ごめんなさい。泣かないつもりだったのに」
小さな染みが、シーツに落ちる。俺は何か言おうとして口を開いたが、言葉が出なかった。結局、短く言う。
「生きて戻った」
隣で、アキヒトが困ったように目を細めた。一度天井を見てから、サキへ視線を向ける。
「悪い。派手に転んだ」
「転んだ、じゃないですよ」
サキは笑おうとして失敗し、そのまま俯いた。肩が小さく震える。ナロアが、ふうと息をついた。
「ったくさ」
ベッドのそばまで来ると、まず俺のベッド柵をこつんと叩き、続けてアキヒト側も同じように一発叩いた。
「おい」
俺とアキヒトの抗議が重なり、ナロアはわざとらしく肩をすくめる。
「泣かせてんのは、あんたらだよ。隊長もアキヒトも」
そう言ってから、ふっと目を伏せた。笑っているのに、まつ毛のあたりが少し濡れている。
「生きて戻ってきたなら、それで百点。RFの傷も、あんたらの怪我も、私らと医者がどうにかする。それが持ち場だからね」
サキが涙をぬぐって顔を上げる。
「ごめんなさい、ナロアさん。私まで取り乱して」
「いいよ。あんたが泣く前に、子どもたち全員泣きそうだったんだから」
ナロアが小さく笑った。
「それ、人数ぶん入ってる。あとで枕元に並べときな。自分のがあるか、絶対見に来るよ」
その最中、廊下の足音が増えた。ドアが勢いよく開く。
「よーし、渋滞してるな」
真っ先に顔を突っ込んだのはゴーシュだった。後ろからガンモ、リュウ、ポチがぞろぞろ続く。
「隊長、人気者じゃないっすか。医務区画でこの人数、初めて見ましたよ」
リュウがわざとらしく感心し、サキの涙の跡を一瞥して、にやりと笑う。
「こんな先生まで泣かせてさ。俺まで怒られたらどうしてくれるんですか、隊長」
俺は鼻で笑う。
「誰に怒られるんだ」
サキが慌てて目元を拭き、ナロアがすかさずリュウの背中を小突いた。
「はいそこ、口が軽い。あんたはまず自分の点検ログを片づけてから口を開きな」
「ひでえな。心配して来たのに」
「心配して来たやつの足取りじゃなかったぞ」
ガンモが、がははと笑った。
「にしても……」
俺の固定具と、アキヒトの包帯を一通り眺めて腕を組む。
「膝と肩と脇腹で済んだなら、まだ軽傷だな。次はもうちょっとマシに勝ってこいよ、隊長」
「その次の前に、まず治せって話だろ」
ゴーシュがわざとらしくため息をつく。
「誰がこの状態で整備ログにサインすると思ってんだ。見舞い品はプロテインにしとくか?」
「絶対いらない」
病室に、小さな笑いが広がった。
最後に入ってきたポチは、ドアをそっと閉め、二人のベッドの間に立った。表情はいつもより静かで、口元だけがほんの少しほどけている。
「おかえり」
一拍置いて、付け足す。
「二人とも」
短いひと言で、場の空気がふっと変わった。
さっきまで冷たく感じた医務区画の空気が、少しだけほどける。
「うるさいやつらだな」
アキヒトが天井を見たまま呟いた。
「静かな医務区画は性に合わないってことだ」
リュウが肩をすくめる。
「いや、医務区画は静かなほうがいいだろ」
ゴーシュが言うと、ポチが横から口を挟んだ。
「今さらだろ。うちで本当に静かな場所なんて、弾薬庫くらいだ。あそこもガンモが入ると静かじゃないけど」
「なんで俺だよ」
「足音がでかい」
「それは機体の話だろ」
「本人も大差ない」
ガンモが文句を言い、ナロアが「医務区画で声を張るな」とすぐに釘を刺す。サキは涙の跡を残したまま、少しだけ笑っていた。
電子音のリズムは変わらない。白い天井も、消毒薬の匂いもそのままだ。
それでも、取り残されたと思っていた場所に、こうして押しかけてくる連中がいる。紙袋の中には、小さな手で書かれた文字がぎゅうぎゅうに詰まっている。
俺は、胸の奥の力が少し抜けるのを感じて、目を細めた。
「悪い。しばらく、ここから動けそうにない」
「だったら、立てるようになるまで待つだけだ」
アキヒトが隣のベッドからぼそりと言う。
「隊長が立てないと、俺たちも勝手に走りづらい」
「そうそう。勝手には走るけど、文句は言われたくないからな」
ガンモの言葉に、また笑いが重なった。
取り残されたという感覚は、まだ胸の内に居座っている。コンラートの声も、膝に残った痛みも、消えたわけではない。
けれどその外側を、しつこく囲んでくる声がここにはあった。
俺は天井を見上げたまま、ゆっくり息を吐く。
「……次は、届かせる」
誰に聞かせるつもりでもなかった。
それでも、アキヒトだけは拾ったらしい。隣のベッドから、低い声が返ってくる。
「ああ。次は、届かせる」
電子音が、変わらない間隔で鳴っている。
その音の中で、俺はようやく目を閉じた。