灰の傭兵と光の園 〈RF各機、メカイラストあり〉 作:青羽 イオ
医務区画の白い光が、今日は少し眩しかった。
俺は仰向けのまま、頭上モニターに流れる心電図と、LSLリンクのグラフを眺めていた。規則正しい波形だけが、こちらの気分とは関係なく現状を告げている。
ベッド脇のスツールには、艦医のマティアス・アサクラが腰を下ろしていた。タブレットの表示を指で送り、必要なところだけ目を上げる。
「LSLの結合は安定。脳波も、戦闘時の山から降りてきてる。右膝、側頭部、脇腹の打撲。前にやったところも、治り方に文句はない。痛みは残るが、仕事にはなる」
「つまり、もう走って殴ってもいいってことか」
マティアスは眉をわずかに動かしただけで、端末に署名した。
「歩くところからにしろ。走るなと言っても、どうせ必要なら走る顔をしてる。だから言い方を変える」
端末を閉じ、俺の右膝へ視線を落とす。
「現場復帰は許可する。ただし、無茶してまた壊したら、今度はちゃんと怒るからな、隊長」
「今までは怒ってなかったのか」
「かなり我慢してた」
それだけ言い残し、マティアスは白衣の裾を揺らして出ていった。
扉が閉まると、隣の簡易ベッドにもたれていたポチが、わざとらしく肩をすくめる。
「聞いた? 今の、医者の言葉に見せかけた脅迫だよ」
「聞いた。医者の“ほどほどに”は信用するなって、じいちゃんが言ってた」
「そのじいちゃん、多分もういないでしょ。しかも医者側だった可能性あるし」
「だったらなおさらだ」
俺はゆっくり上体を起こし、ストレッチ用の簡易ハーネスを外した。ベッドから足を下ろす。右膝の奥には鈍い違和感が残っているが、体は言うことを聞いた。
立ち上がると、床の硬さが足裏から膝へ伝わる。痛みはある。だが、使えないほどではない。
「お、立った。じゃあ、隊長の復活祝いに、ブリーフィングで眠らない権利をあげよう」
「いらない権利を押しつけるな」
医務区画の奥から、ガンモが顔を出した。
「隊長、診断終わりか」
「ああ。晴れて現場復帰可だ」
「なら、さっさと行くぞ。ヴァイスが時間きっちり守れってうるせえ。あの顔で待たれると、廊下の空気まで重くなる」
「お前が遅れるからだろ」
「今日は俺じゃねえ。たぶんポチだ」
「何で俺に来るかな。まだ何もしてないのに」
三人で医務区画を出た。通路のわずかな揺れが足裏に伝わり、陸上戦艦《グレイランス》が灰の海を重く進んでいるのが分かる。壁の配管が低く鳴り、天井の誘導灯が一定の間隔で続いていた。
医務区画の白い匂いが遠ざかるにつれて、油と金属と灰の匂いが戻ってくる。
こっちのほうが、今の俺には落ち着いた。
*
ブリーフィングルームには、すでに地図パネルが展開されていた。
灰色の地形図に、白帯のルートが細く光っている。その外側に、赤い太線が引かれていた。旧高速道路跡と古い工業地帯を抜け、前線拠点と後方基地を最短で結ぶ経路だ。
「来たな」
端末の前で腕を組んでいたヴァイスが、顎で合図した。横にはジル。そのさらに隣に、UDFの階級章を付けた中年の少佐が立っている。
「VOLK、三機揃いました」
俺が言うと、少佐が短く頷いた。
「では始めよう」
ジルが端末を操作し、地図の一部が拡大された。前線E−17拠点、後方補給基地D−3、そして白帯B4を経由する通常ルートが表示される。
「今回の任務は、UDF補給車列の護衛です。E−17からD−3まで。通常は白帯B4を使いますが……」
白帯の一部が黄色に変わり、通行制限の表示が重なった。
「先日の橋崩落と、その後の灰膜変動で、B3からB5区画の一部は運用が不安定になっています。完全に通れないわけではありませんが、迂回を入れると時間がかかります」
「そこで、こっちを使う」
ヴァイスが赤いルートを指でなぞった。
「旧高速道路跡と工業地帯を抜ける最短経路だ。白帯からは外れるが、距離は三分の二で済む」
「白帯を使わない、ってことか」
ポチが眉を上げる。
「そうだ」
少佐が引き取った。
「本来なら避けたい手段だ。だが、最近このエリアで補給路を狙う連中が出ている。前線はどこも弾と食料がぎりぎりでな。少しでも車列の回転を上げたい」
「その連中ってのは?」
ガンモが腕を組み直す。
「所属不明。RFと地上兵器を混ぜた小規模な襲撃が数回。どこかの企業が我々の足を削りたいんだろうが、決定的な証拠は掴めていない」
少佐は、言いにくさを隠さず肩をすくめた。
「名指しはできない。察してくれ。だからこそ、民間傭兵の力を借りる。君らクレイヴ・アクトは、この辺りの地形と灰の外に慣れていると聞いている」
「買いかぶりだな」
ヴァイスが鼻で笑う。
「うちは白帯の外も走るが、好きでやってるわけじゃない。金になるからやるだけだ」
「そのほうが話が早い」
少佐は苦笑し、地図へ視線を戻した。俺の視線も、赤いルートへ落ちる。
白帯から外れ、崩壊地帯の中を進む補給車列。その前後に、自分たちのRFがつく光景が、勝手に頭に浮かんだ。
――白帯の上でしか世界を見ないなら、お前は一生このままだ。
耳の奥で、コンラートの声が引っかかる。右膝の奥が痛んだ。痛みが、記憶に手を伸ばす。
うるさい。
内側でだけ言い捨て、俺は端末に視線を戻した。
「ルート上の危険度評価は?」
声は整えた。少なくとも、自分ではそう聞こえた。
ジルが淡々と読み上げる。
「崩落地帯が三か所。灰霧による視界不良区間が二か所。ミュータント出現報告が二件。所属不明武装勢力の反応記録が一件」
「ここ三ヶ月は?」
「目立った襲撃はありません」
「静かすぎるってやつか」
ガンモがぼそりと呟く。
「そうとも言えるな」
少佐が頷いた。
「だが、我々には時間がない。白帯を遠回りしている余裕は薄い。ここで一度、最短経路を試したい」
言い終えて、少佐は俺を見た。
「VOLK隊長。君の判断を聞かせてくれ」
視線が重い。俺は白帯の通常ルートと、赤い最短経路を見比べた。
橋が崩れたときの光景が、まだ薄れない。ヘルマーチの砲口が橋に向いた瞬間、俺は止めろと叫んだ。止められなかった。その事実だけが残っている。
――安全地帯にしがみつくな。
同じ言い方が、また刺さる。
白帯だけを見ていたら駄目だ。それは分かってる。
だが、白帯を軽く見るつもりもない。あそこを頼るしかない人間がいる。あの白い道から外れたら、生きて進めない人間がいる。それを知っているから、俺は白帯を守ってきた。
今、目の前にあるのは補給車列だ。
弾と食料が届かなければ、前線も、白帯を守る部隊も止まる。白帯の外を通るこの車列も、結局は白帯を守るための荷物を運んでいる。
そこを見落とせば、コンラートの言葉に負けたことになる。俺は呼吸を落ち着け、顔を上げた。
「条件付きで、最短経路を使うべきだと思います」
ヴァイスが片眉を上げる。
「条件?」
「偵察ドローンを先に出す。RFの前衛も厚めに置く。崖上、灰膜の濃い場所、工業地帯の曲がり角は、必ず目で確認してから車列を入れる」
言いながら、地図の赤いルートを指で追う。
「確認できない場所は、小さく迂回する。時間は削る。でも、見えない場所へ車列を突っ込ませる気はありません」
少佐はしばらく俺を見ていた。
「到着予定時刻は守れるか」
「守る努力はします。ただ、襲撃か灰膜異常が出た場合は、車列の生存を優先します。時間より荷物と人員です」
「分かった」
少佐は頷いた。
「偵察と前衛の運用は、VOLK隊長の裁量に任せる。ただし、予定を大きく超えるようなら、ルートの再検討を求める」
「了解しました」
「こっちの腹も、少しは満たさないとな」
ヴァイスが口を挟む。
「この仕事一本で、当分の補給と整備費は出る。グレイランスの炉を止めないためにも、外回りは必要だ」
「金の話ばっかりだな、艦長」
ポチが苦笑すると、ヴァイスは肩をすくめた。
「金がなきゃ白も灯せん。理想だけで陸上戦艦は走らんさ」
ヴァイスは俺たち三人を順に見回した。
「ヒロ。お前が決めた経路だ。引き返すにしても、突っ切るにしても、その都度判断しろ」
「了解」
「橋のときの判断は間違ってなかった。だから今度も、結果を怖がって足を鈍らせるな」
俺は姿勢を正す。
「VOLK隊長として判断します。白帯の外を通りますが、無茶はしません。車列をD−3まで送り届けます」
ヴァイスは小さく頷いた。
「それでいい」
ジルが最後の確認に入る。
「RF編成は、ヒロ機、ガンモ機、ポチ機。出撃時刻はT+一二〇分。補給車列と現地UDF部隊との合流ポイントはここです」
地図上に、点滅するマーカーが追加された。
「作戦コードは〈ロード・ゼロ〉。白帯の外に補給路を通せるか、一度ゼロから確認する任務です」
「積み荷ゼロになったらシャレにならないな」
ポチがぼそりと呟く。
「だから護衛がいるんだろ。ロード・ゼロで積載ゼロは、さすがに笑えねえ」
ガンモが苦笑混じりに返す。
ポチとガンモのやり取りを聞きながら、俺はもう一度、地図の赤いルートを見つめた。
白帯の外へ出る。そこに何が待つのか、考えだすときりがない。
それでも、この補給車列が届かなければ、白帯を守る側もいずれ動けなくなる。
俺は、白帯を守る側だ。そのために、今日は白帯の外を行く。
端末から目を離し、俺は部屋の全員を見た。
「各機、出撃準備に入れ。ガンモは前衛装備の確認。ポチはドローンの稼働数と予備バッテリーを見てくれ。俺は車列の配置を詰める」
「了解。つまり俺が前で殴られろってことだな」
ガンモが肩を回す。
「今回は殴られる前に止めろ」
「注文が多いな」
ポチが端末を抱え直す。
「俺はドローンね。はいはい、白帯の外は電波も性格も悪いから、期待しすぎないでくれよ」
「期待はしてる」
「重いな、その一言」
椅子のきしむ音とブーツの足音が重なった。
俺も立ち上がり、通路へ向かう。右膝の奥に、まだ痛みは残っている。だが、足は前へ出た。
背後のモニターでは、白帯の外を通る赤いルートが、静かに光っていた。