灰の傭兵と光の園 〈RF各機、メカイラストあり〉   作:青羽 イオ

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第十章 動き出す世界
第54話 肩車の高さ


 執務室の時計は、夕方の少し手前を指していた。

 

 俺は机に肘をつき、前日の護衛任務ログを端末で送っていた。消費弾薬、損傷部位、補給車列の損害。必要な箇所にだけ短くコメントを入れ、整備班やナロア宛に回していく。

 

 数字で並べれば、昨日の崖はただの報告になる。だが、ガンモの盾が焼けていた光景も、ポチ機の膝下が外されたまま吊られている映像も、画面を送るたびに勝手に戻ってきた。

 

 扉が小さく鳴った。

 

「入れ」

 

 そう返しても、扉は少し開いただけで、誰も入ってこない。俺は椅子を引いて立ち、扉を開け直した。

 

 廊下の影に、名札付きのスウェットを着た小さな頭が見えた。

 

「ユウタか。どうした、迷子か」

 

「ちがう」

 

 首を横に振る動きは硬かった。部屋に入れと手で示すと、ユウタは一歩だけ踏み込んで、そこで止まる。扉を閉めると、執務室はまた静かになった。

 

「何かあったか」

 

 ユウタは握った拳を見つめたまま、言葉を探すように口を開いた。

 

「せんせいが、へん」

 

「サキ先生が?」

 

 こくりと頷く。

 

「きのうから、ときどき、すごくつらそうなかおしてる。こども、だっこしたときも、ちょっとふらふらしてた。でも、なんでもないって言う」

 

 たどたどしいが、言いたいことは分かった。サキが無理をしている。子どもに気づかれるくらいに。

 

「だれにいえばいいか、わかんなかった」

 

 ユウタがようやく顔を上げる。

 

「たいちょーなら、なんとかしてくれると、おもった」

 

 俺は机の前の椅子を指した。

 

「座れ」

 

 ユウタがつま先を揃えて腰を下ろすのを見てから、俺も少し身を落とした。

 

「サキ先生に、具合が悪いのかって聞いたんだな」

 

「いたい?ってきいた。でも、なんでもないよって」

 

「言うだろうな」

 

 俺は短く息を吐いた。サキが自分から不調を言い出すところは想像しづらい。子どもたちを先に見て、自分のことは後回しにする。そういう人間だ。

 

「いいか。先生がしんどそうなら、気づかないふりはするな。でも、お前一人で抱え込むな。今日みたいに、俺か、ナロアか、イズミに言いに来い」

 

「きょうみたいに、たいちょーに?」

 

「俺でもいい」

 

 そこで一度、言葉を置いた。

 

「今日は、よく来た」

 

 ユウタの表情が少しだけ緩んだ。

 

「うん」

 

「もうすぐ飯だろ。子ども区画に戻れ。俺もあとで行く」

 

「たいちょーも?」

 

「ああ。食堂までは一人で行けるな」

 

「いける」

 

「じゃあ行け」

 

 ユウタは小さく頭を下げ、廊下を小走りで戻っていった。

 

 扉が閉まると、途中の報告書だけが端末に残っていた。俺は画面を一度見たが、続きを書く気にはならなかった。

 

 昨日から、か。

 

 ユウタが気づくほどなら、もう放っておけない。

 

 *

 

 夕食時の食堂は騒がしかった。

 

 配膳台の奥では湯気が立ち、子ども用区画と大人のテーブルが並んでいる。金属の食器が触れ合う音、子どもたちの声、誰かの笑い声が重なり、艦内で一番人の気配が濃い時間だった。

 

 俺は入口で足を止め、子ども区画へ目を向けた。

 

 エプロン姿のサキが、皿を並べていた。子どもたちへスープとパンを渡す手順はいつもどおりだが、動きの端が遅い。皿を取るたび、ほんの少しだけ体が追いついていない。

 

 列に紛れて距離を詰める。

 

「サキ」

 

 普段どおりに呼ぶと、サキは少し遅れて振り向いた。

 

「はい? あ、ヒロ」

 

 顔が赤い。生え際には汗がにじみ、髪が額に貼りついている。近づいた時点で、熱があるのは分かった。

 

「何か足りないものはないか」

 

「大丈夫です。足りてます。ありがとうございます」

 

 決まり文句が返ってくる。言い方だけはしっかりしているが、目の焦点が少し甘い。

 

 その横から、大人用の皿が一枚回ってきた。スープとパン、煮込みが載っている。

 

「あ、それ私が――」

 

 サキが反射でトレーごと受け取った瞬間、体がわずかに沈んだ。歯を食いしばる音がして、トレーが傾きかける。

 

 俺は皿の端を押さえた。

 

「ちょ、ヒロ?」

 

「動くな」

 

 もう片方の手を首筋へ当てる。熱い。脈も速い。

 

「熱がある。医務に行け」

 

「そんな、大げさですよ。ちょっと暑いだけで――」

 

「医務に行け」

 

 二度目は低くなった。サキはそこで言葉を止める。

 

 近くのテーブルから、VOLKの声が飛んだ。

 

「おや、隊長」

 

 ゴーシュがスプーンを咥えたまま、視線だけこちらへ寄こす。

 

「また無茶してるな、あの人」

 

 ポチがぼそりと言った。

 

「無茶じゃないです。子どもたちのぶんがまだ――」

 

「代わりはいる」

 

 俺はサキの言葉を切り、背中へ腕を回した。

 

「え」

 

 腰を支え、膝裏へ手を入れて床から離す。視界が持ち上がったサキが、目を丸くした。

 

「ちょ、ちょっと、ヒロ!? 下ろして、自分で歩けますから」

 

「暴れるな。皿のほうが危ない」

 

 ガンモが素早くトレーを受け取る。

 

「はいはい、ここはお預かりしまーす。隊長、続きは任せて」

 

 軽く敬礼するガンモを見ずに、俺は短く返した。

 

「お前らは飯食ってろ」

 

「了解。こっちはこっちで現場処理しますよ」

 

 ゴーシュが肩をすくめ、ポチは子どもたちへ小さく手を振った。

 

 ナロアが子ども区画の前へ立ち、子どもたちの視線を遮るように手を叩く。

 

「見ない。いいね?」

 

「せんせい、病院いくの?」

 

「すぐ戻ってくる。ほら、ごはん冷めるよ。サキ先生の分までちゃんと食べる」

 

 子どもたちの視線が少しずつ食器へ戻っていく。それを確認してから、ナロアが俺の背中を一度だけ見送った。

 

 *

 

「ほんとに、自分で歩けますから」

 

 医務区画へ向かう廊下で、サキが腕の中でもぞもぞと動いた。

 

「さっきも言った。暴れるな」

 

「だって、こんな運ばれ方、子どもたちに見られたら――」

 

「もう見られた」

 

「そういう問題じゃなくて」

 

「途中で落とされたいか」

 

 言い切ると、サキはようやく黙った。

 

 俺は歩幅を一定にする。揺れを抑える持ち方も崩さない。負傷者を運ぶときと違って、サキは軽すぎた。腕の中で無理に体を固くしているのが分かる。

 

「いつからだ」

 

「え?」

 

「熱。昨日からか」

 

 サキは少し目線を落とした。

 

「昨日の夜から、ちょっと、だるいなって。寝たら治るかなって思って」

 

「治らなかったわけだ」

 

「はい」

 

「ユウタが来た。昨日から様子がおかしいって」

 

「……あの子」

 

 サキの声が小さくなる。

 

「子どもを心配させるな」

 

 乾いた言い方になった。

 

「させたくて、させてるわけじゃ――」

 

「分かってる。でも、結果としてそうなってる」

 

 少し沈黙が挟まった。サキは言い返そうとして、結局、息だけを吐いた。

 

「おまえが倒れたら、俺たちじゃ代わりにならない。そうなるのは困る」

 

「はい?」

 

 サキが聞き返したが、俺は前を向いたまま歩いた。

 

「医務室に着くぞ」

 

「今の、どういう意味ですか」

 

「そのままの意味だ」

 

「説明になってません」

 

「熱が下がったら聞け」

 

 それ以上は拾わず、俺は医務室の扉を肘で押し開けた。

 

 *

 

「イズミ」

 

「はーい……って、うわ。どうしたの、その運び方」

 

 診察台のそばにいたイズミが振り向き、目を丸くする。

 

「熱。高めだ。脈も速い」

 

「はいはい、こっちのベッド。サキ先生、とりあえず横になって。話はあと」

 

「すみません……」

 

 ベッドに下ろされると、サキはもう抵抗する余力がなさそうだった。イズミが額に手を当て、体温計を差し込む。表示を見た瞬間、眉が寄った。

 

「アウト」

 

「そんなにですか」

 

「この数字で、なんでもないは無理あるよ。よく食堂に立ってたね」

 

 苦笑しながら、イズミは点滴の準備に入った。

 

「隊長、ありがと。あとはこっちでやる」

 

「ああ」

 

 短く頷き、踵を返す。

 

 扉が閉まる直前、ベッドの上のサキが小さく息を吐くのが見えた。まだ何か言いたそうだったが、意識のほうが先に沈んでいく顔だった。

 

 *

 

 医務室前の廊下は人通りが少ない。

 

 扉を出たところで、俺はすぐ声をかけた。

 

「そこ。隠れてるつもりか」

 

 壁陰の小さな影がびくりと動く。ユウタだ。膝を抱えて座り、靴先で床をつついている。

 

「ここは、子どもが来ていい場所じゃない」

 

 近づくと、ユウタは顔を上げた。目元が少し赤い。

 

「でも、せんせいが、しんぱいで」

 

「さっきの食堂のことか」

 

「うん。たいちょーが、せんせいを、はこんだから」

 

「サキ先生は今、イズミが見てる。熱はあるが、すぐどうこうって話じゃない。寝て薬を入れれば戻る」

 

「ほんと?」

 

「嘘をついても、俺に得はない」

 

 ユウタが小さく息を吐いた。

 

「よかった」

 

 それでも動こうとはしない。

 

「戻るぞ。ここにいても邪魔になる」

 

 手を差し出しても、ユウタは床の一点を見たままだった。

 

「せんせい、ひとりでめがさめたら、さびしいかも」

 

 小さな声だった。

 

 俺は扉へ一度だけ視線を向けてから、しゃがみ込む。

 

「立て」

 

「え」

 

 脇の下に手を入れて持ち上げ、そのまま肩に乗せる。ユウタの体がふわりと浮いた。

 

「わっ」

 

 慌てて、ユウタが俺の頭をつかむ。

 

「怖かったら言え。すぐ下ろす」

 

「こわくない」

 

 そう言いながら、体は固まっている。俺は片手でユウタの足首を押さえ、歩き出した。

 

「せんせい、ここでねてる?」

 

「寝てる。起きたらイズミが説明する」

 

「いつ、なおる?」

 

「早ければ明日。遅くても、ちゃんと休めば戻る」

 

「ちゃんと、やすむかな」

 

「イズミが休ませる。逃げたら俺が連れ戻す」

 

 ユウタは少しだけ笑った。

 

 廊下の照明が近い。肩の上から見る世界は、自分の足で見るものとは違うはずだった。ユウタは前を覗き込み、少しずつ手の力を抜いていく。

 

「あそこ曲がったら、子ども区画だ」

 

「たいちょー」

 

「なんだ」

 

「たいちょーも、たまに、へんなかおする」

 

「そうか」

 

「きょうも、ちょっと」

 

 俺は少しだけ目を細めた。

 

「子どもはよく見てるな」

 

「うん」

 

 それきり、二人で黙って歩いた。

 

 ユウタの重さは、肩に乗せれば大したことはない。俺の手は足首を確かに押さえ、歩幅は崩れない。

 

 医務室の灯りが背中のほうへ遠ざかる。扉の向こうでは、イズミがサキに点滴をつないでいるはずだ。食堂では、ナロアやVOLKの連中が子どもたちを見ている。

 

 誰かが倒れれば、誰かが受ける。

 

 白帯の外だけではない。艦の中にも、守る順番はある。

 

 ユウタの足首を押さえる手に、少しだけ力を入れ直した。

 

 次は、遅れない。

 

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