灰の傭兵と光の園 〈RF各機、メカイラストあり〉 作:青羽 イオ
白帯の灯りは、もう見えなかった。
灰をかぶった古い舗装路が、ゆるくうねりながら前へ続いている。右側は切り立った崖で、折れた古い橋脚が道路側へ倒れ込み、路肩を大きく削っていた。左には崩れた壁や鉄骨の残骸が散らばり、骨だけになった建物の躯体が灰に半分埋もれている。
風はない。
それでも灰だけが薄く動き、タイヤの跡をすぐに鈍らせていく。沈んで割れたアスファルトの隙間にも灰が詰まり、道路だった場所は、もう道路に見えたり見えなかったりした。
その上を、補給車列が縦に長く伸びて進んでいる。
燃料タンクのトレーラー、コンテナ車、荷台付きのトラック。数は十数台。先頭と最後尾を小型装甲車が固め、その間に補給車両が入る形だ。車間を含めれば、列は数百メートルになる。白帯の外では、これでも短い編成のはずだった。
だが、ここでは長い。長ければ、それだけ狙われる場所も増える。
エンジン音は崖に跳ね返っているが、速度は上がらない。車列は慎重に進んでいる。慎重すぎて、かえって全体の動きが鈍く見えた。
俺の機体は先頭より少し前に出ていた。右の崖沿いにはガンモの重盾機。最後尾ではポチの軽量機がドローンを飛ばし、車列全体の後ろと上を見ている。
モニターに映る前方の景色は、細部から少しずつ削られていくように見えた。センサーの不調だけではない。このあたりでは、灰そのものが視界と情報を曖昧にする。
車列先頭から通信が入った。
『こちらD−3行き補給車列先頭車。〈ロード・ゼロ〉フェーズ二。白帯外ルートに入った。車列速度、時速二十二。灰膜濃度、現時点では問題なし』
「問題なしは、額面通りには受け取れない」
俺は前方映像を切り替えた。
その一瞬、B3高架の崩落が視界の隅に重なった。導光ラインが空中で途切れ、人と機体が落ちていく光景。事件ログに残っていたのは、救出猶予時間ゼロ分という記録だけだった。
守れなかった事実が先に来るが、意識して切り離す。
今は橋ではない。今は、この車列だ。ガンモの声が割り込んだ。
『隊長、前方八百メートル。右の崖から古い橋脚が倒れ込んでる。路幅、トレーラー二台ぶんくらいしかねえ』
「左は」
ポチがすぐ返す。
『灰に埋まってる残骸が邪魔だ。寄りすぎたら、荷台の側面を引っかける。無理に広がる幅はないな』
HUDの簡易地図が、その区間を赤く縁取った。
狭い。
右は崖、左は瓦礫。前方には一度だけ視界が開ける高台があるものの、その手前が最短ルート最大の難所になっていた。
ここで一度足を止め、索敵を組み直したい──そう思った。
だが、車列はすでにブレーキランプを断続的に点滅させている。車間が急速に詰まり始めていた。後方では灰膜濃度が上昇しつつあり、引き返せばそれだけ行軍距離が伸びてしまう。日没までの時間と燃料の残量を考えれば、猶予はほとんど残されていなかった。
ここで足を止め、陣形を固めてしまえば、逃げ場を失う。
かつて、あの橋で痛いほど思い知らされたはずだった。
「崖区間だけ抜ける。抜けた先の高台で全停止。そこで索敵と通信をやり直す」
言ってから、自分の声に耳を疑った。
──抜けた先で。
その言葉に、わずかな、けれど嫌な引っかかりを覚えた。通信の向こうで、ガンモが低く応じる。
『戻る時間は、もうねえってことだな』
『戻っても灰が濃い。行くなら、前を押さえて抜けたほうが早い』
ポチの言い方は軽かったが、その結論は硬かった。
「VOLK隊、崖区間に入る。車列、速度維持。ただしRFは防御重視だ。ガンモ、右で盾を上げて崖上からの射線を切れ。ポチは後ろと上、両方を見ろ。怪しい動きがあれば即報告」
車列先頭から了解のサインが返る。車両の列は、そのまま前へと滑り込んだ。
舗装路の両側が、さらに狭くなる。
トレーラーの荷台と崖のディスタンスは、モニター越しに見ても明らかに足りていない。岩肌が迫る。崩れたコンクリートの角が、今にも車両の側面を削りそうなほど間近に迫っていた。
ガンモの重盾機が右へ回り込み、盾を斜めに立てた。崖上からの射線を少しでも切るためだ。後方ではポチのドローンが高度を変えながら、崖縁と瓦礫帯をなぞるように飛んでいる。映像は灰で霞み、影の境界だけが残った。
『隊長、上から反応。崖の中腹に金属反応がいくつかある』
「RFか」
『サイズが違う。昔の車両か、工事機材の残骸だと思う』
HUDにも、過去戦闘残存物多数という注記が出ていた。頭のどこかでは、あれらはただの残骸なのだと整理できている。
それなのに、崖の中腹に並ぶいくつもの反応が、どうしても視界から外れてくれなかった。
──止めるべきか。
今ならまだ、先頭の車両だけでも制動が間に合う。
だが、ここで下手に止めれば、隊列の最も無防備な胴体がこの狭隘な場所に残されてしまう。前にも後ろにも広がれず、ただの的に成り下がる。
「ポチ、上の監視続行。動きが出たら距離と位置を即報告」
『了解。ドローン増やす』
「車列、速度を少し落とせ。ただし前進は続ける。受けられるものは、こっちで受ける」
無視はできない。だが、この時点で全停止は選べなかった。
進むにつれて、回線に細いノイズが混じり始める。
『こちらD−3行き補給車列、ロード・ゼロ。進行状況に、ノイズが──』
突如、声が欠けた。
HUDの隅で、回線品質低下のインジケーターが小さく点滅する。灰膜と地形反射の影響推定──あの橋のときにも見た表示だった。
喉の奥が固くなるのを自覚しながら、通信を繋ぐ。
「ガンモ、くびれ出口までの距離は」
『あと数百メートルだ。だが車間が詰まってきてる。止めるなら今だぞ。抜けるなら、このまま行くしかねえ』
俺は前方映像と地図のマーカーを頭の中で重ね合わせた。出口まであと少し。あの高台に出られれば、横に広がって隊列を止められる。車列の間隔も取り直せるし、通信も今よりは通るはずだ。
止めるなら、今。
抜けるのも、今。
どちらの選択肢も、まるで自分が正解だと言いたげな顔をして、俺の前に並んでいた。
「崖区間の終わりまで──あとどれくらいだ」
『レーザー測距の読みで、だいたい二百五十メートル。今の速度なら四十秒ちょいだ』
四十秒。
短い。短いはずの時間だった。
本来なら、この段階で意地でも車列を止め、上空を警戒すべきだった。少なくとも先頭だけでも制動させ、ガンモに崖上を制圧させるべきだった。
だが俺は、安全な場所へ抜けてからの処理を選択した。
あの橋の記憶が、停止という判断を押し戻す。あのときも、足を止めた車列から逃げ場が失われた。だから今は動かす──そう考えた。いや、そう考えたつもりになっていただけだった。
「このまま抜ける。崖区間を出た高台まで行き、そこで全停止。索敵と通信をすべてやり直す」
『了解』
ガンモの返事は短かった。
『了解。高台に出たら、すぐにドローンを展開するよ』
ポチもそれに続く。
左右の岩壁が、さらに距離を縮めてきた。
車列のどこかで軽くブレーキが踏まれ、赤いランプが一斉に明滅する。隊列の中央が過密になり、トレーラー同士の間隔が急速に狭まっていく。
ガンモの盾が右側を覆い、ポチのドローンが崖の縁と瓦礫帯を交互にモニターへ映し出す。
『上の金属反応、動きなし。だけど、影の中までは──』
ノイズがもう一段、跳ね上がった。車列指揮の途切れ途切れの声が混ざる。
『ロード・ゼロ、こちら……左側、通信妨──』
HUDの診断表示が非情に切り替わった。──干渉源の可能性。灰膜由来と断定不能。
遅すぎた。
俺は反射的に叫んでいた。
「全車──」
言い切る前に、回線が完全に割れた。
「停止準備! 後退ルートを──」
次の瞬間、右の崖上から複数の閃光が走った。
ほぼ同時に、左の瓦礫帯の影からも発射光が伸びる。
先頭の補給車両の目の前で、路面が激しく爆ぜた 衝撃と破片が、狭い道路の内部へと一気に流れ込む。巻き上がった爆煙が崖に激突し、乱気流となって跳ね返る。車列のブレーキランプが、今度は一斉に真っ赤に染まった。
逃げ場の制限された、最悪の場所で。
崖と瓦礫に挟まれた、最も狭い袋小路で。
今回は、天災のようにどうにもならなかったあの「橋」の悲劇じゃない。
自分が抜けてからと先送りしたせいで、隊列の腹を狭い場所に置いたまま撃たれた。
俺は、その冷酷な事実を即座に理解した。