灰の傭兵と光の園 〈RF各機、メカイラストあり〉 作:青羽 イオ
UDF駐屯地の照明塔が、夜気を白く切っていた。
仮設の整備ヤードには、焦げ跡と傷だらけのRFが三機、横一列に並んでいる。
左から、脚を外されてフレームだけになったRF−12AP〈ブレイン・モール〉。
重盾ごと膝から持ち上げられているRF−08GD〈バッド・バンカー〉。
そして、表面装甲こそ削れているが、自立できているのは、俺のRF−17C〈ヴァルケンストーム〉だけだった。
「脚のシリンダー、完全に死んでる。予備も合わねえな」
「盾の内側フレームも曲がってる。受けすぎだ、これ」
整備兵たちの声が、油と鉄の匂いに混じって流れる。
「動けるのは、VOLK−6のヴァルケンストームだけか」
俺は整備台の下をのぞき込み、警告灯を見た。黄色で止まっている。
整備班長がタブレットを見たまま、淡々と言った。
「外装と関節の一部だけだ。やろうと思えば、明日にも出せる」
「つまり、動く」
「動くな。俺はそう言ったつもりじゃない」
整備班長は顔を上げ、俺を睨んだ。
「中破手前の軽傷だ。次の被弾を考えるなら、数日は寝かせたい。人間で言えば、熱は下がったけど走るなって状態だ」
「了解」
「その了解が一番信用ならないんだよ」
短いやり取りのあと、俺は隣の二機へ視線を移した。
バッド・バンカーは盾の縁が裂け、取り付け基部ごとひしゃげている。ブレイン・モールは膝下をジャッキに乗せられ、肩のジャマー・ポッドには焦げた穴が開いていた。
崖の影。ノイズに沈む回線。最初の一撃で止まった先頭車両。
決めきれなかった自分の声だけが、整備灯の下でも残っている。
俺は整備ヤードを離れ、駐屯地の外れへ歩いた。喫煙スペースのベンチに腰を下ろし、タブレットを膝に置く。
閉じたはずの戦闘ログを、また呼び出した。崖区間に入る直前。ノイズの波形。偵察の短い報告。
ここで止めるべきだった。
結論は出ている。それでも、あの瞬間は止まれと言えなかった。
橋の上で退避を選んだ直後、白い導光ラインが空中でちぎれ、上にいたものがまとめて落ちていった。あの映像が、判断の奥に引っかかっている。
止めたら、落ちる。止めたら、逃げ場を失う。そういう記憶が、崖区間でも手を伸ばしてきた。
「ログとにらめっこか」
低い声に、俺は顔を上げた。
セーブルが、缶コーヒーを二本ぶら下げて立っていた。戦闘服の上着をラフに開け、首元にはうっすら油汚れが残っている。
肩幅は広いが、体つきは無駄なく締まっていた。薄い口ひげと、削げた頬。笑えば人のよさが出そうなのに、目だけは最後まで戦場を見ている。若い兵なら、それだけで背筋を伸ばすだろうと思わせる男だった。
「悪い。邪魔だったか」
「いや」
セーブルは隣に腰を下ろし、缶を一本放った。俺は反射で受け取る。
「お前の顔がな。こっち側を見てる顔じゃない。まだ崖の中にいる」
「そう見えるか」
「見える」
煙草の箱が差し出される。
俺は一本抜き火を借りた。ひと息吸って、しばらく黙る。煙が喉に引っかかり、少しだけ咳き込みそうになった。
「判断は甘かった」
ようやく言葉が出た。
「崖区間に入る前に止めるべきだった。ノイズも、灰膜だけと決めつけるには汚すぎた。被弾の直後もそうだ。先頭車両を放棄して下げる判断が遅れた。結果、二機を止めた」
セーブルは黙って聞いている。
「全部守る決断も、全部捨てる決断もできなかった。つまり、どっちも選べてない」
「自分でそこまで言えるなら、半分は終わってる」
セーブルが缶を一口飲んだ。
「事実だけ言う。判断が甘かった。選べなかった。その結果、二機が動けなくなり、先頭車両を置いてきた」
「慰めのつもりか」
「慰めるかよ」
声の端に、ほんの少し笑いが混じる。
「ほかの隊なら、あそこで半分持っていかれて終わりだ。お前は半分以上残した。だから及第点。ただし、隊長としては落第だ」
「随分とケチな採点だな」
「命を賭ける仕事だ。ケチでちょうどいい」
「じゃあ、あんたが同じ状況だったら、どうした」
「最初のノイズの時点で、崖区間に入らない」
間髪入れずに返ってきた。
「前も後ろも危なそうなら、まだ情報が多いほうに引き返す。灰膜が濃くなる区画のほうが、少なくとも記録は残る。崖の中より、状況を読み直せる」
「それで襲撃されたら?」
「それはそれだ。どのみち、あの崖よりは動ける」
俺は小さく笑った。
「言い切れるのが、羨ましいよ」
「言い切れるようになるまで、何回か失敗しただけだ」
セーブルは煙草を灰皿に押しつけ、俺のタブレットへ視線を落とした。
「見せろ」
「何を」
「ログだ。他人の転び方を見るのは嫌いじゃない」
「性格が悪いな」
「今さらだろ」
俺は黙ってタブレットを渡した。
セーブルは数秒だけ早送りし、崖区間の手前で速度を落とした。座標、ノイズの跳ね、偵察の一言。短い沈黙のあと、画面を閉じて返してくる。
「なるほど」
「何がだ」
「橋を引きずってるな」
図星だった。
俺は返事を遅らせた。
「お前は、封鎖と退避をかけても間に合わなかった橋を知ってる。だから今度は、止まって受けきるより、抜けてから立て直すほうへ寄った。結果、止まるにも進むにも中途半端になった」
「分かってる。分かってたのに、踏み切れなかった」
「コンラートか」
その名が出るとは思っていなかった。
俺はセーブルを見る。
「あんた、どこまで知ってる」
「ヘルマーチの隊長が、お前の親父だってことくらいはな。それと、昔、同じ場所を歩いていたことも」
遠くでクレーンが金属音を立てた。
セーブルは缶を片手で転がしながら、ゆっくり続ける。
「灰風中隊って部隊が、昔あった」
「灰風……」
「UDFの中でも、白帯の外で補給路を探すのが仕事の部隊だ。地図にまともな道が残ってない場所を歩く。どこを通れば車列が抜けられるか、どこを捨てれば残りを守れるか、それを現場で決める」
短い説明なのに、重かった。
「隊長がコンラート。下に俺と、セルゲイと、ヴァイスがいた」
俺は言葉を失った。
セーブルとヴァイスが、コンラートの下にいた。
その事実だけで、今までばらばらに見えていた名前が、急に近くなる。
「コンラートは、補給路を作るのが上手かった。白帯を起点にしながら、白帯だけに縛られない。お前とは逆だ」
「それで?」
「ある時、いなくなった。通知だけ来た。特務部隊へ異動。行き先は伏せられてた。あとで噂で聞いた。ヘルマーチって名前だと」
セーブルは前だけを見たまま言う。
「ヘルマーチ自体は、最初から今みたいな部隊じゃなかった。初代隊長はエアハルト。筋が通っていて、現場を分かっていた軍人だ。あいつのころは、まだただの特務だった」
少し間を置き、続ける。
「エアハルトが死んで、コンラートが引き継いだ。ちょうどその少しあとから、UDFが目に見えて痩せ始めた」
弾薬。
燃料。
予備部品。
人員。
セーブルは、指を折るように言った。
「命令だけは来る。だが、手足は細る。そういう時期だ。そのころからだ。ヘルマーチが企業案件を受け始めたのは」
俺は黙って聞く。
「最初は書類上、UDF経由だった。だが、そのうち逆になった。企業の仕事が本筋で、UDFは名義を貸すだけに近くなった。形はUDF、中身は独立傭兵。どこの旗にも縛られないぶん、企業からすれば使いやすい部隊になった」
セーブルの声は淡々としている。
「任務成功率は高かったらしい。その代わり、手段は選ばなかった。白帯の外で何を潰したかは、誰も深く聞かない」
その噂だけは、俺も知っている。
危ない奴らの巣だ。見かけたら距離を取れ。
ヘルマーチという名前には、そういう匂いがついていた。
「自分で志願したと思うか」
「そうだろうな。上から命じられて渋々行くような男じゃない。あいつは、自分で選んだ道しか歩かない」
俺は視線を落とした。
「あんたから見て、あいつはどうだった。いい隊長だったか。それとも、最初から壊れてたか」
セーブルはしばらく黙った。
「少なくとも、最初から壊れてはいなかった。部下の顔も名前も覚えてた。気に食わない命令には文句を言いに行った。普通の、少し頭の回る隊長だ」
「だった?」
「ああ。だった」
セーブルの視線が、夜の向こうへ向く。
「UDFが一度、街ごと白帯を焦がした事件があったろ。誤射だの、被害の隠し立てだの、ニュースで散々叩かれたやつだ」
俺の頭に、映像が戻った。
赤いテロップ。
焼けた白い道。
黒く焦げた車列。
病院名が、一瞬だけ映った。
母の勤めていた場所。
「母さんが死んだのは、その時だ」
言葉は静かに出た。
「市街戦の爆発に巻き込まれたって、そう聞いてる」
「そうだろうな。俺たちは、その街の外で足止めされてた。灰風中隊は外周待機の命令を受けていた。だが、コンラートが独断で市内に踏み込んだときには、白帯の一部はもう燃えてた」
俺は黙って聞くしかなかった。
「細かい経緯は、俺も報告書を全部読んだわけじゃない。ただ、聞いた話と、あいつの顔で分かることはある」
セーブルは缶を指先で一度だけ転がす。
「計画の段階で、通し方が危ないと何度も食ってかかった。指揮を一本にしろ、白帯に砲を向けるなと、何度も訴えてた。それでも止まらなかった。企業とUDFが、それぞれ自分の守りたい場所を優先した。割を食ったのは、白帯の上にいた連中だ」
少し間を置いて、付け足す。
「ニュースはUDFの失策で済ませた。画面の外で、白帯の上に立っていたやつの顔も、コンラートが何を止めようとしていたかも、どこにも映らなかった」
セーブルの声は変わらない。
「その後だった。あいつの目つきが変わったのは。守る範囲の決め方が変わった。ここまではやる、ここから先はやらない。その境目が、前より遠くなった。街も人も、書類の一枚みたいに扱う瞬間が増えた」
「それで、ヘルマーチに?」
「詳しい経緯は知らない。だが、自分から近づいた匂いはする」
セーブルは俺を見る。
「お前が知っているコンラートは、白帯を割ったヘルマーチの隊長だろ。俺が知っているのは、その前の灰風の隊長だ。どっちも同じ人間だが、まるで別人のように見える」
俺はしばらく言葉を選んだ。
父が家を離れた理由は、自分なりに埋めてきた。
出世に夢中になったから。
戦場をやめられなかったから。
家より軍を選んだのだと。
そこへ、変わった瞬間があった、と差し込まれる。
納得したくない。
だが、聞かなかったことにもできない。
「だからって、許されるわけじゃない」
俺は言い切った。
「母さんが死んだあと、あいつは一度も家に戻らなかった。俺の前にも現れなかった。それは、誰のせいでもない」
「そうだな」
セーブルは即答した。
「やったことは消えない。捨てたものも戻らない。そこだけはごまかせない」
少し間を置いてから、続ける。
「ただ、お前が今やってるのは、全部否定することでも、全部真似することでもないはずだ」
「じゃあ、俺は何をしてる」
「同じ場所に立ちかけてる」
セーブルの声が、わずかに低くなる。
「全部背負って、全部守ろうとして、何も選べなくなる場所だ。コンラートはそこで一度折れた。そこから先は、何かを守るために、別の何かを切り捨てるほうへ振り切った」
俺は缶を握り、言葉を絞った。
「俺は、あいつみたいにはならない」
「ならない方がいい」
セーブルは立ち上がりながら言った。
「お前はまだ途中だ。立ち止まった場所から、一歩分だけでいい。前に出ろ」
背を向けかけて、ふと足を止める。
「明日の朝、通信室に顔を出せ」
「通信室?」
「北の中継基地のログが、夜中から途切れてる」
セーブルの目が細くなる。
「普通の故障なら、何か痕跡が残る。だが、きれいに黙ってる」
「偵察を出すのか」
「ああ。詳しい中身は明日、司令から聞け」
そして、はっきり言い切った。
「ただ一つ言える。あそこが死んだままだと、この一帯の白帯はもっと苦しくなる。昨日みたいな襲撃が、たまの事故じゃなくて、いつもの景色になる」
理屈はすぐに飲み込めた。
中継基地が沈黙すれば、補給路も白帯も目が減る。見えない場所が増えれば、敵はそこを使う。昨日の崖区間が、一度きりで済まなくなる。
「だから見に行く。生きてるなら起こす。そういう役回りが必要だ」
「俺を連れて行く気か」
「付き合え、VOLK−6」
セーブルは顎でベンチを指した。
「ここで一晩中、ログとにらめっこしてても止めはしないが」
「行く」
俺は即答した。
「ここで引いたら、また白帯の上だけ見てることになる。あいつの言った通りのままだ」
セーブルが、ほんの少しだけ口角を上げる。
「それでいい」
短く言って、夜の通路へ歩き出した。
整備ヤードの明かりは、まだ消えずに揺れている。俺は空になった缶を握りつぶし、ベンチから立ち上がった。
白帯が折れた記憶と、崖の中で迷った判断。
その両方を抱えたまま、北の基地へ行こうとしている。
親父が歩いた場所に、俺も行く。
そう言い直すと、少しだけ息がしやすくなった。
俺は駐屯地の灯りのほうへ歩き出した。