灰の傭兵と光の園 〈RF各機、メカイラストあり〉 作:青羽 イオ
その日の任務は、白帯脇を進む輸送車列の護衛だった。
朝に出た車列を灰の中で拾い、途中で襲いかかってきたキーテラの小群と、どこかの傭兵崩れのRFを何機か払いのけて、目的地まで送り届けた。
任務としては、達成。
報告書に書けば、その一語で済む。車列も白帯も、ぎりぎりではあったが守り切った。損害も、数字だけ見れば許容範囲に収まっている。
ただ、無線の中では別の火花が散っていた。
崖の陰に隠れた敵をどう叩くか。車列ごと下げるか、前衛だけを押し込むか。俺の「待て」の一拍と、アキヒトの「もう待てない」の半歩が噛み合わなかった。
言い合いに決着がつく前に、戦場のほうが先に片付いてしまった。
だからこそ、終わっていなかった。
*
格納庫には、冷却ミストの白い霧と、焼けた油の匂いが残っていた。
ストレイ・カスタムの胸装甲ロックが外れ、ハーネスが解放される。アキヒトは梯子を使わず、コクピットの縁から整備足場へ身を滑らせ、そのまま床へ降りた。
少し離れたブロックでは、俺のヴァルケンストームが誘導員の合図で定位置へ入り、所定ラインで膝を沈めていた。足元のロックピンが脚部を受け止め、胸のハッチが開く。
「隊長、ゆっくり降りてくださいよ。さっきの衝撃、膝に――」
「平気だ」
整備員に短く返し、鉄梯子を降りた。床に足がついた瞬間、右膝の奥が少しだけ遅れる。
ほんのわずかな間だった。
だが、アキヒトは見ていた。視線を外さない。
整備員たちが、こちらの空気を読んで距離を取る。工具とケーブルがさりげなく脇へ退き、格納庫の真ん中に自然と空間ができた。
VOLKは慣れている。
こういうとき、止めるより先に逃がすものを逃がす。
「さっきの動きの話だ」
先に口を開いたのは俺だった。油染みの残る床越しに、アキヒトを見る。
「命令違反だ。隊列から外れて、単独で突っ込んだ」
「知ってる。でも間に合った。あれを潰さずに済んだだろ」
「たまたまだ」
返事は短くなった。
「隊から姿が消えた時点でアウトだ。前衛は好き勝手に走る役じゃない」
「じゃあ聞く。あそこで下がれって言って、全員そろって一歩下がってたら? 前は穴だらけになってた」
「白帯の手前だ。全体を優先するのが――」
「その全体を押さえるために、俺は前に出てる」
アキヒトが一歩詰めた。
「隊長。最近、踏み込みが浅い」
「慎重と言え」
自分でも、声が少し低くなったのが分かった。
「慎重なのはいい。でもさっきは、一歩前じゃなくて一歩後ろだった。前衛が下がった分、後ろのバッファロー隊が余計に食ってた」
拳が音もなく握り込まれる。
言われていることは分かる。だから腹が立った。
「全体を見て言ってる。お前一機の判断で前を押し上げるな」
「そっちは、隊の顔色ばかり見て、自分の足を出してない」
アキヒトの声も低くなる。
「例の崖もそうだ。待てと言ってる間に、前が詰まったんだろ」
「お前にだけは言われたくない」
その瞬間、自分の中で何かが切り替わった。
「お前は前に出たがる癖が抜けてない。隊の声より先に、自分の足が出る」
「前に出るのが、俺の仕事だろ。後ろで半歩待てと言うから、前で無理して合わせてる」
「合わせてもらった覚えはない」
「じゃあ今日は勝手に合わせた。隊長のブレーキに」
その一言で、俺の拳が先に出た。
左のジャブ。短く、肩だけで打つ。訓練の一撃だ。アキヒトは半歩ずらして受け流した。
「始まったな」
少し離れたところで、ゴーシュが腕を組む。
「今日は風呂の前かよ」
ガンモがコンテナに腰をかけたまま言った。
「工具は片づけとけ。巻き込まれたら面倒だ」
ポチがケーブルを抱えて横へ退き、リュウが壁にもたれて小さく息を吐く。
「十秒で終わればいい」
終わるわけがない。
俺とアキヒトは、格納庫の真ん中で向き合った。
「前から勝手に外れるな。隊列が崩れたら、誰かが死ぬ」
「隊列を固めすぎても、誰かが死ぬ。止まってる時間が長いと前が持たない」
「考える前に飛び出して、うまく行ったときだけ正しい顔をするな」
「違う。勝手に出た分のツケなら、ここで払う。殴りたいなら、今ここで殴れよ!」
その言い方が、ますます腹に来た。
踏み込む。
アキヒトも同時に前へ出る。
拳と腕がぶつかる鈍い音が、冷却ミストの中で続いた。喧嘩というより、格闘訓練が正面からぶつかっている。遠慮はないが、壊すための打ち方ではない。そこだけは、互いに分かっていた。
「顔はやめとけよ。明日のブリーフィングが面倒になる」
ガンモが手を振るが、止める気はない。
VOLKにとって、これは止める喧嘩ではない。出し切らせる喧嘩だ。
俺が足を払うと、アキヒトは飛び退き、床を滑った。
「隊長の号令を無視して、よく平然と戻ってこれるな」
踏み込んでボディを狙う。
「号令が遅かった」
アキヒトは肘で受け、懐に潜った。至近距離で、息がかかるくらい近い。
「お前の待てが半歩遅い間は、俺は勝手にやる」
ショートフックが顎先をかすめた。視界がわずかに揺れる。
「隊長! そこ受けたらまずいって!」
ゴーシュが半笑いで叫び、リュウが珍しく声を張った。
「ヒロ、下がって間を取れ。いつもの距離だ!」
一歩退き、呼吸を整える。
声が、少し落ちた。
「お前は、隊長の苦労を知らない。後ろから全体を見てるやつと、前しか見えてないやつじゃ、見えてるものが違う」
アキヒトの足が止まった。
その隙を逃さず、体重を乗せた右を肩口へ入れる。アキヒトが半歩よろけた。
「だったら」
アキヒトは唇を拭い、視線を上げる。
「前を見てる奴のことも、ちゃんと信じろよ!」
格納庫の空気が張った。
その言葉は、拳より深く入った。
「よし、ラスト一本だな」
ガンモが立ち上がる。
「どっちが先に寝るか、だ」
「隊長、顎下げて!」
「アキヒト、左で散らせ!」
好き勝手な声が飛ぶ中、俺たちは同時に踏み込んだ。
俺は左のフェイントから右ストレート。
アキヒトは左で視線を切って、右フック。
拳がそれぞれ頬と顎を捉え、次の瞬間、二人とも床に倒れていた。
冷たい床の感触が、背中に来る。
天井が並んで見えた。
「両者ダウン」
ポチが気楽に言い、ゴーシュが頭をかく。
「引き分けだな。俺はヒロに賭けてたんだが」
「まあ、これで少しは寝られるだろ」
ガンモが小さく言った。
床に倒れたまま、俺は息を吐いた。
「まだ、隊長をやめろとは言わないのか」
隣で同じように寝たまま、アキヒトが視線だけ向けてくる。
「言っても聞かないだろ。それに、お前が隊長を降りたら、正面から殴りに行く場所がなくなる」
「理由がひどいな」
かすかに笑ってしまった。
「次は、もう少しマシな隊長になってから殴らせろ」
「じゃあ次は、もう少しマシな隊長を殴ってやる」
「勝手に決めるな」
「隊長の仕事だろ。そういうの、まとめてかぶるのは」
息のリズムが揃いかけたところで、硬い靴音が急ぎ足で近づいてきた。
「ちょっとあんたら!」
ナロアの怒鳴り声が、格納庫に響いた。
「格納庫で殴り合いするなって、何回言わせるの!」
少し遅れて駆け込んできたサキが、俺たちの間にしゃがみ込む。
「ヒロ!? アキヒトさんまで……! もう、子どもたちの前じゃなくてよかったですけど、何やってるんですか、本当に」
「ちょっとした意見の擦り合わせだ」
アキヒトが苦し紛れに言う。
「拳で、ですか」
「効率がいい」
「良くないです!」
サキが珍しく声を荒げ、ナロアと目を合わせた。
「医務室、空いてますか」
「空けるしかないでしょ。ほら、ガンモ、ゴーシュ! 運ぶ!」
「はいはい」
「了解」
ゴーシュが俺の脇に腕を差し入れ、ガンモがアキヒトを引き起こす。二人とも足元が怪しかった。
担がれながら、俺は首だけ横へ向ける。
「なあ、アキヒト。さっきの一発、どっちが入れた」
「覚えてない。どっちも効いた」
サキが大きくため息をついた。
「必要なくなるように、口でも擦り合わせてください」
ナロアは頭をかきつつ、どこか安堵した声で言った。
「殴り合う余裕があるなら、まだ大丈夫ってことか」
医務室へ続く通路に、笑いとため息と、わずかな血の匂いが混じって流れていった。
*
*
*
その夜、監視塔のモニターに異常が出た。
UDF第23独立RF大隊の駐屯地から数キロ離れた旧市街。灰災前の航空写真では、普通のビルが並ぶ中心部として記録されていた場所だ。
今は、ここ数年ずっと濃い灰霧に覆われている区域だった。
「旧市街の灰濃度が急低下。風向きの変化はありません」
オペレーターの報告に、当直士官が画面を覗き込む。
ノイズのように見えた灰の層が薄れ、何も映らなかったエリアに暗い影が浮かび上がっていく。
最初は、ビルの残骸に見えた。
だが、違う。
地面から突き出した太い柱が束になって立ち、そのあいだを巨大な輪のような構造物が水平に貫いていた。外壁に窓らしいものはなく、継ぎ目と淡い光の筋だけが規則的に並んでいる。
「ビル……じゃないな」
誰かが声に出した。
「古い都市図を重ねます」
別のオペレーターが、灰災前のデータレイヤを呼び出す。モニター上で、昔のビル群の輪郭と、今見えている構造物が重なった。
重なるはずだった。
「一致しません。元の市街地の形と、まったく違う構造です」
そこにあるのは、高さも幅も、記録されたどの建物より大きな塊だった。
画面の端に、解析プログラムが自動で付けた仮の名称が出る。
〈レゾナンス複合研究基地〉
レゾナンスシティ由来と判定された、異常規模の施設。旧市街の地図の上に、見慣れない記号がひとつ、機械的に上書きされる。
駐屯地のすぐ外で起きている変化を、そのとき知っていたのは監視班の数人だけだった。
この異様な構造物が、数日後にUDFとカルディアと、灰の世界そのものを巻き込む引き金になることを、まだ誰も知らない。