灰の傭兵と光の園 〈RF各機、メカイラストあり〉   作:青羽 イオ

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第55話 拳でしか届かないこと

 その日の任務は、白帯脇を進む輸送車列の護衛だった。

 

 朝に出た車列を灰の中で拾い、途中で襲いかかってきたキーテラの小群と、どこかの傭兵崩れのRFを何機か払いのけて、目的地まで送り届けた。

 

 任務としては、達成。

 

 報告書に書けば、その一語で済む。車列も白帯も、ぎりぎりではあったが守り切った。損害も、数字だけ見れば許容範囲に収まっている。

 

 ただ、無線の中では別の火花が散っていた。

 

 崖の陰に隠れた敵をどう叩くか。車列ごと下げるか、前衛だけを押し込むか。俺の「待て」の一拍と、アキヒトの「もう待てない」の半歩が噛み合わなかった。

 

 言い合いに決着がつく前に、戦場のほうが先に片付いてしまった。

 

 だからこそ、終わっていなかった。

 

 *

 

 格納庫には、冷却ミストの白い霧と、焼けた油の匂いが残っていた。

 

 ストレイ・カスタムの胸装甲ロックが外れ、ハーネスが解放される。アキヒトは梯子を使わず、コクピットの縁から整備足場へ身を滑らせ、そのまま床へ降りた。

 

 少し離れたブロックでは、俺のヴァルケンストームが誘導員の合図で定位置へ入り、所定ラインで膝を沈めていた。足元のロックピンが脚部を受け止め、胸のハッチが開く。

 

「隊長、ゆっくり降りてくださいよ。さっきの衝撃、膝に――」

 

「平気だ」

 

 整備員に短く返し、鉄梯子を降りた。床に足がついた瞬間、右膝の奥が少しだけ遅れる。

 

 ほんのわずかな間だった。

 

 だが、アキヒトは見ていた。視線を外さない。

 

 整備員たちが、こちらの空気を読んで距離を取る。工具とケーブルがさりげなく脇へ退き、格納庫の真ん中に自然と空間ができた。

 

 VOLKは慣れている。

 

 こういうとき、止めるより先に逃がすものを逃がす。

 

「さっきの動きの話だ」

 

 先に口を開いたのは俺だった。油染みの残る床越しに、アキヒトを見る。

 

「命令違反だ。隊列から外れて、単独で突っ込んだ」

 

「知ってる。でも間に合った。あれを潰さずに済んだだろ」

 

「たまたまだ」

 

 返事は短くなった。

 

「隊から姿が消えた時点でアウトだ。前衛は好き勝手に走る役じゃない」

 

「じゃあ聞く。あそこで下がれって言って、全員そろって一歩下がってたら? 前は穴だらけになってた」

 

「白帯の手前だ。全体を優先するのが――」

 

「その全体を押さえるために、俺は前に出てる」

 

 アキヒトが一歩詰めた。

 

「隊長。最近、踏み込みが浅い」

 

「慎重と言え」

 

 自分でも、声が少し低くなったのが分かった。

 

「慎重なのはいい。でもさっきは、一歩前じゃなくて一歩後ろだった。前衛が下がった分、後ろのバッファロー隊が余計に食ってた」

 

 拳が音もなく握り込まれる。

 

 言われていることは分かる。だから腹が立った。

 

「全体を見て言ってる。お前一機の判断で前を押し上げるな」

 

「そっちは、隊の顔色ばかり見て、自分の足を出してない」

 

 アキヒトの声も低くなる。

 

「例の崖もそうだ。待てと言ってる間に、前が詰まったんだろ」

 

「お前にだけは言われたくない」

 

 その瞬間、自分の中で何かが切り替わった。

 

「お前は前に出たがる癖が抜けてない。隊の声より先に、自分の足が出る」

 

「前に出るのが、俺の仕事だろ。後ろで半歩待てと言うから、前で無理して合わせてる」

 

「合わせてもらった覚えはない」

 

「じゃあ今日は勝手に合わせた。隊長のブレーキに」

 

 その一言で、俺の拳が先に出た。

 

 左のジャブ。短く、肩だけで打つ。訓練の一撃だ。アキヒトは半歩ずらして受け流した。

 

「始まったな」

 

 少し離れたところで、ゴーシュが腕を組む。

 

「今日は風呂の前かよ」

 

 ガンモがコンテナに腰をかけたまま言った。

 

「工具は片づけとけ。巻き込まれたら面倒だ」

 

 ポチがケーブルを抱えて横へ退き、リュウが壁にもたれて小さく息を吐く。

 

「十秒で終わればいい」

 

 終わるわけがない。

 

 俺とアキヒトは、格納庫の真ん中で向き合った。

 

「前から勝手に外れるな。隊列が崩れたら、誰かが死ぬ」

 

「隊列を固めすぎても、誰かが死ぬ。止まってる時間が長いと前が持たない」

 

「考える前に飛び出して、うまく行ったときだけ正しい顔をするな」

 

「違う。勝手に出た分のツケなら、ここで払う。殴りたいなら、今ここで殴れよ!」

 

 その言い方が、ますます腹に来た。

 

 踏み込む。

 

 アキヒトも同時に前へ出る。

 

 拳と腕がぶつかる鈍い音が、冷却ミストの中で続いた。喧嘩というより、格闘訓練が正面からぶつかっている。遠慮はないが、壊すための打ち方ではない。そこだけは、互いに分かっていた。

 

「顔はやめとけよ。明日のブリーフィングが面倒になる」

 

 ガンモが手を振るが、止める気はない。

 

 VOLKにとって、これは止める喧嘩ではない。出し切らせる喧嘩だ。

 

 俺が足を払うと、アキヒトは飛び退き、床を滑った。

 

「隊長の号令を無視して、よく平然と戻ってこれるな」

 

 踏み込んでボディを狙う。

 

「号令が遅かった」

 

 アキヒトは肘で受け、懐に潜った。至近距離で、息がかかるくらい近い。

 

「お前の待てが半歩遅い間は、俺は勝手にやる」

 

 ショートフックが顎先をかすめた。視界がわずかに揺れる。

 

「隊長! そこ受けたらまずいって!」

 

 ゴーシュが半笑いで叫び、リュウが珍しく声を張った。

 

「ヒロ、下がって間を取れ。いつもの距離だ!」

 

 一歩退き、呼吸を整える。

 

 声が、少し落ちた。

 

「お前は、隊長の苦労を知らない。後ろから全体を見てるやつと、前しか見えてないやつじゃ、見えてるものが違う」

 

 アキヒトの足が止まった。

 

 その隙を逃さず、体重を乗せた右を肩口へ入れる。アキヒトが半歩よろけた。

 

「だったら」

 

 アキヒトは唇を拭い、視線を上げる。

 

「前を見てる奴のことも、ちゃんと信じろよ!」

 

 格納庫の空気が張った。

 

 その言葉は、拳より深く入った。

 

「よし、ラスト一本だな」

 

 ガンモが立ち上がる。

 

「どっちが先に寝るか、だ」

 

「隊長、顎下げて!」

 

「アキヒト、左で散らせ!」

 

 好き勝手な声が飛ぶ中、俺たちは同時に踏み込んだ。

 

 俺は左のフェイントから右ストレート。

 

 アキヒトは左で視線を切って、右フック。

 

 拳がそれぞれ頬と顎を捉え、次の瞬間、二人とも床に倒れていた。

 

 冷たい床の感触が、背中に来る。

 

 天井が並んで見えた。

 

「両者ダウン」

 

 ポチが気楽に言い、ゴーシュが頭をかく。

 

「引き分けだな。俺はヒロに賭けてたんだが」

 

「まあ、これで少しは寝られるだろ」

 

 ガンモが小さく言った。

 

 床に倒れたまま、俺は息を吐いた。

 

「まだ、隊長をやめろとは言わないのか」

 

 隣で同じように寝たまま、アキヒトが視線だけ向けてくる。

 

「言っても聞かないだろ。それに、お前が隊長を降りたら、正面から殴りに行く場所がなくなる」

 

「理由がひどいな」

 

 かすかに笑ってしまった。

 

「次は、もう少しマシな隊長になってから殴らせろ」

 

「じゃあ次は、もう少しマシな隊長を殴ってやる」

 

「勝手に決めるな」

 

「隊長の仕事だろ。そういうの、まとめてかぶるのは」

 

 息のリズムが揃いかけたところで、硬い靴音が急ぎ足で近づいてきた。

 

「ちょっとあんたら!」

 

 ナロアの怒鳴り声が、格納庫に響いた。

 

「格納庫で殴り合いするなって、何回言わせるの!」

 

 少し遅れて駆け込んできたサキが、俺たちの間にしゃがみ込む。

 

「ヒロ!? アキヒトさんまで……! もう、子どもたちの前じゃなくてよかったですけど、何やってるんですか、本当に」

 

「ちょっとした意見の擦り合わせだ」

 

 アキヒトが苦し紛れに言う。

 

「拳で、ですか」

 

「効率がいい」

 

「良くないです!」

 

 サキが珍しく声を荒げ、ナロアと目を合わせた。

 

「医務室、空いてますか」

 

「空けるしかないでしょ。ほら、ガンモ、ゴーシュ! 運ぶ!」

 

「はいはい」

 

「了解」

 

 ゴーシュが俺の脇に腕を差し入れ、ガンモがアキヒトを引き起こす。二人とも足元が怪しかった。

 

 担がれながら、俺は首だけ横へ向ける。

 

「なあ、アキヒト。さっきの一発、どっちが入れた」

 

「覚えてない。どっちも効いた」

 

 サキが大きくため息をついた。

 

「必要なくなるように、口でも擦り合わせてください」

 

 ナロアは頭をかきつつ、どこか安堵した声で言った。

 

「殴り合う余裕があるなら、まだ大丈夫ってことか」

 

 医務室へ続く通路に、笑いとため息と、わずかな血の匂いが混じって流れていった。

 

 *

 *

 *

 

 その夜、監視塔のモニターに異常が出た。

 

 UDF第23独立RF大隊の駐屯地から数キロ離れた旧市街。灰災前の航空写真では、普通のビルが並ぶ中心部として記録されていた場所だ。

 

 今は、ここ数年ずっと濃い灰霧に覆われている区域だった。

 

「旧市街の灰濃度が急低下。風向きの変化はありません」

 

 オペレーターの報告に、当直士官が画面を覗き込む。

 

 ノイズのように見えた灰の層が薄れ、何も映らなかったエリアに暗い影が浮かび上がっていく。

 

 最初は、ビルの残骸に見えた。

 

 だが、違う。

 

 地面から突き出した太い柱が束になって立ち、そのあいだを巨大な輪のような構造物が水平に貫いていた。外壁に窓らしいものはなく、継ぎ目と淡い光の筋だけが規則的に並んでいる。

 

「ビル……じゃないな」

 

 誰かが声に出した。

 

「古い都市図を重ねます」

 

 別のオペレーターが、灰災前のデータレイヤを呼び出す。モニター上で、昔のビル群の輪郭と、今見えている構造物が重なった。

 

 重なるはずだった。

 

「一致しません。元の市街地の形と、まったく違う構造です」

 

 そこにあるのは、高さも幅も、記録されたどの建物より大きな塊だった。

 

 画面の端に、解析プログラムが自動で付けた仮の名称が出る。

 

 〈レゾナンス複合研究基地〉

 

 レゾナンスシティ由来と判定された、異常規模の施設。旧市街の地図の上に、見慣れない記号がひとつ、機械的に上書きされる。

 

 駐屯地のすぐ外で起きている変化を、そのとき知っていたのは監視班の数人だけだった。

 

 この異様な構造物が、数日後にUDFとカルディアと、灰の世界そのものを巻き込む引き金になることを、まだ誰も知らない。

 

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